京都SFフェスティバル2011レポート

大野万紀


 今年の京フェスは何と京フェス30周年だったにもかかわらず、誰も気がついていなかったという。それもまた京フェスらしさだといえよう。
 神宮丸太町の駅につくと、ちらほら見知った顔がある。暑からず寒からず、天気もいい。開会前に京都教育文化センターへ到着。ホールでは古田武彦「『邪馬台国はなかった』刊行40周年記念」という怪しげな講演会が開催されているもよう。
 今年は事前予約して会費も払い込み済みだったので、チェックして資料をもらうだけ。ロビーがごった返してきたころ、会場がオープン。いつもの前の方の席に陣取る。

 最初の本会企画は「長谷敏司インタビュー」。ぼくには『あなたのための物語』の長谷敏司だが、ここではむしろラノベ『円環少女』シリーズ(今年完結した)の作者として、水鏡子が作った詳細な年譜(会場へも配っていた。THATTAへも掲載予定)に作者自身がコメントを入れ、それにそって生い立ちから順次話を聞いていくという形になった。
 小学生から図書館生活。「大人室」で子供向けの本を読み、ソノラマやコバルトや古めの本を読みふける。小学生にして『復活の日』を読んでトラウマになったそうだ。『飛ぶ教室』など、洋ものの学園ものが大好きで、寄宿舎生活にあこがれるという。
 それからT&TなどのテーブルトークRPGを始め、のめりこむ。TRPGのシナリオ作りが、SFを書く上で役に立っている。世界観を背景にキャラクタを動かす。キャラクタ先行なので、いったんキャラクタがつかめたら、後は早い。
 処女長編『楽園』は、SF的なイメージカットを元に世界を広げ、キャラを作っていった。初期の作品は推敲をとことん時間をかけてやったので、かえってキャラにドライブされていくような自分の文体が出来ていなかったかも知れない。
 ファンタジーでなくSFに行ったのは、サイバーパンク風TRPGの影響があった。関大ではSLG研究会に入ってゲームをしていた(堺三保さんによるとSLG研は裏SF研だったとの話――と水鏡子)。古本屋で古いSFをあさり、コミケにも行くようになった。
 ソフト会社に入ったが、すぐに辞めてゲーム専門学校に入る。世界に穴があったら、どうしてもそこを埋めたいという、TRPG由来の強迫観念があり、穴を埋めようという執念で作家になった。『円環少女』はニッチなヒロインで、キャラたちが自分で動き出し、自分の文体というものを確立できた。
 といったところから『円環少女』シリーズの分析に入っていったが、時間切れ。水鏡子が時間配分を大幅にミスっていたのだ。この続きは合宿で、ということになり、急遽合宿のタイムテーブルが組み直されることに。ぼくが予定していた合宿企画「プランク・ダイヴの部屋」も夜中へシフトした。
 作者がインタビュアーに気を遣うようなインタビューではあったが、大変面白かった。作家にはお友達になりたいタイプとそうでないタイプがあるが、長谷さんはお友達になりたい、いい人ですね。

 昼食の後、二コマ目の企画は堀晃・かんべむさしに大森望が聞き手という「上方と小松SF 小松左京追悼にかえて」
 堀さんとかんべさんの小松左京話は、以前に東京や大阪でもやったそうで(大阪のはUstreamで中継されたので、ぼくも見ていた)、そこでは出なかった話を中心に、ということで、始めはかんべさん中心に、小松さんが、いかに小松左京となったかというお話。上方――京阪神が、小松さんそのものだといえる。神戸や阪神間で生まれ育ち、京都で学問し、大阪で働いた小松さん。かんべさんも堀さんも小松さんといっしょに話を聞く機会が多かったことから、とにかく面白い逸話が多い。
 阪神間での、短かったが満ち足りた幸せな生活、京都で得た知識と観念、大阪でのゼニカネを含めた生活者の感覚。
 そして小松さんは過去から未来への時間軸をもって何事も立体的に見ようとする。その知識は、かんべさんの感覚では、下から噴出するというよりも上からどさっと落ちてくるような、そんな物量感がある。ただ本人は、とにかくオモロイ物知りなオッサンなのだ。「うかれ、ですな」とかんべさん。
 戦時中甲子園球場の裏の松林に雷電が隠してあったという話、寝言で唄を歌うと3番まで歌うという話。モリミノル名でマンガを描いていたが、松本零士がそれをコレクションしていたことを公にするまで、自分からは隠そうとしていたという話。共産党の山村工作隊で京都の大原へ行ったが、いい人ばかりで自分が何をやっているのかわからなくなった話。『日本沈没』の首相は宮沢喜一をイメージしていたとか、鈴木貫太郎のイメージがあったとか。SFMのコンテストへ応募したときのペンネームが小松左京だった。そして「地には平和を」から50年。
 尼崎に住んでいたころのエピソード。『日本アパッチ族』が鉄を食べるのは、食堂の焼きそばに旋盤の鉄くずが入っていたことがきっかけ。
 ラジオ大阪時代。サンケイパーラーの上階にアメリカ文化センターがあって、小松さんはそこでNatureを読みながら『復活の日』の構想を練っていた。
 ラジオ大阪の「題名のない番組」に小松さんはレギュラー出演していたが、そのころ投稿していた常連が今は各界の名士となっていて、阪大でロボットを研究している河田教授が、実はその常連だったと「アトム誕生祝賀記念講演会」でお会いしたとき話していた。小松さんはこの番組に遅刻してくることが多く、それが有名になっていたが、その理由は番組のある日に京都で梅棹忠夫さんらの勉強会に参加しており、それが面白くて遅刻するのだった。
 小松さんが上機嫌になる時というのがあって、それは京大人文研の人たち、米朝一門、そしてSF作家仲間と会っている時だった。梅棹さんも今はないが、石毛先生がいる。石毛さんや、関テレのプロデューサの古吟さんに小松さんの話を聞きたい。米朝師匠には自由に話してもらいたい。とは堀さんの弁。
 落語好きはSFに継承された。でも京都学派を継承するSF作家はいない。『日本沈没』の京都の学者は梅棹さんで、本当に話の途中で昼寝するような人だった。
 決してアンチ東京ではない。新幹線ができてからは東京へもよく行き来するようになった。ヒューマニストでロマンチスト。優しい人だった。今度徳間から「さよなら小松左京」という本が出てそこへこの対談も載るとのこと。
 終わった後、堀さんとちょっと立ち話した。小松SFは、ハードSFという観点からは、どう捉えたらいいのだろう? と堀さん。ハードSFというコトバでは、小松SFは捉えきれないところがある。本格SFというしかないのでは、とぼくは答えたが、この辺はもっと考えないといけないな。

 企画その3は「バチガルピを肴に、現代英米SFつまみ食い」
 今度東京創元社で編集をすることになったアンサンブルの石亀渉さんと、加藤逸人さんによる、バチガルピを始めとする英米SFの紹介。パワポを用意しての話だったが、この企画も時間配分が失敗で、ちょっと中途半端なところで終わってしまったのが残念だった。
 まずはバチガルピについて。ストーリーを重視した「砂と灰の人々」、世界を作り上げるPop Squad、The Alchemistは寓意がはっきりと出ている、基本的に若い、年少者向けに書きたいという気持ちをもっている、といった話だった。
 現代英米SFのキーワードとして、エキゾチシズム、ディストピア、スチームパンク、ハードSFを挙げ、イアン・マクドナルド、シェリー・プリーストなどの名前が出た。ハードSFではピーター・ワッツ、イーガン、ハンヌ・ライアニエミといった名前が挙がり、ピーター・ワッツのBlindsightがお勧めとのこと。その辺りで時間切れだった。

 最後の本会企画は、小林泰三、津原泰水の「SFとホラーの境界」という対談で、ダブル・ヤスミン対談ということだが、いったいどこからこの企画が出てきたのだろう。
 津原さんによると、吉沢やすみ(ど根性ガエル)→小林泰三→津原泰水という、ど根性を伝える悪い奴の系譜があるそうな。とりあえず、広島のSF大会で出会ったのが最初らしい。津原さんも小林さんも、相手の顔を見つつも好き勝手に話を広げるタイプのようで、互いに話題のバトルを繰り広げ、滅茶苦茶面白い対談(なのか?)になった。以下、適当に話題をピックアップすると、

 とまあ、そんな感じで、まさにSF作家オモロ放談の世界だった。 

*津原さんから「SFとホラーの境界? そんなものはない」は小林さんの発言だったとのご指摘がありましたので、訂正しました。ごめんなさい。(2011/11/2)

 本会の後は、いつもの十両で夕食。十両も京フェス流れの客に慣れてきたものだ。相変わらず美味しかったが、量はさすがにちょっと減ったかな。
 合宿はさわや。大広間では恒例の企画紹介と小浜さんによる参加者紹介。創元SF短篇賞の酉島伝法さんとご挨拶し、「皆勤の徒」の自作イラストを見せてもらう。
 寝部屋を確保しようと思ったが、すでにどこもいっぱいで、まあ企画の後に企画部屋で寝ればいいやとあきらめる。

大広間でのオープニング ひたすらファンジンを売る堺三保 合宿企画の紹介
続・長谷敏司インタビュー ねじまき少女の魅力に迫る プランク・ダイヴを語る

 合宿企画の1つ目は、急遽決定した本会企画「長谷敏司インタビュー」の続編。まあ、同じ部屋である次のバチガルピ企画に出席するので、そのついでということもある。
 内容は完全に本会の続きで、『円環少女』の創作裏話が中心。だからぼくにはよくわからなかった。作品の舞台となる2005年の完全なカレンダーを作り上げているということで、パソコンに入っているそれを回覧していた。雑誌連載と書き下ろしとの違いは、雑誌連載だと、前の回で何を書いたかなど忘れて突っ走るようにしないといけない、とのこと。『あなたのための物語』の話題も少し出て、確かに作者の病気の体験が反映しており、人間の精神は体の状態に影響されることを書いている。熱心な読者の質問にも答えており、作者の真面目な態度が心に残った。

 続いてSFファン交流会(ファン交)主催の「ねじまき少女はユーテック・ライスの夢を見るか? 『ねじまき少女』の魅力に迫る!」という企画。この企画ではぼくが石亀渉さんとバチガルピについて話をすることになっている。今回はUsteramでインターネット中継するとのことで、ファン交の平林さんが、ネットブック(EeePC)を持ち込んでセットアップ。ネットブックみたいなPCでも、インターネットの動画中継ができるんだなあ。
 石亀さんが初めにバチカルビと『ねじまき少女』の話をし、それからぼくが語って、後は自由に進めるとだけ決め、事前の打ち合わせもあまりしないで始めた。それでも結構面白い話になったんじゃないか、と思う(主に石亀さんと、周囲から色々と突っ込みをくれた皆さんのおかげだが)。『ねじまき少女』には致命的な誤訳(というか、用語の解釈の誤り)があるとのことで、特に「イヌホオズキ」と訳されたnightshadesは、本書の文脈ではナス科植物全般(タバコ、トマト、ナス、トウガラシなど)の意味に捉えないとおかしいとのこと。
 以下、ぼくの話した主な内容をメモから(この通りに話をしたわけではないが)。エントロピー(物理用語というよりSF用語として)をキーワードに語ってみた。なお、以下バチガルピ作品のネタバレありなのでご注意

 Ustreamも見た人の話ではちゃんと流れていたようだし、成功だったと思う。関係者のみなさん、ありがとうございました。

 さて、最後は細井威男さんが合宿企画に登録してくれた「プランク・ダイヴを語る部屋」。これはぼくがイーガンの『プランク・ダイヴ』を始めとする作品について、その場の人といっしょにダラダラと脈略無く語ろうという企画でして、夜遅い時間に変わったのでちょうどいいと思ったものだ(みんな眠くて厳しい突っ込みはないだろうと思ったからね)。
 一応、ネタバレありですよと断って、『プランク・ダイヴ』に書いた作品解説の補足みたいなところから始めた(というわけで、以下のレポートにもネタバレがたっぷりです)。ところが、いつものことだが酔っぱらった樽本さんが、大きな声で「はーい、質問です」。そしてダルグレンやヴァンスの話。酔っぱらってはいても、これがメチャメチャ面白い(ここには書けないダルグレン話が炸裂)。とはいえ、イーガンとは関係ないので、関係者により室外へ拉致されて行きました

 「クリスタルの夜」のソフトウェア進化の話から始めたが、興が乗ってきたのはやはり「暗黒整数」あたり。部屋に志村さんがいて、適切な数学的突っ込みを入れてくれたおかげもある。
 数学SFに関連して鈴木光司の『エッジ』でπの計算が途中で止まり、πが有理数となってしまうという話や(でも作者はそれが物理定数の変化と同じだと思っている)、小林泰三の傑作「予め決定されている明日」の、仮想現実が計算された世界なら、紙と鉛筆で計算しても同じだとか、さらに実際に計算すらしなくても答えは予め決定している(πの百億桁目の数字は何か、計算しないとわからないが、実は計算しなくても決まっている)といった話をする。
 公理系の「不備」については、志村さんがすごく大きい、とほうもなく大きい数の話をしてくれる。これはぼくが解説で書いたことと基本は同じだったので、ほっとする。
 ぼくが強く感じたのは、「ルミナス」や「暗黒整数」の互いに矛盾する公理系であっても、他の作品の量子力学的観測による世界の収束であっても、イーガンはそれが光速度の有限性によって(情報の伝わる速度の有限性)、同時に全宇宙が変化したり収束するのではなく、わりあいローカルな範囲で時間軸に沿って変化していくのだということ。このイーガンのこだわりは徹底している。その話をしたのだが、ちょっと繰り返しが多くなってしまったかも知れない。くどくてごめんなさい。

 もうひとつ話したかったのは「プランク・ダイヴ」の詩人のおっさん、プロスペロの件。解説でも書いたが、ずいぶんと戯画化されて描かれていたあの親父の存在がぼくはすごく気になる。というのも、彼がやろうとしていることは、何も情報を持って帰れないブラックホールへのダイヴ(それは外から見たら死ぬことと同じだ)から、虚構であっても何らかの物語を語ろうとすることであって、それこそイーガンがこの作品でやっていること、そのものだと思うからだ。いわば死者の代弁者だが、実際ぼくらはジゼラやコーディリアが何を見て何を感じたか、この小説で読むことができる。ブラックホールからはどんな情報も入手できないというのに。それを代弁しているのがイーガンであり、彼がプロスペロをあんな風に描写したのは、それなりに意味があるように思うのだ。だからこそ、イーガンはこの物語を普通の小説の言葉より、一般の読者には意味不明であっても、正しい物理や数学の言葉で語ろうとしたのではないだろうか。

 後はイーガンの描くソフトウェア知性について、現在のコンピュータ科学とはかけ離れていても、それはイーガンの大前提なのだという話。それを誕生させるために、『ディアスポラ』の冒頭の長い一章があったのだし、『順列都市』の塵理論も、アナグラムがある時並び変わって意味を持つように、ジャンクな情報が特定の環境(エネルギー勾配や触媒のような形のある土台)の中で自発的・創発的に意味のある解を作り出すことになる。その解=情報は、人間に理解できるようなコトバではないが、DNAのように物理的な変化をもたらす力を持ち、因果的に整合性のある世界を、そして意識を作り出すことになるだろう。それがイーガンの信念なのだ。もちろんこれはあくまでもぼく個人の解釈にすぎないのだが。

 「グローリー」冒頭の、一つ一つ手順を踏まえていくワンバダ的展開も、それがいい、熱くなるという読者が多くて嬉しくなる。また、文字によらない数学的構造にエンコードされた知識についても、志村さんの解説があった。「可換な超立方体」について説明してもらったのだが、寝ぼけた頭ではちょっとついていけませんでした。でも古代文明の遺産が、解読のためにロゼッタストーンが必要な文字や記号ではなく、誤読されない普遍的な数学構造によって残される(まあ数学構造が普遍かという問題もあるが)というのは、すごいと思う。

 最後に、『ひとりっ子』に収録された「ひとりっ子」と「オラクル」の連作に関して。この「オラクル問題」というのはとてもわかりにくく、難しい。でもぼくの解釈では、これはイーガンの『万物理論』でも顕著なモラル的側面を強く表した話であって、それは多世界における悲劇の回避というテーマになる。「オラクル」のヒロインは、観測によって世界を選択しても多世界の分岐を発生させない。並行宇宙もののSFを読んでいて気になるのは、タイムトラベラーが問題を解決しても(例えばアウシュビッツの悲劇を未然に防ぐ)、分岐した新しい世界ができるだけで、元の世界では何も解決していないということだ。イーガンはそれを何とかしようとする。単に悲劇をなくすのではなく、あらゆる確率的世界の全てにわたって責任をとろうとする。これってちょっと凄いね。でもイーガンはかなり本気でそう考えている気がする。

 本来の時間をかなり超過してしまい、まとまりのない話に終始した感じはするが、わりと真面目にイーガン話ができて、ぼくとしては面白く過ごすことができた。あと少し言い残したこともあって、例えば「十分に発達した科学も、魔法ではなく科学だ」といった話もしたかったのだけれど。
 集まっていただいたみなさん、特に志村さんには、素晴らしい突っ込みとフォローをありがとうございました。
 数学SFは難しいけれど、面白いよねえ。

 結局、イーガン話をした企画部屋へ布団をひいて寝ることができ、朝はちゃんと起きることができた。大広間で閉会の後、三条までぶらぶらとみんなで歩いて、喫茶店で昼前までえんえんとだべっていた。これがコンベンションモードというやつだ。まあ水鏡子にはかなわないけどね。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを堪能しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。 

THATTAのこれまでの京フェスレポート

京都SFフェスティバル2010レポート (大野万紀)
京都SFフェスティバル2009レポート (大野万紀)
京都SFフェスティバル2008レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(眉村卓インタビュー) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2007レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(ティプトリー再考) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2006レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェス2006篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2005(合宿)レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル2005篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2004レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル2004篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2003レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(Kyofes2003篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2002レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェスから交流会まで篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2001レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェス2001篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2000レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(Kyo-Fes篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル1999レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル篇) (岡本俊弥)


THATTA 282号へ戻る

トップページへ戻る