京都SFフェスティバル2006レポート

大野万紀


 今年の京フェスは、例年と違って、前合宿・後本会の形で、11月11日と12日に開催された。合宿が先というスタイルは昔はけっこう普通だったけど、最近は後合宿が多かったので、ちょっと調子が狂う。特に歳をとったせいか、合宿の翌日にじっくり講演を聞くというのが辛くなっているなあと思う。
 さて、土曜日は仕事があったので少し遅くなり、さわや旅館へ着いた時には、すでにオープニングが始まっていた。
 小浜くんによるいつもの参加者紹介の後、始まったのがこれが京フェスの歴史に残るかと思われる素晴らしい「オープニングクイズ」だった。いきなり3人ずつの組を作らせるのだが、これが何とも段取りが悪い。事前に確認も打ち合わせもできていない感じだったが、まあ京フェス参加者は大人が多いので、この程度なら想定内か。始まった第一問は「ニュースペースオペラ6冊を積み重ねると20センチを超えるか、マルかバツか」というもの。答えは×だったが、これで一気に正解者が激減、数人になってしまった。二問目は「台湾版『ファウンデーション』のタイトルは『基地』か」というもので、これで優勝者が決まってしまった。これで終わりなら本当に歴史に残るオープニングクイズとなったはずだが、会場から問題が曖昧であるというクレーム(台湾では出版社によって同じ作品でも表記が違うのだそうだ)がついて、仕切り直しとなった。見かねた小浜くんが仕切ろうと飛び込んだが、クイズそのものが完成しておらず、○×クイズのはずが答えが一意に決まらないとか、もう大変。結局時間切れで打ち切りとなったが、「これがSF大会だったら暗黒星雲賞間違いなし」という、爆笑につぐ爆笑の、いかにも京フェスらしい素晴らしいオープニングクイズとなった。いや、みんな喜んでいたからオーケーだ。

 合宿企画の最初は、大森望、岡本俊弥、水鏡子との「SF書評企画リターンズ!」にゲストとして参加。去年、本会企画として予定されながら、大森望の急病で中止となった企画の再挑戦。まずは岡本が「岡本家記録」からパワーポイントに落とした資料をもとに、SF書評の大まかな流れを示していく。古くはSFディテクターからSFチェックリスト、そしてその後のWEB書評まで、思いつくままに大森や水鏡子が口をはさむというもの。それなりに資料は用意されていたのだが、結局は合宿企画にありがちな古参ファンの思い出話になってしまった感がある。ぼくも何か話したのだけど、もはや忘れてしまった。水鏡子が何だかやたらと良くしゃべっていた印象がある。自分がしゃべっていたので写真はありません。

特盛り!SF翻訳講座・実践編 若者の知らないSF用語講座

 次は「特盛!SF翻訳講座・実践編」に顔を出す。京大SF研の若手が中間子に翻訳したラファティ、テッド・チャンなんかを大森望と小浜がテキストと読み比べながら問題点を指摘するという結構大まじめな翻訳講座。翻訳をちゃんとやろうと思っている人には意義深かっただろう。でも聞いているだけだとちょっと辛い。眠かった。
 それからこちらも去年と同様に、SFファン交流会からゲストに呼ばれていた「若者の知らないSF用語講座」へ。ここも水鏡子がいて、しゃべるしゃべる。リストにして配られた、若いSFファンが知らなかったSF用語のほとんどは、まあ今さらどうでもいいような「死語」ではあったけれど、それでもSF史やファンダムの歴史がもはや若い人には継承されていないことが明白となっている。やはり昔の『SF入門』のような本が必要なのでは、と思った。とはいっても、SF史はともかく日本のファンダム史となると、水鏡子が自信ありげに間違ったことを話してしまったりとか、特定の偏った視点からの言説が真実であるかのように語られたりとか、昔からいた人でも記憶が必ずしも正しくなかったりとか、、色々と問題がありますな。
 後は「2006年度ベスト海外短篇は何だ」に顔を出すが、もう眠くてしんどくなってきたので、適当に寝部屋を探してもぐり込む。部屋がちょっと暑かったのと体調不良とであまりぐっすりとは寝られなかったが、それでもまあ普通に寝ることができた。

 ちょっと早めに起きて、大広間でごろごろしていると、冬樹蛉さんと小林泰三さんが目の前でバカ話を始めている。冬樹さんが最近の眠気覚ましはこれですよと、ドリンク剤をぱっと取り出して見せると、何と小林さんも同じドリンク剤を取り出して対抗(写真)。勝負は引き分けであった。さすが、剣豪の戦いを見るようであった。
 クロージングがあって例年だとこれで解散なのだが、今年は先合宿なのでこれからが本会。老いたる霊長類にはさすがにきついなあ。
 とりあえず岡本俊弥や水鏡子らとからふね屋でモーニング。去年日本SF評論賞をとった阪大の横道仁志さんや元京大SF研の森さんらとご一緒する。それから朝の京都をゆっくりと歩いて京大会館へ向かう。

「飛浩隆インタビュー」
出演:飛浩隆、香月祥宏
 『ラギッド・ガール 廃園の天使II』を上梓されたばかりの飛さんに、レビューアの香月さんがインタビューするという企画。かなりラギッド・ガールの内容に突っ込んだ話が続き、ネタバレに近い発言も色々と。でも主題は、飛さんの創作作法というか、どのように作品を構築していくかといったところが中心だった。例えばこの〈廃園の天使〉にしても、当然大きな意味でのグランドデザインはあるにせよ、あの強烈なキャラクターにしても「掘ったら出てきた」り、始めはブラックボックスとして置いてあった設定に後から肉付けしていくといった手法で構築されたということである。でも、後でどう具体化するかはわからなくても、先に象徴的なイメージを組み込んでおいたり、仮に想定していた設定と変わったとしても、それでも細部まで矛盾が生じないように組み立ててあるといった、小説世界の細部へのこだわりは、とても飛さんらしいと感じた。でも、後付けで色々と設定を決めていく(というか、掘り出したら自然に現れてくるのか)のに、大きな矛盾が生じないというのは本当にすごいなあ。もっともさすがに「大途絶後千年」という時間設定はちょっとやり過ぎだったと反省されているとのことだったが(もちろん区界ごとの時間の流れはそれぞれ異なっているのだ)。会場との質疑応答の中で、現実のインターネットとの関連について、92年の段階で〈ウェブ〉とルビを振った時点から意識していたが、区界のイメージはWEBサイトというよりはむしろ映画配信サーバに近いものだという回答に、面白いヒントが隠されているように感じた。
 やっぱり『ラギッド・ガール』の精緻なSF設定は後付けだったな。でも飛さんにとってそこまでしてSF設定にこだわる理由は何なんだろう。

「ニュースペースオペラの潮流」
出演:加藤逸人、堺三保、東茅子、向井淳
 東さんの独特の司会が冴える冴える。とりあえず、ニュースペースオペラとは、ということについて、歴史的なまとめが語られた。70年代、ニーヴンのノウンスペースなどがニュースペースオペラと呼ばれたことを前史とし、90年代のイギリスで、マコーリー、バクスター、イーガンなどが「ラディカルハードSF/スペースオペラ」とカテゴライズされた。これが90年代半ばのピーター・ハミルトンによって一つの潮流となり、90年代後半にハミルトン、マクラウド、ストロス、レナルズなどにより大きな流れとなったものである。従って、基本的にはイギリスSFの流れであり、近年ウィル・マッカーシーやジョン・C・ライトなどアメリカへも波及はしているが、狭義のニュースペースオペラにはアメリカSFは含まれないといっていい(もちろん広い意味では含めてもかまわない)。そもそもその直接の源流は80年代のイアン・バンクスにあり、彼らが教祖とたたえるのは(おお!)M・J・ハリスンである。ポスト・サイバーパンク小説という側面も大きく、スターリングの『スキズマトリックス』が一つのバイブルとなっている。すなわち、テクノロジーと政治の融合であり、いくぶん左翼的な視点もその根底にある、とのことだった。ただし、政治をストレートに扱うというよりは茶化している場合が多く、また、クトゥルー神話やゴシックホラー的な要素もハイブリッドされている(『啓示空間』の宇宙船みたいに)。
 もう一つ、ニュースペースオペラで共通する〈シンギュラリティ〉という観点について、ヴィンジの原論文を訳した向井さんは現実的にはシンギュラリティにはあまり興味がないという立場だが、90年代にこのようなポスト・ヒューマンというアイデアが同時多発的に出てきたことを指摘する。ヴィンジの論文に影響を受けたわけではなく、例えばストロスが『シンギュラリティ・スカイ』を書いた時はヴィンジを読んでおらず、タイトルも後からつけられたものだ。そして、かつてはポスト・ヒューマンに行き着くところでお終いだった(クラークなど)が、今はそれに取り残された人たちの話が中心となっている。シンギュラリティについて真面目に考察するなら「レムの「ゴーレム」を読め」ということになってしまうが、ストロスのようにコメディとして楽しめばいいのではないか。といったところだった。
 最後に「短いニュースペースオペラはありませんか?」という質問に対して「オペラとは長いものです」との回答があって、このなかなかまとまりにくいテーマにもオチがついた。

「SF翻訳出版の現在」
出演:大森望、古沢嘉通
 森見登美彦『きつねのはなし』のサイン会に行ってきたという大森望はきつねのお面をかぶって登場。古沢さんのいつもの淡々とした「もうからない」話かと思ったら、口調はいっしょなのに、今年は33冊増刷がかかったとか、景気のいい話。まあ、実際のところ翻訳出版自体が、『ダヴィンチ・コード』(1千万部突破!)みたいな例外を除いて絶望的に縮小しており、その中で固定読者のついているSFは相対的にましだということらしい。昔は年に長編4冊訳したら暮らして行けたのに、今では6冊訳さないと暮らせない計算で、専業の翻訳家にはとても厳しい時代だそうです。その他、早川、創元、国書、河出の4社合同海外SFフェアの話などもあったが、この辺りは今月のSFMに大森望が連載を始めた記事と重なっている。まあ、他に職をもって生活費を確保できるならば、5〜10年計画でがんばればSF翻訳家になることは可能だ。国書や河出のシリーズはまるで2、30年前のファンジンみたいだね、といった話題がきっかけだったかも知れないが、前列の方に座っていたぼくにお声がかかり、30年前のKSFAの「現代SF全集」だの、ガリ切りの苦労話だの、昔SFMに連載されていたエンサイクロペディアの翻訳で伊藤さんの赤ペンがものすごかっただの、そんな話をさせられてしまった。SF翻訳出版の過去だ。

「山本弘インタビュー」
出演:山本弘、堺三保
 講演の最後は、『アイの物語』が日本SF大賞にノミネートされた山本弘さんへのインタビュー。『神は沈黙せず』を書いたとき、と学会会長がついに小説を書いた(実際はずっと前から書いているのに)と言われた。そのように、客層は、と学会関係、ライトノベル、SFと3つに別れてしまっている。SFだけでは食べられないので多角経営をしているのです、とのことだ。『神は沈黙せず』はもともと現実そのままの仮想世界を構築するにはものすごいコンピュータが必要、そんなの神様くらいの力を持っていないと無理では、というところから発想されたもの。作家として、作品世界を作った作家よりもその中で生きるキャラクターの方が偉いと思うことがある、そして世界が層をなしているという感覚があり、創造者よりキャラクターの方が偉く、現実よりフィクションの方が偉いのではないか、という思いをそのままストレートに小説化したのだそうだ。『アイの物語』では初めは普通の短編集の構想が、外枠をつけて年代記にしようという考えになり、ところがそれだと矛盾が生じるので、年代記ではなく「いれずみの男」形式とし、さらになぜ物語を語るのか、その動機を明確にしようと考えたとのこと。仮想世界を考えるのに科学的な勉強もしたが、そのまま書いても面白くないし、自身はハードSFの人ではない、と語る。SFの科学はとうてい不可能な設定に理屈付けするための道具だと考える。そこから、「火星ノンストップ」のような大真面目な奇想を喜ぶ態度に通じる。SFファン以外の人でもすんなりわかるように、ユーザフレンドリーなSFを書きたい、そして今考えている作品のアイデアをいくつかお披露目してくださった。もしかして、次回作は恐竜100万年?

 本会の終了は5時半。さすがに疲れて途中意識朦朧となったりしながらも無事に帰宅。今年もある意味とても京フェスらしい(これは誉め言葉)楽しい集まりだった。大勢の人を集めるのだから、それだけではいけないという意見もあるだろうが、このようないかにも学生の手作りらしい融通無碍な(もちろんそこにはそれを支えてきたOBやおっさん・おばさんたちの努力もあるのだが)集まりが、ぼくにはとても居心地がいいし、多くの参加者にとっても同様だろうと思う。それがこれだけ長い間続いてきた京フェスの持ち味なのだ。
 スタッフのみなさん、ご苦労さまでした。楽しかったよ。来年もまたよろしくね。

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