今年も京都SFフェスティバルが終わり、伝統より早め・・・と思っている間に、この時期が定着しそうな勢い。
さて、今回も昨年に引き続いて、京フェス復習編です。当日最初のプログラム『眉村卓インタビュー』に使用したパワーポイントを再録して、当日のおさらいをしてみましょう。
今年1月、東京創元社から眉村卓さんの代表作である司政官シリーズの集成『司政官 全短編』が出て、新しい読者層から大きな反響がありました。7月に出た『消滅の光輪』も注目を集めています。それにしたがって、(前回の復刊から時間が経ていることもあり)眉村さん自身についてもっと知りたいという希望も多いようです。今回は、そんな声にも配慮して、SF草創期〜デビュー以降のお話と併せて、司政官の今日的な意味などを改めてお聞きしたいと考えております。
最初は日下三蔵編『日本SF全集』(短編集ではなく架空のオリジナル版)での位置づけと、これまでの著作数のグラフをごらんいただきます。
引き続いてデビューの頃のお話を伺います。文科系(俳句部)だった高校から一転体育会系(柔道部)への転進、サラリーマン時代、宇宙塵やNULLに入会した頃、福島正美との出会い、やがて出版芸術社の現原田社長が編集者をしていた東都書房から初の長編出版。
サラリーマン時代は昭和30年代だったわけですが、当時は捨て去るべき過去の残滓が残されている時代でもありました。そのときの象徴として「血イ、お呉れ」があります。
チャチャ・ヤングからラジオのパーソナリティをはじめるようになりますが、プロのアナウンサーやフォークシンガーに混じって、作家が一人というのも計画的というより偶然の結果でした。
このころから時代と自分の作品とのギャップを感じ取る「大減速期」を迎えます。その前後で、大長編の執筆、大学で正教授として学生に創作を教えること、当時の日本SF作家クラブからの脱退(現在は復帰)と大きな転機を迎えます。そして、5年間の「一日一話」、5年間の空白という長いギャップが生じることになります。
(*注:当日のシートから一部修正)
最後に「司政官」の今日的な意義についてお話いただきます。前回復刊時にはなかったネットでの感想では、以前に見られない「凄い」という言葉がキーワードとして出てきます。なぜ今そう思われるのか(そう受け止められるのか)、お考えをお聞かせください。また、いつまでも昔のインサイダーSF論だけで、眉村SFを論じるのは無理があるように思われます。その点もお話いただけないでしょうか。
草創期の昔話と今日的な意味というのは、無関係のようで時間的には重要な関係があります。ということで、話の組み立てとしては必要なことながら、時間的に厳しかったかもしれません。とはいえ、どちらか片方では、聞き手にとって面白みが半減してしまうので、やや走りながらのインタビューながら、それなりの形になったと(勝手に)思っております。全貌が分かる情報源も意外にないようですしね。
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