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第1位 夏の涯ての島
表題作は当然として、平行世界と循環する時間の中で、というパターンをきちんと使いこなした「帰還」から、やや冗長に感じられるけれどもオーソドックスなSFになっている「息吹き苔」まで、どれも忘れがたい風景を作り出していて、キース・ロバーツやクリストファー・プリーストを生んだイギリスSFの一方の真骨頂といっていい(津田)
異世界の風景と社会風俗の細やかな描写が素晴らしく、決してはっきりと説明されるわけではないが、しっかりと構築された背景世界は本格SFといって間違いない。一方、表題作は第一次大戦で英国が敗北した改変歴史ものだが、こちらも改変歴史そのものより、その世界に生きる登場人物たちの日常生活に重点を置いて描かれている(大野)
英国作家イアン・マクラウドの作品は、これまで散発的に紹介されてきた。という段階では、分かりにくかった作者の全体像が、本書でようやく見えるようになったわけだ。特に類作ではあまり書かれることのない、家族や男女関係が際立つ。多彩だが割り切れないストイックな関係という共通項がある(岡本) |
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第2位 太陽の盾
人間的な知性(ヒト以外も含めた人間的な知性)への信頼や、等身大の人々に対する暖かな視線が強まっている。また宇宙の広がりや知性の未来に対する詩的な感覚(クラークのいかにもクラークらしさを感じるところだ)もしっかりと残されている。とりわけ、最後の一章は、クラークの茶目っ気をバクスターがとてもうまく取り込んだ、思わず微笑ましくなるような嬉しい一節だ。バクスターは完璧にクラークの後継者となったといえるだろう(大野)
クラークを好むSFファンの多くは技術者である。社会的にマイナーな技術者とマイナーなSFファンの立場には、苦労の割りに報われない階層という共通点があり、爵位まで得たマイナーチャンピオン=クラークの存在は特別に映る。だからこそ、クラークの死は、20世紀の工学が生み出してきたさまざまな派生物(SFもそうだ)にとって、終焉/新たなる始まりを意味するように感じられる。まさに、死と誕生を象徴する『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドなのである(岡本) |
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第3位 Boy's Surface
表題作のエピグラフに表題の意味の重層性を示すことで読者に注意を促し、「Goldberg Invariant」はバッハの「ゴルトベルク(非)変奏曲」というパロディでエピグラフの「可数見計理/かす(ず)みけり」は字面と音の遊びがそのままタイトルにかえるというパターンを作る。こんな頭の中のアクロバットで埋め尽くされているように見える(津田)
小説を読むこと自体が頭の処理系を通って認識・変換されることにより何かのダイナミクスを生み出す。それがまた入力されて、というと、表題作の語り直しのようにも思える。いずれも何度か読み返し、出てくる言葉を検索してみたりすれば、また別の理解が得られるように思うが、さすがにそこまでする元気はありませんでした(大野)
数学用語はそれだけで、エキゾチックな雰囲気を孕んでいるので、読み手にSF的な期待感を抱かせる。ずいぶん過去にも、ノーマン・ケイガン「数理飛行士」(1964)といった作品があった。著者の場合、そういったSF+数学の言葉的な面白さだけでなく、物語構造自体や文体までも一体化させた試みをまず注目すべきだろう(岡本) |
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第4位 いのちのパレード
比較的短い15編が収録されている。それぞれSF、ファンタジー、ユーモア、ホラーと雰囲気は異なるが、いずれも確かに「奇妙な味」といわれる、奇想に満ちた作品である。恩田陸の「奇想」は、どこかで見たことのあるような、夢の中のような、何となくノスタルジーを感じさせるものが多いが、それは作品の内容というよりも、語り口に起因するように思う(大野)
本書は、早川書房の叢書「異色作家短編集」へのトリビュートとして書かれたものである。といっても明確な対象があるわけではなく、作者のイメージする“奇想”に対するオマージュによって創られている。何が“異色”かは時代によって異なる。本書で書かれたアイデアは、今から半世紀近く前の作品を母体にしている。けれど、恩田流の切り口には、今現在の匂いも明確に織り込まれている。そこが新鮮と言えるだろう(岡本) |
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第4位(同率) 蒸気駆動の少年
収められたいささかバラエティの富みすぎな作品群は、多彩とは言い難いスラデックの書き癖みたいなものが感じられる。一つ一つがどんな話だったか早くも忘れてしまっているけれど、昔読んだ表題作や「教育用書籍の渡りに関する報告書」などは今回も面白く読めた。それにしてもヒネた思考力の持ち主だったなあ(津田)
いずれもスラデックらしいヘンテコさに溢れている。ちょっとシュールな味わいは、今のスリップストリームな作家と近い物があったように思う。でもはっきりいってずっとSF寄り(といってももちろんハードSFではなくて、60年代、70年代の、オリジナルアンソロジー時代のSFだが。その中でも理系オタクというか、理屈好きな作風で、帯にある「理系ギャグ小説」というのは当たっているかも)である(大野)
400頁余りに、60年代後半から80年代前半までの23編が収められている。SF、ミステリ、ホラーとテーマはさまざまで、どれもごく短い。しかし、全般を通してスラデックの観点には共通項がある。既存の体制/偽者に対するパロディ的な内容が多いが、ユーモア/諧謔というより冷笑的な否定/皮肉が強いのである。例えば、末尾の「不安検出書(B式)」には、作者が感じている現実に対する神経症的な不安感が色濃く表れており、本書を象徴する作品といえる(岡本) |
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第4位(同率) 妙なる技の乙女たち
読んでて思うのは、有川浩と同じで人の悪について思いをはせることにあまり興味がないんだろうなということだった。それは別に欠点ではなくて、ここに並ぶワーキングガールな日本(系)の主人公たちが読者にもたらす心地よさに文句も出ないという美点になっている。楽しい空想は良いことだと思わせてくれるのは小説の効用のひとつだろう(津田)
ちょっとした冒険が含まれる話もあるが、特別SF的でドラマチックな展開はなく、いわば未来の「働きマン」たちの前向きにがんばっているお仕事小説といっていい。だけど、この明るい、夢の多い未来世界は、読んでいて本当に楽しい。好ましくほっとする気分。本当にこんな未来が来ればいいなあと思う。甘すぎるという批判はあると思うが、作者はそんなことは百も承知だろう。最後の作品はより大きな未来へ通じる物語となっていて、明るい夢のあるSFらしさに溢れている(大野)
主人公たちは、それぞれが掴んだ機会に果敢に/無謀に挑んでいくわけで、小川一水得意のポジティブな姿勢が際立つ設定だろう。確かに彼らには、苦い挫折が待ち構えているのだが、その先にはより大きな希望が必ず見えてくる。(日本での90年代以降の作家で)クラーク直系といえば、著者か野尻抱介になる。しかし、“未来の明るさ”に対する展望は本家クラーク以上といえる(岡本) |
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第7位 新世界より(上下)
そのタイトルにSFを期待して読みはじめると、やや方向性が違っていて、リーダビリティは抜群だけれども、一文一文が飛んでいってしまいがちな造りになっていた。物語は回想録として書かれていて、その分安心して読める一方、サスペンスは殺がれる。物語全体のバランスは、子供時代のエピソードが物語の中核になっており、後半、設定等に十分慣れてから読む大人になってからの災厄の物語は、すいすい読める一方、ややダレる(津田)
エンターテイメントとしては何も言うことはなく、またSFとしても読み応えのある、よく考えられた作品である。それでも、世界の全体像や呪力を持った人類の物語が十分に描かれているとはいえず、全てが決着した最後になって、やっと大きな物語が根底にあったことがわかるのだが、そこがもっと読みたいところだったのに、と思う。ただし、SFファン以外の読者にもすんなりと読ませるためには、このあたりがちょうど良いバランスなのかも知れない(大野)
本書では未来社会の成り立ち(封印された過去の歴史)が精密に組み立てられており、舞台構造が物語の結末に至る伏線にもなっている。旧来の作品は超能力者が狩られるという、ヴァン・ヴォクト『スラン』(1946)からの伝統的な筋立て(狩られる側の立場)が多かった。貴志祐介は類書を逆さまにしたお話を書いた。そこが、本書のメッセージが持つ鮮烈さにもつながっている(岡本) |
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第8位 [ウィジェット]と[ワジェット]とボフ
表題作までどれもたしかに編者のいうスタージョンらしさにあふれていると思うけれど、ある意味スタージョンを読む楽しさという点では、ちょっと一方の極に偏りすぎている印象もある。これだけ立て続けに短編集がでてくれば、スタージョンの何が凄いのか何が読む者を惹きつけるのかがある程度認識されるわけで、その中で若島正の見るスタージョンらしさを強調されると、「文学の偽物」というレムの批判が当たっているところがあるのではないかという気もしてくる(津田)
問題は表題作。途中までは何が何だかよくわからない。下宿屋を異星人らしき夫婦が経営していて、そこに住む普通の人々の日常が描かれる。彼らはみなそれぞれの悩みを抱えている弱い人間だったが、彼らに夫婦がいくつかの質問をすることによって、自ら問題を解決することができるようになる。彼らの小さな哀しみの、その切実さ、他人から見ればどうでもいいようなことへのこだわり、それが確かに胸にしみる。[ウィジェット]も[ワジェット]もあんまり関係ない。ちょっと説教臭さがあるのが玉に瑕だが、スタージョンの少し癖のある優しさが満ち満ちている(大野) |
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第8位(同率) エピデミック
まさに疫学小説だ。科学的な謎解きに比重が置かれたサイエンス・フィクションでもある。もちろん同時に、それと対比するように、登場人物たちと彼らを取り巻く人間的なドラマもたっぷりと描かれている。謎の感染症に関連のありそうな要素は多く、絞り込みは難航する。特に宗教団体の少年の思わせぶりな活動は読者にも混乱を招く。推理小説だとしたらちょっと気にかかるところだ。派手なパニック物ではないが、震災や福知山線事故で突然の大量死を身近に感じた身としては、真に迫るサスペンスがあり、一気に読むことができた(大野)
スペイン風邪に代表される大規模なパンデミックは人口の相当数(2〜3%)を犠牲にする。しかし、本書が描くのは『復活の日』のような破滅ものではない。日本の首都圏にある地方都市で、疫学調査の原則に基づき未知の病原を調査する、少数の専門家の9日間の動きを追った物語である。その結果がどうであったかは本書を読んでもらうとして、フィールド調査を中心とした“現場”を描いた点は迫真性があってよいだろう。ただ、病原の正体と謎解きは、前半の盛り上げに比べて少し物足りないかもしれない(岡本) |
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第8位(同率) 人類は衰退しました3
今回はちょっとクラークっぽく(『銀河帝国の崩壊』とか『宇宙のランデヴー』とか)さえある廃棄都市の探索行。妖精さんたち、助手さんに20世紀出自の新キャラ2体が加わって、さらに好調。科学に弱いぼくなので、電磁波に弱くて電気が平気な妖精さんたちに辻褄がきちんとクリアーされているのかどうか少しだけ気になった。このシリーズをホーカになぞらえる意見が散見するけど、SFとしての性格がちがう。アンダースンはもっと実直で、むしろさっき言及した軟弱サイエンス・ファンタジイの方が資質的に近い(水鏡子)
失われた文明の遺跡探査が、本格SFっぽくってなかなか魅力的な舞台設定を描き出している。何より、結末で明かされる猫耳娘たちの秘密が、あざといといえばあざといのだが、ぼくのポイントを突いていてそれだけで嬉しくなってしまう。SF味もこれまでになく濃くて、お好みの一編です。ゲーム風というかアニメ風というか、ぶっとんだバトルシーンが、意外にリアルで日常的なこの世界の描写に、強烈な異物感を(でも妖精さんと同じく、けっこう地続き)かもし出して下さいます(大野) |
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第8位(同率) 深海のYrr(上中下)
中盤までの密度の濃い描き方から比較すると、後半、そして結末のYrrの扱いはあんまり納得できない気がする。せっかくSF的に興味深い、ソラリス的な存在を科学的にきちんと描こうとする方向性、そして人類との困難なコンタクトの方法論も現れてきたところで、別の要素がしゃしゃり出て、それがあいまいにされてしまうのだ。SF者としてはちょっと残念。まあ面白いから、別にそれでもいいのだけれど(大野)
単純な環境保護に偏らず(最後はそこに落ち着くのだが)、さまざまな立場の人間を登場させることで説得力を高めている。途中で、これらメンバーは次々と交代していく。「深海のYrr」とは何ものか、という部分は、SFファンにとって驚くほどではないものの、納得できるレベルだろう。作者が意識していたかどうかは分からないが、さまざなSF作品(アイデア)までが、混交して見える点も面白い(岡本) |