内 輪   第213回

大野万紀


 中国の四川大地震は恐ろしいです。震災の時の記憶がよみがえります。でもテレビの一部の報道の仕方が何だか気になります。阪神の時の、被災者の気持ちを逆なでするような報道(特に東京のメディアの)を思い出します。
 5月になって気持ちのいい五月晴れになったと思ったら、暑かったり寒かったり、ちょっと天候不順気味。みなさんのところはどうでしょうか。色々と多忙で、今月読み終わったのは3冊だけです。もっともSFマガジンのクラーク特集でクラークのまとめ読みをしたのですけどね。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『オブ・ザ・ベースボール』 円城塔 文藝春秋
 文學界新人賞受賞作の「オブ・ザ・ベースボール」と「つぎの著者につづく」の中編2編を収録した「純文学」小説集。とはいっても、少なくとも表題作の方は、ハヤカワSFシリーズJコレクションで出た黄色やピンクの本と同じ調子で読める。なにしろ、年に1度の割合で空から人が降ってくる田舎町のレスキューチーム(なぜかバットとユニフォームを支給されている)の話だ。あーだこーだと学者たちが理屈をこね、本人たちはこれが仕事だからねとマッチョな感じに過ごしているという、不条理だけど日常的で、ラファティとかビッスンとか、ケリー・リンクとか、そんな感じだ。もっとも学者たちの理屈がいかにも作者らしいのだけれど。もう一編の「つぎの著者につづく」は、ひたすらペダンティックで饒舌な文学的コメンタリーの羅列で、長い「注」と合わせて読むことで、ようやく何かわかった気分になる話。正直ちょっときつい。

『いのちのパレード』 恩田陸 実業之日本社
 異色作家短編集へのオマージュとして書かれたという短編集。比較的短い15編が収録されている。それぞれSF、ファンタジー、ユーモア、ホラーと雰囲気は異なるが、いずれも確かに「奇妙な味」といわれる、奇想に満ちた作品である。恩田陸の「奇想」は、どこかで見たことのあるような、夢の中のような、何となくノスタルジーを感じさせるものが多いが、それは作品の内容というよりも、語り口に起因するように思う。かつて「異色作家」と「SF作家」は重なっていた。奇想はすなわちSFだった。すこし不思議もSFだった。小松左京も筒井康隆も、星新一はもちろん、本格SFも書いたが、奇想に満ちた短篇を書いていた。あの時代の雰囲気。本書の作品には確かにそれがある。空から人が降ってきてそれをバットで打ち返すといったスラプスティックな奇想にこそ乏しいが、「夕飯は七時」「かたつむり注意報」「エンドマークまでご一緒に」「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」「SUGOROKU」「いのちのパレード」「夜想曲」などには、SF・ファンタジーのイマジネーションが溢れている。奇想というより普通に幻想的な「蝶遣いと春、そして夏」のような作品も味わいがあって好きだ。

『太陽の盾』 アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター 早川書房
 『時の眼』に続く〈タイム・オデッセイ〉の第2巻。とはいえ、確かに前作の続編ではあるのだけれど、全く雰囲気は変わり、近未来パニックSFとなっている。太陽に異常が発生し、わずか4年後に壊滅的な太陽嵐が発生することがわかる。何しろ金星の大気がはぎ取られ、土星の輪が吹き飛ばされるくらいの凄まじさ、人類などひとたまりもない。人類の存亡を賭けて、地球に巨大な盾を築こうとするプロジェクトが始動した。というわけで、クラークでいえば『楽園の泉』などの近未来を舞台のハードSF寄りな作品のわけだが、技術プロジェクトSFというより、やはりパニック、大破壊SFの印象が強い。というのも、技術的な内容よりも、科学者や宇宙飛行士たちの活動に主眼が置かれているからだ。前作とのつながりでいえば、この太陽の異常が自然現象ではなく、魁(さきがけ)種族が仕掛けた攻撃だということに興味がある(それが第3巻へのつながりともなっている)。クラーク追悼で『2001年宇宙の旅』のシリーズをずっと読み返したのだが、2001年では『幼年期の終り』のオーバーロードと同じような超越的な存在だった魁種族が、その後はどんどん格を下げ、ついには単なるエーリアンとなってしまう。バクスターのこのシリーズでは始めから敵役だ。かつてのクラークの作品にあった神秘性はないが、それもクラーク自身の作風の変化であり、バクスターは完全にその方向性に従っている。オカルトにも近い神秘性が失われたかわり(むしろ神や宗教に対するSF的な見方がはっきりと現れていてとても面白い――本書は一種のクリスマス・ストーリーでもあるのだ)、人間的な知性(ヒト以外も含めた人間的な知性)への信頼や、等身大の人々に対する暖かな視線が強まっている。また宇宙の広がりや知性の未来に対する詩的な感覚(クラークのいかにもクラークらしさを感じるところだ)もしっかりと残されている。とりわけ、最後の一章は、クラークの茶目っ気をバクスターがとてもうまく取り込んだ、思わず微笑ましくなるような嬉しい一節だ。バクスターは完璧にクラークの後継者となったといえるだろう。


THATTA 241号へ戻る

トップページへ戻る