内 輪 第211回
大野万紀
クラークが亡くなってしまいました。本号の表紙にも書きましたが、これからはクラークのいない世界だと思うと、じわじわと迫ってくるものがあります。ぼくはずっと、彼の描く未来を、宇宙を、この目でみたい、その世界に暮らしたいと思っていました。21世紀となり、彼の描いたビジョンには、すでに実現したものもあり、なかなか楽観的にはなれないものもありますが、現在でも決して否定されるものではなく、いずれはこの目で見たいという気持ちに変わりはありません。例え彼の肉体が消滅した後も、彼の意志が、未来のビジョンが、多くの人の中で生き続けて欲しいと思います。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『ガーゴイルの誓い/魔法の国ザンス18』 ピアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
ザンスの18巻。今度の主役はガーゴイルのゲイリー。あのゴシック建築にいる小鬼のようなやつだ。しかし醜い姿であっても心はとても誠実で真面目な存在。それに本書ではほとんど人間の姿をして動き回る。そしてその旅に同行するのが若返った女魔法使いアイリス(前回がトレントだったので、今回はアイリスが若返る番)、女悪魔メトリアの半身であるメンティア、制御のきかない魔法の力を持つ6歳の少女サプライズ、そしてドライアドに恋したあげく人生を空しく過ごしている中年男のハイエイタス。旅の目的はザンスの水を浄化するための「フィルター」を探すこと。でまあ、いつものようにどう決着するのかわからないままの試練の旅をつづけ、どうやら狂気地帯の中で、はるか過去のザンスと関わりのある壮大な目くらましの街に行き着く。本書のテーマ(というか何というか)はバーチャルリアリティとリアリティの相互関係、インターフェースだ(フィルターという言葉もそれを示唆している)。現代SFがシリアスに追求しているこのテーマが、ザンス流に解釈され、描かれている。と同時に、今回もまた「大人の陰謀」の大振る舞い。その昔異星生物のセックスをテーマにしたSFを書いていた(本当のポルノ小説も書いていた)ことのある作者だから、もし本気で18禁版のザンスを書いたなら、さぞかし濃厚でエロティックなファンタジーになるのだろうね。もっとも、ありきたりなエロゲー風ポルノになってしまうような気もするが。
『やがてヒトに与えられた時が満ちて……』 池澤夏樹 角川文庫
96年に出て去年の11月に文庫化された短い短編集。地球に人が住めなくなった未来の、スペースコロニーを舞台にした表題作と、宇宙をテーマにした、短い断章かエッセイのような「星空とメランコリア」が収録されている。表題作は人間の持つべき好奇心や、未来や宇宙への前向きな視線が失われてしまった黄昏の時代を描いており、SFとしてはとてもオーソドックスな、古典的ともいえる作品だ。だが、まるで50年代SFのようなストーリーが、後半では方向性を変え、むしろ知を最優先するかつての小松左京の短篇のような雰囲気となる。ちょっと退屈なところもあるが、ぼくには好ましく読めた。それより、「星空とメランコリア」の冒頭のボイジャーに向けての言葉。無人探査機に過度に感情移入するのはどうか、という気持ちもあるのだが、でもやっぱりこれには感動する。何も言わず遠い宇宙空間を飛び続けるボイジャーを思うと、ぼくは今でも胸が震えるのだ。
『夏の涯ての島』 イアン・R・マクラウド 早川書房プラチナファンタジイ
日本独自編集の短編集。初訳4編を含む7編が収録されている。傑作である。宇宙を舞台にした〈10001世界〉シリーズの2編も含まれているが、SFらしさよりも季節の移り変わる情景や、日常的な感情の描写に重点が置かれ、とても渋いファンタジイの趣がある。とはいえ、「息吹き苔」など、異世界の風景と社会風俗の細やかな描写が素晴らしく、決してはっきりと説明されるわけではないが、しっかりと構築された背景世界(宇宙紐をベースにしたゲイトウェイなど、ハードSF的な描写もちらりと出てくる)は本格SFといって間違いない。一方、表題作は第一次大戦で英国が敗北した改変歴史ものだが、こちらも改変歴史そのものより、その世界に生きる登場人物たちの日常生活に重点を置いて描かれている。全体主義の暗い抑圧的な社会であっても、日々の生活は当たり前に過ぎゆき、そこには恐怖や哀しみだけでなく、ごく普通の喜びや楽しみもある。マクラウドは紛れもなく、プリースト、ロバーツといった渋いイギリス作家の系譜に繋がるSF作家である。「ドレイクの方程式に新しい光を」は近未来の老天文学者が主人公の作品だが、SFファン泣かせの描写が山ほど出てくる、しかしとてもリアルな人生と恋愛を描いた作品。「チョップ・ガール」は大戦中の空軍基地で、不幸を呼ぶという烙印を押された少女の話だが、確かにファンタジイと呼べるのはこれくらいか。ブラックホールに飛び込んだ宇宙飛行士が家に帰ってくる「帰還」や動物や様々な姿に変身する家族を描いた「わが家のサッカーボール」は、奇想小説というか、やっぱりSFとしか呼びようがないだろう。
『新世界より』 貴志祐介 講談社
1000年後の日本を舞台にした長編SF大作。分厚い上下2巻のハードカバーだが、持ってみると意外に軽いのに驚かされる。技術文明が衰退し(無くなったわけではない)呪力と呼ばれる超能力を手にした人々が小さな町に暮らす、一見のどかで平和な世界。しかしその背景には恐ろしく残酷な悲劇があった。そしてまた悪夢がこの町の若者たちを襲う……。という、設定としてはわりとよくあるホラー&サスペンス風味のSFだが、変容した1000年後の日本の設定と、とりわけ奇怪な生物たちのこれでもかというようなマニアックな描写が素晴らしい。上巻の、特に前半の雰囲気は、学園小説としても大変良くできている。ただし、この世界に住むもうひとつの知的生物であるバケネズミが主人公たちにからんでくるあたりから、SFを読み慣れた読者にはネタが割れ、ストーリーはやや単調になる。それでも作者の筆力で、この長さをぐいぐいと読ませるのはすごい。エンターテイメントとしては何も言うことはなく、またSFとしても読み応えのある、よく考えられた作品である。それでも、これだけの長編にもかかわらず、世界の全体像や呪力を持った人類の物語が十分に描かれているとはいえず(SFMに載った作者自身の言葉によれば、本書の背後には書かれなかった設定が山のようにあるようだ)、このあたりが、SF者としては物足りないところである。下巻ではついに戦争が勃発するが、アクションとサスペンスが中心となり、上巻で期待したSF的な文明論、呪力のセンス・オブ・ワンダーは背景に引っ込む。全てが決着した最後になって、やっと大きな物語が根底にあったことがわかるのだが、そこがもっと読みたいところだったのに、と思う。ただし、SFファン以外の読者にもすんなりと読ませるためには、このあたりがちょうど良いバランスなのかも知れない。
『妙なる技の乙女たち』 小川一水 ポプラ社
シンガポール近くのインドネシア領リンガ諸島(実在する)に軌道エレベータが建設された近未来。そこで働く日系の若い女性たちの日常を描いた短編集である。宇宙服のデザインをする、海上タクシーの操縦をする、ジャングルに別荘地を分譲する、機械の腕を使って彫刻を作る、様々な民族の子供たちを保育する、軌道エレベータの客室乗務員をする、そして宇宙開発の未来を考える……。(最後のを除けば)まさに近未来の日常生活そのものである。ちょっとした冒険が含まれる話もあるが、特別SF的でドラマチックな展開はなく、いわば未来の「働きマン」たちの前向きにがんばっているお仕事小説といっていい。だけど、この明るい、夢の多い未来世界は、読んでいて本当に楽しい。好ましくほっとする気分。本当にこんな未来が来ればいいなあと思う。甘すぎるという批判はあると思うが、作者はそんなことは百も承知だろう。最後の作品はより大きな未来へ通じる物語となっていて、明るい夢のあるSFらしさに溢れている。ぼくはちょっと昔の小松左京の短篇や、藤子・F・不二雄の作品を思い起こした。