内 輪 第210回
大野万紀
今月もいろいろなニュースがありましたが、個人的に一番興味があったのは東芝がHD DVDをやめてしまうというニュースですね。だいぶ前に事実上決着はついていたので、この決断は良かったと思います。
わが家のHDD-DVDレコーダーはずっと東芝で、このままだとデジタル化した時どうしようかと思っていたのです。昔ベータで失敗したもので。わが家はまだ当分アナログなのですが、一度東芝の編集機能とネットワーク機能に慣れてしまうと、他社の機械はどうにも使う気になれません。別にブルーレイにしてほしいというわけではなく、次世代光ディスクなんて今のところどうでも良いので、DVDに圧縮かけてかまわないからハイビジョン映像が録画でき、高解像度データはLAN経由かUSB経由で、PCかNASか外付けHDDへ(できればダビング10で)コピーかムーブできれば満足なのです。そういうのを低価格で作ってほしいなあ。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『残虐行為記録保管所』 チャールズ・ストロス 早川書房
チャールズ・ストロスの処女長編である表題作と、ヒューゴー賞を受賞した中編(表題作の続編)「コンクリート・ジャングル」の2編が収録されている。タイトルからはどうしてもJ・G・バラードを思い起こすし、おどろおどろしく尖った作品を想像するのだが、実はいたって普通のコミカルなオカルト・スリラー・SFだった。基本的に現在と同じ世界なのだが、クトゥルー風な魔法が存在しており(SF的・数学的・物理学的な用語が駆使されている)、異界からの恐怖と戦うために秘密組織<ランドリー>がある。主人公はハッカーあがりの若いエージェントで、わりとドタバタな日常を送っているが、ある女性科学者に関わる任務を受けたことから、ナチスの魔術研究とからむ恐ろしい秘密に巻き込まれる……というありがちなストーリーだ。コンピュータに関するあれこれが、ハッカー的というよりもごく普通のシスアド的であるのがかえって面白い(SFにおけるハッカーの意味についての、作者の後書きはなかなか示唆に富んでいる)。極低温で空気もない異界の描写など魅力的だが、若書き風な部分も目立つ表題作に対して、後日談ともいえる中編はよりまとまりがいい。ゴルゴンと監視カメラ網を結びつけるアイデアも秀逸。だけどストロスはやっぱり『シンギュラリティ・スカイ』みたいな話の方が好みだなあ。
『略奪都市の黄金』 フィリップ・リーヴ 創元SF文庫
ジュヴィナルっぽいSF『移動都市』の続編。わりと平和な移動都市アンカレジが舞台で、主人公のトムはアンカレジの美少女市長(というかお姫様)にお熱をあげ、へスターは嫉妬から、エンターテインメント小説のヒロインとしてあるまじき、とんでもないことをやってしまう。ロストボーイと呼ばれる少年盗賊団や、アメリカに行ったと主張するうさんくさい冒険家、そして前作からつながる反移動都市同盟の過激派など、さまざまな連中が入り乱れて、ストーリーはちょっと行き当たりばったりな感じがしないでもないが、まあ何とか無事にまとまって、次巻へと続く。アンカレジの連中が、お姫様といい侍従といい、機関士たちといい、まるでジブリアニメな感じで面白い。脳天気なトムはまあいいのだが、へスターの役どころが、ちょっとというか、かなり危うくて、本当にこれで今後もヒロインを続けられるのか、心配になります。
『ひとにぎりの異形』 井上雅彦編 光文社文庫
異形コレクションの新刊は、何と81編のショートショート集。これはすごい。ショートショートといえどもこれだけ集まると迫力がある。とはいえ、1編1編についてはもはや覚えていられない。集団の力だなあ。編者の依頼した条件は原稿用紙10枚以内ということのみ。全体的な印象としては、典型的な(星新一的な)ショートショートというよりは、もっと普通の短い小説、あるいは小説の断章といった印象が強い。きちんと完結したものもあれば、そうでないものもある。また異形コレクションという媒体ゆえかも知れないが、SF的というか、幻想的な雰囲気のものが多く、そういう作品には強く心に残るものが多かった。不思議な情景だけの作品であっても、短さのゆえに鮮烈な印象が残るものだ。いっぽう、これは中編や、いっそ長編にしたら面白いかもと思わせられるものもあった。何しろ1冊の本に81編だ。何かしらヒットする率は高いだろう。
『ゴッドスター』 古川日出男 新潮社
東京の、湾岸にエリアを限定された地理の中で、得体の知れない人々の集団があり、テンガロンハットの明治天皇がおり、記憶の無い少年と、その少年の「ママ」になった女性と、リアルでありながら現実を超越したコトバが描かれる。エリアが限定されているということが重要だ。地理的にも、女性のマンションから海岸の倉庫群、運河。時間的にも、女性が少年を発見した時点から今までの限定された領域がある。正直、平凡なOLの「あたし」が記憶のない男の子を発見し、「ママ」となるあたりは、面白いけれどもいつもの作者ではない、あんまり広がらない感じがしたのだけれど、犬を連れた明治天皇と出会うあたりからがぜん面白くなる。ちょっと見慣れた感じではあるのだが、やっぱ作者はこうでなくちゃね。だって、前半の方では、どうしてこの人は警察に届けるなり何なりしないのだろう、なんてつまらないことが気になってしまうくらいだった。ぼくは東京の地理に詳しくないが、今回は地名が明記されていないのだけれど、わかる人にはどこだか一目瞭然なのだろうなと思う。得体の知れない人たちのするバーベキューがとてもおいしそうだった。
『Boy's Surface』 円城塔 ハヤカワSFシリーズJコレクション
SFMに載った2編と書き下ろし2編の4編が収録された短編集。『Self-Refrrence Engine』は結構読みやすかったのに、これはきつい。コトバが日常的な文脈では解釈できず、まさにチューリングマシンのように、あるいはプログラム言語のように、この表面ではないところの構造を記述していく。写像とか変換とかいう数学用語がけっこう理解の助けになる。いや、とても理解したなんて言えないが、まあどのレベルを理解したら理解したと言えるのか、あんまり関係ないような気もする。表題作の「Boy's
Surface」は「少年の表面」ではなくて「実射影平面の三次元空間への嵌め込み」と本文にも書いてある。ネットで検索すると、なかなかかっこいい図が見つかって楽しい。それにしても何でBoyなのかと思っていたら、これは人の名前なのだった。各章のタイトルが原点から始まる座標みたいで、行きつ戻りつしながら右上方へと伸びていく軌跡が描かれる。でもそれだと意味無いなあ、と思っていたら、著者自らがこれはトーラスの表面上の位置を示す座標だと書いていた。京フェスで、著者は「小説というものはある高次空間の中のダイナミクスで記述され、その各座標を結ぶ軌道をたどっているが、より高次から見たらそれも単なる1点となる」と小説の力学系の話をしていたのだが、なるほどと納得。ところでこの作品は恋愛小説なのだそうだ。レフラー球という変換装置を通じて無限に再帰的に変換される数学者の初恋。いや、とてもそんな風には読めません。恋愛の情感はこの無限連鎖のどこかにあるのかも知れないが、ぼくには感じ取れない、無理でした。むしろ「Gernsback
Intersection」に恋愛を感じた。「Boy's Surface」が恋愛小説ならこっちはポルノ小説。何しろ数学的なセックスが描写されているのだ。輪廻するみたいにやっぱり再帰的なのだけれど。侵略する特異点との戦いなんて、シンギュラリティに喧嘩を売っているみたいで面白い。「Goldberg
Invariant」はSF的なムードがあって好きだ。でもイーガンみたいにわかったような気になれないのが辛いところ。「Your Heads Only」も恋愛小説のシミュラキュラみたいな話で、「彼女を愛している」なんてコトバが出てくるのだが、どうやらこれはプログラミング言語で書かれた恋愛小説といったところらしい。小説を読むこと自体が頭の処理系を通って認識・変換されることにより何かのダイナミクスを生み出す。それがまた入力されて、というと、表題作の語り直しのようにも思える。いずれも何度か読み返し、出てくる言葉を検索してみたりすれば、また別の理解が得られるように思うが、さすがにそこまでする元気はありませんでした。ところで帯に書かれた数式は著者が書いたものなのだろうか。「関数Loveの孤立特異点はboyとgirlだ」ってことだよね?