岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。一部blog化もされております(あまり意味ないけど)。

 恒例のTHATTA2011年上半期SFベストの発表です。2010年11月から2011年4月まで、プロデビューの水鏡子も、この時期リハビリ中なので、採点者2名以上で1位(同率2作)から、3位(3作)、6位、7位(4作)までのレビューをまとめています。上期だけでみると、まずまず順当な並びか。下位作品は最終的にばらつく可能性が高いと思われます。

 例によってSFマガジン暦が対象範囲です。採点表は下記、筆者がTHATTAのレビューを読んだ印象からつけているため、絶対値というより参考値と考えてください。レビューの原文は、各要約(文責は評者)の末尾からたどってください。評者のものはHP版にダイレクトに飛びます。

2011年上半期SFベスト

Amazon『エステルハージ博士の事件簿』(河出書房新社) 第1位 エステルハージ博士の事件簿
 ほとんど悶絶ものの代物。『どんがらがん』も凄かったけれど、これはそれに勝るとも劣らない。どこまで行っていたのか、デイヴィッドスンは。短編一つ一つがどんどん深化していくように見えるのに、書かれた時期は皆同じらしい。なんか魔法みたい(津田)

 奇想小説と呼ぶに相応しい作品だが、異国情緒とノスタルジアと、微妙なユーモア感覚が相まって、読み出したら止まらない。ほんのりと温かい、幸福な読後感を味わうことが出来た。(中略)登場人物たちも、いかにも帝国の庶民たちという愉快な人物が多くて、喜劇としても楽しい。偉大な国王もちょっとボケているし。彼の登場する最後のエピソードなど、哀愁があって、何とも言えない味わいがある。堪能した(大野)

 まさに「異文化」との遭遇に近い体験だ。本書はそういう意味で、いわゆるミステリでもなく、多くのファンタジイとも違う。トールキンでも、その物語の中に現実とのアナロジイは残していたのだが、本書に中欧オーストリア・ハンガリー二重帝国との類似点があるかといえば、おそらくほとんどないだろう。ストレンジ・フィクションとか、奇想コレクションとかの名称は、まさにデイヴィッドスンにこそ相応しい(岡本)
amazon『スティーヴ・フィーヴァー』(早川書房) 第1位(同率) スティーヴ・フィーヴァー
 テーマが前の2編ほど限定的でないこともあって、作品選びに苦労した形跡が窺えるラインナップ。作品本意とも言えるけど。それもあってか各作品の印象はバラバラ。日本SFベスト集成の作品群を読んだ後だから余計そう感じたというのもあるかな。何しろ時代や国籍、人種、性別がずっと広範囲な上に、どう見たって日本人の発想で書かれていないからなあ(津田)

 やっぱりこの手のSFが好みだな。SFマガジン創刊50周年アンソロジーの第三弾は〈人類の未来、変容する未来〉というテーマのポストヒューマンSF傑作選。グレッグ・イーガンの表題作やブリン、オールディス、ソウヤーなど12編が収録されている。(中略)巻末のオールディス「見せかけの生命」はちょっと雰囲気が違うのだけれど、いかにもオールディスの遠未来SFだ。正直、ぐっとくる。浅倉訳のオールディスというだけで、もうそれだけでオーケーだ。ちょっと古めかしいところもあるのだが、オーケーです(大野)

 本書は問題意識の連続で成り立っている。ポストヒューマンに至る過程で、人類は外見以上に精神の奥底が変わってしまう=それは、肉体の変貌と同時に作用する。イーガンに指摘されるまでもなく、過去から多くのSFが語ってきたこのテーマを俯瞰する意味で、本書には重要な価値があるだろう(岡本)
Amazon『NOVA3』(河出書房新社) 第3位 NOVA3
 こんなペースでよく出せるなあ。小川一水「ろーどそうるず」は神林長平が書いたといわれても信じてしまいそうな一編だけれど、神林より若々しいな、やっぱり。(中略)問題は瀬名秀明「希望」。瀬名作品を読むといつも微妙な齟齬を感じるのだけれど、未だにその正体が分からない。一読して後、ところどころ読み返し、凄いことやってるなあとは思うものの、作品の雰囲気がどうしてもホラー/サスペンス寄りな感じがして、SFを読んでいる気がしないのだ。とはいえ、この中編がなんらかの連作になってくれると嬉しい(津田)

 一番の問題作は瀬名秀明「希望」だろう。これは質量と慣性をテーマとして描いた(特に慣性が重要)作品だ。前半は質量と慣性を象徴的に描く本格SFとして読めるのだが、やがて人の内部と外部のインタフェース(コミュニケーション・ダイナミクス)に主題が移り、宇宙はエレガントではないという、反・万物理論へ、そして反・物理学へとテーマが展開していく。ここに至ると、複雑な気分になる。実在の人物や事象を思わせる内容もあり、どう捉えれば良いか悩む部分もあるのだが、とても衝撃的な作品だといえる。(中略)しかし、本書で一番好きな作品は何だかんだいっても小川一水「ろーどそうるず」だ。バイクのAIと研究開発用AIとの対話だけで成り立っている作品で、笑いあり涙あり、ポストヒューマンの、でも人間をサポートするけなげな連中のお話で、思いっきりSFである。小品ではあるが、傑作です(大野)

 30歳代の作家が増え、より「現在」に近づいたということだろう。このうち、東浩紀のみ長編の一部(連載第2回)、とりみきは『SF本の雑誌』掲載作に結末を追加したものである。「ろーどそうるず」の主人公はバイク。バイクは国内の生産数量がピークの4分の1に減るなど、もはや斜陽産業なのである。未来はますますそうだろう。そういう事実と重ね合わせて読むと、印象も少し変わってくる。「希望」は現代のさまざまな問題意識を凝集させた、非常に中身の濃い作品。著者はこういった課題を易しく書いてはくれないので、じっくり読むことをお勧めする。時事ネタとまでは言わないが、本書は全般的に「今」を感じさせる内容だ(岡本)
Amazon『ダイナミックフィギュア(上)』(講談社) 第3位(同率) ダイナミック・フイギュア
 ほぼ評判通りの1作。人間が操縦するタイプのロボットものとしては数多くの名作アニメと肩を並べる出来だろう。『シオンシステム』の伝書鳩レースのような意表を突く設定はなく、ひたすらオーソドックスに構成された力作。メインの舞台が香川県というのが面白い。これだけの長さをちゃんと読めるものにしたのは立派。ただ不満も多く、異星人テクノロジーの取り込みと2種類の異星人の存在は、東宝怪獣映画のオマージュなんだろうけど、十分な展開を見せていないし、多数の登場人物を描き分けることが出来ていない。特に主人公扱いの青年とその恋人役の書き込みが弱い。贅沢な不満だけれど、次回作への期待は高い(津田)

 上下巻の大作。究極のリアル・ロボットSFと帯にあるが、まさに表紙に描かれているとおりの人型ロボット=ダイナミックフィギュアに搭乗した若者たちが異星の怪物と戦う、「エヴァンゲリオン」を強く想起させるSFである。(中略)この戦いは人間相手の戦争とは違い、敵の襲撃に予測可能な波があったり、あまり戦略的な知性を感じさせない、むしろゲーム的といっていいものだ。だから四国では激しい戦闘が続いていても、国内は比較的安定しており、変わらない日常が続いている。しかし、物語は当初のエヴァ的な、どこかゲーム的でありながらリアルな戦闘ものから、しだいに宇宙的な倫理のテーマへと比重が移っていく。力作である。ただし、SF的には興味深いテーマではあるけれど、小説としては前半の緊迫感が薄れ、後半はやや息切れしたように思う(大野)

 数年にわたる構想と、ほぼ1年がかりの執筆で書かれた大作。ロボット兵器登場の背景は、これまでの著者の作品のような唐突さはなく、非常によく練られている。巨大ロボット戦闘もの/ハイティーンの若者がパイロットなど、アニメの類作を踏襲しているのに、ありふれた印象を残さないのは、独特の用語による異化作用もあるだろう。究極的忌避感、孤介時間、ボルヴェルク、フタナワーフ、ソリッドコクーン、ハノプティコン、STPF、ワン・サード等、それぞれに意味づけがある。登場人物も多様で複雑だ。“母子”ではなく、“父子”関係が一つの特徴となる。ただし、後半に進むほど顕著になる大仰なセリフ回しは、逆に物語のリアリティを損なうので抑えた方が良かった(岡本)
Amazon『翼の贈りもの』(青心社) 第3位(同率) 翼の贈りもの
 ラファティの魅力といえば、アメリカほら話の伝統に連なる、その人を食ったようなとんでもない、とてつもなく大きな、まさにSFほら話といえる奇想とユーモア感覚だが、もちろんそれだけがラファティではない。神話的、神学的、哲学的なテーマを不思議な登場人物たちの会話や追想で描く物語群があり、むしろそちらの方がラファティの本質ではないかと思われる(中略)選ばれた11編はいずれも短く、凝縮された作品であり、それだけに一読しただけではわかりにくい、とっつきにくさもある。難しい言葉で書かれているわけではないのに、すんなりと理解できない場合が多い。それは登場人物や舞台が実は普通の人間や町ではないからだ。ここはゴーストや巨人や聖人やネアンデルタールたちの闊歩する、この世界から一皮離れた抽象的な世界なのだ(大野)

 200頁余りに厳選された11編が収められている。全部で原稿用紙400枚程度の分量しかないため、どの作品もごく短い。それだけに、ラファティのエッセンスが込められている。翻訳者(浅倉訳、柳下訳と本書)の違いもあってか、本書からはより抽象度の高い、哲学者めいたラファティが読み取れる。ホラ噺の彼方に広がる、例えば表題作「…翼の贈りもの」の抒情性や、巻末「ユニークで…」の論理性など、これまでになかった新鮮なラファティが感じられるのである(岡本)
Amazon『原色の想像力』(東京創元社) 第6位 原色の想像力
 SFが読みたいという意味では、あまり期待を満たしてくれていないが、今SFで何をどう書こうとする人が評価されるのかがある程度判って面白い。冒頭の佳作入選作高山羽根子「うどん きつねつきの」は時間経過のわかりにくさはあれ、つかみの上手さは十分だ。巨大化した女たちを描いて異様な迫力がある笛地静恵「人魚の海」は、ラブ・ストーリーが安易に過ぎた。おおむら しんいち「かな式 まちかど」は浅暮三文が書きそうな話。上手い。SFを読みたいという意味で、一番オーソドックスな亘星恵風「ママはユビキタス」がダントツの一作なのに、選考経過で無冠に終わったのが笑わせる。確かにこのタイトルではね。それにしても物語を動かすキャラが女ばかりだなあ、というのが全作を読み終わっての感想。男が物語を支えられるとはだれも思っていないみたいだ(津田)

 収録作はいずれも改稿されているということだが、さすがに読むのが辛いような作品はなく、どれも面白く読めた。もちろん好みかどうかという問題はあり、これはちょっと、と思う作品もあった。全体にSF短編集として相応しいかどうかという議論があって、結果的には広い意味でのSFらしさがあればOKとされたようだ。(中略)さて、受賞後第1作の松崎有理「ぼくの手のなかでしずかに」だが、ぼくは前作「あがり」よりずっと好きだ。大学の研究室小説であり、はっきりと恋愛小説であるのだが、雰囲気の作り方がとても良い。でも、何で数学SFじゃなくてダイエットSFになるのでしょう。この人ならしっかりした数学SFを書けるんじゃないかと思った。学生時代をちょっと思い出しつつ、気持ちよく読めた(大野)

 「うどん…」は同賞佳作、「土の塵」は日下三蔵賞、「盤上の夜」は山田正紀賞、「さえずりの宇宙」は大森望賞とされている。ここで審査員名を冠しているのは、各評者の評価が高かったことに由来する。さてしかし、「うどん」のように普通に読めば全くSFではない作品が佳作となる一方、受賞作「あがり」がSF的理屈を捏ねた作品であることからも、第1回応募作の多様さがうかがい知れる。応募時点から改稿が行われたためか、本書の収録作にアマチュア的な危うさはほとんど感じられない。「うどん…」や「盤上の夜」には巧さがあり、「ママは…」と「さえずり…」は現代SFの先端をイメージさせる。「人魚の海」と「かな式…」は、ちょっと他で見られない奇想で書かれている。懸念点は、本書の作者の何人くらいが、本気で作家になろうとしているかである。少なくとも、この賞は座興を狙ったものではない。短編1作だけでプロは無理にしても、作者の顔があまりに見えてこない(自己紹介文がおざなり過ぎる)(岡本)
Amazon『郭公の盤』(早川書房) 第7位 郭公の盤
 基本的に伝奇小説としての筋が通っていて、皇室と関係のある音楽探偵という設定も面白く、キャラクターもきちんと立っている。もちろん途中から消えてしまったり、重要でなくなったりするパーツもあったりはするが、あまり気にならない。少しずつ解かれていくオカルト的な真相が面白くて、どんどん読み進められる。まあ、最後はちょっと発散してしまって無理やり収めた感が強いのだが、東京スカイツリーをぶっ壊す怪獣小説になるとはね。それはそれで面白いので、もっと書き込めば良かったかも。全体として見れば、本書の合作は成功だったといえるだろう(大野)

 牧野修と田中啓文では、創作のスタイルが全く異なっているのだが、出来上がった本書自体の構成/文体に、違和感はあまり感じられない。牧野が提出する伏線を田中が補完する形で、古代遺物に纏わるホラーが伝奇的謀略小説へと展開する、中盤までのスケールアップは非常に面白い。反面、結末のクライマックスが性急すぎる(ネットの感想でも、そういう指摘を散見する)。奈良正倉院の蹂躙、大観衆を飲んだ国立競技場の虐殺、東京スカイツリー崩壊(ここまで来ると怪獣もの)までを最後の1割未満で書いたのだから、それまでのテンポと合わなくなるのもやむを得ない(岡本)
Amazon『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社) 第7位(同率) オスカー・ワオの短く凄まじい人生
 読んでる最中からこりゃまあと感心させられっぱなしで最後まで読まされた。書けるんだねえ、こういう風に。トルヒーヨについて教えてもらったのははるか昔、ゴルゴ13だったけれど、これを読むまですっかり忘れていたよ。絶賛の理由はすでにあちこちで書かれまくっているので、ちょっと小ネタに引っかかったところを。「『トワイライトゾーン』の・・・例の有名な回」という本文に("It's a good life"のこと)という割注が入っているんだけれど、原作のビクスビイ「きょうも上天気」にまで言及せいとはいわないけれど、テレビ版でも映画版でも「こどもの世界」という日本語題名が有名(?)なんだからそれくらい入れときゃよかったのにと思いました(津田)

 日本のオタク文化に詳しいなど、本書の主人公には著者の影が見え隠れる(実際は、主人公の大学寮での相棒が著者の分身だろう)。とはいえ、自身はコーネル大学の大学院を出た後、発表する短編がどれも高評価を得て、最終的にベストセラーにまでなるのだから、ずいぶんとその結果には差がある。ある程度認知された日本のオタク文化とは違って、アメリカでナードといえば侮蔑の対象でしかない。この主人公には、もしかすると自分もこうなったかもという、作家特有の恐怖が込められているのかもしれない(岡本)
Amazon『青い星まで飛んでいけ』(早川書房) 第7位(同率) 青い星まで飛んでいけ
 どちらかというと軽めの短編集。読む端から忘れてしまう人間なので、はや個々の作品がどんな話だった思い出せなくなっているのだけれど、坂村健氏の解説に話の概要が書いてあるので、それを頼りに思い出してみると、基本的には肯定的なコメディが多かったような気がする。SF的なアイデアが時事的世相的話題と絡まっている感じもある。コンスタントに人を楽しませるSFが書けるという意味で、小川一水のショウケースになっているんだね(津田)

 「静寂に満ちていく潮」はちょっと変わったファーストコンタクトもので、ぼくにはティプトリーを思い起こさせる雰囲気があった。この話はとても好きだ。「守るべき肌」は、SF読みにはすぐにネタがわかる話だが、その謎がわかった後の展開が意外性があって面白い。「青い星まで飛んでいけ」は人類の後を継いだ人工知能たちによる、遙かな時間と空間を越えた探求の旅の物語で、SFでしか書けないこういう話は大好きだ。ただ、かつてのこの種の話と違うのは、気の遠くなるような時間と空間の広がりや深みを感動的に描くことよりも、それでも変わらない人間的な属性――恋愛であったり、攻撃性であったり――の方を、むしろ軽い文体で描こうとしていることである。センス・オブ・ワンダーよりも、日常性、連続性を重視といえるだろうか。「大きな物語」を描いているにもかかわらず、とても身近な雰囲気を残しているのだ(大野)

Amazon『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社) 第7位(同率) ブラッドベリ年代記
 全体的な印象は書き方がブラッドベリに寄り添いすぎていて、やや生ぬるい伝記というところ。しかし、「闇のカーニバル」から「白鯨」までの100ページあまりは、ブラッドベリの大躍進を描いて素晴らしく、読んでいてワクワクする。この年代のSF作家にはユニークなもしくはエキセントリックな人生を送った者が多いとは思うけれど、ブラッドベリがひときわユニークな存在であったことはこれを読めば得心がいく(津田)

 こうして改めてブラッドベリの生涯を読んでみると、1960年前後には、既に『白鯨』(1956)の脚本を書くなど、ジャンルSF以外で大きな実績を上げていたことが分かる。それで直ちに裕福になれたわけではないが、一般的なSF作家たちとは一線を画していた。ラジオ、映画、万博、演劇と手がけるありさまは、小松左京や筒井康隆らの十数年後の体験を先取りしているようでもある。著作は広く青少年に読まれ、後の宇宙開発、コミックや映画など文化創造を促す動機になった。国民作家なのであり、そういった地位にあるのは多数の米国作家の中でもほんの一握りだけだ。本書はあくまでもブラッドベリを中心に描かれている。伝記であるからにはそれが当り前なのだが、ブラッドベリを取り巻く時代状況など、客観的な視点がもう少し欲しいところだ。実際本書は、一部(中西部の作家を対象にした賞)を除いて、大きな賞が取れなかった。最相葉月による星新一の伝記などに比べて、そこが物足りない点だろう(岡本)

 


 

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