続・サンタロガ・バリア (第104回) |
久しぶりにソロピアノのコンサートを聴いた。演奏者はアブデル・ラーマン・エル・バシャという1958年生まれでレバノン(!)出身、パリ音楽院仕込みの男。エリーザベト王妃国際コンクールで優勝してからしばらく沈黙していたというポリー二みたいなピアニスト。プログラムは前半がモーツァルトのソナタ9番、ベートーヴェン「テンペスト」、シューベルト「即興曲 作品90-2」で、後半がショパンの「夜想曲作品9-1、9-2」「華麗なる大ワルツ」「英雄」にラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」「洋上の小舟」「道化師の朝の歌」というピアノの機能拡張の歴史みたいな代物。さすがテクニックは抜群でグランドピアノが負けているような印象。音のコントロールは端々まで行き届いている。が、あんまり面白くないんだなあ、これが。緊密でまったく乱れのない響きの群れは蒸留水みたいに透明だけど味気なく(マズい?)、かろうじてラヴェルが興味深く思えたくらい。それでも何か引っかかるので、会場で5000円もするラヴェルのピアノ・ソロ集を買って帰った。で、聴いてみたのだが、新しい国内録音のピアノの響きは確かに素晴らしいのに、グッと来るモノがない。「クープランの墓」はさすがに胸に迫るが、「夜のガスパール」など響きの美しさから何も湧いてこない。昔、フランソワの廉価版で聴いていたガスパールは面白くてしようがなかったんだかなあ。
それに似たことは、サイモン・ラトル/ベルリン・フィルの最新録音版、マーラーの2番「復活」でも感じた。2000年代録音の交響曲CDなぞほとんど持ってないので(多分、ゲルギエフのショスタコ4番以来?)、オケの立体感のすごさ、細かい楽器の動きにひっくり返るくらいびっくりしたけれど、最後までのれないまま。復活のファンファーレは、さすがにちょこっと涙がにじむが、そこまで。音楽雑誌の評では「青白い炎」といわれていたので、まあ、そういうものなんだろう。こちらの耳が時代遅れなだけか。
SFマガジン3月号の最新版ヒューゴー・ネビュラ受賞作リストを何度も見ながら、ノヴェラの未訳がとても多いのに気がついた。あまりなじみのない最近の作家はともかくシルヴァーバーグやアンダースンの割と有名な作品が未訳のままだ。スパイダー・ロビンソンの作品なんて有名ノヴェラ2作を収めたペイパーバック・シリーズにも収録されたはず。昔のSFMでノヴェラの連続訳載とかやっていたけれど、あまり受けがよくなかったのかな。時代的に古すぎるかとも思うけれど、SFロートルだけに限らず、読んでみたい読者がいるのではなかろうか。シルヴァーバーグなんか大森望が究極の時間SFアンソロジー収録作候補に入れていたくらいだし。
その大森望が編者の一人になった、大森望・日下三蔵・山田正紀編『創元SF短編賞アンソロジー 原色の想像力』は、意外と楽しめる1冊だった。SFが読みたいという意味では、あまり期待を満たしてくれていないが、今SFで何をどう書こうとする人が評価されるのかがある程度判って面白い。冒頭の佳作入選作高山羽根子「うどん きつねつきの」は時間経過のわかりにくさはあれ、つかみの上手さは十分だ。巨大化した女たちを描いて異様な迫力がある笛地静恵「人魚の海」は、ラブ・ストーリーが安易に過ぎた。おおむら しんいち「かな式 まちかど」は浅暮三文が書きそうな話。上手い。SFを読みたいという意味で、一番オーソドックスな亘星恵風「ママはユビキタス」がダントツの一作なのに、選考経過で無冠に終わったのが笑わせる。確かにこのタイトルではね。それにしても物語を動かすキャラが女ばかりだなあ、というのが全作を読み終わっての感想。男が物語を支えられるとはだれも思っていないみたいだ。
どうせなら大森アンソロジー制覇しておこうと『不思議の扉 時をかける恋』、『不思議の扉 時間がいっぱい』も読んだ。前者では今の作家たちが切ない恋の話を書いてみせる中で、太宰治のお伽話が一番強いのには参った。恩田陸も乙一も貴子潤一郎もはじめて読む作品だったし、どれも素晴らしい出来なんだが、太宰の存在感は別格だ。その点後者はF・スコット・フィッツジェラルドがダントツということもなく、風俗の古さを蹴散らす筒井康隆から今様の谷川流までバラエティ・セットとしてお買い得である。
河出書房新社ストレンジ・フィクション第1弾、アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』はほとんど悶絶ものの代物。『どんがらがん』も凄かったけれど、これはそれに勝るとも劣らない。どこまで行っていたのか、デイヴィッドスンは。短編一つ一つがどんどん深化していくように見えるのに、書かれた時期は皆同じらしい。なんか魔法みたい。
佐藤亜紀『醜聞の作法』も技巧の塊みたいな作品で、こんなの佐藤亜紀以外の日本人には書けないんじゃないかと思わせるところがミソ。読者に対してもキャラクターに対しても意地悪なのは相変わらずだけれど、破綻させようと思えばいくらでも破綻させられるモノをきっちりと収めて見せている。何なんでしょうね。多分、オペレッタかな。「ウィーン気質」とか「令嬢マリッツァ」とかそんなの。
講談社BOXというのは買ったことがなかったけれど、八杉将司『光を忘れた星で』がその最初となった。こういう装幀だったのか。作品は設定のすごさ(無謀さ?)をほぼ破綻無く書ききったという点で素晴らしいといえる。でも、その設定を外してストーリーラインを追うと割とありふれたヤングアダルトもののような気もする。それにしてもよく書けたねえ。盲目者の世界というとヴァーリィの「残像」くらいしか思い当たらないけど、随分違う世界設定だし。まさかウェルズじゃないよな。
ストレンジフィクション第2弾、パトリシア・ギアリー『ストレンジ・トイズ』は第1部が大好きと言っていいほど魅力的なのに、第2部、第3部となるにつれ、読むのがしんどくなってくる作品。基本は語りのマジックなんだけれど、第1部こそ子ども時代の狭い世界に生じる魔力が夾雑物無しに読み手を魅了するのにくらべ、第2部以降は大人になってる為、読む方の引っかかりがどんどん増えていく。第3部なんか、いきなり千ポンドのバーベルを持ち上げる世界一の怪力女になってたりするんだから、目が白黒する。だって1000ポンドといえば450キロですよ。最重量級でも女子はまだ200キロ行ってなかったと思うがな。そりゃ作品内で主人公が子どもの時に見た金髪怪力女の看板から繋がってることは判るけど、ニヤリとして受け止められるような作品の雰囲気じゃないし。エピローグなんかどこにいるんだかサッパリ判らない。