内 輪 第249回
大野万紀
近畿地方はいつもより半月近く早い梅雨入り。雨が続きます。おまけに季節外れの台風も来るし。
このところわが家の電化製品が次々と故障して買い換えています。ゲーム機、液晶モニタ、ハードディスク、電球は切れ、時計は止まる。今度はまだ2年ちょっとしか使っていない炊飯器まで。まあ電気屋へ行くのは好きなので、買い換え自体はかまわないのですが、こんなに続くとちょっとうんざり。
というわけで、わが家には山ほど電気を使う機器があるのですが、この前たこ足配線から火事になったというニュースがあってちょっと心配に。わが家も当然のようにテーブルタップのたこ足配線が凄いことになっています。定格は守るようにしているのですが、劣化してショートしたりホコリがたまったりして熱をもつ可能性はありますね。注意しなければ。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『悪の教典』 貴志祐介 文藝春秋
去年のベストセラーだが、分厚いのと、さすがにSFではないだろうというので、これまで手に取っていなかった。今度やっと読んだが、分厚いのは全然問題なし。面白くてどんどん読み進められる。
明るく頭が良く生徒に大人気の高校教師は実はサイコキラーだった。罪悪感など全くなしに、けろりと人を殺すことができる彼は、ついに生徒の大虐殺におよぶ。
という、ほぼそれだけの話であり、教師や高校生たちがひたすら殺されていく。上巻は彼の天才性と異常さが細かく描かれているのだが、下巻になると彼の犯した小さなミスからやむを得ずクラス全員の大虐殺に発展し、これはちょっと無理だろうと思いつつも迫力満点で、ノンストップに最後まで読み終わる。
よく考えると色々と無理があるのだが、そんなことは全然気にならない。恐ろしい話ではあるが、半分はゲームとして(そんな視点から)描かれており、ブラックなユーモアもたっぷりあるので、あまり恐怖感はない。とはいえ、全てが終わった後の、本書を閉じる直前の一段落には、さすがにぞっとするものがある。ここは本気で怖かった。
ところで本書で一番気になったのは、実は小説内のテストに出てくるモンティ・ホール問題。えっ、この答えはおかしいやろと思ったが、よく考えると、司会者は正解を知っていて、回答者が選んだ後で1つ選択肢をつぶしたのだから、条件が変わるのは当然と納得(後でググって見たが、それで間違いないようだ)。事後確率というのは直感と反するから難しいなあ。本書に何故この問題が書かれたのか、それは一見当たり前に見える思い込みが、実は危険だという意味を示すためなのかな。
『天冥の標4 機械じかけの子息たち』 小川一水 ハヤカワ文庫
SFマガジンで書評するためゲラで読了。シリーズの第4巻は、《恋人たち》の話。《恋人たち》は1巻でも重要な役割を果たしていたセクサロイドたちだ。
本書では《救世群》の少年キリアンが《恋人たち》の少女アウローラによって、様々なシチュエーションでの性的なもてなしを受ける。というわけで、本書のテーマはセックス。手を変え品を変えのセックスシーンが延々と続く。けれどもあんまりエロくはない(ポルノ的でないという意味で)。それは、主人公のキリアンがこのような状況にはっきりと嫌悪感を抱いているように描かれているからだろう。だから彼はヒロインに恋することもなく、この状況を素直に楽しむこともできない。ついでにいえば《恋人たち》は人間に性的快楽を与えることに特化しているので、通常の人間性に欠落しているところがあり、恋愛の機微や人間的な色っぽさにも欠けている。
そもそも何のためにこんなことを繰り返すのか、それは読んでいるうちに徐々に明らかになってくるのだが、何ものかの攻撃によって危機に瀕している《恋人たち》が、そのよって立つ基盤を確認し、自分たちの指導者となる者を求めるためだった。とはいえ、彼女たち自身もそのことをあまり自覚できていないようで、このあたりの状況がなかなかはっきりしないのは、本書の最大の弱点だといえるだろう。局所的な状況はわかっても、大きな全体像が見えてこないもどかしさがある。
物語の後半になって、真の攻撃者が明確になり、ストーリーが急展開する。ピースが埋まっていく感覚はとても面白い。《恋人たち》、《救世群》そして《酸素いらず》たちや《ダダー》との関係が明らかになっていく。ここにきて1巻の登場人物(グループ)たちがかなり出そろった感じだ。1巻の重要なキーワードも登場した。こうなると、早くあの続きが読みたいのだが、それはいつになるのだろうか。
『闇の船』 サラ・A・ホイト ハヤカワ文庫
ポルトガル出身の女性作家によるスペース・オペラ。
遙か未来の太陽系で、支配者階級に属する跳ねっ返りのお姫様(悪魔並みの怒りっぽい性格で、気にくわない相手には平気で暴力をふるい、自信満々、メカに強く、おまけに巨乳美人で、それを武器とすることもいとわない)が、大昔に地球を追放された改造人類〈ミュール〉の〈闇の船〉に遭遇する――といった話で、確かに宇宙冒険SFではあるのだが……。
どうやらSF的設定はあまり重要ではなく、本質はロマンス小説であるらしい。こういう小説はさすがに読者を選ぶのだろうな。ぼくなどには全く魅力的に見えないヒロインで、ストーリーにも乗れないのだが、面白いという人もいるのだから。
『天獄と地国』 小林泰三 ハヤカワ文庫
『海を見る人』収録の短篇「天獄と地国」を長篇化した作品。
頭上に大地、足下に星空が広がる真空の世界。人々は大地からのわずかな資源とエネルギーをたよって小さな「村」を作り生活していた。その村を襲って資源を奪う「空賊」たち。さらに取りこぼしを目当てに彷徨う「落ち穂拾い」。主人公カムロギは落ち穂拾いのリーダーだったが、ある時、太古の巨大な超兵器の内部に取り込まれ、それを手に入れることになる。彼と仲間の3人は、この超兵器「アマツミカボシ」に乗り込み、世界の果てにあるという別天地を探す旅に出る。
実はこのような超兵器は他にも存在した。それを所持する3つの「村」(ひとつは「帝国」を自称しているが)は、自らの超兵器を使って、カムロギたちに戦いを挑んでくる……。
というわけで、始まりは短篇のとおりだが、それが『AΩ』のような、ウルトラマンか巨神兵かエヴァンゲリオンか、といった超兵器同士の戦いとなり(何しろ半分生物なので、例によって描写はグログロのゲロゲロである)、最後はいかにも本格SFらしい新天地の姿が明らかになる――のではあるが、話はここで完結していない。これは続編へと続かなければならない。果たしてそれがいつ書かれるのやら。
ところで天地の逆転したこの世界は、SFを読み慣れていないと把握するのが難しいかも知れない。要するに、リングワールドの外側の世界なのだ。重力ではなく遠心力が支配する世界。世界と同じ系に属して回転している全てのものは、大地(あるいは天井)にしがみついていないと、たちまち宇宙空間へ振り飛ばされてしまう。よくもまあこんな世界で暮らす人々を想像できたものだ。
『翼の贈りもの』 R・A・ラファティ 青心社
ラファティの日本オリジナル短編集。11編が収録されている。
ラファティの魅力といえば、アメリカほら話の伝統に連なる、その人を食ったようなとんでもない、とてつもなく大きな、まさにSFほら話といえる奇想とユーモア感覚だが、もちろんそれだけがラファティではない。神話的、神学的、哲学的なテーマを不思議な登場人物たちの会話や追想で描く物語群があり、むしろそちらの方がラファティの本質ではないかと思われる。本書では「最後の天文学者」、「ケイシィ・マシン」、「深色ガラスの物語」、「ユニークで斬新な発明の数々」といった作品である。また、キリスト教的というのか、人間の倫理性を扱った作品群もある。「だれかがくれた翼の贈りもの」、「なつかしきゴールデンゲイト」、「マルタ」、「ジョン・ソルト」などだ。そしてもちろん慣れ親しんだ”ラファティ”タイプの作品もある。「雨降る日のハリカルナッソス」、「片目のマネシツグミ」などがそうだ。
特に「片目のマネシツグミ」はこれぞ昔ながらのラファティという感じで、大好きな作品だ。何しろ小さな弾丸の中に極小の文明を作り上げてしまうのだから。こういういわば〈フェッセンデン〉モチーフはSFの定石テーマではあるが、キリスト者であるラファティが描くとこんな話になるのだろう。
訳者の解説は何とラファティと村上春樹を比較した文学論で、読み応えがある。ただ日本の読者のためには、もう少し作品解説があってもよかったように思う。
選ばれた11編はいずれも短く、凝縮された作品であり、それだけに一読しただけではわかりにくい、とっつきにくさもある。難しい言葉で書かれているわけではないのに、すんなりと理解できない場合が多い。それは登場人物や舞台が実は普通の人間や町ではないからだ。ここはゴーストや巨人や聖人やネアンデルタールたちの闊歩する、この世界から一皮離れた抽象的な世界なのだ。
『NOVA4』 大森望編 河出文庫
日本SFオリジナルアンソロジーの第4巻。順調に出ていますね。今回は9編を収録。
前巻がいかにもSFらしいSFが中心だったのに比べ、今回はやや変化球が多い。とはいえ、山田正紀の本格SF中編200枚というのも含まれているが。
お気に入りは森田季節「赤い森」。これは考古学SFであると同時に、ビッスンにもつながる〈クマSF〉なのだ。それから森深紅「マッドサイエンティストへの手紙」。こちらは大企業の社内規則SF。恐ろしいことが起こっているのだけど、ほのぼのとしたユーモア感覚が好きだ。
企業内の怖いユーモアといえば、北野勇作「社員食堂の恐怖」。ホラーというよりやっぱりこの感覚はSFですね。
SFというよりホラーであり、ホラーというよりユーモア小説といっていいのが斉藤直子「ドリフター」。落語ネタの幽霊小説だが、語り口がある年齢以上の読者のツボをついていて絶妙。林譲治「警視庁吸血犯罪捜査班」は吸血鬼が普通に存在する別の日本でのミステリで、野良吸血鬼といったイメージが面白く、シリアスな話ではあるが、ユーモアSFとして読める。
最果タヒ「宇宙以前」は幻想小説っぽいファンタジーだが、その背景にSF的なものを感じる。美しいイメージが溢れてはいるが、閉塞感が漂い、ぼくにはちょっと苦手なタイプ。
しかし一番の問題作は山田正紀「バットランド」だ。超音波で会話するコウモリの群れ、640光年先で蒸発するブラックホール、認知症の老詐欺師、車椅子のマッドサイエンティスト、人工海馬チップ、量子のもつれと意識、といったSF好きを惹きつけるモチーフに溢れた本格SFには違いないのだが、そんな魅力的なコトバやアイデアが物語のロジックにつながっていかない。別に科学的な正しさのことを言っているのではなく、イメージ豊かなシーンがそれだけで閉じていてストーリーと有機的に結びつかないのだ。「SFは絵だ」は正しいとして、絵だけでSF小説が成り立つのだろうか。このようなモチーフからは、ぼくは小松左京が書くようなSFを期待してしまうのだが、山田正紀はあえてそれを外そうとしているのだろう。ある意味典型的な山田正紀SFであり、とにかく力作であることには間違いない。