岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。一部blog化もされております(あまり意味ないけど)。

 恒例のTHATTA2009年上半期SFベストの発表です。2009年11月から2010年4月まで、採点者2名以上で1位から7位までのレビューをまとめています。8位以下7作(同率)は、中間報告でもあるので省略。

 例によってSFマガジン暦が対象範囲です。採点表は下記、筆者がTHATTAのレビューを読んだ印象からつけているため、絶対値というより参考値と考えてください。レビューの原文は、各要約(文責は評者)の末尾からたどってください。評者のものはまずblog版に飛ぶので、そこの「もっと詳しく」からHP版に飛んでください。

2010年上期SFベスト

Amazon『天地明察』(角川書店) 第1位 天地明察
 年表的な骨格はいじりにくいけれど、こまかいフィクションは持ち込み放題という意味で、エンターテインメントのお手本みたいな造りになっている。小説作法は現代のエンターテインメント・スタイルを採用していることもあって、とても時代小説には見えない。江戸時代にあり得たかもしれない数学/科学コミュニティを空想するという意味でSF小説である。冲方丁の小説/フィクション製造力がどんな題材にも通用することを証明したといっていい一作(津田)

 歴史小説。これが圧倒的に面白い。水鏡子は本書をさして、SFジャンルの小説ではないが〈サイエンス・フィクション〉だといった。(中略)テーマは改暦であり、和算であり、また一つの大プロジェクトをやりとげる情熱であるわけだけど、サイエンスが主題なわりにはほとんど説明的な文章は出てこない。SFファンとして、多少の物足りなさはあるのだが、そこを切り捨てたおかげで、本書は人間ドラマとしての成功をとげたと思える(大野)

 この傑作はユートピア小説であって、〈サイエンス・フィクション〉であるけれども、ぼくの中では〈SF〉でない。山本弘の『詩羽のいる街』が〈SF〉であり、『天地明察』は〈SF〉でない。それは『詩羽のいる街』が、ひとつのシステムが立ちあがり、立ちあがったシステムは制度化され、自己運動を起こしながら世界の仕組みを変えていく物語であるのに対し、『天地明察』は人の意思が科学的な思考を支えに世界を変え、システムを変えていくからである(水鏡子)
Amazon『跳躍者の時空』(河出書房新社) 第2位 跳躍者の時空
 バラエティ豊かといえばそのとおり。でもなんでライバーがSF作家なのかはこの作品集からは余りよく分からないかも。どーでも良いじゃんそんなこと、ライバーのすばらしさが伝わればといわれれば、それもそのとおり。「骨のダイスを転がそう」と「冬の蠅」が作品としては白眉には違いないが、ガミッチ・シリーズや初訳の作品の楽しさも格別。何十年エンターテインメントとして書き続けた短編群が作者の死後もこうして日本語に翻訳されて未だ読者を魅了するっていいよね(津田)

 ガミッチはいいねえ。古き良きアメリカホームドラマの雰囲気がある(もちろん、それを皮肉った面もあるわけだが)。「跳躍者の時空」から、1992年に書かれた掌編「三倍ぶち猫」(初訳)までシリーズ5作が一挙に読める。表題作もいいが、「猫たちの揺りかご」が好き。真夜中の広場に集まってくる猫たち。「三倍ぶち猫」はシリーズのフィナーレで、ストーリーというほどのものはないが、雰囲気がとてもいい。昔のアメリカのコミカルなSF画にあったような、ちょっと髪の薄い中年のおじさん、楚々とした奥さん、セクシーな異星人の美女、そしてかっちょいいネコたちの記念写真を見るみたいだ。そして魔女たち。ほんわかと幸せな気分になります(大野)

 ライバーは本来のSF的な作品よりも、ヒロイック・ファンタジー、ホラーなど幻想味が混じった作品にむしろ強い印象が残る。著名なシェイクスピア役者だった父親(後に、初期の映画にも多く出演している)、母親も同じく俳優だった。2人は劇団を主宰しており、各地を転々と巡業する中でライバーも育ってきた。作家になる前は役者も経験している。ラヴクラフトとの親交を得て創作に目覚め、いくつかの職業を経たのち第2次大戦後に作家、アルコール依存症からの脱却、愛妻の死、晩年になっての再婚と目まぐるしい生涯をおくる。その複雑な人生が、これら作品(特に200編にも及ぶ中短編)にちりばめられているのである(岡本)
Amazon『サはサイエンスのサ』(早川書房) 第3位 サはサイエンスのサ
 こちらはバリエーション豊かな科学エッセイ集で、作者自ら渾身の一冊というのもうなずける力作。基本的に全部再読の記事な訳だけれども、あちこち手を加えているようで、再読感はそれほど気にならない。ま、忘れているのが一番の理由だけどね。権威的な書き方を避ける為に生み出したという変な文体が(科学や学問は権威であると思いたい)一般読者にどこまで通じるのか見てみたい(津田)

 かつてのSFファンが(いや今でも変わらないかも知れないが)夢見た、ちょっと常識とは違う、でもサイエンスに軸足を置いた、あるべき姿のように思える。かっこいいよね。さすがはリングワールド開発公社(だったっけ?)の人だ。科学エッセイではあるが、科学そのものの話は半分くらいで、今の社会や日常や私的な介護体験までが語られ、反面、大きな科学、宇宙や未来や先端技術の話は比較的少ない。うーん、それだけ今の世界がSFだってことかなあ(大野)
Amazon『歪み真珠』(国書刊行会) 第4位(同率) 歪み真珠
 作者の云う「掌編」群はバラエティに富んでいて、おそらく時間的にも長い間に書かれたものだろうという感じがする。幻想の質も作品ごとにいろいろなレベルで設定されていて、こういう描き方もするのか、と思うものがある一方、「遠近法」や『ラピスラズリ』のスピンオフでは、あの山尾悠子のタッチが甦る。大理石の女王が出てくる2編も印象深い(津田)

 ショートショートといっても、山尾悠子の場合、起承転結を持つアイデアストーリーではなく、風景を切り取ったパノラマ写真/静止画のようなものだ。曠野の上空に見える女神、荒れ果てた娼館、遠近感の失われた世界、冬の館の光景、上下方向に無限に続く階段世界、剣で貫かれた女王などなど。15編全部でわずか300枚足らず、その分量で小宇宙を現出させる手法は当初から変わっていない。函入り、硫酸紙に包まれたハードカバーという造本、再デビュー以来近影写真を公開しないなど、作品だけでなく外観を含めた徹底的なイメージ作りも効果をあげている(岡本)
Amazon『天冥の標』(早川書房) 第4位(同率) 天冥の標II 救世群
 どうしてこれが前作とシリーズなのか、サッパリ分からないけれど、とても面白く読めるパンデミックもの。前作のような一種群衆劇的なスケールはだいぶ後退しているけれど、それでも作品内には複数の主要人物が存在している。読み終わって振り返るとちょっとどうだったかなという感じが残るけど、読んでいる最中は、物語のエンジンがジェットコースター並に加速する。最後の方は駒落としみたいにバタバタと物語が展開すると同時に畳まれる。次はどんな世界が続くのやら期待して待とう(津田)

 本書を読んで、小松左京の真の後継者となるのは小川一水ではないか、という気がした。それは人類は何てアホなんだろう、でもそんな人類が愛おしいというような、基本的にオプティミスティックな視点だけでなく、ある種の理想論とのバランスの取り方、科学への信頼、そして日常にこだわりながらも宇宙につながるような巨視的なまなざしといったものだ。もちろんそれらは多くのSF作家に多かれ少なかれ共通するものだが、著者の場合、小説としてのバランスよりも、そういったテーマ性により惹かれ、重視する傾向があると思う。それってまさに(良い意味でも悪い意味でも)小松左京的なものではないだろうか(大野)
Amazon『去年はいい年になるだろう』(PHP研究所) 第4位(同率) 去年はいい年になるだろう
 個人や狭い範囲の関係性が世界や宇宙に影響していくのが「セカイ系」というのだとすれば、本書は「逆セカイ系」といえるかも知れない。世界や宇宙の大きな問題が、個人や家族のような狭い関係性に影響し、それを変化させていく―(中略)―パラレルワールドという観点から、さまざまな可能性を併置して、その倫理性を考えようとしているところはとても正統的にSFしているといえる。さらにいえば、本書には様々な選択肢の選択によって複数の未来を想定する、ゲーム的世界観が根底に見える(大野)

  SFはSFの上に作られるのであるが、本書は一般読者向け「文蔵」連載の所為もあって、その元ネタが明快に示されている。長編だけでも『ヒューマノイド』(1948)、『リプレイ』(1987)、『フラッシュフォワード』(1999)、『放浪惑星』(1964)、『航時軍団』(1952)など、クラッシックから近作まで複数の書名が挙げられている。主に歴史改変/未来からのメッセージに関わる作品だ。未来ではなく、近過去を舞台にしているため、本書では主人公は作者そのもの。未来の自分から、将来書くはずの作品を受け取ったりする。作者の家族を含め、実名も多数登場する。ただ、存在しなかった過去を描くのだから“私小説”(自身の生活を書く小説)とは違う。フィクションで書かれた作者が、リアルな作者を批評的に描写する点が面白い(岡本)
Amazon『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社) 第7位 クォンタム・ファミリーズ
 『動物化するポストモダン』を実作化したというか、この評論の中で言及されるパソコンゲーム「この世の果てで恋を唄う少女 ユーノ」の影響が強いのではないかと思われる。パソコンゲームはまったくやったことがないので、当て推量も良いところだが、パラレルワールドのシナリオ構成を消化した成果がこの作品に現れているように思われる。量子脳計算機というちょっと語呂が悪いが、平行世界の持ち込みにぴったりな仕掛けで作品のSF性を保証しつつ、家族物語というそれこそ普遍的なテーマを過激に語ってモラル・ファンタジーを作り上げてしまう手腕は大したものだ(津田)

 本書の、並行宇宙間に時間の隔たりがあり、それを利用してタイムトラベルができるというアイデアは、そこでループが発生することから本書の本質的なテーマに関わり、とても面白いと思った。崩壊し互いに孤立し、必死に関係性を回復しようとする家族というクラスター。リセットされ、繰り返される意志決定。量子は粒子であると同時に波でもあり、波動の重ね合わせが作り出すひとつの系は、それ自体で固有の存在となる。いやあ、家族っていいもんですね――という話ではないだろうが、それでもごく日常的・マイホーム的な、平凡で通俗的な家族のしあわせへの切ない憧憬のような感情は、本書を読んで一番強く心に残ったものである(大野)

 本書は、題名通り“量子的に離散化された家族の物語”である。後ろめたい過去を持つ売れない作家/テロの首謀者である主人公、実在の娘/物語の中で書かれた娘、最愛の妻/冷え切った関係の妻、テロ思想の信奉者だった愛人、それらが複雑な並行世界との関係で描かれていく。しかし、この物語は(本来の多世界解釈のように複数に)発散せず1つに収束していく。作者が、本書を極めて私的な家族愛の物語として終幕させた意図についても、考えてみる必要があるだろう(岡本)

 

 

 

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