内 輪 第231回
大野万紀
ドラクエの後はFFというわけで、ファイナル・ファンタジー外伝「光の4戦士」をやっていました。ついさっきクリアしたのですが、こっちの方が、よりスーファミっぽいというか、いかにも昔懐かしい作りになっています。けっこう不親切だし。しかしキャラクターが可愛い。特に、みんな動物になったりするのですが、それがとてもキュートです。
はやりのTwitterもやっています(@makioono)。しかしSFの人らはすぐにチャットになってしまうんですね。パソコン通信時代からやっている人が多いせいなのか。ぼくは基本、独り言モードでつぶやいています。使い方もよくわかっていないんで、適当ですが。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『地球移動作戦』 山本弘 ハヤカワSFシリーズJコレクション
ストレートなタイトル。ストレートな本格SFである。SFマガジンに連載されていた長編で、発表媒体のせいか、思う存分、まさに作者の書きたいことを楽しんで書いているという印象だ。そこがちょっとオタクっぽくって、口に合わない人がいるかも知れない。確かに、いきなり「パンツァーリート」の替え歌を、初音ミクみたいなACOM(人工意識コンパニオン)と合唱するのだ。いや、それって別に悪くはないよ。特にこの替え歌は本書の中でとても印象的な扱いをされている。しかし、読み進むにつれて、そういう趣味的な部分はほとんど気にならなくなる。何といっても本書は、接近する放浪惑星から、地球の軌道を変えることで人類を守ろうとする、まさに直球のパニックSFなのだ。本書の半分はそういう人類を救おうとする巨大プロジェクトの話であり(パニックは放浪惑星よりも、むしろプロジェクトに反対するテロリストからもたらされる)、もう半分は(いや、こっちの方が主題といっていいかも知れない)人工知能であるACOMと人類の関係についての物語である。この世界を可能としているのはタキオン推進を実用化したというピアノ・ドライブという超科学であり、本書は決して科学的にあり得る近未来を厳密にシミュレートしたハードSFではない。むしろ、超科学により様々な問題が解決された後の、現在から考えればユートピアに近い世界を舞台にし、いくぶん単純化されたシチュエーションに集中して、科学的・SF的なテーマを追求している、いかにもSFらしい作品だといえる。
『クリスタル・レイン』 トバイアス・S・バッケル ハヤカワ文庫
79年生まれの新人作家による初長編。作者はカリブ海の島国グレナダの出身で、いろいろあってアメリカへ移住し、19歳の時にSF作家としてデビューしたという。未来のテクノロジーを失い、19世紀ごろの水準に戻った植民惑星で、謎めいた登場人物や異星人やらがからむ恐ろしい戦いが始まる――という、またかいな、といいたくなる話だが、面白いのはこの世界がカリブ海地方から植民した人々の築いたものだということで、風俗や神々がまさに〈カリビアン・スペースオペラ〉というべきものとなっている。さらに、主人公たちに襲いかかる敵国が、アステカという、そのものずばり地球の古代アステカ帝国そのもの(でも武装飛行船を持っていたりする)で、神々に生け贄の心臓を捧げるのが戦争の目的だという。もちろん、その神々というのは、300年前、人類と共にこの惑星へ取り残された異星人なのだ。といったことは物語の中では少しずつ明らかにされるのだが、SFファンなら少し読めばわかってしまうものだ。小説としてのバランスはあまり良くなくて、途中かなり疲れるが、中米風のエキゾチシズムと、主人公たちのスーパーヒーローとしての活躍があって、面白く読めたことは確かだ。
『バレエ・メカニック』 津原泰水 早川書房
「想像力の文学」の第4巻。大変に評判が良い一冊である。確かに傑作であり、確かに「想像力の文学」だ。とりわけ第1章の「バレエ・メカニック」がいい。脳死状態の少女のまどろむ夢が東京の現実に侵入し、変容させる。目の前に泳ぐ熱帯魚、ビルをまたぐ巨大な蜘蛛。筒井康隆の幻想的な作品を思わせるが、その描写はいかにも独特だ。隠喩を多用した短いセンテンスが続き、時間の経過も線形ではない。ジャーナリスティックで説明的なエンターテインメントの文章に慣れきっていると、ちょっと戸惑うところもあるが、そのリズムはとても心地よい。父親は天才肌だが人間的には問題ありそうな造形家、女装癖のある主治医、トキオという名の美少年、ビートルズの曲が流れ、巨大な農耕馬に引かれる馬車で、変容した東京の街中を進む。第2章「貝殻と僧侶」では、主治医が主人公になり、もう少し客観的な描写がなされて、第1章の出来事が少女の名をとって〈理沙パニック〉と呼ばれるリアルな事件だったとわかる。さらにいくつかの因果関係が明らかにされる。生身の理沙は死に、その意識は東京のネットワークに潜む。第3章ではそれからさらに月日が流れ、現実世界の上にかぶさったARなレイヤーに生きるチルドレンと、主治医とのとても今風のSF的な物語が描かれる。結局物語はSF的な解釈に回収されるのだが、本書はそういう一つの解釈におさまりきらないふくらみをもっている。現実とはなにか、われわれの生きる、テクノロジーに満ちた現実とは何か――SFはその切り口の一つとして力を発揮している。SFが、第3章のようなハードSF的なものであっても、幻想小説の一種だと思えるのは、そういう時である。
『時の娘』 中村融編 創元SF文庫
初訳3編を含む、中村融独自編集のアンソロジー。全9編が収録されている。ロマンティック時間SF傑作選とあるが、時間SFはともかく、ロマンティックかどうかはよくわからない。けっこうバラエティのある作品が選択されている。古風というか、ちょっと古めかしい感じの作品が多いと感じたのは、時間を超えた恋というテーマのためか。面白く読めたのは、やっぱりこういう作品を書かせるとうまいジャック・フィニイの「台詞指導」、無茶苦茶な(でも間違っていない)デーモン・ナイトの因果律逆転もの「むかしをいまに」、あまりモラルに頓着しないところがいいチャールズ・ハーネスの「時の娘」、そして名作の誉れ高いロバート・グリーン・ジュニアの「インキーに詫びる」といったところか。しかし、昔読んだ時は確かに傑作だと思った「インキーに詫びる」も、今読むと何だかカットバックを多用したごく普通の小説に思える。過去の時間が重なって見えるというのは、確かに日常的というよりはファンタジー的だといえるけれど、「時間SF」という感じじゃないしねえ。
『プシスファイラ』 天野邊 徳間書店
第10回日本SF新人賞受賞作。うーん、と唸ってしまう。これはちょっと辛い。何千年も前からクジラたち(イルカも含む、というかほとんどはイルカ)は彼らのインターネットを持っていて、色々と闘争や何かもあったけど、ついにはその上に集団知性みたいなものを作り上げていた、と要約してもいいのかな。そして今度はそれに人類も関わり、最後は宇宙へまで広がって、10の何百乗年という超未来にまで話が続く……。個人ではなく種族やら知性そのものが主人公で、膨大な時の流れを描くなんていう話は、SFファンとして大好きなのだけれど、本書の語り口ではちょっと厳しい。まずいきなりコンピュータ・ネットワークの専門用語が生のままで氾濫していて、何だこれは、と思う。ネットワークの入門書かいな。というのも、専門用語がそのまんまの意味で使われており、SF的なふくらみが少ないのだ。となると、この手の話ではいつものことだが、帯域はどうなってんの、といった疑問に悩まされる。ヘルプはちゃんと読んでないが、そこには詳しく書いてあるのかしら。もしかしたら肉体は普通に動いているのに、彼らの思考はすごく遅いのかも知れない。本書にもいくつかストーリーらしきものはあるのだが、もうひとつ小説としての面白さが乏しかったのが残念だ。