続・サンタロガ・バリア (第96回) |
ゴールデンウィークも疾うの昔に思える今日この頃、まあ、五月晴れなのはよいことです。
職場の人に地元映画館の5月限りという株主招待券をもらったので、「アリス・イン・ワンダーランド(2D)」が見られるのかと思ったら、もぎりのオジさんが、あっちに入ってね、というので、いわれるまま入ったら、「フィリップ、きみを愛してる」とかいう作品だった。まあ寝てればいいか、と半分目をつむりながら画面を見ていたら、冒頭ジム・キャリー扮する主人公が犯罪を犯して逃亡、交通事故で死ぬ目にあって、妻子と別れゲイに徹すると誓うところになっていた。何それ、と思いながらぼんやり見ていたら、主人公は刑務所でユアン・マクレガー扮するいかにもお嬢さんな野郎に一目惚れ、後はとにもかくにも恋人を自分に惹きつける為、超能力とも見える騙しの才能で世間を渡り、何度も刑務所を脱出するという、さらに何だそりゃな話。実話に基づいていますといわれても、誰も信じないでしょ。基本コメディなんだろうなあ。タダ券の偶然でもなければ見ないよ、こんな地味なタイトル。ああ、そういえばユアン・マクレガーの役名はフィリップ・モリスだった。
ケンペがコヴェントガーデン歌劇場で振った『パルジファル』をようやく聴き通した。確かに聖杯や聖槍が出てくるキリスト教伝説の物語なので、ニーチェがこれでワーグナーを見放したっていうのも判らなくもないけれど、ワーグナーの作風からすると神話・伝説シリーズの一環という感じも強い。特に誘惑の庭に魔王や魔女が現れる第2幕なんか聴いていると前のと一緒じゃんと思ってしまう。ただ全体的に衰弱した感じの音楽なので、これまでのワーグナーが見せた山あり谷ありのイメージからすると期待はずれといっていい。でも、序曲を聴いているとブルックナーが交響曲で表現しようとした基の音楽がここにあるような気がするな。
YouTubeでは、肉まんとメタル姫が新作を投稿。肉まんは女形の妖しさ無しで、笑う目が普通にカワイイ。メタル姫は5日間で10万ヒット、世界が待ってるという感じ。画像が縦方向に圧縮気味なのか、たくましさが目立ちます。くねくね姫もニコニコに新作をあげたらしいけどYouTubeには出てきませんねえ。
〈移動都市クロニクル〉第3作、フィリップ・リーヴ『氷上都市の秘宝』は、相変わらず面白い。主人公の年齢を考えれば子供向けだが、ここでもかなりシビアな背景を作り上げるところがこの作者らしい。主要人物がご都合主義的にサバイバルしちゃうのも、ここまでキャラを使い倒せばそれほど不満はない。娘の為ならどこまでもの父親となってしまったレンと最後まで悩める殺し屋たる精神を失わない母親へスターという造りも作品の脳天気さをカモフラージュする。それにしても相変わらず死体がごろごろしすぎ。二度目の死を迎え損なったアナ・ファンに期待。
菊池博士が長らく続けているニセ科学ブログ/フォーラムは、時々見に行くけれど、ちょっとついて行けない。で、菊池誠『科学と神秘のあいだ』を読む。印象に残ったのは科学が見せるリアルと個人が感じるリアルとの間の距離のバリエーションということ。でも科学を啓蒙するというような方向はあまりなくて、話題が数多いニセ科学の紹介的な方向に偏っているので、ちょっと扱われている世界が狭い気がする。一番楽しく読めたのが、テルミンの話で、とうとうDVD『テルミン』をバーゲンで買ってしまった。ソヴィエト/ロシアも不思議な運命をたくさん作ってきた国だなあ。と、話を戻すと菊池博士が好きなロックの話題が多いのは個人的には嬉しいけれど、一般性という意味では不利かも。あと水玉蛍之丞画伯の似顔絵が阿部寛みたいだ。
科学つながりで鹿野司『サはサイエンスのサ』も読んでしまう。こちらはバリエーション豊かな科学エッセイ集で、作者自ら渾身の一冊というのもうなずける力作。基本的に全部再読の記事な訳だけれども、あちこち手を加えているようで、再読感はそれほど気にならない。ま、忘れているのが一番の理由だけどね。権威的な書き方を避ける為に生み出したという変な文体が(科学や学問は権威であると思いたい)一般読者にどこまで通じるのか見てみたい。その意味で早く文庫にしてもらいたいです。
北野勇作『メイド・ロード・リロード』がメディアワークス文庫が出ていて、あまりの表紙に手を伸ばすのをやめようかと思ったが、この作者だからどうせツリだろうと小林泰三『セピア色の凄惨』といっしょに買って帰った。のっけからまったくライトノベルではない北野節ではじまって、あっというまに最後のどたばた場面まできて読み終わってしまったけれど、これをライトノベルと強弁することは出来ないだろう。まだ田中哲弥の方がそれらしい。これ見よがしに出現する白紙ページ(柱とノンブルはある)から察するに章立ての仕掛けがいろいろあるらしいが、マトモに考えられないので、そのまま読み落とすことにした。コニー・ウィリス『航路』のラストを思い出すなあ。『ウロボロス』も入っているか。
小林泰三『セピア色の凄惨』はゆがんだ論理でゆがんだ人生をレポートする連作短編集。これもあっという間に読めてしまうが、北野勇作の作品みたいにこんぐらがってはいない。ストレートにゆがんだ考え方と感じ方を提示してみせるだけである。イヤーな話を書かせると上手いと評判の作者らしい。最後のオチはなくもがなだけれど。
イマイチ相性が良くないので、直木賞受賞作も読んでないのだけれど、何となく手が出た桜庭一樹『少年になり、本を買うのだ』は、エンターテインメントな読書録兼創作現場報告で、非常に上手い。ミステリを読んでなくても『本の雑誌』のミステリ評は読めるように、ほとんど知らないタイトルのミステリが数多く採りあげられていても、気分の作り方だけで十分読み手を満足させられる。まあ、すぐれた読書録というのは大抵そういう風に出来ているけれど。それでも『私の男』が読みたいかというと微妙です。
ナンシー・クレス『アードマン連結体』は前作同様リーダビリティには何の不満もない短編集。表題作や『齢の泉』みたいな長い中編は力作だし、「進化」や「マリゴールド・アウトレット」は十分シリアスだ。昔ながらのアイデアの短編も上手くこなす。だから不満はないのだ。でもなあ、ちょっとだけ違うんだよなあ。なにかこうもう一歩踏み込みが足りないというかもどかしい心地がしてしようがない。そこがこの作者の持ち味といえばそうなんだけど。
本屋大賞を取ってしまった冲方丁『天地明察』をようやく読む。年表的な骨格はいじりにくいけれど、こまかいフィクションは持ち込み放題という意味で、エンターテインメントのお手本みたいな造りになっている。小説作法は現代のエンターテインメント・スタイルを採用していることもあって、とても時代小説には見えない。江戸時代にあり得たかもしれない数学/科学コミュニティを空想するという意味でSF小説である。冲方丁の小説/フィクション製造力がどんな題材にも通用することを証明したといっていい一作。