内 輪   第233回

大野万紀


 柴野拓美さんが亡くなりました(柴野さんのWikipediaはここ)。ずいぶん前から入院されているというお話は聞いていましたが、今年の年賀状も届いており、突然の訃報には本当にびっくりしました。コンベンションなどで何度もお目にかかりましたが、いつもにこやかにお話されていたことが印象に残っています。40年ほど前、高校生のころ、SFマガジンで「宇宙塵」の存在を知り、入会できないものかと手紙を出したのが柴野さんとのお付き合いの始めでした。大学に入って仲間とSF研を立ち上げ、作ったファンジンを送っていたのですが、いつも丁寧な評をいただいて、大変励みになったことを思い出します。

 話題の「アバター」を近所のシネコンの3Dで見てきました。本当はIMAXで見るのが一番いいらしいのですが。夫婦50割引で安いし、近いし。で、評判どおりの凄い映像。素晴らしい体験でした。お話は単純。いってみれば、アマゾンの地下資源をねらう大企業の傭兵部隊が、そこを聖地とする原住民と戦うというような話。そして傭兵の一人が原住民の娘と恋に落ち――という、まあわかりやすい、よくある話です。それをほとんど説明のないとてもSFっぽい設定の中で語る。様々な異星生物、空に浮かぶ山々。原住民たちとの戦いも、ゲリラ戦ではなく、正面からの前面衝突。航空部隊と戦うワイバーン、戦車にはベヒーモスがぶち当たる……。宮崎駿成分も確かに色濃かったけれど、ぼくにはまんまファイナル・ファンタジーの世界に見えました。いやあ、とても面白かったです。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『へリックスの孤児』 ダン・シモンズ ハヤカワ文庫
 ダン・シモンズの中編集。初訳は1編だけだが、読み応えのある5編が収録されており、短編集の序文と、それぞれの短篇にも序文(というか、ほとんどエッセイといっていい長さがあって、これがとても面白い。エリスンみたい)がついている。とてもお得感のある一冊だ。表題作は〈ハイペリオン〉シリーズの後日譚。ちょっと設定が甘すぎとか、超人たちがうざいとか、まあそういう感じはあるのだが、それでも傑作。こんなSFは好きなのです。うって変わってダークなのが〈イリアム〉シリーズの前日譚「アヴの月、九日」。ユダヤの知識が少ないので、これだけ読んでも良くわからない。しかし千年たってもここまで民族憎悪が強いっていうのが、ぼくにはもう一つピンと来ないところ。「ケリー・ダールを探して」は『夜更けのエントロピー』に収録されていたが、これも好きな話。ちょっとセンチメンタルで、ほのかにエロティックで、そして人類のいない世界が美しい。「カナカレデスとK2に登る」は文字通りの登山SF。厳しい登山の描写が実にリアルだった。結末はこれもまた一種の〈ハイペリオン〉。「重力の終わり」は初訳。映画のシナリオとして書かれたとあるが、普通の小説。ロシアの宇宙開発をルポする作家の話。ちょうど国際宇宙ステーションから日本人宇宙飛行士のリアルタイムなメッセージをTwitterで眺めながら読むという経験をしたので、妙なシンクロニシティがある。人と宇宙の関係をやや斜めから描いたちょっと文学的な作品だ。ここにも〈ハイペリオン〉の影を感じた。やっぱりシモンズのSFはどこか〈ハイペリオン〉に収束していくものだなあという感想だ。

『魔王とひとしずくの涙 魔法の国ザンス20』 ピアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
 ザンスの20巻。この巻はちょっといつもと様子が違う。あいかわらずダジャレでいっぱいで、魔法と〈大人の陰謀〉ととっぴょうしもない冒険でいっぱいだけれども、いつになくシリアスだ。主人公は何と魔王ザンスその人。しかし、魔王たちのゲームで、頭がロバで体がピンクと緑の縞模様のドラゴンというおバカな姿。しかも口がきけない。そんな姿の彼のためにひとしずくの涙をこぼしてくれるパートナーを見つけることがゲームのルール。そして見つけたのは見た目も性格も悪い一人の娘。一方、マンダニアのフロリダに住む一家が嵐でザンスへ迷い込み、魔王と娘は彼らとザンスを救う冒険に出かける……。今回はわれわれと同じ、マンダニア人の一家が活躍するせいか、ダジャレも説明が多くて親切設計だ。実は本書では冒険も、魔王たちのゲームもあんまり重要じゃないような気がする。いつもの〈大人の陰謀〉さえも、普通のロマンスに見える。今度のメインテーマは、実はストレートな「愛」なのだ。おとぎ話ではない、どちらかというとリアルな愛。本書の結末がとても感動的なのも、シリアスに愛を語っているからだろう。

『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀 新潮社
 量子家族――。その昔〈人間ドラマ〉とやらでやたら分厚く水増しされたアメリカSFを読んで、中年夫婦の危機や家族の葛藤なんてSFで読みたかないよ、と悪口をいったものだった。本書はそういった夫婦や親子のドメスティックな関係がまさに主題であるにもかかわらず、それが並行世界の危機と関わっていく本格SFである。しかし、ただの小説家一家がどうしてまた複数の並行世界をまたがるショッピングモールのテロや世界崩壊やカルト教団や謎の少年や謎の幼女や性犯罪や人工知能や量子脳計算機科学やなんかに関わるのか。えーと、本書はけっこうややこしい構成の小説で、一度読んだだけでは世界間のつながりや、それぞれの人物の関係が頭に入りきらない(それって歳とって短期記憶がおぼつかなくなったぼくだけの話か?)。きちんとダイヤグラムを作って分析しないと、たぶん何か重要なことを読み落としてしまうような気がする。いったい世界がいくつあって、父と母、娘と息子、その家族と密接な関係にある女と男、さらにその子供、さらに娘が育てた人工知能、それぞれが何種類あって、どのような入れ子構造になっているのか。同じ名前でも、今現在はどのキャラクターがそこにいるのか。こういう複雑さはアドベンチャーゲームでよくあるものだが、自分で選択するのではない小説で読むとかなり混乱する。文章はけっこう説明的で、特に前半では詳しい説明があり(この小説内での科学や設定に対する説明のやり方は、まるで昔の日本SF――小松左京や光瀬龍の手法を思い起こした)、わかった気になるのだが、にもかかわらず後半のどこかで迷路にはまり込んでしまう。なお、本書の、並行宇宙間に時間の隔たりがあり、それを利用してタイムトラベルができるというアイデアは、そこでループが発生することから本書の本質的なテーマに関わり、とても面白いと思った。崩壊し互いに孤立し、必死に関係性を回復しようとする家族というクラスター。リセットされ、繰り返される意志決定。量子は粒子であると同時に波でもあり、波動の重ね合わせが作り出すひとつの系は、それ自体で固有の存在となる。いやあ、家族っていいもんですね――という話ではないだろうが、それでもごく日常的・マイホーム的な、平凡で通俗的な家族のしあわせへの切ない憧憬のような感情は、本書を読んで一番強く心に残ったものである。


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