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上半期1位 ハーモニー
前作で抱かせた期待に十分応える仕上がりの一作。とはいえ全体的な印象はライトノベルな面もないではない。メインアイデアそのものは見事なセンス・オブ・ワンダーを持っているし、それをワンダーと感じさせるだけの物語の積み重ねがおこなわれてもいる。それでもライトノベル的に読めてしまうのは、ひとつに少女3人の物語が前面に出てきていること、またヒロインがあまりにもエンターテインメントのキャラ的な強さを発揮してしまうからだろう(津田)
主人公たちは、少女のころから優しさ溢れる世界に息苦しさを感じていた。その一人、カリスマ的な魅力をもつ少女は、この社会に反抗してついに自殺してしまう。それから13年たち、その時いっしょに自殺を図りながら生き残ったもう一人の少女の前に、あの自殺した少女の影がふたたび現れ、世界を破滅へと導こうとする。という良くできた物語であり、自意識の問題を含め、人間存在の外部化がどこまで進むかといったSF的テーマも深く書き込まれた傑作である(大野)
物語の最後はイーガン的(このアイデア自体は、別の作家も使っている)に終る。著者インタビュー(SFマガジン09年2月号)では、よりサイエンス寄りのイーガンに比べて、社会的インパクトに対する興味が強いことが語られている。本書では、誰もが死なない理想社会と、その矛盾(肉体を改変することによる、極度な均一社会)が明快に描き出されている点が一つのポイントになる(岡本) |
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第2位 ユダヤ警官同盟
どう見たってよくできた警官もののミステリで、主人公が何回も気絶するのはいかがなものかとは思うものの、とにかく小説が上手い。それが改変歴史物ものの大きなターンテーブルの上で展開しているという、ある意味理想的なSFのひとつになっている。SFもミステリも広義のファンタシイとみれば、ユダヤ人社会の様々なディテールも強力な想像力によってもたらされたリアリズム趣向となる(津田)
著者のシェイボンは、代表作や、映画化作品も翻訳されているので、比較的紹介が進んでいる作家だ。しかし、メインストリームでもなく、SFでもミステリでもないという、まさにスリップストリームな作風のため、かえって印象が薄まってしまう傾向があった。本書は、設定を完全に並行世界ものにシフトした結果、ジャンルSFから大きな注目を集めた。自身ユダヤ人である作者は、もともとSFファンでもある。祖国を持たない民族が抱えるさまざまな矛盾を描くのに、アラスカ(アメリカ)のユダヤ自治区というSF的スキームは最適の素材だったのだろう(岡本) |
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第3位 魚舟・獣舟
上田早夕里『魚舟・獣舟』は思ったよりずっとよくできた短編集。特に表題作は30ページたらずというページ数からするとよくもここまで世界を定着させたことだなあ、と感心する出来映え。どの収録作も暗い印象をもたらす内容だが、単調な感じは残さないので作者の好調ぶりがうかがえる(津田)
〈異形コレクション〉に載った作品が多いが、いずれも紛れもないSFである。特に表題作は、初出時にも印象的だったが、確かに傑作といっていい(帯に書かれたような「SF史に永遠に刻まれる大傑作!」というほど大げさなものではないが)。これまで読んだ著者の長編は、何だかもう一つ感が強かったのだけれど、本書の短篇にはそんな弱さはない。SF的で、幻想的で、ホラーで、ハードボイルドで、そして日常的でもある(大野)
上田早夕里の特徴は、まず第一に描写の緻密さ/論理性にあるだろう。それに伴って、主人公たちは概ね内省的であり、感情が迸ることがない。たとえば、デビュー作『火星ダーク・バラード』で浅薄に描かれていた主人公が、大幅に改稿されて年齢相応の翳を持たされた点を見ても、著者の人物観が良く分かる。その点、直情型の多い最近のSFとは大きく異なっている(岡本) |
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第4位(同率) 草祭
いずれも、はっきりしたオチがあるわけでもなく、幻想のままに、美しい、そして恐ろしい世界が描かれる。とにかく描写が美しい。そして懐かしく、心地よい。テーマとしては古川日出男の『家族』とも共通するものがあるのだが、あの熱さ、ダイナミックさはなく、ひたすら静かで、血圧も低い。お気に入りである(大野)
「美奥」という架空の土地が舞台で、世界の成り立ちや、そこに住む男女の関わりが淡々と描かれている。登場人物は緩やかに関連しあうが、必ずしも共通しない。評者は過去の恒川作品を批判的に読んできた。読み取れる言葉/表現力(イメージ喚起力)と、描かれる異世界との乖離が大きく感じられ、ファンタジーとしての完成度に納得がいかないことが大きな理由だった。しかし、そういう問題点は、4年目の本書の中で大半解消されているようだ(岡本) |
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第4位(同率) プロバビリティ・ムーン
以前読んだ疫病モノの短編はとても良くできていた印象があったので読めるだろうとは思っていたが、読後感は物語作りのうまさを感じさせるものの伝統的アメリカSFの流れに則ったタイプだなあというものだった。文化人類学SFと超科学的テクノロジー・ミリタリーSFの大技とをかなり上手く組み合わせている(津田)
何だかいろいろと聞いているので、あまり期待せずに読み始めたのだが、少なくともこの第一巻は面白い。人類学SFと、宇宙戦争と、ハードSF的なアイデアとがうまく絡んでいる。ハードSF的な部分は、夫であった故チャールズ・シェフィールドの影響が大きいように思える。太古の異星人が残した超科学の遺物とか、確率場とか、トンデモに近いのにぎりぎり科学的なセンスを感じさせるところが、いかにもシェフィールドらしいのだ(大野) |
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第4位(同率) アッチェレランド
損得勘定や経済合理主義なんて人間の意識が生み出す幻想の一種に過ぎないと思っているし、ファミリー・クロニクルで本当に面白いものを書こうとするなら、ストロスのスタイルでは満足のいくものは書けないと思う。おまけにシンギュラリティはもう古いのか。と、ここまで貶しておいて、なんだけど、それでもストロスのSFは人なつこい面があって結構好きなのである(津田)
全体にスピード感、高揚感、オタクっぽさ、本格SFのスケール感もあって、ぼくとしては堪能できた。この手のSFは大好きです。いわゆるワイドスクリーン・バロックではないが、現代のワイドスクリーン・バロックはこんな感じになるのではないかな。〈シンギュラリティ〉とフェルミのパラドックスとの関係とかも、なるほどと思えた(大野)
提唱者であるヴァーナー・ヴィンジらが想定した(シンギュラリティの)イメージは、多分に情報社会を意識したものだったのだが、ストロス自身が現場の人であることから、本書で描かれる展開には、情報用語がガジェット風にちりばめらられている。専門用語をSF用語のように使うことで、エキゾチックな効果を上げているわけだ。本書は、オープンソースと新しい経済概念の担い手である、主人公/2人のパートナー/娘/娘の子供/さらにその子供、という一族の物語でもある(岡本) |
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第7位(同率) TAP
いわばB面集といった面持ちがある短編集。ここには昔風の「短編小説の書き方」的小説作法によって書かれたと思われるものばかりが集められている。強面イーガンもちょっと冗長な感じのするアイデア・ストーリーをいっぱい書いていたんだなあ、と思わせるのが編者の狙いだったのかと。しかしながら、アイデアから引き出される論理とテーマは昔のSFには見られなかったものだろう(津田)
正直いって「イーガンみたいな」作品集という感じ。イーガンっぽさというのがぼくらの頭に刷り込まれた結果、本物すらもイーガンっぽく見えるという、そういうことなのかしら。つまり、あんまり強烈な驚きはなく、独特の凄みが感じられないのだ。どれも悪くはないのに、「普通」に見えてしまう。古い作品が多いせいなのかも知れない(大野)
大脳に何らかのナノテクを介在させることで、精神そのものを変容させること(ここまでは他でもある)、延いては「自由」意志の本質に迫ること…イーガンをユニークにするのは、ナノテクを「人の心」にフォーカスするところにある。例えば、心の病と自由意志が如何に親近性を持つかが、文学的表現ではなくハードサイエンスとして描写されるのである。科学は客観的であるが、それを解釈する人間は主観的/恣意的なものだ(岡本) |
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第7位(同率) 年刊日本SF傑作選 虚構機関
いわれりゃ確かに無かった再録アンソロジーの第1弾、大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 虚構機関』は、雑誌掲載短編をリアルタイムで読むことが滅多にない御仁(自分のことだ)には便利で新鮮なシロモノ。編者の序文・あとがきに「2007年の日本SF界概況」だけでも一読に値すると思うが、それでは編者も面白くなかろう(津田)
問題は円城塔「パリンプセスト あるいは重ね書きされた八つの物語」。タイトル通り、八つの短篇で構成された一つの小説である。これもまた著者お得意の、記号の組み合わせとしての情報(つまり言語であり、数式である)が作り出す世界についての小説であり、自己言及的すなわちメタな物語である。円城塔の作品としては、読みやすい部類に入るのではないかと思うが、内容はやっぱり説明不能。でも描かれる様々なイメージが面白く、SFっぽいワンダーもある。大西洋を渡りひたすら西進するポーランドなんて、なかなか凄いじゃないですか(大野)
2007年に出版された日本作家のSFだけから選ばれた年刊傑作選である。と、あえて断るのも、日本のSFだけを対象とした年刊傑作選は、はるか昔に出た筒井康隆選『日本SFベスト集成』(1975〜76)のみだったからだ。過去に成功例がほとんどない中、しかも月刊のSF専門誌が1つしかない現状で、果たして年刊傑作選が維持できるのか。結果は本書のラインアップの通り、文庫アンソロジーや文芸誌に拡散したSFを渉猟すれば可能なのである(岡本) |
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第9位(同率)
猿駅/初恋
熟練のホラー短編集という面持ちで、ある時期の筒井康隆を彷彿とさせる作品が多い。そのなかで巻末に置かれた若書き(?)な「猿はあけぼの」がライトノベル時代の作者の美質をたたえていて楽しく読める。荒唐無稽をなんのいいわけもなく唯々突っ走って見せ、読者をなめてるかのようにもとれるが、その軽さ清新さが作品を気持ちよいものにしている(津田)
表題作が「猿駅」「初恋」であることでも分かるように、著者独特の幻想性を強調した内容となっている。特に「初恋」は、“グロテスクであるが切ない”という、非常にユニークな作品であり、発表当時大きな反響を呼んだ。田中哲弥は、スラップスティックな《大久保町シリーズ》の人気が高い。そういった点から、筒井康隆の影響を感じることも出来る。しかし、各作品の主人公が持っている気弱さ/後ろめたさのような、ある種背徳的な機微は、おそらくこの著者でしか表現できない感性だろう(岡本) |
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第9位(同率)多聞寺討伐
作者は時代劇が大好きだったということで、江戸情緒や過去の人々の口調や生活描写がいかにもそれらしく、イキで、味わいがあって、面白い。どの作品もそういう意味では読み応えがあるが、SFと時代劇のバランス感としては「多聞寺討伐」、キャラクターの魅力では「歌麿さま参る 笙子夜噺」が抜きんでている。いずれも実写で見てみたい気もする(大野)
江戸時代とタイム・パトロールを結びつけたお話が多く、ネタ的には繰り返しの印象も受ける。しかし、捕り物帳のSF的新解釈というこのスタイルを創出したのは光瀬龍である。中ではスプラッタ映画風の表題作と、登場人物が生き生きと活躍する「歌麿さま参る」(歌麿の正体という謎解きも先駆的だった)が印象に残る作品だろう。“東洋的無常観”と呼ばれた虚無的な宇宙SFを特徴とする作者だが、実は人間に対する強い興味が作品の背後にあった。時代SFはその雰囲気を良く伝えている(岡本) |