内 輪   第221回

大野万紀


 アメリカの大統領にオバマが就任し、日本でも演説集がベストセラーだそうです。ところがその翻訳者の一人に大野万紀という人がいると聞いてびっくり。あー、えーと、その大野万紀はこの大野万紀ではありません。
 どうも、海外のTVドラマやドキュメンタリーの日本語版の制作スタッフに、大野万紀という方がいらっしゃるみたいで、確認したわけではありませんが、その方ではないかと思います。しかし、40万部のベストセラーとなる翻訳って、やってみたいものですね。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『回帰祭』 小林めぐみ ハヤカワ文庫
 ライトノベルでは理系ギャグSFといった分野で活躍している作者の書いた本格SF。とはいえ主人公は少年少女で、謎解きが中心のストーリーであり、目新しさよりは、素直なジュヴナイルの雰囲気で読ませる。異星に不時着した植民船の子孫たちが築いた世界。産まれる男女の比が9:1という異常な社会で、毎年よぶんな少年たちが地球へと集団で回帰する。という基本設定のあたりで、実はかなり?マークが飛び交ってしまうのだが、植民船のコンピュータが故障しているとか、一応納得のいく説明はあり、それはそれで良しとしよう。物語は回帰を目前にした二人の少年と、家庭に問題を抱える一人の少女による、この社会の謎を解いていくストーリーと、反乱分子に関わる異常な事件を追う刑事のストーリーとが交差していく。少年たちに知識を授けるのは、教授と呼ばれる人語を話すウナギ(このウナギがとてもいい)。実はこの社会そのものがウナギの養殖場とパラレルなわけですね。ちょっとストレートすぎる気がするのと、この人たちは300年もいったい何をしていたのか、といったあたりが少しもの悲しいのだが、そういう大きな物語と、ドメスティックな痛い物語とがほとんど同じ比重で描かれるのも、ラノベっぽいと思われるところか。

『TAP』 グレッグ・イーガン 河出書房新社
 日本独自編集のイーガン短編集。といっても日本独自編集でないイーガン短編集は国内では出ていないのだけれど。本邦初訳の10編が収録されている。うーん、もちろん紛れもなくイーガンの短編集ではあるのだけれど、正直いって「イーガンみたいな」作品集という感じ。イーガンっぽさというのがぼくらの頭に刷り込まれた結果、本物すらもイーガンっぽく見えるという、そういうことなのかしら。つまり、あんまり強烈な驚きはなく、独特の凄みが感じられないのだ。どれも悪くはないのに、「普通」に見えてしまう。古い作品が多いせいなのかも知れない。テーマ的にはどの作品も間違いなくイーガンのSFだ。ホラー系と言われる作品すらもそうだ。アイデンティティの不安や人間性の変容といったテーマはホラーの文脈でも効果的に扱うことができるのは、小林泰三が示した通りである。「自警団」「悪魔の移住」「散骨」といった作品がそうで、確かにいつものイーガンのようなSFではないが、遺伝子ではなくミームの変容を扱ったバイオSFとして読むというのはどうだろうか。社会というか、人間集団の中の悪、恐怖を描くという意味では、他の作品とも通じるものがある。SF作品では、反科学や非合理、そして宗教への批判が正面に出たものが多く、そういう面では長編『万物理論』へとつながっていくものなのだろう。その中では「銀炎」が最も印象的だった。恐ろしい伝染病の感染経路を探るストーリーが、人間性の中に潜む恐怖へ、独善的な善意のもたらす恐怖へと深く入り込んでいく。これはオームを経験した日本人にも理解できる恐怖だ。表題作「TAP」は「それを聞くと死を招く言葉」といった手垢のついたアイデアを、脳科学とからめてイーガン流のハードSFとしたもので、力作ではあるのだが探偵小説風のストーリーが読者に混乱を招く。ミステリ部分が結局テーマとマッチングしていないようだ。「要塞」はまたずいぶんストレートなバイオ/社会批判SFだが、新人類の側をもう少し書き込んでも良かったように思う。その点幽体離脱を科学的に描いた「視覚」はわかりやすくて面白かったし、超人を誕生させようとする「ユージーン」の結末は、これぞイーガンといっていいびっくりのアイデアだ。自意識の存在を追求しようとする「森の奥」も単アイデアだが、イーガンらしい作品だった。

『年刊日本SF傑作選 虚構機関』 大森望・日下三蔵編 創元SF文庫
 2007年の日本SF傑作選。京フェスで編者らから話の出ていたアンソロジーだ。萩尾望都のマンガや岸本佐知子のエッセイも含む16編が収録されている。以下、主な作品についての感想。小川一水「グラスハートが割れないように」は「水からの伝言」騒動を思わせる、善意がもたらす恐ろしさを描いた良くできた小説だが、SFとはちょっと方向性が違うような気がする。山本弘「七パーセントのテンムー」は人間の自意識というものの根拠を疑う本格SFで、傑作。ただしアイデアは衝撃的だが、説得力にはやや弱い気がする。むろん短篇としてはそれでもかまわないのだが。さて問題は円城塔「パリンプセスト あるいは重ね書きされた八つの物語」。タイトル通り、八つの短篇で構成された一つの小説である。これもまた著者お得意の、記号の組み合わせとしての情報(つまり言語であり、数式である)が作り出す世界についての小説であり、自己言及的すなわちメタな物語である。円城塔の作品としては、読みやすい部類に入るのではないかと思うが、内容はやっぱり説明不能。でも描かれる様々なイメージが面白く、SFっぽいワンダーもある。大西洋を渡りひたすら西進するポーランドなんて、なかなか凄いじゃないですか。本書のもう一つの目玉は伊藤計劃「The Indifference Engine」。これも脳みその配線と人間の倫理を扱ったSFだが、アフリカの少年兵の悲惨な現実を描くストーリーの力が圧倒的で、SF的な興味は限定的である。その他の作品では、かんべむさし「それは確かです」、平谷美樹「自己相似荘」などが印象に残った。

『カフェ・コッペリア』 菅浩江 早川書房
 7篇を収録した短編集。それぞれ繋がりがあるわけではないが、いずれもほんの少し未来の、ごく日常的な身近な次元での科学技術と人間生活の関わり、もうすぐ先にある未来を扱っている。「カフェ・コッペリア」は高度なAIとAIのふりをする人間が、チューリング・テストの実験として恋愛相談をするカフェ、「モモコの日記」では隔離された環境での疑似家族、「リラランラビラン」は露店で買ったアロマペット、「エクステ効果」は美容室に導入された新技術、「言葉のない海」は人工授精が一般化した時代でのある秘密、「笑い袋」は家庭用ロボットと家族関係、「千鳥の道行」は芸道小説だが、ここにもロボットが関わっている。特に印象に残ったのは、介護や人とのふれあいといったリアルな問題に、ロボットやゲームやネットといったすぐそこにある技術をからませ、紋切り型ではない切り口で迫った「笑い袋」や、少しミステリ仕立てで、最先端のヘアケア技術という、身近ではあるがあまりなじみのない技術と、その思いがけない効果を扱った「エクステ効果」だ。こうしてみると、科学技術と人間の未来という、まさにそのものずばりのSF小説ばかりである。とりわけ「笑い袋」などは、派手さはないものの、年間ベスト級の傑作だといっていい。


THATTA 249号へ戻る

トップページへ戻る