続・サンタロガ・バリア (第84回) |
せわしさの続く3月、4月で、なんだかなあ、とぼんやりしている内に伊藤計劃が亡くなるわ、バラードが死んじゃうわ、関係ないけどフィル・スペクターが2003年4月に元女優を殺したっていうんで有罪判決を受けてるわ、おまけにSMAPの誰ぞやの裸騒ぎで欲情する警察にウンザリさせられて、つまんないことばかりが目や耳にはいる。わかっちゃいるけどロクな時代じゃないな。
そういうときに見た友人からダビングしてもらったジェフ・ベックのDVDはとっても面白かった。ホントに狭いジャズ・クラブでの連続出演に精魂込めて演奏するベックは魅力的だ。還暦過ぎたベックからすれば孫みたいなベースの女の子が、いつもニコニコしながら細い指でテクニカルなフレーズを弾いているのもカワイイし、「ローリン・アンド・タンブリン」を歌ったイモージェンとかいう背の高い女性ヴォーカルも、昔生で聴いたジェニファー・バトゥンとはまた違った感じでこれも面白かった。
CDでは昨年輸入盤が発売されて今年になってSHM-CD版で国内版が出たIt Bitesの『ザ・トール・シップ』が拾いもの。80年代プログレの救世主だったらしいが、名前は知ってても1回も聴いたことがなかった。解散後はメンバーがジョン・ウェットンのバックバンドなどにいたらしい。一聴、地味ぃーなアルバムだが、ちょっとイエスを思わせるようなコーラスやリズム使いで、何回か聴いている内に気持ちが良くなってきた。『CDジャーナル』で湯浅学が「地味で的確で艶のあるロック」と評していたけれど、同感。そのほかソニーがBlu-Spec CDと名付けてSHMに対抗しているシリーズからCDに買い換えていなかったサンタナの昔懐かしい『キャラバンサライ』を20年ぶり聴いてみたら、パーカッションの洪水が素晴らしくて、これって当時のマイルスやその弟子たちとほぼ同志向のジャズ・フュージョンだったんだなあと改めて感じ入った次第。でも2回聴いたらちょっと飽きた。クラシックの方は、職場でアルバイトの女の子とバルトークの話をしていて家に帰って久しぶりに聴いたジュリアード・カルテットの63年録音版の第5番がやはり強烈。すんごい鋭角的な演奏で、弦楽四重奏だけど弦・チェレやオケ・コンが聞こえてくる。バルトークがまだ現代音楽だった頃の演奏なのだ。
この2ヶ月で読んだ本のトップは、面白いけれど読むのに時間がかかった奥泉光『神器 軍艦「橿原」殺人事件』。「橿原」は作中でも説明されているとおり、太平洋戦争の時に建造予定だった「香取」型練習巡洋艦の4番艦。ただし実際は建造中止になったので、そこからすでにフィクション宣言が行われているわけだ。この軍艦は、仕様が士官候補生の練習用なので、まったく実戦向きではなかった。建造された3隻の「香取」型練習巡洋艦の内、2隻が戦没、敗戦時に生き残った2番艦「鹿島」が呉軍港で復員船に改造された後、解体されている。そんな「橿原」が皇国ニッポンを救うため、沖縄特攻に向かう「矢魔斗(!?)」を横目に太平洋に乗り出す。『グランド・ミステリー』に輪をかけたシッチャカメッチャカなお話造りで、殺人事件というものには幾度も言及されるけれども、物語の主眼はわが国の国体と現代のよじれた無国体状態との合わせ鏡を作り出すことに置かれ、、後半は幽霊たちが延々と大議論する。中学出の下士官兵である主人公をはじめとする海軍将兵にはほとんどリアリティがないが、作者はそんなところに意を注いでないので、あまり気にならない。ジャンル横断小説とかファビュレーションとかの類には違いない。ところで「神器」はShinkiと読ませているけれど、一太郎はjinngiじゃないと変換しなかった。
『火星ダーク・バラード』しか読んでない上田早夕里『魚舟・獣舟』は思ったよりずっとよくできた短編集。特に表題作は30ページたらずというページ数からするとよくもここまで世界を定着させたことだなあ、と感心する出来映え。どの収録作も暗い印象をもたらす内容だが、単調な感じは残さないので作者の好調ぶりがうかがえる。書き下ろしの中編「小鳥の墓」も陰鬱な話でありながら読ませる。ただ「小鳥の墓」というタイトルがあまりピンと来ない。作中では主人公の表白にもなっている言葉だが、作品のテーマと外れているような気がする。
チャールズ・ストロス『アッチェレランド』は、代表作といわれるだけあって、やたらと長ったらしい。こんな云い方をするのは、当方に経済至上主義やファミリー・クロニクルに大して思い入れがない(マルケスみたいになれば話は別だが)せいで、そこに主軸を置いて物語が展開しているかぎり、SFとしては保守的な感じがして仕方がないからだ。損得勘定や経済合理主義なんて人間の意識が生み出す幻想の一種に過ぎないと思っているし、ファミリー・クロニクルで本当に面白いものを書こうとするなら、ストロスのスタイルでは満足のいくものは書けないと思う。おまけにシンギュラリティはもう古いのか。と、ここまで貶しておいて、なんだけど、それでもストロスのSFは人なつこい面があって結構好きなのである。
ストロスをだらだら読んでいる間に、あっという間に読めたのが、金原瑞人『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』。まあ、読みやすい文体で、それほど面白い内容とは思えないのだが、やたらと調子のいい文章が続くので、すぐに読み終わってしまう。文学部じゃない文章教室みたいなものが、金原瑞人という個性の下で見事に機能するわけだが、この文章を読むとそれも当然かと思わせる。
奥泉とストロスで時間を取られたので、久しぶりのおやつ清水マリコ『Hurtless/Hurtful ハートレス/ハートフル』を読む。ほとんどオリジナリティのない設定とプロットだけれど、清水マリコを読む幸せはそんなところにはない。清水マリコのパワーはライトノベルやエロゲー・ノヴェライズといった強い枠の中ではじめて全開になる。一般小説として発表された『日曜日のアイスクリームが溶けるまで』があれほど弱々しかったのは、今にして思えば枠のありようが全然ちがうところでそれまでの枠の中で展開してきた話を正直に書いてしまったところにあったのだろう。今回はノヴェラ並の長さということもあって、ちょっと食い足りないけれども、清水マリコの想いの健在なことは確認できた。
なんだか万城目に話題を掠われているように見えだしたモリミーだけど、森見登美彦『恋文の技術』を読めば、『太陽の塔』以来の狭い森見ワールドが、いかに狭いままで拡がりを獲得しているかよくわかる。ライトノベル時代の文人たる所以を手紙の文体探求に擬してみせるスチャラカな立派さは、我が道を行くしかないモリミーの苦しさと楽しさを浮き彫りにする。毎回楽しみが裏切られないという点でも大変なことだが、そのうち飽きが来ることがあるかどうかはわからない。
ここのところ読んでなかった小松左京賞受賞作だが、森深紅『ラヴィン・ザ・キューブ』は短くて分かりやすく、ヒロインの悩みにそれなりにリアリティが感じられるところがミソな作品だと思わされた。少女型ヒューマノイド開発プロジェクトの変人(天才)エンジニア3人をまとめるプロジェクト・マネージャとなったヒロインは、それなりに興味深く描かれていて、プロジェクトそのものの怪しさを説明する手際もいいんだが、天才エンジニアや大物会長などの(性転換も含む)男たちのキャラ造りがあまりにも型どおりでちょっと鼻白むところがある。基本的に長い話になるネタを短くしすぎた感が否めない。まあ、こぢんまりまとめたところにわかりやすさがあったのかも。ノヴェラ・タイプの一作。