内 輪   第224回

大野万紀


 何だか世の中の動きが気持ち悪い今日この頃です。それぞれ個々の行動は間違っているとはいえないし、そんなに変でもないのに、積み重なると何かがおかしい。そしてちょっと怖い。政治にしても、経済にしても、事件や報道にしても。ネットもマスコミも。これが不全世界というやつでしょうか。シンギュラリティじゃないけど、そのうちどこかで特異点を越えるんじゃないかと気になります。
 根拠があるわけではありませんが、おそらく数年後、アナログテレビが停止された後、20世紀が本当に終わって、21世紀が始まるのだという気がします。毎日テレビを見るという人が少なくなって今のラジオと同じ感覚になり、新聞や雑誌などもさらに少数派のものとなり、マスメディアが力を失い、マンガやアニメ、そしてゲームもセグメント化が進み、それらに取って代わるものも今の形のグローバルなネットではなく、色んなフィルターがかかって、もっと狭く閉じたものとなる。そんな21世紀。ぼくら20世紀後半人間にはよくわからない時代が、そろそろ見えてきたような、そんな予感があります。そういう時代のSFは、一体どのようなものなんでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『アッチェレランド』 チャールズ・ストロス 早川書房
 ストロスの〈シンギュラリティ〉ものとしては一番〈ハード〉で、まともなSF。でも、お堅い小説ではなく、スラプスティックというか、マンガっぽい(わかる人だけ笑ってくれればいい的な意味で)オタクなSFである。「アッチェレランド」というのは音楽用語で「次第に速く」の意味。音楽用語って「アンダンテ」とか「アレグロ」とか、少ししか知らないので、初めは何か土地か国の名前かと思っていた。アホです。『シンギュラリティ・スカイ』にはどちらかというとおとぎ話的な雰囲気があったが、こっちはしっかり本格的にシンギュラリティを扱っていて、力が入っている。ほんの数年後の世界から始まる第一部は、かなりわかりにくくて、ちょっとどうしようかと思ったが、少し慣れると(読むコツがいるように思う)面白くなって、ぐんぐん読めた。全体に、コンピュータ・ナード(オタクというより、ネットでいう「神」みたいな雰囲気)の内輪ネタが繰り広げられ、はっきりいってギャグが空回りしている感もある。主人公のフリーなコンピュータ・ナードの天才はマゾ男だし、その彼女(後で敵となる)はサドの女王様だし、電脳空間にアップロードされる最初の知性はロブスターだし、狂言回しは知性あるネコ型ロボットだし。第二部もそんなに未来ではないのだが、すでに土星に帝国ができるまでになっていて、その女帝はまだ10代の美少女とくる(作者はきっと日本アニメのファンだぞ)。あんまり遠い未来じゃない(実はまだ21世紀なのだ)ためか、出てくる用語がルータとかDMZとか帯域幅とか、今の企業のネットワーク管理者が悩んでいるような言葉(もちろん意味はすごく拡大されている)が多用されるのが楽しい。この辺もちょっと仲間内ギャグが入っているなあ。そして第三部がいよいよ〈シンギュラリティ〉後となるのだが、このあたりの雰囲気はジョン・C・ライトの〈ゴールデン・エイジ〉シリーズみたいで、何かテンプレートがあるのだろうか。全体にスピード感、高揚感、オタクっぽさ、本格SFのスケール感もあって、ぼくとしては堪能できた。この手のSFは大好きです。いわゆるワイドスクリーン・バロックではないが、現代のワイドスクリーン・バロックはこんな感じになるのではないかな。〈シンギュラリティ〉とフェルミのパラドックスとの関係とかも、なるほどと思えた(ただ、ワームホールで銀河系中がピア・ツー・ピアにつながるような世界で、ローカルな帯域幅がそれほど致命的な問題なのかという気もするが)。これだけの満腹感があって、あんまり分厚くないのも良い。誰にでも勧められる話ではないのだが、ぼくとしては大満足でした。

『臓物大展覧会』 小林泰三 角川ホラー文庫
 ホラーの短編集。プロローグとエピローグ、書き下ろし2編を含む12編が収録されている。しかし、タイトルからも想像できるように、血と臓物がぐちょぐちょなグロ描写がたっぷりで、しかも感覚的にとても痛い話が多くて、要注意。ホラーだけど、怖さより痛さがきつい。特に「透明女」とか「攫われて」とか。ストーリー的にはむしろコメディというか、ブラックな笑いの要素も大きいのだが、少なくとも食事中には絶対読んではいけません。超自然的な話ばかりでなく、SFもある。「SRP」は『ΑΩ』みたいな特撮ものパロディのノリがあり、「造られしもの」はロボットもの、そして「悪魔の不在証明」はほとんど論理のみの戦いの話で、数学SFに近い雰囲気がある(話としてはミステリだけど)。いずれも面白いのだけれど、これまた軽々しく人には勧められない本だよなあ。

『地を這う魚 ひでおの青春日記』 吾妻ひでお 角川書店
 3月に出た自伝マンガ。北海道から上京し、漫画家のアシスタントをしながらデビューするまでのころ、同じ北海道出身の仲間たちと武蔵野荘というアパートに集まってわいわい青春していたころの、何というか60年代末から70年代にかけての若者たちの、四畳半的な雰囲気あふれる(でも温度は低い)物語。ぼく自身でいえば中学から高校時代にあたり、しっかりCOMを読みふけっていた時代なわけで、数年違いではあるけれど、ほとんど同時代な懐かしさというか、何とも言えない感慨がある。ただ物語は本当にリアルな、漫画家の卵たちの、おバカで哀しくてせつない、夢と不安と現実とがぐるぐるする、痛々しくもどこかのほほんとした日常生活の、少し醒めた視点からの描写なのだが、その絵が、絵が……。そうだ、これこそ吾妻ひでおだよ。様々な動物や、機械や、のた魚っぽいのやクルムへトロジャンっぽいのや、しっぽがないのや、なんだかわからないのや、美少女や、そういう物の怪たちがいっぱい。それらは青年吾妻ひでおの心象風景であると同時に、20世紀後半の時代の風景であり、他の人々の日常とは少しずれを感じていたぼくらの見ていたものなのかも知れない。

『プリンセス・トヨトミ』 万城目学 文藝春秋
 日本国に秘密裏にその存在を認められた大阪国があり、そこに使途不明な国の金が流れている。そこで会計検査院の監査が行われることになり、敏腕の副長、ハーフの美女、調子のいいダメ男の3人の調査官が大阪を訪れる。そして、これまで平穏に続いていた大阪国の眠りを35年ぶりに覚ますことになる。35年前とは違い、今度は大阪国のプリンセス(不良の顔面に飛びけりを喰らわすような女子中学生なのだ。じゃりん子チエというか、ひらめちゃんの雰囲気)が危機に陥ったことによって、ある5月の末日、数百万の大阪国民が立ち上がり、大阪城を包囲する。大阪が全停止する! という疑似イベントSFというか、ファンタジー。ある面とってもリアル(実在の地名や組織がバンバン出てくるし、風景や情景の描写も細やかで素晴らしい)だが、別の面(大阪国という存在はさて置いても)ではすごく荒唐無稽(何しろ男だけが知っていて大阪のおばちゃんらは何も知らないという設定……最後にフォローはあるが……が、ありえへん。知っていて何も言わないという設定はさらにありえへん。大阪のオバハンらが、こんなオモロイ話を黙ってられるわけないがな)。ぼく自身、大阪城を毎日窓から眺められる職場に働いているので、本書の克明な描写には、思わず実際に現地を歩いてみたくなる。しかし、会計検査院って、マルサとどっちが強いんだろう。この会計検査院の3人組がとても魅力的だ(大阪側のキャラクターはちょっと弱い)。もし同じキャラクターで続編が書けるなら、今度はぜひ京都と戦ってほしい。大阪よりずっと手強いで。

『不全世界の創造手』 小川一水 朝日ノベルズ
 元の朝日ソノラマだから、ジュヴナイルというかライトノベルというか、そういう路線ではあるのだが、主題はというと、個性的な人の手による物作りの楽しみを押しつぶそうとする生産性・効率化・何でも世界標準に合わせることを強要するグローバリズムへの嫌悪感。それと、自己増殖するフォン・ノイマン・マシンによる、この世界の改造というところ。キャラクター的には、機械作りに天才的な才能をもち(何しろ小学生で自己増殖する機械を組み立ててしまう)、さらにこの世界の不全さに怒りを抱き、でも女の子の感情などさっぱりわからない職人気質の頑固親父みたいな少年と、逆にとても軟派で、難しいことは嫌いで、女性にはとても積極的、やたらと陽性なイケメンで、それでも主人公を支える親友、そしてもちろん、ちょっとロリな美少女で、超のつく大金持ちで、ほとんどというか完璧にオカルト的超能力でもって物事の成長性を見抜き、投資する、そして主人公に対してはちょっとホの字で純情・奥手なヒロイン。とまあ、いかにもなキャラクターたち。だが、どうしたわけか作者はそのキャラクターたちをあまり深めようとはしない。どうも興味はそこにはなさそうだ。主人公たちの作るマシンが、ナウル共和国の荒れ地を整地して湛水池を作ったり、ウズベキスタンでアムダリア河の流量を回復する工事をしたり、バングラデシュで洪水を防いだり、そしてあのソマリアで……。このように、実在の国や政治情勢がそのまま扱われており、そんな世界を変えたいという「気分」が痛いくらいに描かれている。その分、ストーリーは単調であんまりドラマチックでもない。またマシンについても、これだと魔法のナノマシンとさほど変わらないように思う。小説としては正直なところもう一つ力足らずといわざるを得ないが、世界に対峙する眼差しには作者独特のものがある。


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