京都SFフェスティバル2022レポート

大野万紀


 今年の京都SFフェスティバルは本会が10月15日に、いつもの京都教育文化センターでコロナ禍以後3年ぶりに、リアルの対面式として開催された。合宿は昨年と同様、DiscordとZoomを併用するオンラインで、翌日10月16日の夕方から開催された。
 久々のリアル京フェスだったが、当初オンラインでの申込みを制限していたこともあってか、さすがに参加者はいつもより少なく、学生らしい若い人が大半だった。常連の年寄りはぼくも含めて数人しかおらず、わしらが平均年齢を押し上げとるなあと苦笑いした。オンラインでも同時開催されていたので、ほとんどの人はそちらで参加していたのだろう。
 それでもこういう会を、慣れない人も多いだろうに学生スタッフさんがきちんと運営していくのは、継続性という面からもとても素晴らしいことだと思う。不手際もなく、ちゃんといつもの京フェスになっていた。
 以下は、記憶に頼って書いています。もし間違いや勘違い、不都合な点があれば、訂正しますので連絡してくださいね。

 午前の部最初は、海法紀光さんの「がっこうぐらし!余話 〜ゾンビとコロナと日常物〜」
 案内やレジメでは海法さんの名前しかなかったが、実際には「SFツッコミ係」として作家・ゲームデザイナーの芝村裕吏さん、作家・ゲームシナリオライターの重馬敬さんも出演された。写真は左から芝村さん、海法さん、重馬さん。こんな写真が撮れるのもリアルだからですねえ。
 話は「がっこうぐらし!」を離れてあちこちに飛び回る。みなさんの蘊蓄がとても楽しい。基本はやはりゾンビものは小説や映画でどう扱われてきたかということ。吸血鬼ものとの親和性。そもそもゾンビものはSFか、という問いに、少なくとも1950〜60年代くらいからはSFといっていいと芝村さん。リチャード・マシスンの『地球最後の男』(1954)が、出てくるのは吸血鬼だが、その後のゾンビ映画に大きな影響を与えている。
 海法さんによればゾンビものには「オカルトゾンビ」と「科学(SF)ゾンビ」がある。1930年代のゾンビ(映画『ホワイトゾンビ』(1932)など)はブードゥー教をもとにしたオカルトゾンビ。それはミイラものと同型で、ミイラそのものは悪くないのだがそれを操る悪者がいる。重馬さんがミイラの呪いって感染症的だと指摘し、海法さんはジョージ・ロメロのゾンビ(映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」1968)も、原因そのものは明確にされておらずオカルトゾンビの系譜をつぐが、噛まれるとゾンビになるところは感染症的だという。
 そこで「がっこうぐらし!」の話。芝村さんはウイルスと細菌の違いについて指摘する。死体でウイルスは増殖しないので、ゾンビに感染するのは細菌だ。海法さんは、だからゾンビは放っといたら腐る。そのうちゾンビエネルギーが無くなり、互いに食い合って減ってくる。それだとゾンビは自然消滅するのでハッピーエンドになるが、それじゃ困る。そこで出てくるのがオカルトパワーだ!
 芝村さんがそのオカルトパワーはどこから来るのかと聞くと、海法さんは、実はスティーブン・キングの『ダーク・タワー』から来ているのだという。つまり異次元からの侵略ですね。その電波を受けてキングは様々なホラー作品を書いた。「がっこうぐらし!」の世界ではキングもロメロも早くに亡くなっており、そのため「ゾンビ」という概念も普及していない。この世界にはゾンビ映画はないのだ。そこで芝村さんが「新ガメラ(平成三部作のことですね)」みたいだと突っ込む。亀の存在しないガメラ、ゾンビの存在しないがっこうぐらし。ゾンビ映画がない方が亀がいないよりマシだと海法さん。
 そしてコロナの話へ。「がっこうぐらし!」はコロナ前に書かれたが、コロナ後で何か変わったか。ここでもマスクの話やトイレットペーパーの話などとても面白かったのだが、メモが追いつかなかったのでパス。コロナで人間のやることはアニメと同じだと思ったとか、力の強い者が必ずしも生き残るわけではないとわかったとか、色々と興味深い話がありました。
 他にも、ゾンビは動きが緩慢なので的になりやすい。そこで最近は高機動ゾンビが増えてきているという話や、オカルトゾンビと科学ゾンビがあったが、今は科学ゾンビが主流。それはオカルトで解決すると人間は何もできない存在となるが、科学で解決すると納得できる。キョンシー映画がアメリカで流行らなかったのも人間が解決できないため、といった話も面白かった。
 それにしても、朝から大変にパワフルでマニアックな話が炸裂して、楽しい時間が過ごせました。出演者のみなさん、ありがとうございます。これぞ京フェスですね。

 午後の部の最初、、2コマ目は太田祥暉さん「ライトノベルの中のSF」
 ゼロ年代中盤からのライトノベルの中でSF作品はどう扱われ変化してきたかを探る企画。年代順にその潮流を示すスライドをもとに、わかりやすく説明された。
 とはいっても、ぼく自身はライトノベルの知識に乏しいので、これは水鏡子がいれば良かったなと思った。
 まずゼロ年代中盤、谷川流『涼宮ハルヒ』、秋山瑞人『UFOの夏』、上遠野浩平『ブギーポップ』など、SFにライトノベルの作家が越境してきたという。桜庭一樹が直木賞を取ったり、筒井康隆がラノベを書いたりと、SFライトノベルが注目を浴びたが、ゼロ年代後半からはそれが下火となる。
 2006年以降、ゼロ年代後半からのSFライトノベルとして、太田さんは独自にサブジャンルを分け、以下のような作品を挙げてその傾向を語る。
 宇宙ものでは長谷敏司『ストライクフォール』、牧野圭祐『月とライカと吸血姫』があるが、注目されるのはこの2作品くらい。どちらもガガガ文庫で、ガガガは他のライトノベルレーベルが転生ものに注力している時に、独自性が目立った。
 セカイ系のゆくえとして、本田誠『空色パンデミック』、岬鷺宮『ひよりちゃんのお願いは絶対』を挙げる。映画『君の名は』などが薄く知っているという層に向けて、あくまで青春ラブストーリーとして売り出したように、セカイ系ということをキャッチコピーにはしていないとのこと。
 AI、シンギュラリティものはそれなりに数が出ている。うえお久光『紫色のクオリア』、松山剛『雨の日のアイリス』(これはエポックメイキングな作品だった)、長谷敏司『BEATLESS』などがある。
 VRMMO、フルダイブ型VRものは、今一番売れているジャンル。川原礫『アクセル・ワールド』、『ソードアート・オンライン』、橙乃ままれ『ログ・ホライズン』、丸山くがね『オーバーロード』など。『ソードアート・オンライン』が売れて色々な作品に影響を与えた。VRMMOを題材にしていたが、その後は異世界転生の要素も取り入れられている。
 アクション/ロボット/特撮もの。弓弦イズル『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』、水沢夢『俺、ツインテールになります。』、天酒之瓢『ナイツ&マジック』など。何というか、ハーレムものにSF要素を加えた作品が多いそうだ。
 退廃世界もの。田中ロミオ『人類は衰退しました』、萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』など。単発作品が多いとのこと。打ち切りになった作品もある。
 ディストピアもの。かじいたかし『僕の妹は漢字が読める』、赤城大空『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』、安里アサト『86-エイティシックス-』 、瘤久保慎司『錆喰いビスコ』 など。とりわけ『エイティシックス』と『錆喰いビスコ』は重厚な世界設定とキャラクタの魅力があり、SFライトノベルとしてお勧めだということだ。
 青春SF/タイムリープもの。これが一番数が出ている。河野裕『サクラダリセット』、庵田定夏『ココロコネクト』、長月達平『Re:ゼロから始める異世界生活』、鴨志田一『青春ブタ野郎シリーズ』、木緒なち『ぼくたちのリメイク』など。ただSFガジェットを中心に描けたのは最初くらいで、それ以後はSF要素よりラブコメや異世界転生が中心になるという。その中で『ぼくたちのリメイク』はIFを描いて一番尖っている作品だとのこと。
 結局のところ、SFを扱っていても、それは異世界ものやラブコメに溶け込んでいき、セカイ系以後は青春ラブコメやハーレムもの、異世界ものにSFギミックが入っているような状態であるということだった。まあそういうものなんだろうな。

 午後の部3コマ目からは、対面式とはいうものの、出演者は会場のスクリーンにzoomで参加するという、SF大会と同様の方式だった。この方式では出演者の生な様子はわからないが、会場にいる参加者の反応は目に見えるというわけで、それなりに面白かった。

空木春宵さん 斜線堂有紀さん

 3コマ目は、「空木春宵×斜線堂有紀 対談 〜「痛み」を描き続ける理由〜」
 お二人は『異形コレクション』や『2084年のSF』などのアンソロジーに同時に収録されたというつながりがあり、これまでお互いに密かにライバル意識があったとのこと。その初対談である。
 二人の作品に共通している要素に「痛み」がある。それも肉体的な苦痛を伴う痛み。
 斜線堂さんは、私は痛々しいものを書く。『異形』に書いた「ドッペルイェーガー」は空木さんの「地獄を縫い取る」と同じテーマだという。空木さんがそれは「加虐/嗜虐」的なものかと聞くと、作品を書くときには自分の中にあるそのようなものを、肯定してもいい、生きてもいいよねと思っているとのことだ。
 空木さんは痛いのが苦手で、テーマ的に必要だから書くが、それは自分のものではないという。
 斜線堂さんはそれに対し、私は洋物のホラーが好きで、ゴア系の描写を意識しているとのこと。自分の中でゴシックは古き良き見世物小屋のようなものだと。
 見世物小屋感覚は良くわかる、と空木さん。グロ描写、ゴア描写を増やそうとは思わないが、アイデアでは負けたくない。
 斜線堂さんは、『2084年のSF』で、空木さんの「R__R__」と斜線堂さんの「BTTF葬送」が同じテーマを描きつつ、「R__R__」の”二重思考”が小説でこんな書き方が出来るのかと驚いたそうだ。未来のことを書いているのに過去を同時に書いている。
 空木さんが、やりたいことが似ているのかも。斜線堂さんの作品には毎回やられたと悔しく思っているといえば、斜線堂さんは空木さんの「メタモルフォシスの龍」が、SF的奇想と強い感情と、さらにミステリ的なサプライズもあるカンペキな短編だったので、やられたと思ったと返す。空木さんは、あの時は歯が痛い、爪がはがれたといったことがあって、自分が変なものに変わるかもという恐怖と、それが人には伝わらないという感覚があった。最初はロードノベル的に書こうとしたが、コレは違うと思って書き直した。主人公も最初は普通の女の子だったという。
 ロードムービー的な、どこかへ行きたいという思いは残っていますね、と斜線堂さん。そして他人には伝わらない痛み。
 斜線堂さんの作品では痛みと変身がセットになっているのでは、と空木さんが聞くと、痛みを何かの対価として描きがちだが、もう一つ痛みは理不尽で他と分かち合うことはできないという感覚もあって、その辛さに対する祈りが変身なのかも知れないと斜線堂さん。
 斜線堂さんの小説には「寄り添う」という要素が大きく、一般的な倫理で断罪するのでなく、そこに寄り添う辛さが描かれている、と空木さん。斜線堂さんはこの話を読んで共感してくれる人が救われて欲しいという思いがあるという。
 プロットの立て方などの話(斜線堂さんは一応立てるが普通はラストまでは考えない。空木さんは全く立てないとのこと)のあと、痛い話に対する救いについて。
 空木さんは、斜線堂さんが自分と大きく違うのは、ひどいことはひどいまま終わる。それだけはやって欲しくないということがまんまとそうなってしまう。そこに救いは求めないのだろうか、と。
 斜線堂さんはそれに対して、救いのない物語こそ、メタ的な救いだと。お化け屋敷のように、怖いままに終わることこそがそうだと考えている、とのことだった。
 ここでは書き切れないくらいの丁々発止の対談でした。そうか、空木さんはあんな話を書いていて痛いのは怖いのか。面白かった。

 本会の最後は「坂永雄一×春暮康一 生物学SF対談」
 顔見せはなく、スライドを表示しつつお二人の得意とする生物学とSFについて語られた。
 まずは何から生物学SFに興味をもったのかという話。坂永さんはドゥーガル・ディクソン『アフターマン』 や柳田理科雄『空想科学読本』シリーズなど。春暮さんも『アフターマン』の、架空の生き物に科学的外挿を加えていくのが子どもにも面白かったという。恐竜も恐竜人間やドラえもんの映画が面白かった。『空想科学読本』の、荒唐無稽なものに無理やり理屈をつけるのは、自分の中に残っていると。
 次のスライドは「生態系エンジニアリング」の話。環境を改変することは全ての生物がやっていることではあるが、そこに焦点を当てて見る。
 具体的には、ダムを作って水に暮らす生き物に影響を与えるビーバー、キノコと共生するハキリアリ、巣穴を作って他の動物にも流用させるプレーリードッグ、そして海の藻類はイオンを発生させて空に雲を作る。太古に光合成を始めて地球環境に酸素を満たした史上最大の環境破壊者、シアノバクテリア。
 坂永さんの作品「無脊椎動物の想像力と創造性について」ではクモの糸が作り上げる壮大な生態系が描かれ、春暮さんの「オーラリメーカー」では生物が惑星軌道まで変えてしまう。
 他の作家による生態系エンジニアリングの例としては、八木ナガハル「蟻の惑星」、ハル・クレメント『窒素固定世界』、円城塔「beaver weaver」などを紹介。とりわけペンネームの由来ともなったハル・クレメントについて春暮さんは、昔シアノバクテリアがやったことを、今度は酸素をなくすためにやっている。現実の窒素固定は還元的でアンモニアに変えるのだが、ここでは直接窒素酸化物に変えている。入手しにくいが好きな作品だとのこと。
 次に坂永さんが自身の「無脊椎動物の想像力と創造性について」を生態系エンジニアリングの観点から詳しく語る。まずクモの糸が面白い。汎用性があり、様々な応用がきく。クモ糸はクモ自身では無いが、クモの体から作られるものであり、遺伝子の表現型ではなく、個体を超えた「延長された表現型」(リチャード・ドーキンス)だといえる。分解しにくいので惑星規模の環境激変へもつながる。この作品で、クモは知性を持っていない想定だが、クモ糸を通じて通信し、全体としてネットワークを形成する。春暮さんはそれが脳のニューロンとシナプスの関係を連想させて面白いといい、坂永さんは巣が知性を持ったり、女王がいるという発想ではなく、クモの糸のネットワークが全体として意味をもつと考えたという。
 次のスライドは「ガイア仮説」と「メデア仮説」。負のフィードバックループであるガイア仮説は恒常性を持つが、正のフィードバックループであるメデア仮説は自滅へと向かう。以下は春暮さんと坂永さんの対談より。
 ガイア仮説は目的論的なので進化の中では起こりにくいが、メデア仮説はスノーボール・アース(地球の全球凍結)として実際に起こったことがある。でも生命とは無関係な火山活動のおかげでわれわれは生き延びることができた。
 生態系の炭素量は実質的に生物の量であり、炭素循環の問題がある。クモの糸は分解しないので地球上の炭素がクモの糸になってしまうとサイクルが閉じて自滅する(メデア仮説)。
 地球上にはわずかしかない炭素を生物はかき集めて行く。人類が何もしなくても生態系は長期的には痩せ細っていく運命にあるのだ。中期的には生態系の冗長性で安定させられるとしても、大スケールで考えると、目的論的な知性の介入が必要だろう。
 春暮さんの「方舟は荒野をわたる」では生態系がガイア仮説を具現化し、生態系そのものが進化するとしている。
 最後のスライドは「地球外生命のあり方」として、非地球型生命の存在可能性、人類以外の知性のあり方、生命と知性の関わりについて、SF作品を例に考察する。
 炭素型の生命は反応が豊富なので存在しやすいが、珪素型生命は炭素循環的な問題は発生しにくく、何億年も存在できるので、むしろ宇宙での生存数は多いかも知れない。
 人類以外の知性は人類に理解できるかという問いに対して、進化ゲーム理論というものがあり、数学が普遍的なものであれば進化上の戦略も普遍的なものであり、多少なりとも理解できる可能性があるとのこと。
 こういった問題を考察したSFとしては、レムの『ソラリス』(理解出来ないものとしているが)をはじめ、ピーター・ワッツの「島」や『ブラインドサイト』、スターリング「巣」などが挙げられていた。
 結論として、現実の生物や生物学がSF的に見ても面白く、人間スケールの生態から惑星スケールに、さらに宇宙にまでマクロに拡大できる想像力の媒介となるのでは、ということだった。
 非常に刺激的で面白い話が多かった。二人にはこんなSFをもっと書いてほしい。

 今年の合宿企画は16日(日)の夕方からオンラインのみで開催。ぼくは結局SFファン交流会だけ参加した。

SFファン交流会「編集者小浜徹也をもっとよく知る14の質問」

 10月のSFファン交流会は10月16日(日)に、「編集者小浜徹也をもっとよく知る14の質問」と題してオンラインで開催されました。出演は、東京創元社の編集者、小浜徹也さん。とはいえ、京フェス40周年の合宿企画とくれば、第1回からずっと京フェスの顔として活躍されていた、そちらの顔が注目を浴びるのも当然でしょう。
 写真はzoomの画面ですが、かっこいい仮装背景を後ろに、何だか貫禄がありますね。
 もともとの企画では14個の質問をぶつけてその答えをもらうということだったようですが、企画時間が1時間しかなかったことと、何しろ小浜さんがとにかくよくしゃべることから、途中で質問形式は破綻したようです。以下、小浜さんの話を中心に聞き取れた内容をレポートしますが、とにかく早口で話題がぽんぽん飛ぶので、こっちの頭がついていけないことが多く、だいぶ省略されていることをご承知おき下さい。
 質問1「京フェス1回目の想い出は?」:大森望らと京大でもSFセミナーやろうぜとなった。でもSFセミナーじゃなく、自分らのイベントとしてやらなくてはいかんといわれ、大森望が実行委員長になって第1回をやった。浅倉さんが来てくれたのが印象にのこっている。KSFAはがんばれとだけ言っていた。帰りに牧眞司が、じゃあ来年もねといったので続くことになった。
 質問2「京フェス40年で印象に残っていることは?」:岸場(かつての「終身」実行委員長)のキャプテンパープル音頭。
 質問3「京大SF研時代の小浜さんはどんな人だった?:けっこう面倒な人間だった。隣り合わせにゼネプロがあって小説を読むのは少数派だった。さらにマイノリティが翻訳SFをやる。それがカッコイイと思っていた。プロの真似事がかっこよかった。
 質問4「面白かったファン活動は?」:そのころ(海外SF&ファンタシィ情報誌の)「ぱらんてぃあ」が創刊された。大森望が手書きの「ぱらんてぃあ」を手に入れ「京大SF研にも送って」と手紙を書いたら、それが山岸真。中大にすごい人がいると聞いて連絡したのが中村融。そのころはとにかくお手紙を書く。SFMで見ました、お送り下さい、いくらですかと往復ハガキを出す。
 質問5「いつからSF編集者になろうと思った?」:編集者の募集があったのが創元だった。大森に聞いた。ハヤカワに比べて二流意識があったが、ハヤカワを目標にすることができたのでそれが良かった。
 質問6「手がけた本で一番心に残っているのは?」:アシモフをやれといわれたのが最初かな。一番売れたのはクラーク『イルカの島』。後に残るのはイーガン『万物理論』。日本作家は短篇集を出すようになったのが思い出深い。
 質問7「プロの編集者として大切にしていることは?」:10年くらい前まで一人でやってたから気が楽だった。パッケージングが翻訳ものでは全てで、そこを大切にしている。もっと大事なのは出版界の中で俺たちは何をしようとしているのかという志だ。
(以下、質問形式はついに破綻)
 翻訳のタイトルは8割方は編集者がつけている。タイトルをつける能力が重要。下手な人が多いのは新人賞のタイトルを見ればわかる。
 思い出のタイトルは『時間衝突』。大森があれは時間が衝突するから『時間衝突』でいいと言われてそうだなと。『宇宙消失』は思いついて山岸にいうとびっくりしていたが、その後でそれはいいということになった。『時間衝突』が漢字4文字タイトルの元祖だ。
 鏡明が『宇宙消失』なんてタイトルが出てくるのは嘆かわしいと書いていたが、これはありがたかった。大先輩にそう言わせたんだと。
 俺はイーガンは虚無的なので好きじゃない。レムもすごいなとは思うが好きでないのと同じ。短編はいいのだが長編は人間的じゃなくて好きじゃない。
 新しい翻訳は石亀にやらせているので小浜がやっているのは訳し直しの新訳のみ。日本で出てないが海外で人気の作品を橋本は紹介しようとしているが、小浜は日本で受ける小説を出したい。グローバリズムより日本でしか売れないホーガンとかレムとかのように。
 賞を取るには知り合いになること
 入社試験は無茶苦茶だった。作文を書かされた。10行くらいしか書かなかった。試験問題を小浜が作ったときは受験者に面白かったと言われた。
 (東京創元社の廊下には未発表原稿の山があるというのは本当か?という質問に)廊下には確かに原稿が山になっている。
 (好きなアニメは?という質問に)アニメは見ないからな。見ないといけないものもあるんだが、タイトルを忘れてる。(大森望さんから「シュタインズゲートだろ」とツッコミが入る)
 世代的にはヤマトかな。出渕さんの司会をやったのが印象に残っている。
 (これからやりたいことは何か?という質問に)コミュニティが好きなのでゲンロンとか行っているが、一番には編集者を育てたい。
 作家を目指す人にどうアドバイスしてあげられるか。出版社に在籍しなくなったときどこまで有効にできるか。プロデューサーではなくディレクターだろうがそれが何をやるのか。
 音楽業界で小室哲哉が原盤権をもつようになって激震を起こしたようなことが出版界でもおこるか。
 業界がシュリンクしており男子一生の仕事にはできないだろう。一人出版社でもそれで品質をどう確保できるか、いつまで続けられるか。
 いくらでも、5時間でもしゃべれるよ。新しい人はオールドメディアのことは気にしないでやってほしい。
 ……とまあ、こんな感じで充実した(充実しすぎか)1時間でした。お疲れ様でした。
 次回のSFファン交流会は11月19日(土)に「2020年代のSF自主出版とファンジン」と題して橋本輝幸さん(Rikka Zine主宰)、甘木零さん(「Sci-Fire」責任編集者)、 岡野晋弥さん(「SFG」代表)、井上彼方さん(Kaguya Planetコーディネーター)をゲストにオンラインで開催される予定です。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを堪能しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。

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