京都SFフェスティバル2016レポート

大野万紀


 第35回となる今年の京都SFフェスティバルは、10月8日(土)〜10月9日(日)に開催された。場所はいつもと同様に本会は京都教育文化センター、合宿は旅館さわや本店だ。
 金曜に思いついて、京フェス合宿の突発企画で水鏡子になろう系を語らせようと、電話をしたがつながらず。後で聞くと、きのうから大阪のホテルに(株主優待で無料で)泊まっていたそうな。今日は雨模様だったが、朝9時には京都へ向かう。着いたのは11時過ぎで、すでに1コマ目は始まっていた。受付で水鏡子に会ったのでなろう企画の話をし、了解をもらう。一応THATTAのみだれメモを印刷したものを資料として渡す。このあとWEBのなろう系も読んで、もう800冊になっているそうだ。
 以下は、記憶に頼って書いています。もし間違いや勘違い、不都合な点があれば、訂正しますので連絡してくださいね。

 始まっていた1コマ目は「海を渡るSF」。藤井太洋さん、ワシントン真澄さんに、石亀航さんの対談だ。藤井さんによると、中国のSF作家たちが、ヒューゴー賞を取ったケン・リュウは国宝級の存在だといっていたそうだ。本人の作品だけではなく、中国SFの翻訳も含め、たった一人でもしっかり動いて活躍する人がいれば、それで状況は変わるのだと実感したとのこと。
 ワシントンさんによるハイカソルの話。2009年に創立して七年目。40冊ほど出版したが、流れは変わってきているという。おもにサイトでの情報だが、アメリカ全体で一般文芸の翻訳出版は全体の約3%。これは昔から大きく変わらない。Speculative Fiction in Translationというサイトでは、SF・ファンタジイ・幻想小説として37冊が上がっており、その中には「かめくん」も入っている。日本作家は4〜5作だ。
 日本SF・ファンタジイのアメリカでの受容は、エキゾチシズムによるものか、それともアメリカ的な感性に適合した作品が出てきているためかという問いには、日本SFだからと強調しているわけではなく、やはり普遍的なものとして捉えられているのだろうという。英米人に受けたいと狙っているというより、こんな面白い作品があるよ、すごいだろ、というスタンスで出しているのだ。実際には『ハーモニー』がフィリップ・K・ディック特別賞を受賞したことが大きい。
 藤井さんの作品では『ジーンマッパー』が翻訳され、来年3月には『オービタルクラウド』も出る。藤井さんはそこで、翻訳が出れば向こうの作家と同じように行動しようと考え、ワールドコンに行ってプロモーションし、朗読会を開いた。アメリカの作家は本が出るとあちこちへ出かけてファンと交流している。藤井さんは短編「コラボレーション」の翻訳をWEBジンへ送り、LightSpeedがOKして、7月にViolation of the TrueNet Security Actというタイトルで掲載された。このタイトルはLightSpeedの編集者がつけて、いいタイトルだと得意がっている。これが成功した。Podcastで朗読もついている。毎週1作はフリーで読めて、課金すれば一冊丸ごと電子本で読める。さらにNeil Clarke年刊傑作選にも収録された。とても働き者の短編だ。英語から中国へも翻訳された。
 藤井さんいわく、英語版が出たなら作家はワールドコンへ行くべし!! ウェブジンの編集者、ブロガー、評論家がたくさん来ていてお友達になれる。今や日本SFは、サイバーパンク・ウィズ・ライスと呼ばれているそうな。
 ワシントンさんが紹介していたが、藤井さんはワールドコンへ行く途中のバスの中でもセルフ・プロモーションにつとめ、すぐに知り合いになれる、そんな性格なのだ。バーでケン・リュウっぽい人に出会い、「フジイサン?」と呼ばれた。英語版の『ジーンマッパー』を読んでいたケン・リュウ本人だった。たちまち意気投合したとのこと。藤井さんはアメリカSF作家クラブの会員にもなった。アメリカの商業出版社から一定以上の部数の本を出していれば会員になる資格があるのだそうだ。
 来年のワールドコンはヘルシンキだが、再来年はサンノゼ。ハイカソルもご近所だ。ぜひともこぞって参加してほしいとのこと。ここで時間となり、続きは合宿で、となった。

 昼食はまたいつものからふね屋。オムカレーを食べる。会場に戻って、ロビーであれこれと立ち話。これが楽しいのだ。

 2コマ目は「想像力の現在・AIと描く未来」として、はこだて未来大学の、例の星新一賞でAIに小説を書かせた松原仁さんと山本弘さんの対談。というか、松原先生がほとんど一人で話していた。これがとても面白かった。
 詩や和歌など短文ではすでにAIが書く例がある。そこで小説をAIに書かそうと思い、人が読んで小説として判断されることを目標に、星新一賞へ応募した。応募書類にはコンピュータで書いたものはここをチェックして下さいという欄があり、そこにチェックを入れた。結構な数の応募作にそのチェックが入っていたとのことだが、ワープロで執筆したのでチェックを入れたという人が多かったようだ。
 プロジェクトでは、AIに人狼ゲームをやらせて、その結果のシナリオを人間が作文するというものと、人間がシナリオを書いてAIに作文させるという二つを走らせた。
 ショートショートをAIが作り、それを文学賞に入選させるといのが目標のプロジェクトだったが、、はやぶさの川口さんすら、それはできないとおっしゃった。でもできないという理由がないので、できるはずだと思った。実際、囲碁も将棋も、AIは人間に勝てないとずっと言われてきたのだ。人間の将棋はもう終わり、囲碁もアルファ碁が勝った。人狼知能もまだ弱いが、強いのができたらチューリングテストにパスするだろう。今はまだ自然言語での長い会話はできないのだが。
 東大入試に受かるというプロジェクトでは、2021年の合格を目標としていて、かなり先だが、これは筆記試験が難しい。五つの単語を使って世界史の問題を解くという課題では、私立文系の80%くらいは合格する。どことは名前はいえないが、一部の国公立大学にも受かった。でも東大はダメ。論文には独創性を求められる。数学は満点か0点かになる。物理は図の問題が難しい。図と文章がある問題が難しいのは、「このXXXが」と書かれている「この」が特定できないからだ。その一方、小説を入力して挿絵を出力させるという研究もある。
 ロボカップ2050で人間のチームに勝つという目標は、人間型でなければ今でも勝てる。例えば時速500kmでボールを打ち出せば人間は勝てない。大学が北海道なので、カーリングも研究している。AIが戦略を考えて日本チームを勝たすことが目標。軌道計算はできるが、ロボットには石をほうきでコントロールすることができない。
 AIで小説を書くといったとき、星新一だけでなく小松左京の作品(ショートショート)も調べた。すると『虚無回廊』の続きをAIで書けないかという依頼があった。人が書くより気を遣わなくていいのではということだったが、それは無理というもの。
 星新一作品をシャッフルしてつなげるといくつかは意味の通る作品ができる。学生にそれを読ませて面白いかどうかチェックさせた。ここで山本さんから、面白いかどうかを判断することがAIにできるのか。作家としては面白いものを書こうとする。それがAIにわかるのだろうかという質問があった。松原先生の答えは、小説の面白さは別にして、星さんらしいかどうかについては、それを評価する関数を作ったとのこと。作家は書きたいから書くが、AIは別に小説を書きたいとは思っていないのだ。
 山本さんは、セクサロイドの出る小説を書こうとしたが、アンドロイドがセックスをする、したいとする動機がわからないという。相手を喜ばせることを目的とするのか。
 しかしAIにアプリオリにそんな原則を与えることは不可能で、学習させるしかない。AIには欲望がなく、生存欲も死の恐怖もない。相手の評価を反映させるしかない。せめて自己保存本能をプログラムしておくということを考えたが、一体どうやったらできるのか。
 山本さんは、人間向きの小説ではなく、人間が書かないような小説を書くというのもアリではないか。本当にできるなら、読んでみたいと語る。松原さんは、確かにAIは長い文章が苦手だが、又吉さんと対談の機会があって、又吉さんからも、かえってそんなズレを前面に出すのが売りになるんじゃないかと言われたとのこと。
 山本さんの『アイの物語』のテーマに、AIの行く先は別に人間になることではなく、人間とは別ルートでもいいのではないかということがある。機械は人間のような心を持つのか、人間とは違う心を持つのか。人間にとって役に立つためには人間的な知性を目ざすことになるが、マッドサイエンティストはそうじゃないものを目ざすだろう。子どもAIに、何をアプリオリに与えるべきなのか、それはまだわからない。という結論だった。
 終わってから松原先生に、円城塔の作品について質問した。円城さんが、とりわけ『プロローグ』や『シャッフル航法』でやろうとしたことは、松原さんの研究と同じ方向性があると思ったからだ。松原さんはもちろん読んでおり注目している、以前に講演もしてもらったこともあり、非常に興味を持っているとのことだった。

 3コマ目は「いまこそ、バラード」。これがずいぶん盛況で、立ち見の観客も多かった。出演は柳下毅一郎さんと山形浩生さん、聞き手が大森望さん。しかし、柳下さんと山形さんが京フェスで対談するのは「おかま対談」以来で、20〜30年ぶりだそうだ。
 まずは映画「ハイライズ」について。あんなコメディ仕立てになっていたとは思わなかったとのこと。70年代っぽさを前面に出しているが、70年代にあんなビルはない。あれは70年代に見た未来だ。当時は現代小説のようだったが、それを今、70年代イギリス風に作る、そこに力が入っている。おじさんおばさんが見ると感動する、当時の未来感だ。
 続いて、創元のバラード短編全集の話。柳下さんは監修で、これは訳そう、これは残そうとか決めたという。山形さんは、昔はメリルがすごいというからすごいといっていたところもある。今読むと普通に面白い。柳下さんも、確かに本人もSF好きだといっていたという。大森さんは、わりとバカSFな人だったのでは。「デスノート」の元ネタみたいな話もある。 柳下さんによると、ヴァーミリオン・サンズは結構ギャグっぽくて、「プリマ・ベラドンナ」とか、ひどい目にあってチャンチャンという話が多い。
 山形さんから、バラードといえば内宇宙となるが、どこかそういう転機となるものはあったのか、という質問に、特にそういうこともない。ニューウェーブ作家・評論家という意識があって、そこから後付けで見ている面があるのでは、ということだった。バラードのテーマについて語ると「実はそれは上海の体験が……」となり、それこそが「実は内宇宙」となる。バラードは小説が下手というイメージがあるが、意外とフォーミュラで、オチもあって、少なくとも短編は小説としてうまい。バラードのいう内宇宙は精神世界ではなく、ハードサイエンスに対するソフトサイエンス的なものだ。
 今回のバラード短編全集の表紙は、エドゥアルド・パオロッツイというバラードと仲の良かった人の絵を使った、と柳下さん。ただしミッキーマウスの出てこないものを選んだ。新訳には現代SFシーンを牽引する人にやってもらおうと思った。また野口幸夫訳は救いたいと思った。ここで山形さんが「死亡した宇宙飛行士」は野口幸夫全盛期の一番いい訳だと発言。バラードはテクノロジーが発展すると人間の奥深い内面が噴出するという長編が多いが、短編ではどうか? これに対して柳下さん、大森さんが答える。
 短いものは普通のアイデアストーリーが多い。「死亡した宇宙飛行士」や長めの作品は初期長編と似ている。でも短編の方が読みやすい。長編はカードボードキャラクターで人間の声がない。夫婦の不仲の話が多いがディックのような生々しさがなく、頭で考えたようなものだ。構造、図であって、物語ではない。物語はへた。でもそれはそれでOKだ。
 バラードは一文が長くて関係代名詞だらけの論文っぽい文章を書く。時々無理やりSFにしたような作品もある。アイデアも本人も奇想の人だ。『クラッシュ』以後ではなく、始めからそうなのだ。
 この全集に収録以外の短編は版権が許可されておらず、『ヴァーミリオン・サンズ』も復刊も増刷もできない状態だとか。『近未来の神話』の未訳作品を今回は新訳するとのこと。
 山形さんから、晩年の長編はつまらないと思うが、どうか、という問いに、『コカインナイト』以降、うまくなってはいるが『太陽の帝国』で主流作家となってからは変わったのかも、と柳下さん。イギリスではバラードはベストセラーを出す大作家なのだ。アメリカでは違うが。でも宮内悠介はその辺のバラードが好きだといっている、と大森さん。
 最後に、バラードは20世紀最大のSF作家だと信じている。『結晶世界』は今読んでも面白い。『クラッシュ』は今読んでも、変で面白い。との結論だった。

 最後は「シン・特撮企画」。小林泰三さん、田中啓文さん、山本弘さんが、特撮ものについて語るパネルである。
 まず「シン・ゴジラ」の感想。田中さんは、ただただ楽しくて、文句の一つもございません。山本さんは、「ザ・ミステリーズ」で小説の書き方を連載しているが、素材をどう加工するかが問題。怪獣=素材だが、スパイスが必要。でもその選び方が問題で、スパイスが食材を引き立てないものもある。「シン・ゴジラ」はスパイスが食材を引き立てていた。
 すると田中さん、ギャング団や宝石泥棒は出てきませんものね。「ドゴラ」には出てくるけど。でもドゴラはコメディとして好き。「シン・ドゴラ」を作ればいい。ギャング団にも意味を持たせて。人間ドラマと怪獣がうまくつながると面白い。
 小林さんが、「ウルトラQ」にもギャング団がよく出てくる。
 ここら辺から各自の怪獣話が炸裂。以下、メモから。
(田中) 「「大魔神」はしゃべりたそうに見える。しゃべってもええんちゃうか」
(小林) 「「シン・ゴジラ」に文句はないが、怪獣対決も見たかった」
(田中)「最後にタコが出てくれば海外で受ける」
(小林)「着ぐるみをCGで再現するのが良かった」
(山本)「蒲田君は良かった」
(田中)「蒲田君は昔何か見たような気がするなあ。のたうおじゃなくて。好きなのは「ヘドラ」。人生が変わったくらいに好き。「シン・ゴジラ対シン・ヘドラ」見たい。今のCGでヘドラをやればすごいんじゃないか」
(山本)「1970年を舞台にするなら、万博会場をぶっ壊さなくちゃ」
(小林)「円谷プロとのコラボ作品を書いたが、円谷プロのチェックで、怪獣の首が取れるのはNG。尻尾が取れるのはOKだった」
(田中)「八つ裂き光輪を怪獣に使うのはいいが、バルタン星人に使うのはいかん。バランを書きたいな。伝奇ホラーとなる」
(山本)「電車を壊すのは怪獣の伝統。キングコングから初代ゴジラもそう。今回は電車が逆襲している」
(小林)「フジ隊員を巨大化させたら、全裸はいかんと円谷プロから文書が来た。裸とは書いていないのだが。子どものころ夢に見たけど、真下にいっても、まぶしくて見えなかった」
(山本)「怪獣を文章で書く難しさがある。ビルを壊すところなど映像に比べて文章では難しい。シチュエーションや場所を描くのは文章の方が楽だが」
(小林)「怪獣の大きさや重さはおかしい。あんな重い怪獣が歩くと地面はどうなるのか。小説を書くとき悩んだ」
(田中)「ガメラ系は軽いで。ちょっと軽すぎるくらい」
(山本)「ゴジラも昔は2千トンくらいだったのが、いつの間にか2万トンになった」
(田中)「誰が量ったんや。そのネタで1つ小説を書いたけど」
(小林)「ゴジラは種の名前なのか固体名なのかという問題について」
(山本)「レッドキングの死体はうつぶせかあおむけか、DVDで確認した。昔は死体を残さず、たいてい爆発していた。怪獣墓場の設定をどう理屈をつけるか。たぶん霊となって漂っているのだ」
(田中)「怪獣墓場は墓参りするような墓じゃないし」
(山本)「死体じゃなくて霊。時々実体化する」
(田中)「ツインテールがエビ味て、誰が言うたんや。蒲田君を可愛く描かれると本当に可愛くなるから、やめてほしい」
(小林)「カネゴンもよく見ると可愛い要素が――そんなとこはない」
(田中)「怪獣だけの世界で殺怪獣事件が起きる怪獣ミステリを書いたが、本にならないといわれた」
(小林)「この場で絶対いわなあかんことはもうないから、これでおしまい」
 ということでおしまい。

 本会の後は、いつものみんなといつもの十両へ。少し時間は早いが、カツオたたきを夕食とする。色々と話。VRとARの違いとか。ARは要するに電脳コイルだという結論になった。去年はさわやが時間まで入れてくれなかったのでしばらく外で時間つぶししたが、今年は少し前の時間でも中に入れた。オープニングは19時。小浜さんが例によって参加者紹介。来年のヘルシンキのワールドコンの紹介。日本語のパンフレットまでできている。藤井太洋さんはそこにパネルを二つ、すでに持ち込んでいるそうだ。続いて、合宿企画へ。

 最初に行ったのは「ハイカソルの部屋・延長版」。ヒューゴー賞で組織票を取ろうと暗躍したサッド・パピーズたちの話題から始まる。過去の主流派と思っている人たちがヒューゴー賞を取れず疎外されていると感じている。その中でも声の大きい連中にこの2年ほど吸い込まれていったという状況だそうだ。
 『エンダーのゲーム』が映画化されたとき、カードのゲイ差別的発言があり、それに怒った人たちが不買運動を始めた。SFではない文芸の賞でもマイノリティの力がついているが、それでも特にパピーズ的な動きはない。ゲームの世界では同じようなパピーズ的な動きがあった。多様性を望む人たちの方が圧倒的なのだが、古いタイプのものが読みたいというグレーゾーンがある。
 ソーシャルジャスティスがからんでいる。ブログを観察しているとよくわかるが、最近は映画のゴーストバスターズ問題があり、黒人女性への差別的な発言がSNSで繰り返された。PC(ポリティカル・コレクトネス)に反発する連中の活動とそれへの対抗がある。アナログ/ハードSF派の人も、確かにパピーズに共感できるところもあるが、彼らの選ぶ作品がひどすぎる。自分に選ばせろといいたい、とのこと。
 サッド・パピーズはまだ穏健派で、今度はラビット・パピーズというのが出てきた。金持ちで自分で出版社を持つ男が主催者で、一般から乖離しており、ヒューゴー賞は取れなくなった。そこでドラゴン賞(ミリタリーSF部門もある)にシフトしている。パピーズはそちらに流れたとのこと。
 SFの本質にパピーズが好むようなものがあるのは確かだが、結局彼らのやっていることは、反グローバリズムのヘイトに過ぎない。女性、黒人、外国人が増えても、それが珍しい間は好ましいと思われていた。だがそれが主流となると。個々の作家・作品への反発よりも、そういう風潮自体が気にくわなくなるのだ。ステレオタイプな作品が好きというよりも、コレクトネスを押しつけられているという被害者意識が強い。ボリュームゾーンなのに、ヒューゴー賞からは疎外されているという感覚。
 パピーズの話はこれくらいにして、ハイカソルの話。銀英伝の4巻5巻6巻が来年出る。コアなアニメファンが推しており、1巻を乗り越えたら大丈夫。5巻、7巻に大きなポイントがある。
 アメリカファンダムはファンタジーの層が大きいから、ファンタジーをもっと売り出せばいいのでは。と参加者より声。ワシントンさんは、『精霊の守人』など有名どころは別の出版社からすでに出ている。日本的ではないファンタジーがどれだけ受け入れられるかは自信が持てない。というのも『ハーモニー』と『虐殺機関』では圧倒的に『ハーモニー』の方が売れている。そこに日本的要素の有無が影響しているのかも知れない、とのことだった。

 次に行ったのは「海外SF前線の部屋」。橋本輝幸さんの海外SF話から。
 橋本さんが2007年に日本で開かれたワールドコンへ行ってみたところ、外国の作家がワラワラしており、ライブ感、現場感があって刺激を受けた。ヒューゴー賞の短編はwebでフリーで読めるし、ピーター・ワッツは『ブラインドサイト』全文を無料公開していた。お金のかからない娯楽として、webで読みあさり、世界のSFに興味を持った。2008年ごろに中国の地方都市で大きなSF大会が開かれ、現場感覚を知った人が増えた。タチハラトウヤさんを中心に、中国のSFファンを東京の大会に招いた。ケン・リュウがアメリカでブレークした。ボストンのリーダーコンは、参加者五百人くらいの小さな大会だが、毎年ディレーニイが来るような大会である。そこでケン・リュウが話していた。良くしゃべれるオタクなのだ。そんな動ける人が一人いれば、変わることができる。中国SFは底辺が大きい。日本SF大会へもワールドコンへも参加し、それがすぐにウェブにアップされる。
 日本SF界はポータルサイトが少ない。読書メーターは非ユーザが携帯では見にくい。また長い文章が載せられない。日本ではちゃんとしたポータルが少なく、なかなかまとまったものが読めない。ツイッターではすぐに流れてしまう。ツイッターよりもブログに書くのがいい。後に残るから。中国でもSNSが中心になってから、外部から見えにくくなってきている。日本でも文学フリマへ行けばたくさん出ているのにネットには流れず、見える化しない。読んで紹介する人も少ない。
  一方ロシアには書誌情報の充実したサイトがある。アメリカにはLightSpeedやクラックス・ワールドのような有力なウェブジンがある。エストニアやブルガリアでは小さい国なのに翻訳がさかんだ。
 ケン・リュウが英訳した中国SF短篇集の話。日本で出すには英語からの重訳がいいのか、中国語からの方がいいのか。英語からの方が検閲が入っていない。『三体』を読んでみると、昔小松左京が書いていたような小説で、ちょっと古いがSFの力がある。でもハヤカワからは条件的に出せない。角川なら出せるかも知れないとのこと。
 作家が短編をたくさん書いて名を売って、長編で食えるようになると、前のようには短編を書かなくなる。ケン・リュウもバパチガルピもそうだ。エージェントが力を持つようになるのだ。

 続いて「ライブ版・大森望のSF観光局」。大森望さんの他、柳下毅一郎さんやなぜか田中啓文さんも。さらに小林泰三さんもいる。
 開口一番、大森望さんは「書いたことを忘れてしまっている」。
 柳下さんが面白かったのは故人の逸話。特に野田さんの話がいい。野田昌宏の生涯は、朝ドラになる。ポンキッキを作った男だ。福岡の大金持ちの家で、父は大学教授。戦前の話だが、オール電化の豪邸に住んでいた。ドラマチックな生涯だった。
 2006年の11月から書き始め、10年。みんな故人となってしまった。連載で読んでいると時事ネタばかりと思っていたが、まとめて読むといい入門書になっている、と柳下さん。
 小林さんが、五年前のメールを見たら書いた覚えのないことが書いてあった。五年前の自分は自分じゃないという。
 もともと量が溜まったら本にする約束だったが、早川のハードルが高くなり、河出から出すことになった。河出の編集者から9月に出す本がなくて、何か企画がないかと言われたので言ってみたらすんなり通ってしまったのだ。
 平井和正の評伝を誰か書いて欲しいという話。それからクラークの話。クラークは二十歳離れたスリランカ人を養子にして、彼の家族と暮らしていた。
 講談社のイブニングの編集長がSFファンで、NOVAのようなSFの新作をイブニングにマンガ原作として載せたい、そのアンソロジーが欲しいという話があった。作品は集まったのだがマンガ化が難航し、編集長も異動、そのうち飛浩隆「海の指」がWEB(モーニング・アフタヌーン・イブニング合同WEBコミックサイト モアイ)に掲載され(マンガは木城ゆきと)、星雲賞を取った。小説のアンソロジーとして出そうとしている。小説6編とマンガ1編で、今月には出る予定(講談社『ビジョンズ』のこと)。11月にはベイリー『ゴッドガン』が出る。〈神銃〉は禅銃(ゼンガン)と紛らわしいのでカタカナにしたとのこと。

 続けて、もう深夜になっているが、突発企画の「水鏡子に聞く!なろう系、ラノベ、SF」。さすがに人は少なかったが、しだいに集まってきて、とても熱心でマニアックなやりとりがあった。
 水鏡子はなろう系を紙の本で600冊、WEB併せて800冊ほど読んでいる。終わっていない作品が多く、だらだらといつまでも書き続け、伏線も、書いている途中でこれは使えると思ったものを伏線に使うという感じ。願望充足ではあるが、自分の願望よりも読者の願望を充足させたいという意識があるようだ。
 かつては菊地秀行・夢枕獏のテンプレートを使いこなせない作者が多かったが、なろう系ではテンプレの使い回しがうまく機能している。チートの多用で壊れる場合もあるが、チートでも壊れないものもある。小説の作りというよりは、RPGツクールのチップを組み合わせる感覚。エスカレーションしすぎて壊れることはあるが、テンプレ的キャラクターがだらだらと繰り返すことで読み続けることができる。
 読ませるレベルはそれなりにある。年齢層は30代くらい。高校生ではなく、社会人がターゲット。知識のレベルは高く、学習マンガを読む面白さがある。同じネタが別の本で繰り返されていても許される。またテンプレからのバリエーションもある。
 なお水鏡子としてはWEB小説を全部なろう系として捉え、細分化はしていない。なろう系はパルプマガジンと同じだ(お便りによって読者と作者のフィードバックが密だったという意味?)。
 ランキングの上位のものは小話的なものが多くて、水鏡子的には出来は良くない。本になるのは、10社くらいが月に何十冊と出している。WEBでは週1週2で30枚くらいのペースが多い。異世界転生チートものがやはり中心。話を壊さないように続けるノウハウはたまっている。話の深みはないが読みやすさは高い。ラノベよりも社会人よりにシフトしている。似たような話でもそれで飽きる人とそれを楽しむ人がいる。昔は異世界へ行くと戻ってくることが目標だったが、今は異世界へ行ってそこで満足し、そのまま暮らす。終わりということがない。
 編集作業の一部をWEB読者がやっているといえる。大量の読者を意識すると作品は変わる。なろう系は、作家になることより小説を書くことを重視している。やろー系だ。
 といったところで夜中の2時を過ぎていたので解散し、その部屋でふとんを敷いて寝る。

 翌朝、8時には大広間へ集まる。大森望さんから伴名練さんを紹介してもらう。ぼくはファンですと伝える。
 解散後は、いつものようにみんなでぞろぞろと歩いて御池通り河原町の市役所前の喫茶店へ。きのうとうって変わって寒いくらい。19度くらいだそうだ。植樹祭で皇太子が来ているとかで、街の中は警官でいっぱい。道路も規制されていた。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを堪能しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。 

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