SFセミナー2022(オンライン)レポート

大野万紀


 今年のSFセミナーも、7月23日(土)に、オンラインでの開催となりました。
 昼企画はZOOM、合宿企画はDiscordを使用したオンライン版です。2回目でしたが今年もおおむね順調で、楽しく興味深いイベントとなりました。出席者、スタッフのみなさん、ありがとうございます。

 なお、以下のレポートはメモをもとに記憶をたどって書いていますが、記憶違いや不正確な点もあるかと思います。不適切なところがあればお知らせ下さい。すみやかに訂正したいと思います。
 また画像はzoomのスクリーンショットですが、問題がありましたらご連絡ください。対応いたします。

「オクテイヴィア・バトラーが開いた扉」 小谷真理、橋本輝幸

 最初の企画は、「オクティヴィア・バトラーが開いた扉」と題して、人種、性差、階級といった差別の問題とSFに関するディスカッション。小谷さんのWiFiの調子が悪かったとのことで、少し遅れての開始となった。
 橋本さんがまず、当時オクティヴィア・バトラーとサミュエル・ディレイニーが先駆者としてシオドア・スタージョンの名前を挙げていたことから話を始める。
 橋本:バトラーもディレイニーもスタージョンの作品に共感して作品を書き始めた。ディレイニーはスタージョンの同性愛について書かれたものを読んで、ここに自分の居場所があると感じたと書いている。またバトラーは初めSF界は男性作家ばかりで、棒人形のような女性しか書かれていなかったのだが、スタージョンを読んで女性がちゃんと描かれているのを知り、ここならいてもいいと感じたと書いている。バトラーやディレイニー以前に、SFにはスタージョンがいたのだ。
 小谷:私がバトラーを知ったのがダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」。またコーネル大学でディレイニーが授業をしていて、そこでもバトラーの話があった。ハラウエィが、ジョアンナ・ラス、ディレイニー、ヴァーリイ、バトラーの名前を出していたのだが、当時私はバトラーだけ知らなかった。
  『女性状無意識』(1994)を書いたとき、その中で「ブラックフェミニズム」の章を書いた。当時SF作家には黒い人はほとんどいないイメージだった。ディレイニーはいたが受け取る方は白い人ばかり。他に黒人のSF作家といえばラリイ・ニーヴンと共作していた人(スティーヴン・バーンズ)とバトラーくらい。さらに女性ということではほぼバトラーひとりだった。フェミニズムも白かった。バトラーは80年代に女性文学、黒人文学というジャンルを超えた形で文学研究者の中で注目された。『キンドレッド』はそういう中で翻訳が出た(1992年)のだ。
 ジュウェル・ゴメス『ギルダ物語』(未訳)はブラック・レズピアン・ヴァンパイヤの話だが、SFではフェミニズムでしょといわれ、フェミニズムでは吸血鬼ものでしょと言われた。
 橋本:ゴメスはバトラーが書いているので知った。
 小谷:女性で、黒人で、レズピアンと差別が拡張的な重構造になっている。二元論的な対立では理解できない。ゴメスを通してバトラーを見ると、白対黒、男対女ではない。差別と戦うというより、アフターホロコーストの世界でどうやって生き延びるかというサバイバルの問題となる。
 今日は本当は丸屋久兵衛さんにも参加してほしかった。アフリカンフューチャリズムは宇宙やSFに向かっている。ぜひ注目して欲しい。
 橋本:8月にアフロフューチャリズム本の翻訳が出る。
 ここで小谷さんがスライドでバトラーの本を紹介。
 小谷:これは<Patternist>シリーズの一冊『WILD SEED』(1980)の表紙。かっこいい。この本は表紙買いした。こっちは<Xenogenesis>三部作。一作目の『DAWN』(1987)は表紙の女性の顔が白い。でも実際は主人公のリリスは黒人。
 橋本:「エヴァンゲリオン」にでてきたエヴァでない方の女性。
 小谷:リリスは黒人じゃないかというのがバトラーの仮説。2巻目、3巻目になると表紙が有色人種になっている。
 橋本:バトラーがスタージョンの書いたものをみてここに居場所があったと思った話をしたが、バトラー自身が(N・K・ジェミシンなど)アフロアメリカンな人のあこがれであり、アジア人でもインド出身の女性作家モンダルさんがバトラーに言及している。バトラーを読んですごいシンパシーを感じたと。完全に同じ属性でなくても共感し注目することができる。読んで絶望するのではなくサバイバルできるということ。韓国でバトラーが5冊くらい出ていてチョン・ソヨンさんもバトラーに言及している。中国ではずっと前からバトラーを出したいといっていたがやっと2冊出せた。日本も今2冊だけど竹書房からも出るので追いついていきたい。
 小谷:フェミニズムも早いがSF界は早いのだ。

「ゲンロンSF新人賞の世界」 大森望、天沢時生、麦原遼、琴柱遥、斧田小夜 司会:鈴木力

 次の企画は、「ゲンロンSF新人賞の世界」。今の日本SFで注目されている若手作家のうち、多くが「ゲンロンSF創作講座」の出身である。大森望が主任講師で、毎回ゲスト講師を呼び、課題が出され作品を提出し、それが講評されて優秀なものが選ばれる。その全ての過程がオンライン/オフラインで受講生に公開されるというものだ。この企画では大森望の他、今や作家デビューを果たした受講生たち、天沢時生、麦原遼、琴柱遥、斧田小夜の各氏が闊達に語り合うというもの。司会は鈴木力。
 大森:東浩紀さんからゲンロンで小説の講座をやりたいということで話が来た。やるとしたらSFに絞らないとという話をし、それでいいということになって始めた。受講生には課題と提出がネット上でオープンにできる既存のシステムを流用することにした。平日夜4時間くらいでできる内容を考え、梗概を書いてもらいそこから実作してもらうようにした。
 しかし梗概のいいものと実作のいいものとは必ずしも一致しなかった。ただ梗概をちゃんと書くことは今後の役に立つ。
 鈴木:ゲンロンには編集者がいないのですね。
 大森:ゲンロンから出版するわけではないが文芸の編集者をゲスト講師に呼ぶのでつながりができる。「スター誕生」みたいに最後に編集者がうちにほしいとか手を上げるのをイメージした。
 鈴木:課題のテーマはどう決めるのか。
 大森:講師がこれにしたいというのがあればゲンロン経由で大森に話が来て相談する。基本的には講師の人が自由に決める。
 鈴木:課題の順番は考えているのか。
 大森:特に決まっているわけではなく、あまり厳密な方針があるわけではない。いかにお題に沿ったふりをして自分の書きたい小説を書くかというのがいい。お題は書くきっかけであって何もないよりはあった方がいいという感じのもの。
 鈴木:受講者の話を受講した順番にお願いします。
 天沢:創作を始めたのは遅くて25くらい。就活していたけど文章を書けたらいいなとエロゲ会社に入ってシナリオ書きをしていた。ゲンロンは30過ぎくらい。SFルートではなく東浩紀ルートで入った。ゲンロンが小説スクールを作るに違いないと思って滋賀から転居した。
 麦原:小学生のころから小説をネットで見ていたが、自分で書いてネットにアップしてもリンクは張ったりしなかった。
 大森:いきなり受講料を10数万払うことに抵抗はなかったか。
 麦原:高いと言えば高いがちょうど就職したところだったので。書いた人と話をし合うとかやりたかったのと、最初にゲンロンで読んだのが面白かったから。身近な人に見せるのはきついが名前も顔も知らない人に見せるのはわりと平気。
 琴柱:ずっと前から同人誌でBLを書いていた。小説投稿掲示板、小説Wiki、Pixivと飛浩隆さんの追っかけをしていて創作講座があるなら飛先生に見てもらえるかもしれないと思った。
 麦原:飛先生に飛び込んだ!
 琴柱:「グランバカンス」をノートに写したりしていた。手で書かないとうまくならない。
 斧田:ネットで創作を上げていた。ハヤカワの最終公募に残った(2016)が不満があった。
 鈴木:講師と受講者がキャッチボールする中で変わってきたことは?
 天沢:途中でスランプになったが大森さんにカッコイイものを書けばいいんだといわれて振り切れた。1期では選ばれなかったので2期はやるぞと。
 大森:枚数制限120枚のところに200枚書いてきたので。
 麦原:私の作品は難しいのでもっとわかりやすく書けといわれた。
 大森:梗概は面白くてわかりやすいのに実作は意味不明だったからね。
 麦原:大森さんに定点観測で読んでもらえたのでコツをつかめた。
 大森:だんだんわかる話が増えてきた。最初は抽象画のようだった。
 斧田:梗概は誉められなかったが実作は誉めてもらった。
 大森:最初は優等生っぽかったがだんだん不良化してきて面白くなった。
 琴柱:自分は文系で科学がわからなくコンプレックスがあったが科学にこだわらなくていいとわかって楽になった。SF=科学と思って梗概を書いていたが、科学じゃなくてもSFであるとわかった。ジーン・ウルフも飛さんも科学中心じゃない。恐竜は科学だなと思って書いたら評判がよかった。
 大森:タヌキが恐竜になる話。塩澤編集長に受けた。
 斧田:破滅派の同人に入っていた。ゲンロンにも通ったとは海外にいたので後で聞いた。
 麦原:課題で「XXの気持ちになってください」というのがあって、普通は人間以外のXXの気持ちになるのだけど、人間の気持ちになる方が難しい。
 斧田:天皇か言語という課題で言語をとったが、中国を舞台に「麒麟がくる」を書いた。まさかその後に本当の中国SFが来るとは思わなかった。
 琴柱:最初の課題がビットコインまたはAIで、ビットコインが何かわからなくて困った。考えていて一番楽しかったのは「生き物を作って見よう」という課題。
 鈴木:授賞前と受賞後で何か変わったことがあれば。
 天沢:デビューすると我慢しないといけないことが増える。企業名とか出してはいけない。講座では自由なので好きなようにやっていた。
 麦原:アクセルに対するブレーキの比率が上がりがち。自分で規制してしまう。ここに出すならちょっとと、自己規制をかけてしまう。そこが課題。
 琴柱:私は小説がうまかったんだと思うようになった。素人で人が読んだらどうとか考えずに書いていたので、それがSFMに載ったことで自分はうまかったんだと思うようになった。
 斧田:授賞前は仕事が優先だったがやっと小説が書ける環境になってきた。今は1日何時間かまとめてとれるようになった。

「小田雅久仁インタビュー」 小田雅久仁 インタビュアー:香月祥宏

  企画の最後は、吉川英治文学新人賞を受賞し、本屋大賞にもノミネートされた『残月記』の小田雅久仁さんを招いたインタビュー企画。聞き手は香月祥宏さん。
 香月:SFイベントは初めてですね。
 小田:ショップイベントを3月に1度やっただけ。
 香月:「WEB本の雑誌」のインタビューに詳細な読書歴が載っています。
 小田:インタビュー前に予習してリストを作っていった。子どものころで一番覚えているのが小学生高学年のころに読んだ斎藤惇夫「冒険者たち」。どぶネズミ(ガンバ)がイタチと戦う話で、最後の方は泣きながら読んだ。おとなになって読み直したらさすがに泣かなかった。
 香月:『本にだって雄と雌があります』にも出てきますね。
 小田:10代後半にはSFを読んでいた。『ハイペリオン』と『ハイペリオンの没落』あたりがピークで、SFってすごいって思った。でもその数年後に『エンディミオン』を読んだら自分のSFのピークが過ぎていてあまり面白く読めなかった。カードの『エンダーのゲーム』やル・グィンの『所有せざる人々』が好きだった。カードは続編も面白かった。並行的にミステリや純文学を読んでいたが、90年代半ばごろはSFが一番好きだった。
 香月:小説を書き始めたのは?
 小田:28くらい。それまではサラリーマンをやっていたが会社が傾いてきたので辞めた。次何しようか決めておらず小説を書いてみようと書き始めた。最初に書いたのは純粋なファンタジー。それをファンタジーノベル大賞に送ったら最終候補にまで残った。
 香月:第15回の「影舞」という作品ですね。作家名義も違うが。
 小田:その話には空を飛んでいく大きな木が出てくる。それが自分の中でもテーマかと思い「残月記」にも出した。
 香月:受賞まではしばらく開きますね。
 小田:別の会社に入っていてまたその会社が傾いてきたころ(他にも何冊か書いたが)『増大派に告ぐ』を書いた。
 香月:増大派と団地の中学生が戦う。それをファンタジーノベル大賞に送ったのですね。
 小田:少しでも非現実的な要素があればファンタジーと捉えていた。
 香月:ファンタジーが上に行くのならこれは現実の下へ行くような話。
 小田:小谷真理さんが評価してくれてよかった。受賞して嬉しかったが、大賞は500万もらえると思っていたら同時受賞なので600万を分けて300万になった。よろしいですかと言われてダメとはいえない。後から何か残念に思ったけど。
 刊行後の手応えはどういうものかわからない。今は『残月記』の後インタビューの依頼がたくさんあったが、『増大派』のときは読売新聞からインタビューが一回あっただけで反響はなかった(と今ならわかる)。文庫にもなっていない。
 香月:第二作が『本にだって雄と雌があります』。これで作風が変わってきます。
 小田:『増大派』のような作風で書いても食べていけないと思い、違った作風も試してみようと思った。最初は短編として書き始めたが長くなって中編くらいになり、雑誌には載せてもらえなかったが編集者から長編にしてみないかと提案された。本と本が交わって増えていくというところは中編と同じ。主人公の子どもは中編版には出てこない。
 香月:長編では家族の物語になっているが、中編はそうではなかったのですね。
 小田:『残月記』に比べたらその数分の1というくらいであまり評判になったという感じはしないけれど。
 香月:「SFが読みたい」で7位になるとか評価は高かった。次にSFMに「11階」が載って読者賞を取りますが。
 小田:SF誌から依頼が来たのは意外だった。編集者からはSFというより自由に書いてほしいと言われた。
 香月:SFアンソロジーにいくつか収録されます。
 小田:SFファンというとコアなところがあるというイメージがあり、これはSFじゃないと言われないかとヒヤヒヤするところがある。
 香月:そして最新の『残月記』になる。月を巡る連作集。
 小田:最初連作短篇集を依頼されたが、あまり連作は好きでは無く、それぞれ独立した話が好き。話はつながっていないけれど筋は通っているというものでいいかと言ってOKがでた。最初は7篇くらいと想定していて曜日にしようと思い、最初が月で始めたらそれが100枚以上になって、それなら月で続けようと考えた。
 香月:「月は振り返る」は現実が入れ替わる話なのですが、もう一つの現実に入るという話は小田さんの話に よく出てくると思う。
 小田:それはファンタジーではよくあるモチーフです。『果てしなき物語』とか。月の話を書こうとして月を調べているとき、月の裏側がこっち向いていたら気色悪いなと思ったのが始まり。
 香月:もう一つの現実に入るというのが少しだけ違う現実で、最後にオチがある。
 小田:編集者の好みで読後感をいいものにして欲しいと言われていた。最初に書いたのはもっとひどい結末だったが、もう少し何とかならないかということで、ハッピーエンドではないが引き分けなラストになった。
 香月:この短篇集、ラストに少し救いのようなものがあって、それがいい 1作目からそうです。
 小田:ファンタジーノベル大賞でデビューしたので、2作目はオーソドックスなファンタジーを書いてみようと思った。
 香月:表題作の「残月記」は、疫病のある世界で狼男ものでもあり剣闘士の出るバトルものでもある。
 小田:いつか剣闘士の話を書きたいとずっと思っていた。多分映画の「グラディエーター」を見てから。それはずっと放置していたが、残月記で3つめは狼男を出したいということがあって、それで剣闘士が狼男となって戦うというイメージが浮かんできた。それを可能とするために設定を作っていった。
 香月:途中ちょっと転調して芸術の要素とラブストーリーが出てくる。これは他の作品でもよく出てきます。
 小田:音楽や絵も好きなのでそういうものを登場させたいと思う。
 香月:書いたのはコロナ前。実際にコロナ禍となってどうか。
 小田:感染症の話は溢れているので特別な感じはない。
 香月:創元の『GENESIS』に載った「ラムディアンズ・キューブ」は?
 小田:あれは自分の悪いところが出た小説。まず自分が書こうとする小説の長さがわからない。締切の1ヶ月前から書き始めると終わらずに締切前に書き飛ばす、そういう悪い面が出た。宇宙船に入ってからの話はもっと長かったが編集者に指摘されてだいぶ削った。
 香月:そのためにスケール感がいきなりアップするところがかえってSF的で面白かったです。
 小田:一度怪獣小説を書いてみたいという思いがあってそこから始まっている。相手は普通の怪獣だが人間の方はターミネーターとか色々混ざっている。時に特撮映画が好きというわけではないが「パシフィックリム」とか好きだった。あまり自分では意識していなかったが、巨大なもの、数がおおいものの視覚的派手さを求めている。 頭の中にあるものを文章化していくと書き切れなくなる。全部書くと冗長になる。
 香月:今後の予定をお聞きします。今書かれているものは?
 小田:〈小説新潮〉に今載せている作品、体の一部をテーマにした怪奇小説がそろそろ出せるかなと思っています。

合宿企画

 合宿企画はDiscordで行われましたが、ぼくは同時に開催されたオンラインの「SFファン交流会」を見ていたので、今回はほとんど参加しませんでした(SFファン交流会のレポートはこちらです)。
 スタッフのみなさん、今年も大変ごくろうさまでした。楽しい会をありがとうございました。


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