(個人的には)史上最低の賞与を尻目に、2年半使ったデータ通信専用SIMフリースマホを、そろそろリプレースしようかとも思う、今日この頃です。いやはや。
まあ、それはさておき、
眉村卓さんが小説を書くのとほぼ並行して、俳句を書いていたことはよく知られているし、それらの一部をまとめた句集『霧を行く』(深夜叢書社)が出ていることもご存じだろう。このあたりはかつて書いたことがある。しかし、詩についてはあまり知られていない。
《捩子(ねじ)》は、大阪大学に入学(1953)したのと同時に入会した「捩子文学の会」の機関誌の名称である。この同人誌は37号(1960)まで続くが、その間著者は継続して作品を発表してきた。18歳から25歳までの間である。まだ、SF作家眉村卓が現れる前の作品となる。
詩作の一部を抜き出しても、なかなか全貌は見えないのだが、ここに書かれているのは、方向性の見えない若さだ。さまざまな体験と渇望、込められた苛立ち、力に対する不安と躊躇い、押しつぶされた熱意、破壊への欲望と因習の打破などが、物語のような、自由な文章で綴られている。最後は小説スタイルになっている。
《捩子》が終わった同じ年に著者は《宇宙塵》に入会、翌年には「下級アイデアマン」が日本SFコンテスト(早川書房と東宝との共催)の佳作第2席になり、SFマガジンに掲載された。そして、3年後には『燃える傾斜』(1963)が出版される。実は、ここに収められた詩のイメージは、そのまま破天荒なダイナミズムに満ちた処女長編へと直結する。まるでスティーヴン・ミルハウザーの小説のように、鮮明な幻想を描き出す瞬間を持っている。
本誌には、第2部として、2002年68歳以降の詩も収録されている。書かれている世界は、第1部の真夏の蒸し暑さ、汗くさい夜から、一転して40年後の冬に変転する。これは俳句も同様なのだが、妻の闘病生活と連動するように、詩作/句作が再開されたのだ。ここでの文章はきわめて短く、簡潔なものに変化している。前半と対比する形となるので、落差は非常に明瞭で、それだけ寂寥感が強く感じられる。ここに収められたものは1割に満たず、詩の大半は未発表のままだという。
70ページほどの小冊子となっている。チャチャヤング・ショートショートの会については別記した。なお、本誌は少部数ながら一般にも頒布される(送料込み500円)。こちらの編集部にメールを出して確認のこと。
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