安いからといって、1月末までだったWindows8 upgradeキャンペーンのついでに、Willcom
D4という5年前の機種にも入れてみました。このPCは発売当時史上まれに見る不評機種(OSが重すぎた)で、ネットでもボロクソに叩かれていましたが、その一方改造マニアたちには人気の機種となり、OSを軽いもの(Vista→Windows
XPなど)に入れなおして使う人が大勢いました。今でも残している人が多いせいか、こういう情報も比較的容易に入手できます(もちろん、動作保証対象機種ではありません)。確かに動きます。Windows8で実使用するには、さすがに遅いものの…。
「本の雑誌」は、他誌では取り上げそうもないユニークな特集を行う。しかし、今回の大森望特集号(2013年3月号)は異例の売れ行きのようだ。作家でもタレントでもないのだから、いかに大森望が注目されているかの証拠でもある。
「大森望サクセス伝説」という言葉が、初めて世に出たのは2004年のこと。この年『文学賞メッタ斬り!』(この後、2006-08、2012まで累計5冊が出た)が話題になり、一般読者にも良く知られるようになった。文学賞は(イメージ的に)偉い人が厳かに選び出す、神聖にして不可侵なものと思われていた。各賞もばらばらで、相対的な関係となると、誰も把握できていなかった(というか、考える動機がなかった)。それを、SF/ミステリ専門だった大森が、辛口評論家の豊崎由美と総浚えして、なんとも明快に読み解いたのである。切り口は、難解でも権威主義でもなく、ジャーナリスティックで大変読みやすいものだった。アカデミックな分析より、まず読者の立場を重視、しかも読み手としてのレベルは下げず、ユニークな視点から各作品の読むべきポイントを余さず捉えていた。今でこそ多くなったが、こういう立ち位置の批評は新機軸だった。加えて、大森流レビューは、文藝作品の“権威主義”を退けただけでなく、作品が手軽に手にとれるブックガイドの役割も果たしたのである。特に後者には意味がある。今の大森人気も、読者の支持があるから続くのだ。これは、かつてのKSFA(大森らも所属していた関西海外SF研究会)的/THATTA(本誌)的なブックレビュー理念の、延長線上にあるものといえるだろう。
ところで、特集の記事の中で、評者は2行だけ登場する(どうでもよいところです)。また、「大森望を作った100冊」の一冊「オービット5号」の写真を提供している。大森邸の魔窟からは発掘できなかったのだ。
おまけ篇:
大森望を巡る数々のサクセス 0)奇跡の生還を遂げた(都合2回)(注1) 1)よくモテた(注2)
2)さいとうよしこと結婚できた(注3) 3)よく売れた(注4)
4)ヒューゴー賞のトーストマスターをした(注5)
5)TV/ラジオにも頻繁に登場、マスコミの寵児となった(注6)
6)本の魔窟を所有できた(注7)
7)SF作家クラブに入らなかった(注8)
注1:かつて筆者は、大森を紹介するこんな文章を書いている(リンクページ一番下の枠内記事を参照)。このような紹介も書いている。今になって、さらにリアリティが増したような内容だ。2回目はこういうこと(ちょうど2005年の京都SFフェスティバル当日だった)。この商売は、およそ健康的とはいえません。
注2:あの人とその人とこの人のことで・・・とても、一般の方にお勧めできるお相手では・・・(た、他意はありませんよ)。
注3:論評しません。
注4:そりゃサクセスでしょうよ。
注5:ワールドコンで行われるヒューゴー賞授賞式の総合司会者のこと。アメリカでは、超サクセスした人だけが携われる、とても栄誉ある職務です。第65回ワールドコン(横浜大会)の時は、ジョージ・タケイと共同司会でした。
注6:そういうことです。
注7:そんな人はこの業界ではたくさんいますが、他の人の場合、なぜかサクセスとは見なされません。
注8:ノーコメントとします。
番外:喫茶れいにカラオケセットが置かれている理由(なぜこんな注があるのかは、Twitterのまとめをご参照ください)。ある日例会をしていると、大久保怜が中高年の一団と共に二階席にやってきて、「ちょっとうるさ(く)なるで」と断ってから、いきなりカラオケで歌いだした。自身の主催する民謡愛好会の集会なのだという。そのためのカラオケで、ま、自分もそういうことをしていたのです。
|