みだれめも
第137回
「世界のひみつ!」
水鏡子
突然ですが、「世界のひみつ!」を発見しました。いくつかのピースがぴたっとはまって壮大な絵柄が浮きあがりました。題して「カウントダウン史観」。すでにだれかが発見しているかもしれませんが、とりあえずぼく的にはオリジナルです。と学会の俎上ででもあげてもらえたらうれしいな。
発端はしばらく前に紹介したヘーゲルの『歴史哲学講義』(岩波文庫)。どう考えてもぼくよりはるかに頭のいい人間が、なんでこんなばかな本を書けたのだろう、当時のヨーロッパ人が、人類進化の最先端に位置しているとはずかしげもなく主張できる精神の、根っこにあるのはなんなんだろうと首をかしげているうちに、もしかしたらというやつに思いあたったのである。
当時の知識者層にあって、そういう思考の枠組みは、疑う余地ない自明の理だったということ。その確信の拠って立つ基盤のひとつが帝国主義的搾取を繰り返し世界を植民地化していった列強国家の順風満帆の国力の充実にあったことはまちがいない。けれども、じつは、そのさらなる背後に、キリスト教圏に定着していた<千年王国>のイメージがあったのではないかと思ったのである。ミレニアムである。
18世紀のフランス啓蒙思想は、哲学の世俗化といったかたちで語られる。人々の生活から宗教の規制が弱まり、理性が旗印としてもてはやされた時代である。けれどもそれは見方を変えれば、それまで宗教者の専権事項とされていた精神的営為の大衆化ということであり、そこにおいては未来のヴィジョンも日常の生活感覚、生活実態に基づいて検証される即物性が加味される。
つまりは<千年王国>がどういう理想郷であるかだけが問題とされるのではない。2001年、いまから200年ほど先に地上に出現する理想国家はどのような原理を核に、どのような<工程表>で生み出されるかという生成メカニズム、進行プログラムが必要とされるようになったのである。
これがルネッサンスの時代だったらどうだろう。400年先、500年先に千年王国が出現するかもしれないといったところで、世間的な感覚ではだからどうだというレベルの話にしかならない。400年にわたる道筋なんてハリ・セルダン・クラスの酔狂な学者が机上で遊ぶネタでしかない。
しかし200年から、250年。これは現在状況を外挿して、理想国家の姿を幻視することが可能と思えるぎりぎりの距離である。そしてこの時期以降、現在の社会状況の構造や美点を理論化、拡充していくことで2001年の理想国家を成立させようという潜在的な意図のもと、2001年までの距離を踏まえたプログラムが次々とキリスト教圏で発表され、社会実験が行われていく。ヘーゲルのドイツ観念論、社会ダーヴィニズム、コント、スペンサーに始まる社会学理論、マルクスの史的唯物論、そしてナチスの第三帝国もすべて、提唱者が意識しているいないにかかわらず、その根底にはキリスト教圏における民衆レベルで子供心に刻み込まれた<千年王国>のイメージのもとで生み出され、<千年王国>のイメージのもとで受容され社会的効果を与えていったと考えることはできないか。宇宙開発や40年代SFもそうしたヴィジョンを共有したパワー・ファンタジイだった。
第二次世界大戦というのは、2001年まであと60年に迫った時点での、アメリカン・グッドライフと共産主義、第3帝国という相容れない短期プログラム・モデルの覇権闘争だったのだ。ちょうど「2001年宇宙の旅」で、人類とHAL9000が宇宙卵の受精精子の資格を得るため、死闘をくりひろげたように。
これが「カウントダウン史観」である。2001年に成立する理想社会の核となるべき世界モデルを求めて、さまざまな社会理論、倫理哲学が創造され、あるいは2001年に成立する理想社会のヴィジョンに則して現在状況の分析がさまざまになされた。そしてそこには常に2001年までの距離からの逆算があった。
当初の18世紀、啓蒙主義やドイツ観念論の時代においてはプログラムは、時代と共に人類が理性の光に導かれ合理性に基づいて行動できる神性を獲得していくことで、そうした個人が作り出す理想社会ができあがっていくとする個人倫理の段階発展システムという中長期的プログラムだった。
それが19世紀後半には個人の品性進化から社会構造の進化というかたちに変化していく。
2001年までの距離に応じて社会理論や倫理哲学は、抽象度が高く大雑把で理想主義的な中長期プログラムから社会制度に言及した具体性の強い短期的な社会プログラムへと性格を変えていくのである。それがじつは人文社会科学の歴史だったのではないか。
欧米を牽引していたカウントダウン史観は50年代後半に破綻をする。2001年があと間近となったというのに、共産主義もアメリカン・グッドライフもプログラムの欠陥が露呈してきて2001年までに修復できそうにないことが誰の目にもあきらかになってきたのだ。しかも替わるべき短期プログラムはあらわれない。こうして対2001年プログラムの崩壊のなかで60年代の若者たちの反乱が起きる。新プログラムの不在の中でかれらの主張は既存プログラムへの異議申し立てとなり、人文系学問ジャンルにおいても、体系的ヴィジョンを展開すること自体がむしろ批判的にみられるようになる。新たに発生したプログラムは、環境主義にしろフェミニズムにしろ、未来に対する総合的社会ヴィジョンでなく特定の問題領域に社会全体のあり方を規定させるものでしかなかった。社会プログラムの破綻のなかでなお2001年に夢をもつ人々は、現代社会のありかたへの批判から、過去にも繰り返し立ちあらわれた牧歌的始原に帰れのコミュニティ・プログラムや宗教系プログラムに避難先を求める。ヒッピー・ムーブメントも癒しの流行も2001年に向けた緊急避難的プログラムだったと考えてみる。カルト集団が終末論と結びつくのは、当然だったといえるだろう。先の「2001年宇宙の旅」もまた、社会プログラムの破綻のなかでのクーブリックによるひとつのヴィジョンの呈示だったといえないか。2001年というタイトルには大きな意味があったのだ。
いずれにしても2001年は<千年王国>にはならなかった。2001年に近づくにつれて、未来はこうなるといったイメージはどんどんわけがわからないものになっていった。ぼくらがこどもの頃というのは、宇宙開発も、アメリカ型生活様式も、共産主義も、みんなそれぞれバラ色の未来イメージだったのである。
つまり過去250年の人類の歴史は、この<迷信>がほんとうかもしれないとなんとなく感じていた人々によって方向づけられ引っ張られてきたのである。たとえば科学の進歩にしても、基本はクーンのパラダイム論に見られる<パズル解き>の自己展開であるにせよ、その勢いを強めたのは、2001年を見据えた時間意識というエンジンだったのかもしれない。そもそも科学とテクノロジーの発展自体、プログラムを推進するための強力な道具として認められたせいではなかったか。
この理論の妥当性は、キリスト教圏の人々が子供のときにこうした思考の水路づけをどれほど強くなされているかという点にある。そういう基礎教養にかけていたぼくら日本人でさえ、1999年の7の月にはけっこうわくわく遊べたことを思い起こしてみてほしい。もし、この理論が正しくて、欧米の思想潮流や政治状況に大きな影響力を行使していたのだとすると、じつはとてもこわい話があとに続く。
キリスト教圏には<千年王国>と対の話があるのである。ご存知<最後の審判>である。神の軍団と悪魔の軍団の最終戦争。
たしかほんとうは神と悪魔の最終戦争があって<最後の審判>で生き残った人々によって<千年王国>が作られるんじゃなかったっけ。もしも、そうだとしたならば、2001年というのは<千年王国>が出来上がった年ではなく、神と悪魔の最終戦争が<始まる>年ということになる。
これはかなりやな話だ。
<千年王国>は静的イメ−ジである。2001年の風景が予定されていたイメージを実現しているかどうかで、ある意味簡単に判定できる。けれども最終戦争が<始まる>年というのは、大戦争が起こってなくたってかまわないのだ。その始まりと決めつけられる何かがあれば十分なのだ。そしてご承知のとおりのことがある。
2001年はそういう年なのだと考えそうなファンダメンタリストが支持していそうな、かなり頭の悪そうな、某大統領やそのお友だちの頭のなかにこの種の水路づけが巣くっているのではないかという危惧がある。潜在的にそういう意識があって、対象にそういう意識を重ね合わせていたとしたら、必然的に選択肢は偏ってくる。しょうもない迷信で色眼鏡のついた判断のもと、検討された戦略でとばっちりを受けさせられるのだとしたら、非キリスト教圏の人間たちはたまったもんではない。
ついでにいえば、『失楽園』の紹介で書いたように、神がルシファーに勝ったのは、全知全能だったからでなく、稲妻という最終兵器を持っていたからだということらしい。神の軍団と悪魔の軍団の妄想を現実社会に重ね合わせる連中だったら、<稲妻>を使うことこそ神の軍団たる証、とまで論理を転置させかねない。いやーな気分がしているのである。
以上が「カウントダウン史観」のあらすじ。近現代史の歴史解釈だけでなく、60年代以降の未来の不透明感からアフガンにいたる現在状況の説明にも使えるところがミソ。きちんと尾ひれをつけたら、本1冊書けるネタだと思うんだけどね。まだだれも言っていないようだったら、だれかこのネタで本を書いてください。フリーウェア・モデルです。御礼には、書いた本をください。万一本がとってもたくさん売れたら、気持ち分プラスなんかください。こんなもんより、わたしとしては<あれ2>を書きたい。