大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

バーチャルとリアルが溶け合い――ボコボコガンガン、支離滅裂に

『シャッフル航法』
円城塔


 『シャッフル航法』はそれまで雑誌やアンソロジーに収録されたSF風味の強い短篇を集めた短篇集である。十編が収録されているが、いずれも奇想や不条理な世界を、数理的なロジックを駆使して描いた作品だといえる。
 円城塔のSF作品については、こちらのコラムにも書いたが、本書については軽くふれただけだったので、あらためて詳しく紹介したい。

 十編はいずれも傑作だが、その中でぼくが最も好きなのは、遙かな未来の叙情的なSFとして読める「内在天文学」だ。物理学が示すとおり、宇宙は観測者の認知によって確定し、変化する。これは遠い未来に、人類ではなく、南極オキアミだかイカだか土ボタルだかによって認識されてしまい、グレッグ・イーガン「ルミナス」『ひとりっ子』所載)みたいに物理法則が変わってしまった宇宙を、人間の古典的・科学的な観点からふたたび認識しなおそうとする老人と子供たちの物語である。美しい描写と叙情性に満ち、さらに男の子と女の子のほんのりとしたラブストーリーとしても読める傑作である。

 「φ(ファイ)」「シャッフル航法」も印象的である。ストーリーらしいストーリーもない実験的な小説だが、きわめて形式的でロジカルに構成され、まさに創作システムが計算してアウトプットしたような作品である。にもかかわらず読んで面白いのだ。実際、この2作はコンピューター・プログラムを書いて執筆したと、作者自身が明かしている。

 「φ(ファイ)」では、文字どおり〈テキスト・ワールド〉である作品宇宙が、一文字ずつ縮小していき、ついには空集合、ゼロとなる。筒井康隆「残像に口紅を」を思い浮かべる読者も多いだろう。だがそれ以上に、文字=記号で作られた宇宙の論理構造を描く、数学小説でもある。自身が記号で表現されるものである〈小説〉についての、自己言及的なお話ともなっているのだ。問題は、その記号=文字の操作、演算、解釈を行っているのは一体誰かという点だが、ここに至って、それが〈テキスト・ワールド〉の共通の執筆者だろうということがわかってくる。

 「シャッフル航法」では、先頭と最後の単語を固定したひと連なりのフレーズが主役で、それらがランダムにシャッフルされ、さらにまたシャッフルされ、と、くり返されていく。詩的ではあるがほとんど意味をなさない文章が、独特のリズムをもって反復し、そのカオス的な組み合わせの中から、万華鏡を見るように、不意に意味や秩序が立ち現れてくる瞬間がある。「ハートの国で、わたしとあなたが、ボコボコガンガン、支離滅裂に」という調子で、いつまでも心に反響を残すのである。その独特なリズム感がとても心地よい。

 不条理性という面では「つじつま」がすごい。生まれないまま大きくなった息子が母の胎内で暮らすようになり、無線LANで外部と通信したり、ついにはガールフレンドをそこに連れ込む始末。狭い範囲でつじつまがあっていれば、大きな矛盾や無理は気にしないでもいい、ということか。そんなあり得ない状況も、言葉でなら描くことができ、まあええか、となるのである。

 「犀が通る」は、「喫茶店」小説にして「犀」小説。ここでは人々の不条理な会話を通じて、それを記録しているのは誰かという、おなじみのテーマに関わってくる。

 「Beaver Weaver(ビーバー・ウィーバー)」は、本書の中では古い作品(2009年)だが、物語や文章が世界を変容させるという意味では共通のテーマをもち、さらにいえば『エピローグ』とも直接につながる本格SFでもある。

 「(Atlas)3(ルービック・アトラス)」は、主人公が殺され続けるという奇怪なミステリ的場面から始まる。主人公は地図作成者。だがここでの地図(マップ)とは数学的な写像(マップ)の意味だと考えるのが妥当だろう。ある種の関数の欠陥によって、写像し変換した結果が矛盾していく。その関数とは小説を語る言語であったり、人間の意識を構成するものだったりするのだろう。この小説を支配している「カメラ」という存在は、観察者であり、ここでも主観と客観の矛盾が立ち現れている。これまた『エピローグ』のエピソードを内在した短篇だといえる。

 「イグノラムス・イグノラビムス」はグルメSFで、ワープ鴨とか宇宙クラゲとか火星樹の葉とか、関西のSF作家が好きそうな単語が飛び交うが、これも意識と「あらかじめ定められた世界」がテーマの尖ったSFである。

 「Printable(プリンタブル)」は、3Dプリンター小説であり、小説家と翻訳家、テキストの同一性と拡がり、その変容していくさま(まだ書かれていない小説の翻訳とは何なのか)を描いていく小説である。そこにはシミュレーション宇宙も現れてくる。

 「リスを実装する」は少しタッチが違う。普通に日常的で小説的な文章を使い、プログラマーの男がコンピューターの仮想空間に、生きたリスをシミュレーションしようとするさまがリアルに描かれる。ITの現場にいる読者には、心に迫るものがあるだろう。このいくぶん私小説的な作品が、『プロローグ』へとつながっていくものだ。だがここでも、プログラムで記述するものとされるもの、クラスとインスタンスがどこかで交わり合い、交錯する。どの視点で見るかによって、宇宙の複数の階梯(レイヤー)がふとあらわになる瞬間がある。それこそ、空想と現実が、ヴァーチャルとリアルが重なり合い、溶け合うところなのだ。

(17年2月)


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