大野万紀「シミルボン」掲載記事 「この作者の作品を読もう!」

第2回 おひとり様シンギュラリティ――円城塔のSFを読む


 芥川賞作家にして日本SF大賞作家。純文学、SF、翻訳、そして古典と、幅広く活躍している円城塔。でもその軸足はSFにあるように思う。いや、ジャンルとしてのSFというより、SF的な発想、SF的な観点、SF的な技法、という意味でだ。彼の小説には、日常生活を普通に描くよりも、言葉を使った実験、抽象的なテーマへのこだわり、そして何より小説を何らかの内的なアルゴリズムのアウトプットとして描くという特徴があるように思える。

 数学や科学の論理から来るSF的な奇想が、時にはコンピューターの助けを借りて、ひとりでシンギュラリティを超える。おひとり様シンギュラリティ。難解なようでいて、ユーモラス。一般人から見ればぶっとんだロジック。それは大森望がいう、〈バカSF〉にきわめて近いものだといえるだろう。
 何層にも渡ってくり返される自己言及、ループ構造、そこから生み出されるカオス。そういえば、円城塔はもともとカオス系の研究者だった。

 ハヤカワSFシリーズJコレクションから最初に出た『Self-Refrrence ENGINE』を見てみよう。飛浩隆さんはこれを「SFファン同士の愚にもつかないバカ話」「爆笑ソラリスジョーク集」と(好意を込めて)呼んだ。これは言い得て妙である。このような視点で読まないと、何が何やらわからない話になりかねない。
 とはいえ、こんな初期の作品でも文章は達者で読みやすく「愚にもつかないバカ話」にしては奥が深い。特に、祖母の家を解体してみたところ床下から大量のフロイトが出てきた、なんて話にはとりわけ筒井康隆テイストが強いように思う。
 本書を構成する18編の断章は、基本的にシンギュラリティ後の、巨大コンピューター(巨大知性体)たちが宇宙の時空をカオス状態にしてしまった世界での、おとぎ話なのである。Self-Refrrenceというと自己参照。つまり、メタ何とかを生み出すもとであり、無限のループやカオスや、あるいは人工知能や意識の創出されるみなもとでもある。ダグラス・ホフスタッターが『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を書いてからもう30年。自己言及、再帰的構造、コンピュータサイエンスと認知科学の幸福な結婚。その後の円城塔の作品にも、そのベースには同様のテーマがくり返し現れてくる。

 次に出た『Boy's Surface』については、「SF――時空ドーナツはおいしいか? 数学SF」にも書いたが、ややハメを外した感のあるキレキレの数学SFで、面白いんだけどちょっとキツい。コトバが日常的な文脈では解釈できず、まさにプログラム言語のように、この表面ではないところの構造を記述していく。例えば各章のタイトルは原点から始まる座標になっていて、行きつ戻りつしながら右上方へと伸びていく軌跡が描かれる。作者によれば、これはトーラスの表面上の位置を示す座標なのだとか。
 このころから作者は小説をその内容そのものより、構造として描くことにより興味をもっていたように見える。京都SFフェスティバルの講演で、作者は「小説というものはある高次空間の中のダイナミクスで記述され、その各座標を結ぶ軌道をたどっているが、より高次から見たらそれも単なる1点となる」と小説の力学系の話をしていた。わかる? でもそんな観点は、彼の純文学作品も含めて、ずっと一貫しているようなのだ。

 もう少し一般向けに面白く読めるものとして、芥川賞候補になった「これはペンです」「良い夜を持っている」の2編を収録した純文学系の中編集『これはペンです』がある。どちらもSFとして読める作品だ。言語(というか、記号、暗号、エンコード、アルゴリズム、数学)と世界(意識、知性、認識)の関係をほとんどそのまま描いた、円城塔らしい作品だといえる。「これはペンです」は、変な手紙を書いてコミュニケートしてくる「叔父」を「姪」が解読しようとする話、といっていいだろう。手紙はいわば暗号であり、自動生成された「意味」であり、ランダムな記号が作り出す、現代アートみたいなハプニングである。叔父はコンピュータープログラムかも知れないし、本当の叔父かも知れない。「良い夜を持っている」はこれと対をなし、超記憶という症状を持った、現実と夢と記憶の中を時系列ではなく表引きによってアクセスする「父」と、その息子の物語である。「これはペンです」が世界を書く物語であり、「良い夜を持っている」は世界を読む物語といえるかも知れない。ここには数学的アルゴリズムがどのように世界を記述し、記号化し、語ることができるか(そしてそれを読む=意味を解釈するか)というテーマがあるのだ。

 そして伊藤計劃X円城塔『屍者の帝国』。もちろん亡き伊藤計劃の残したプロローグに、円城塔が3年をかけて物語を組み上げ、長編としたもので、文体は伊藤計劃を思わせ、外部から上書きされコントロールされる意識という、『虐殺機関』『ハーモニー』と共通するテーマ性も引き継がれてはいるが、小説自体は円城塔のものといっていいだろう。こんなエンターテインメントの傑作も書ける人なのだ。
 もう一つの19世紀。ゾンビというか、疑似霊素をインストールすることで屍者を復活させ、労働力として使っている世界。屍者は恐怖の存在ではなく、単なる有機ロボットみたいな存在として、認知されている。伊藤計劃の設定したこの物語の方向性を、円城塔はいかにもスチームパンクっぽいSF冒険小説として書き続けていく――少なくとも、途中までは。小説の後半、バベッジの巨大な解析機関(ディファレンス・エンジン)が複雑な演算を行い、解析機関同士の通信網が世界中を覆う中、屍者のためのネクロウェアとコンピューターのソフトウェアが一つとなり、世界と物語、意識と言葉といういかにも円城塔らしい、そして現代SFらしいテーマが表に出てくる。ザ・ワンの口から述べられるアイデアは、センス・オブ・ワンダーに満ちていて魅力 的だ。それはともかく、バーナビ-はいいねえ。円城塔のふところにはこんな豪快なキャラクタもいるのだ。

 2015年に相次いで出版された『エピローグ』『シャッフル航法』『プロローグ』には、いずれも共通した雰囲気があり、同じ多宇宙(マルチバース)を〈言葉〉を手がかりに探求し、作者の興味のおもむくままに、いわば〈テキスト・ワールド〉での知的冒険を描いた作品だともいえる。いずれの作品も、根本は同じであっても、複数のレイヤーに、ある意味フラクタル的、カオス的に分かたれ、さらにそれらが畳み込まれているので、読後感はそれぞれ異なっている。

 SFマガジンに連載されていた長編『エピローグ』には、発表媒体を意識してか、SF読者向けのくすぐりがいっぱい仕掛けてある。さらにはIT業界やプログラマーや数学や物理の専門用語も、特に説明無くちょっとひねった形で散りばめられている。
 本書は、超知性によってこの宇宙から追放され、無数に分岐した多宇宙をまたにかけて戦う人類を扱った複雑で壮大なスペース・オペラであり、また奇怪な連続殺人事件を探偵が追うミステリでもある。さらにどことなく切なくロマンティックなラブストーリーでもある。はっとするような美しい描写や、思わず笑ってしまうようなユーモア感覚もあり、楽しく読めるエンターテインメントではあるのだが、ストーリーを追っていくと次第に迷宮に落ち込んで、わけがわからなくなる。兵士は何と戦っているのか、探偵はどんな事件を追っているのか。それらは〈ストーリーライン〉という言葉で表され、おそらくはこの宇宙(仮想宇宙)を創り出している創作システムが紡ぎ出したものなのだろう。そこにはバグも含まれているかも知れない。自己言及をくり返すところにはカオスが生じる。混沌としているのは当たり前なのである。
 作者はSF大会で、人間そっくりなアンドロイドに「不気味の谷」があるように、「自然言語とコンピュータの相性は良くないので、文章にも不気味の谷がある」と語っている。本書にもその「不気味の谷」が顔を見 せているのかも知れない。

 星新一賞の応募書類には、コンピューターで書いたものはここをチェックして下さいという欄があるという。AIでも応募できるということなのだが、ワープロで執筆したのでチェックを入れたという人が多かったそうだ。人間がワープロで書くことをコンピューターが書いたとはいわない(漢字変換が勝手に語彙を決めてしまうのかも知れないが)。だが円城塔のように、自分でスクリプトを書き、コンピューターを駆使して小説を書く場合はどうなのだろう。まだ人工知能が自分ひとりで小説を書くことは難しいが、小説家を支援し、語彙や構成を提供することは可能だ。『シャッフル航法』に収録された「シャッフル航法」「φ(ファイ)」はそうやって書かれたという。

 長編『プロローグ』もまた、そういう手の内を明かし、とても具体的な事例紹介として描かれた、いわば私小説であり、実験小説である。本書にはオホーツク文化圏の歴史や、神話や古文書、和歌、そしてもちろんコンピューターなどの知識がちりばめられている。また例によって、テーマ的にはテキスト・ワールド(言葉、情報、デジタルに還元されるコードなど)による世界の描出(それは作者や読者の意識すらもその中で記述されるものだ)に集中している。だがフィクションとノンフィクションが混ざり合い、様々なツールを駆使して創作を行うためのマニュアル的な記述、あるいはそのサンプルコーディング、旅行エッセイ的な文章や、話者の異なる創作などが並列的に描かれるので、読み進めるうち、どこか夢の中のような酩酊感をともなうことになる。

 もはや円城塔はコンピューターと一体化しつつあるのかも知れない。自然言語の「不気味の谷」を越えるとき、彼もまたシンギュラリティの先に進むことだろう。コンピューターと手と手をとって。何だかとっても楽しそうだ。

 こうなれば次にはいっそ『サルでもわかる小説エンジン入門』とでもいったタイトルで解説本を書いて欲しい気がしますね。

(17年2月)


TOPへ戻る

ARCHIVESへ戻る

「この作者の作品を読もう!」 次へ