内 輪   第424回

大野万紀


 ジョン・ヴァーリイの訃報については編集後記にも書きました。ぼくと年齢もそんなに離れていないし、本当にとても残念です。
 ヴァーリイのサイトに残されたブログ記事をパラパラと読んでいます。これが面白い。一番新しいのは心臓病から回復後の2022年2月の記事で、「テスラを買った!」(すぐにテスラをレンタルしたと変えてあるけど)というタイトル。レンタカーが必要になったときたまたまテスラが1台出ていたのでそれをレンタルしたという話。普通の車と全く違う操作性を面白がり、S3XY(セクシーのもじりでもある)といった遊び心にくすぐられ、テスラ車やスペースXは素晴らしいと思うがイーロン・マスクは嫌いだと話す。もちろんトランプは大嫌いだし、アマゾンのジェフ・ベゾスも大嫌い。地元の本屋が(コロナのせいもあるが)危機的状況にあるのを何とかしようと、豚資本主義に金を渡すのを止めようと呼びかけます。他にも長年付き添ったシロッコという名の(『ガイア』三部作の主人公ですね)愛犬の死についての記事など、心を揺さぶられるものがあります。

 SFマガジンの次号(4月号)にヴァーリーの追悼特集が載るようです。ぼくも追悼エッセイを書くことになりました。掲載時にはどうぞよろしくお願いします。

 映画「アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ」を見て来ました。1作目も2作目も見ているのにストーリーも設定もほぼ忘れていて、この人誰だっけ状態。でも見ている内にわかってくるし、思いだしもする。何といっても異星の変な生きものたちが本当に生き生きと動き回り飛び回り泳ぎ回るのには堪能しました。

 12月13日は毎年恒例のSF忘年会。関西のオールドSFファンがいつものようにホテルに1泊してワイワイと楽しく過ごします。堺三保さんとヴァーリイの未訳長編の話がはずんだり、美味しい料理を食べてビンゴ大会したり、部屋に集まり歳を忘れて深夜まで話し込んだり。いやみなさん本当に話題が豊富ですね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


松崎有理『イヴの末裔たちの明日』 創元SF文庫

 2025年3月刊行の短編集。2019年に出た単行本の文庫版である。書き下ろし2編を含む5編が収録されている。

 「未来への脱獄」は既読。ひねりのきいたタイムマシンものである。
 インサイダー取引で20年の実刑判決を受けた主人公が投獄される。同房には殺人罪で懲役250年の人付き合いの悪い老人(囚人番号187)がいた。エンジニアだった若い主人公(囚人番号538)は監獄での労役にも慣れ、ひどい食事にも慣れ、バカ高い売店にも慣れて退屈している。
 あるとき、187がこっそりと何か書き物をしているのに気づいた。それは何かと聞けばタイムマシンの設計図だと言う。老人は未来人で、その時代の独裁者を倒すためにタイムマシンを作って過去へ行き、独裁者の祖父を殺したために投獄されたのだそうな。マシンは壊れてしまったので、未来へ行けるものを新たに作ろうと設計図を書いているのだと言う。
 タイムマシンなど信じていない538だが、退屈していて面白そうなので自分も手伝うことにした。設計図を書くのはお手のものなので、187の下手くそな図面を仕上げていく。設計図は独房の中で書けるが、部品を入手したり実際の工作をしたりはできない。それでも何年も時間をかけて少しずつ準備をしていく。そんなとき監獄の所長が替わり、二人がタイムマシンを作ろうとしていることを知って面白そうだとそれを公認し、作業場まで提供してくれる(まさか本当にタイムマシンができるとは主人公も含め誰も信じていないのだ)。
 そしてマシンが完成。監獄の皆へのお披露目で時計を5分だけ未来に飛ばすことになったのだが――。何と187は消えてしまった。本当に未来へ行ったのか。それとも……。
 その後、このタイムマシンが実際に何をしたのかがわかる。とてもトリッキーで、タイトルにある未来への脱獄を実現するのにすんなりと一筋縄ではいかないところがSF的にも面白い。いや、もし実際にそれが可能なら論理的にそうなるかも知れないというのはわかるのだが。こんなことよく思いつくなあ。

 「ひとを惹きつけてやまないもの」は長めの中編。19世紀、ビール暗号の解読に取り憑かれたトレジャーハンターの男の物語と、21世紀に数学の未解決問題の1つ、ビール予想に取り憑かれた数学者の物語が交互に語られる。名前は似ているが2つの課題は全く別のものだ。ネットで見ると19世紀のビール暗号はこの作品にかかれているような経緯が実際にあって、未読だがサイモン・シン『暗号解読』にも載っているそうだ。もう一つのビール予想は1993年にフェルマーの最終定理の拡張として提示されたもので、多額の懸賞金がつけられているが現在のところまだ未解決な難題だ。
 それぞれの物語ではその解決に取り憑かれた二人が人生を棒に振り、あらゆるものを犠牲にして突き進む様がこれでもかというように執拗に描かれる。もし解決すれば実利が得られるというものではあるが、もはや解くことそれ自体が目的となり、SFというよりミステリ、さらには人間ドラマとしての側面が強い作品だ。
 とはいえ、何と21世紀版の方はその後とんでもない展開があって完全なSFとなる。
 面白く読んだのだが、二つの物語には直接の関連がなく、ビールという名前と抽象的なものにとことん惹きつかれる人間の心の怖さを描いているところだけが共通している。そこはちょっと物足りなく感じた。

 「イヴの末裔たちの明日」は既読。汎用AIによる「技術的失業」で大勢の人間が職を失った近未来。若い主人公も事務職の仕事を失い、ベーシックインカムだけで暮らすことになった。でもそれだけでは今の生活を続けることはできない。追加収入を求めて新たな職を探すが事務職はもちろん肉体労働もロボットがこなす時代で求人はゼロだ。そこで飛びついたのが人間でなければできない仕事。それは新薬の治験に応募することだった。
 その新薬の効果というのが「くじ運がよくなる」とか「もてるようになる」とか「事故死しなくなる」とか、びっくりするようなものだ。作者のことだからそこに「確率共鳴」や「ベイズ確率」といった実際にある理論を結びつけている。ベイズ確率は知っていたが確率共鳴は知らなかった。非線形な現象にある種のノイズを加えることで閾値以下の確率を高めることができるということらしい。でもそれでどうして「くじ運がよくなる」とか「事故死しなくなる」のかは不明だが、SFだからそれでいいのだ(「もてるようになる」はあり得るかも知れない。それってヘラチョウザメの実験に近い気がする)。
 技術的失業という暗い話題が明るく楽しい方向でユーモラスに語られるのがいい。とはいえ、結末はちょっと異質である。

 「まごうかたなき」は神話か昔話風のファンタジー。村の向こうの荒野には妖怪が棲んでおり、ときおり村を襲って人を喰う。妖怪が現れたら狼煙を上げて介錯人を呼ぶのだが、介錯人は自分で妖怪と戦うのではなく、妖怪に有効な武器を持ってきてそれを村から選ばれた五人の決死隊に渡すのが役割だ。とはいえ村人は戦いのしろうとだから、介錯人はその手助けをする。
 名乗り出たのは失恋したばかりの主人公、好奇心旺盛で元気のいい仮面の男、職業ゆえに差別されている妻帯者、12歳の少年、そしてこれは掟で決まっているのだが村で起こった殺人事件の犯人である。
 介錯人は決死隊を荒野へ連れて行く。妖怪が現れ、瞬く間に殺され喰われる者が出る。どんどん数が減っていき、中にはいきさつがあって決死隊員同士で殺し合う者もいる。結局五人の中で最後に残ったのは主人公だったが……。
 ところで、この妖怪を倒して首を切ると、妖怪の顔が倒した者の顔に変わるので誰が倒したかがわかるという。このことが結末で大きく効いてくるのだが、挿入されるわらべ唄と合わせてずいぶんブラックな結末となっている。

 「方舟の座席」は「ひとを惹きつけてやまないもの」(の21世紀版)と世界が繋がっている。
 異星人によって人類は滅亡の危機に瀕したが、大金持ちの老人たちは宇宙ステーションに逃れて優雅な暮らしをしている。主人公の大学生、麗(れい)は、気がつくとこのステーションに連れてこられていた。老人たちの他にいるのはロボットばかりで、人間は麗の他に美女二人だけ。高級娼婦のアッシュとプロ愛人のジョーンズ。要するに老人たちのお相手をする、そういうことらしい。だがそんな経験もない若い麗がなぜここに連れてこられたのか。
 麗には心当たりがあった。両親のいない麗を顔も見せぬまま費用を出して養育し、大学まで入れてくれた「あしながおじさん」。会ったこともなく話をしたこともないが、恩人であるその彼がここにいるのか。だが実際に「あしながおじさん」と対面したとき、彼女の気持ちは打ち砕かれる。それは半分ロボットと化した体をもつ老人で、保存した彼の精子と麗の卵子を人工授精させることにより二人の子供を麗に産ませるというのだ。
 冗談じゃない。麗はステーションからの脱出を計画する。ステーションにはAIが操縦するシャトルが搭載されている。アッシュもジョーンズも自分たちは仕事だからとここに残るというが、麗の計画には協力してくれた。だが脱出したとしてどこへ行くのか。地球はすでに死の星となっているのではないか……。
 何しろ相手は老人たちなので派手なアクションはなくロボットたちにどうやって言うことを聞かせるか、そのパスワードは何かといったことが重要になる。このあたりのロジカルな展開がいかにも作者らしい。結末も見事だ。


林譲治『惑星カザンの桜』 創元SF文庫

 2025年2月刊行。著者は人類と異星人の関わりを描いた連作長篇をいくつも書いてきたが、これもその一つ。ただしコンパクトな1巻完結の長篇である。

 人類はワープ航法を開発し、遠い恒星間宇宙へと進出していた。ただ超光速での移動はできるが超光速通信はできないという設定になっている。こういう微妙さが著者らしい。この小説の舞台となる惑星カザンは、1万光年の彼方にある地球型の惑星で、人類にとって初めての地球外文明の兆候があったことから調査隊が派遣された。だがこの第一次調査隊は惑星到達後に消息を絶ってしまう。このため武装した巡洋艦を伴う3600名という大規模な第二次調査隊が組織され、第一次調査隊の捜索と異星文明の調査に向かうことになる。

 主人公は第二次調査隊のカザン文明調査班班長である吉野悠人(ゆうと)。科学者であると同時に組織の長として意思決定や管理・運営も行わないといけない(これまた著者らしいといえる)。彼には亡くなった妻がいて、その記憶やふるまいをコピーしたAIの仮想人格を私的な話し相手にしていた。それが妻ではなく、自意識をもたないAIであることはわかっているが、それでも聰明だった妻と同じような口調で会話し、彼の力になってくれる存在である。そのことが物語の後半で重要な意味をもってくる。

 宇宙空間からの調査でカザンには地球の月に良く似た衛星があり、そこにはカザン人が作ったと思われる建造物があって、それが核兵器で破壊されていることがわかった。核戦争があったのだろうか。ところが惑星カザンの方には全くそれらしい痕跡がないのだ。惑星の大地は灰色の泥のようなものに覆われ、植生に乏しい荒野や砂漠が広がっている。ところどころに小さな都市らしきものがあるが、高度な技術の存在は見受けられない。いったん文明が滅びて再興の途中なのか。

 第一次調査隊の痕跡は衛星上で見つかった。彼らがカザン人の作ったドームの探索に向かったのは明らかだった。ドームの地下には地下都市ともいえる遺構が見つかっている。だが彼らは長期の調査はせず、すぐに撤退したらしい。そこへ新たな情報が入る。惑星カザンに人間がいたというのだ。それは第一次調査隊の生き残りなのか。吉野たちはいよいよカザンの地表へ降下することになる……。

 だが、謎は深まるばかり。カザンにいた人間は確かに第一次調査隊の面々だった。しかしその様子は明らかに異様だ。彼らは本当に人間なのか。カザンの環境も、生態系も異常としか言いようがない。まさにあり得ないとしか思えないことが次々と明らかになってくる。これが果たして異星文明とのファースト・コンタクトと言えるのだろうか……。

 そうして物語は惑星カザンの異様な現実とその謎をとことん理詰めに追求していくことになる。それはまさにサイエンス・ミステリというにふさわしく、読み出したら止まらない知的な面白さに満ちている。やがて見えてくるのは、この惑星を襲ったとんでもないできごとと、それが今でも続いているということである。これもやはり人と人でないもの、文明と文明のファースト・コンタクトとその後の変容に違いない。その壮大さ、容赦なさ――。

 スタニスワフ・レムを思い浮かべる人が多いだろう。とりわけ『インヴィンシブル』(『砂漠の惑星』)を。レムの描く存在はあまりにも異質だが、本書ではそれがAIや仮想人格の意識というテーマと結びつき、もう少し人間よりの観点から描かれているといえる。それが現代的でとても興味深い。

 後半に、いささか乱暴で無理やりな展開が見られ、このコンパクトさで収めるにはやむを得なかったのかも知れないが、ちょっと惜しいと思った。それでもタイトルにつながる結末の抒情は美しく心地よい余韻が残る。そう、人類もやがてみんな生きた砂となるのかも知れない。


小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ 4』 ハヤカワ文庫JA

 2025年1月刊行。積ん読の山に埋もれかけていて、何とか年内に拾い上げた。第3巻で大きく世界が(宇宙が)広がり、当初の楽しい百合SFとはまた別の壮大なSFに向かって展開していった本作だが、二人の正体も宇宙の実態もわかってしまった後、これからいったいどうなるのかと思って読んだら――メチャメチャ面白かった!

 1巻2巻に戻ったようなとんでもないディテールとスピード感と迫力のある「宇宙漁師」SFであり、宇宙規模の超絶異能バトルであり、楽しげなおじさんがたくさん出てくる(悪役もいる)ミリタリーSFであり、生物の生殖について掘り下げる生命論SFであり、何より女同士の可愛いイチャイチャが続く(そして昏い情念も噴出する)百合SFだった。とはいえ、このレビューって前巻までのネタバレなしに書くのは無理だろう。なので一応以下ネタバレ注意!と言っておきます。

 本書の世界を整理すると、まずこの銀河には人類と異星人(人類と共存している)がおり、銀河帝国が存在している。またこの宇宙には様々な名前で呼ばれるフラジャイリャンという宇宙生物がいて、主人公であるテラとダイの故郷ではガス惑星の大気圏を浮遊する巨大な魚のような生物、昏魚(ベッシュ)となって宇宙漁業の獲物となっている。その実体は粘土と呼ばれる何にでも形を変えることのできる便利な素材であり、宇宙漁船も網具もその粘土から精神力によって自在に変形させて(デコンプという)作り上げるのだ。体が大きく豊満なテラはその能力をもつデコンパであり、小柄で可愛らしいダイは舟を自在に操るツイスタ(パイロット)である。1巻と2巻では様々な漁の技を見せ場に、二人のぎこちない恋愛関係が描かれるが、3巻でついに二人は閉鎖的な故郷から広い世界へ、汎銀河往来圏(ギャラクティブ・インタラクティブ)へと脱出して行く。そこで明らかとなるのは、この世界がフラジャイリャンの大繁殖によって危機に瀕しているということだ。キャラクター重視の宇宙漁業SFというちょっと牧歌的な世界の物語が、ここにきて壮大な本格宇宙SFとなるのだ。4巻での二人は銀河帝国の軍人たちと協力して多くの惑星をめぐり、軍隊にはできない漁業のウデでフラジャイリャンを大量に収穫していくことになる。

 それ以外の重要な要素として4巻では3巻で明らかとなったテラとダイの真の正体と、それを生みだすこととなった遙かな過去のできごとから、エダという女性の存在が全面に出てくる。エダはパートナーの女性、マギと二人で銀河帝国に刃向かう魔女的な存在である。二人の存在感は大きくなり、最終的にはテラとダイの二人と決定的に対決することになるのだ。それはもう本当に宇宙規模の超常バトルの様相を呈することになる。

 最初に書いたように、銀河文明の運命を左右するかのような重大な事態にもかかわらず、主人公たちの(とりわけおっとりしたテラさんの)性格のゆえか、物語は明るくてどこかのんびりした雰囲気で進んでいく。初めの百合SFという基本路線は変わらない。銀河帝国の軍隊が前面に出てきても、主な相手が知性をもつかどうかもわからない集合的な生命体なので宇宙戦争の激しさや悲惨さは背後に隠れている。偉い軍人たちはオッサンばかりだが、悪役の一部を除き、みな話の分かるいい人で、ミリタリーSFの重苦しさは感じられない。替わって全面に出るのはテラとダイ、エダとマギリの個性と個性の対峙であり、それは意思をもち個で生きるものと、意思を持つかどうかもわからない集合で生きる異星生物との対峙でもある。しかし両者は相容れないものではなく、相互の関係性も存在している。そこに個から発生し集団へと分かれていくことになる「子ども」という問題、生殖と繁殖という問題に焦点が当てられるのだ。テラとダイがペットにしている可愛い粘土生物〈ノラネコ〉の存在もそのシミュレーションとなっている。このあたりは本格SFとしてとても興味深かった。


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