内 輪   第355回

大野万紀


 4月になり、桜も満開で春の日差しが差し込んできても「きょうは上天気」というと何だか不穏な気分になるのは、ジェローム・ビクスビイのせいでしょうか。いや、もちろん新型コロナのせいですが。
 そんな中で、ネットを中心に疫病退散と妖怪アマビエさまの姿絵がはやっているのにはホノボノします。毎日新聞連載のいしかわじゅんさんの4コママンガでは、一時主役をはっていましたよ。
 そして嬉しい驚きがあるのが、数学のABC予想証明のニュース。もちろんぼくにも内容はさっぱりわかりませんが、SF者としては「既存の数学が存立する枠組み(宇宙)を複数考えるという構想」って、すごくグレッグ・イーガン味を感じますね。「ルミナス」や「暗黒整数」はずばりそんな複数の数論が世界を取り合う話でした。それにしても望月教授ってすごい天才で、変な言い方だけどまるでマンガみたいって思いました。そういえば、陸秋槎「色のない緑」もまさにそんな話だったと思います。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。今月はちょっと事情がありまして、書評が少なくなりました。小説は1編だけです。

『ドミノin上海』 恩田陸 角川書店
 ドタバタ、スラプスティック、大騒ぎ、大勢の個性豊かな登場人物たちが動き回ってドミノ倒しのように絡まり合い、そして大団円。これで面白くないわけがない(うまく計算されて書かれていれば)。その点、恩田陸なら大丈夫。いくつものクラスターが勝手に動き合いながらどんどんとイベントが発火し、もつれながらもこんがらかることはなく、きれいにおさまっていく。
 本書は2001年に刊行された『ドミノ』の続編であり、一部の登場人物が共通するが、前作を読んでいなくても問題ない。舞台は現代の上海(といっても並行世界かも知れない)。物語を進める主なクラスターは、まず米中合作のホラー映画を撮影しようとやってきた監督とそのクルーたち、秘宝〈蝙蝠〉の玉を秘密裏に売買しようとする盗賊団、それを察知して張り込む上海警察、その派手でイケメンな署長、何でも料理してしまうホテル青龍飯店の料理長、そのホテルで開催された現代アート展に顔を出す曰くありげな芸術家、そして日本から来た保険会社の事務職員たち、宅配スピードに命をかける寿司デリバリー店長、上海きっての風水師と神官の娘と山伏の子孫というオカルトトリオ、そしてそして、動物園からの脱走を計画している野性味溢れるパンダ!
 総勢25名と3匹が繰り広げる壮絶なドミノ倒しである。何といってもパンダが最高。漢詩を朗読するインテリパンダながら、野生の力と鋭い勘をもち、忍耐力と計画性がある。その彼を追う動物園の飼育員たち。
 そして当然最後は歯車がかみ合って、それぞれ違う思惑をもったみんなが青龍飯店に集まることになる。いや、でもこれなら、まだ続編ができるでしょう。前作でも思ったけど、これ、ぜひとも実写映画で見たいなあ。と思って今見ると、19年前の前作の感想でもやはり同じことを書いていた。

『Dr.STONE reborn:百夜』 Boichi 集英社ジャンプコミックス
 少年ジャンプに連載中の人気マンガのスピンオフ作品。連載中の本編も、全人類が石化し科学技術の失われた世界で、超人的な頭脳を持つ科学少年・千空が、一つ一つ科学技術を復活させていこうとする物語であり、元科学少年には感涙ものの作品なのだが、とにかくジャンプの人気作なので長い。それに比べてこちらは1巻本。本編の内容を知らないとわかりにくいところもあるが、基本的には独立して読める。そしてこれがまた、SFマンガとして傑作なのだ。
 地球が謎の石化光線に覆われ、全人類が石化したとき、国際宇宙ステーション(ISS)には宇宙飛行士6人が生存していた。その一人は、本編の主人公・千空の父、百夜だった。本書の前半では彼らが知恵を絞って地球に帰還しようとする姿が描かれる。彼らは石化した人類を救おうと決意し、困難を乗り越えてついに地球への帰還を果たす。ISSへは百夜の作った超高性能な人工知能ロボット、レイ(REI)を残して。
 コミックらしい誇張とユーモアに溢れているが、その描写は感動的だ。こちらの物語のその先は本編へとつながっていく。
 そして本書の後半は、人間がいなくなり、ISSへ一人残されたロボット・レイの物語となる。それこそが本書の中心だといっていい。レイは人間たちがISSへ帰ってくる日をずっと待ち続ける。彼は空気抵抗でゆっくりと落下していくISSを建て直し、機能拡張し、百夜と同様に強い意志をもって創意工夫を凝らし、ISSを襲う様々な危機を乗り越えていく。それはもうとうてい不可能で無茶振りなシチュエーションだが、レイはどんどん前向きに解決していく。いつしか数百年、そして数千年が過ぎ去っていく。ISSとレイは(その後継者は)宇宙空間から「ワタシハココニイマス」と力強くメッセージを残しつつ、軌道上に存在を続けているのだ。
 地球滅亡後、ISSに生き残った少数の人類というテーマでは、ちょうど文庫版が出たニール・スティーヴンスン『七人のイヴ』を思い浮かべる。だがそれが人類の物語であったのに対し、こちらはたった一人のロボットの物語なのだ。
 ぼくはこういう、人間がいなくなった後に人間の意志を継いで生き続ける人間でないものたちという作品にとても惹かれる。例えばブライアン・オールディス「賛美歌百番」、ロジャー・ゼラズニイ「フロストとベータ」、コードウェイナー・スミス「マーク・エルフ」など、他にもたくさんあるが、本書もそれらの作品の系譜に連なる傑作だ。とにかくレイが健気で可愛いのだ。もう人間の代わりに、そこで思いっきり宇宙文明を築き上げてください。

『物質たちの夢』 八木ナガハル 駒草出版
 著者の第3短編集である。「漫画だから表現できるSFのかたちがここにある」と帯にある。8編が収録されているが、ほとんど同じ宇宙(人類圏)を舞台にした連作短編集となっている。
 最初の単行本『無限大の日々』の書評でも書いたが、いかにも同人誌的というか、ふわふわとした可愛い女の子と、異形のものたちと、それにリアルで細かなイラスト的な絵が混ざるという作風で、ハードSF的な背景をもってはいるが、ほとんどイメージだけの不思議な情景を描く作品群である。でもそのホンワカとしたどこに焦点が合っているのかわからないような曖昧な世界観はけっこう好きだ。
 最初の3編は「空飛ぶハサミ」の連作で、ハサミが意識を持って人間と闘い、惑星を支配している。そこを訪れた涼子さんと美由の二人がハサミたちと戦うのだが――。おそらく真の敵はあの謎めいた〈無限工作社〉なのだろう。
 他の作品「口から生まれるもの」「光の無い道」「拝脳教」「教育機械」「台風娘」も同じような雰囲気をもっている(ショートショートっぽい「台風娘」はちょっと違うか)。人格のコピーとか、量子力学とか、相対性理論とか、そんな科学的・ハードSF的なテーマはあるのだが、それが一種の寓話として描かれていて、それはぼくには古橋秀之のSFおとぎ話を連想させた。


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