『怪獣文藝の逆襲』は、2年前に出た『怪獣文藝』(2013)の続編にあたる。ホラー/SF作家が中心だった前作に比べると、映像に関係する監督、脚本家(小中、園、樋口)や編集者(井上伸一郎は元編集者で、現KADOKAWA専務)が目立つ。その分、一般的にイメージできる日本の怪獣映画に近いものになった。海外で大作“カイジュウ”映画が作られたことも影響しているのだろう。怪獣小説の隆盛については、『日本怪獣侵略伝』(洋泉社)と併せて朝日新聞の記事にもなった。
樋口真嗣(65)「怪獣二十六号」:25年前に書かれた幻の企画書、信越地方のトンネルから現れる怪獣を描く
大倉崇裕(68)「怪獣チェイサー」:怪獣省の予報官と、怪獣撮影にのめり込むチェイサーたちとの駆け引き 山本弘(56)「廃都の怪神」:ジャングルの奥深く、失われた都市で邪教の生贄にされる少年の見たもの
梶尾真治(47)「ブリラが来た夜」:母が打ち明けた一族の掟を破ったことで、地方都市に怪獣が出現する
太田忠司(59)「黒い虹」:目立たない転校生は、古い少年ドラマに出てくる怪獣に強い反応を示す
有栖川有栖(59)「怪獣の夢」:夢の中で川の向こう岸は豊かに見えたが、決して渡ることはできなかった
園子温(61)「孤独な怪獣」:貧乏だった主人公は、ある日怪獣映画の監督だと自称して女を誘うのだが
小中千昭(61)「トウキョウ・デスワーム」:東京の深地下を掘り進む切削マシンが、直径を越える生物と遭遇する
井上伸一郎(59)「聖獣戦記 白い影」:元軍が殺到する弘安の役、禁制の聖獣が用いられようとする
括弧内は生年(19XX)
上記では、執筆者の生年も併せて記載した。編者の東雅夫が1958年生まれ、執筆者の多数が1950年代末から60年代半ばくらいなのが分かる。今現在で、概ね50歳代になる。この年代で怪獣ものと言えば、怪獣映画は「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966)などや(昭和時代の怪獣映画は終わりつつあった)
、TVドラマとなった《ウルトラQ》(1965-66)、《ウルトラマン》(1966-67)あたりになる。本書の場合は、ウルトラ怪獣やその時代に対するオマージュが強く感じられる。「怪獣チェイサー」の対怪獣部隊、「魔都の怪神」のキングコングのような秘境、「ブリラが来た夜」は破られた禁忌、「黒い虹」は「謎の転校生」(1967)のようだ。「怪獣の夢」は3重構造の夢、「孤独な怪獣」は自身の体験だろうか、「トウキョウ・デスワーム」は「地底怪生物マントラ」(1969)を思わせ、「聖獣戦記」は意外に伝統的な怪獣を感じさせず平成ガメラ風だ。
もう一つのカイジュウ小説が『怪物島』である。
漂流する廃棄物が集まる太平洋ゴミベルトで、環境調査をしていた船が嵐で難破、地図にない島に漂着する。衛星写真の時代にそんな島があるのか。船のコンピュータはロックされ、通信手段を失った調査員たちは島に上陸するが、そこでヘビとトビトカゲを合わせた異様な生物に襲われる。そして海岸に埋められていた人骨は、人間とそうでないものとのキメラのように見えた。
原題が「731島」であることから想像がつくように、旧日本軍の某部隊が関係する。エンタメ映画によく出てくるナチス秘密研究所といった扱いだ。異様な動物が登場する「ドクター・モローの島」や、冒頭だけを見れば東宝特撮「マタンゴ」の雰囲気がする(同じ展開ではない)。そして、真打の怪物がカイジュウと称されているのだ。著者のジェレミー・ロビンスンは、ネットで発表した小説が評判を呼んで売れるようになった。『火星の人』のアンディ・ウィアーと同じで、新しいタイプの作家だ。1974年生まれで、1975年生まれのギャレス・エドワード(「GODZILLA」の監督)と同世代になる。この年代は上記『怪獣文藝』世代より10年若い。リアルタイムの怪獣世代ではないが、ネット世代なので苦労しなくてもカイジュウ情報を収集できたのだろう。この小説からオマージュは感じられない。カイジュウもまた一つの素材として、作者なりに咀嚼されているようだ。 |
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