内 輪   第289回

大野万紀


 ぼくや水鏡子や岡本俊弥も執筆している、本の雑誌社の『サンリオSF文庫総解説』が評判のようです。こんなマニアックな企画、だれが喜ぶのか(いや、もちろん喜ぶ人はざっと数百人くらいはいるはずですが)、と思って笑っていたら、何といきなり増刷がかかる売れ行きだそうです。この2刷りで初版のバグを多数修正しているので、こちらを正式版としてほしい、とは編集者の弁。すでに買った人も、もう一冊買わそうという作戦かも。
 送っていただいた2刷りの封筒の中に、21カ所修正したから、見つけられるものなら見つけてみろとの挑戦状(?)が同封されていたので、だれか正解を教えてくださいとTweetしたら、牧眞司さんからカンニングペーパーをいただきました。そこで、非公式ながら、訂正一覧を作ってみましたので、ここで公開します。
 それはそれとして、水鏡子のエッセイを読んで、サンリオの撤退についてちょっと気になることがあったので、Twitterでも書いたけれど、ここにも書いておきます。
 当時のメモを見ると、サンリオの撤退を伝える編集の西村さんが大阪に来たのは87年の6月12日のこと。いつものKSFAの例会ではなく、事前に電話があって、関係者が集まったのだった。場所は今はなき梅田阪急ファイブの喫茶「れい」。KSFAが毎週例会をやっていただけでなく、関西のコアな連中の間ではとても有名な喫茶店だった。水鏡子、岡本俊弥、米村秀雄、それに井上央もいた。西村さんはぼくらに、上の方針によりサンリオの出版部門からの撤退が決まったと伝えてくれた。
 サンリオの営業の方では、さよならフェアとか考えたが、そういうのも必要ないんだそうだ。決算のため今出ている本をすべて回収して焼却処分にするのだという。口コミで知らせて買ってもらうしかない。欲しい本があれば送りますとのことだった。そこで水鏡子がリストを作ることになった。
 この話をみんなに知らせてもいいとのことだったので、ぼくは翌日パソコン通信で、サンリオSF文庫がなくなることを伝えた(これは『サンリオSF文庫総解説』でぼくが書いたとおり。だが水鏡子が書いているように、西村さんの意図は公式発表前なので、大っぴらにではなく、こっそりとうわさのレベルで伝えて欲しいということだったのだろう。
 そういう意味では西村さんには悪いことをしたと思う。でも、あれはあれで海外SFファンには当然伝えるべきニュースだったはずだ。
 87年ごろとなるともうパソコン通信も普及していたし、このあたりのことは結構ログが残っているのです。記憶の方はあいまいだけど、外部記憶は確実だ。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『オマル2 征服者たち』 ロラン・ジュヌフォール 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 フランスの宇宙SF(帯には「プラネットオペラ」とありますな。でもプラネットという言葉はちょっと合わないように思う)『オマル 導きの惑星』の第2巻。
 ただし、第1巻の続編ではなく、時代は7百年前、登場人物も違う。ヒト族、シレ族、ホドキン族の3種族による戦争が勃発し、のちに暗黒時代とよばれる時代にもかかわらず、空には巨大飛行船が飛び交い、原子力機関車が荒野を走るという、テクノロジー的には7百年前でもほとんど変わっていない。というか、始祖の時代に近いだけ、むしろ残っているものが多いのかも知れない。それだけでなく、この時代にはまだ宇宙空間に棲むアエジール族との交易が続いていて、オマルでは入手の難しい様々な鉱物資源を手に入れることができたのだ。
 本書では、その交易が閉ざされることになった由来も描かれている。本書は3つのパートに分かれていて、その中心にあるのは、シレ族との果てしない戦争に終止符を打つため、超兵器を手に入れる極秘任務を与えられた、ヒト族のジェレミア中尉を主人公とする特命チームの活躍だ。次から次へと襲い来る苦難に不屈に立ち向かい、任務を全うしようとするかれらは、苦闘の中でしだいに変質し、人間性をも失っていく。そうまでして遂行しないといけない責務とは、どのようなものなのか。かれらの勝利が大局的な歴史の中ではつかの間のものでしかないことは、第1巻を読んだわれわれはすでに知っているのだが。
 もうひとつの物語は、この時オマルを襲った、太陽の光を遮る「闇のプレート」の出現による突然の暗黒、それによる極寒という大災害と、その調査におもむくヒト族の科学者チームの勇気ある戦いを描く。まるで極地探検隊のような苦労をしながら、ホドキン族の力もかりて、ついにはその謎の解明と対応へとつながっていくのだ。
 3つ目は、アエジール族との交易にのぞむ、3種族の大使たちと、そこにしくまれた陰謀の物語。こちらはホドキン族の大使を探偵としたミステリとしても読める。
 直接関係のないこの3つの物語は、「闇のプレート」を媒介として、結びついていく。はっきりとした説明はないが、SFを読み慣れたものなら、この世界がどうなっているのか、大体は想像できることだろう。そのごく一部を詳細に描くことで、本書の世界は巨大な広がりを感じさせることができるし、戦争のつづく暴力的で抑圧的な世界の中での、人々の暮らしや思いを生き生きと描くことに成功しているのだ。

『火星の人』 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫SF
 初めての長編をネットで公表したら評判になり、kindleで電子版を自費出版したらベストセラーとなって、書籍化され、映画化も予定されているという、宇宙オタクのSFファン(国立の研究所でプログラマーとして働いている)の幸福なサクセスストーリー。というのは本書の内容ではなくて、作者のことね。中村融の解説に、そのあたりも含め、過不足なく書かれている。
 事故で火星に一人取り残された主人公が、創意工夫とユーモアと、そして遙か彼方にいる地球の人々や、仲間の宇宙飛行士たちの努力とによって、様々な危機を乗り越えて帰還するまでの話。いやもうその通りであって、それに付け加えるものは何もない。奇想天外なことは何も起きず、宇宙人もシンギュラリティも出てこず、政治的な陰謀もなく、リアルで技術的な積み重ねが物語を進めていく。想定外のこと(それは想定から抜け落ちていただけで、起こるべくして起きたものだ)が起こっても、決してあきらめない精神力には脱帽するが、そうはいっても主人公は等身大の人間で、ヒーローというよりは「できる」エンジニアというタイプである。そして冗談が好きで、船長が残した70年代のディスコサウンドと、毎日のジャガイモに(そして肥料の臭いや自分自身の臭いにも)うんざりしながら、とにかく明るくて前向きだ。その「リアルに裏付けされた軽さ」がこの570ページほどもある小説を、どんどんページをめくらせる、読み応えのあるものにしている。
 読み応えがあり、面白いし、傑作です。もちろん、たった一人の人間の命を救うため、これだけのリソースがつぎ込まれる一方で、世界ではわずかな助力で救えたはずの命が、数知れず失われているだろうという、不条理感もなくはない。そこまで考えなくても、地球側ではこんな厳しい条件で仕事をさせられて、過労死する人もいたかもいたかも知れないねと思う。とはいえ、それでもみんな火星に残された彼を何とか救いたいと思うだろうし、様々な思惑を越えて、元気な彼の姿を見れば、自分のことのようにほっとするだろう。それが人間だ、と本書は語っている。
 超技術を描かず、あり得る科学でリアルな世界を描こうとするという意味で、本書はマンデーンSFの、ひとつの成功例といえるのかも知れない。
 あと蛇足を少し。本書で一番の想定外の出来事は、実は冒頭で起こっている。飛んできたアンテナが宇宙服を突き抜け、脇腹を貫通するほどの大けがを負っているにも関わらず、彼が無事に生き抜き、以後の活動にほとんど支障がないほど回復したことだ。そして、彼が生き残れると自分で思ったのは、まず食糧として栽培するジャガイモの量とカロリーを、ざっくりと計算したことによる。ここは本当にすばらしい。これで目標が定量的に定まり、様々な計画を立てられるようになった。その後も、何かあるたびに彼は概算して予定を評価し、行動の前には必ず点検と確認をかかさない。たとえ遠回りになっても、リハーサルや練習を確実に実施する。ほんと、エンジニアの鑑だね。冗談好きなオタクで軽い人間のようでも、ここはやっぱり基礎をきちんと押さえているから、生き残れることができたのだろう。あと、火星人は出てこないけれど、彼が放出したジャガイモと細菌たちが、その後どうなるか(どうもならなだろうけれど)ちょっと気になる。

『カオスノート』 吾妻ひでお イースト・プレス
 これはいい。いかにも作者らしい不条理ギャグばかりで構成された一冊だ。帯に「楽しんで描きました」とあるが、そんな感じが伝わってくる。
 吾妻ひでおの回りで、ナンセンスで不条理なできごとがいっぱい起こる。ペンギンに温めてもらったり、カッパになって川辺でキュウリを囓ったり、飛び出す絵本から色々なものが飛び出してきたり。大変にカオスです。
 もちろん、いっぱい美少女つき。ただ個人的な好みでは、今のJKより昔の美少女の方が好きだけど。いや、それよりネコが可愛い。ネコや動物たちがとても可愛い。で、このわかりやすい不条理感(パロディなどの知識が必要な要素が少なくて、そのままの感覚で楽しめる)は、何か既視感があったのだが、嘉門達夫の「あったら怖いセレナーデ」シリーズだと思いついた。あれに絵を付けるとこんな感じになるのかも。
 カバー裏に、ボツ原稿とその理由が載っている。ボツじゃなくてもよかったのに、と思う。

『スタープレイヤー』 恒川光太郎 角川書店
 恒川光太郎の新作長編は、オンライン・ゲームっぽい異世界ファンタジーだ。作者のこれまでの作風からはちょっと意外性がある。でも読んでみるとすごく面白かった。ありがちな設定なのに、定番をすこしずつずらし、外している。
 主人公は、辛い過去をもつが、ごく平凡な34歳の無職の女性、斉藤夕月。路上のくじ引きに当たり、いきなり異世界へ召喚されてしまう。地球によく似た、地球とは違う世界。彼女は姿の見えないこの世界のマスター、フルムメアというシステムにより、10の願いをかなえられる「スタープレイヤー」に選ばれたのだ。願いはスターボードという、タブレット・コンピュータみたいなボードに、できるだけ具体的に入力することで、フルムメアの審査を受け、それが実現可能でこの世界のルールに矛盾しない限り、何でも可能となるのだ。絶世の美女になることも、金銀財宝に満ちた御殿を築くことも、地球から好みの人間を(生死に関わらず)召喚することも、さらには死者を生き返らせることまで。
 夕月はアシスタント・プログラムである石松のサポートを受けながら、はじめはおずおずと、それから大胆に自分の欲望を(彼女の過去に起因する暗い欲望も含めて)解放していく。だが、この世界には彼女の他にも人々が暮らし、村や町や国家が存在した。スタープレイヤーは他にもおり、マキオと名乗る男と知り合いになる。マキオの手助けにより、夕月は自分のこもっていた館から飛び出し、この世界の民族や国家間の抗争に巻き込まれていく。
 明示はされていないが、この世界がおそらくは仮想現実の世界であり、オンラインRPG的なルールとシステムによって動かされていることは想像がつく。しかし、その中にいる人々にとっては、仮想だろうが何だろうが、これが現実なのであって、そこには日常があり、愛があり、戦いがあり、悲劇もある。設定からはのーてんきな万能感あふれる話になりかねないところを、微妙にずらしつつ最終的にはやや地味ながらハッピーな感じにまとめられた。とはいえ、深くて暗い、重い部分も含まれており、思わずぞっとするようなシーンもある。
 ところで、この願いをかなえるシステムは、要するにユーザの要求仕様をきちんと定義して渡さないといけないわけで(仕様変更ややり直しは別途となって願いを消費してしまう)、これが実際にはとても難しいことだと、IT関係の仕事をした人ならわかるだろう。もっとも本書では、石松というコンサルタントが、しろうとの夕月に細かくサポートしてくれるので、かなり大がかりな願いもちゃんとかなうようになっている。絶対に見落としや失敗(バグ)があると思うのだけれど。
 本書は一応完結しているが、来年続編が予定されており、シリーズになるようだ。期待したい。

『突変』 森岡浩之 徳間文庫
 書き下ろし千枚の長編SF。関東の地方都市、酒河市の一部(ほとんどひとつの町内のみ)が、「突変(突然変移)」と呼ばれる異常現象で、異世界の地球へそのまま転移してしまう。そこはほとんど地球そのものだが、脊索動物(われわれ脊椎動物を含む)の代わりに有笛動物と呼ばれる独自の生物(一般にはチェンジリングと呼ばれている)が繁栄しているような世界(裏地球)である。それまでごく普通の日常生活を送っていた町内の人々は突然、表の世界から切り離され、この世界で協力し合って生きていくことを余儀なくされる。本書は、そんな三日間の物語である。
 一人か数人が異世界へ飛ばされる話はファンタジーになり、都市や町、学校などの一地域がそのまま異世界へ転移する物語はSFになる。おおざっぱにそういうこともできるだろう。集団が関わると、リアルに社会を描く必要が出てくるし、そうなるとあちらとこちらの関係性について、その中で人々がどう生きるかについて、様々なインフラも含めて考察しなければならないからだ。キャラクターたちはリアルな自然や社会のルールに制約を受け、自由気ままに動き回ることはできない。解説で大森望がスティーヴン・キングやエドモンド・ハミルトン、楳図かずおや小松左京を引き合いに出しているが、まさにその通りである。とりわけ小松左京が好きそうな話しだと思った。
 本書ではさらに、この災害が未知のものではなく、すでに何度か発生しており、事前にある程度の研究や対策ができているという設定になっている。そのうえ、何年か前には大都市、大阪がそのまま突変してしまうという事態も起こっている。本書の前半はオーソドックスなパニック小説としてはじまるが、後半、この、数百万人の現代人が、都市や工業のインフラとともにすでに異世界にいるという設定が、本書をSFとしても独自のものにしている。ひとつの国くらいのパワーをもつこの「先住者」たちは、初期の混乱を乗り切り、まるで異星の植民地のように裏地球を開拓しつつある。だけど、なんせ大阪人なもので、どこかシリアスというよりはボケとツッコミを優先しているような……。とりわけ、中盤から出てくるのほほんとした政府代表と、対立する企業の女社長、そして高校生ながら凄腕の狙撃手である、ふたごの兄と妹(いや、姉と弟といわなければ姉ちゃんにどつかれる)たちの、口八丁手八丁な活躍が面白い。
 いっぽう、第一章から一人一人じっくりと描かれる、酒河市の人々、年老いた町内会長、ふだんは家事代行会社のスタッフだが、突変に備えて設置された環境警備官でもある女性、ニートで銃器オタクの防除団長、町内にあるスーパーの店長、陰謀論に凝り固まった女性市会議員、前の突変で大阪出張中だった夫と生き別れた子連れ主婦、そしてその子どもであるチェンジリングにやたら詳しい少年――かれらはパニックの中で、互いにうさんくさく思いつつも、いやおうなく協力し、事態を受け入れて生き残ろうとする。本書の前半は、大規模自然災害の中でのかれらの奮闘を描くが、後半ではかれらは先住者に救助される避難民となり、立場が変わっていく。最後にはかれらに大きな危機がせまり、それは表地球での出来事を描くエピローグと呼応して、静かな感動を呼ぶ。
 スーパーヒーローはおらず、非現実的な冒険やとんでもない驚きは描かれないかわりに、作者らしいとことん考え抜かれた設定と、いかにもありそうな行動、細やかに描かれたキャラクターたち、そしてところどころでのギャグと、異生物への愛。大森望のいう「一定の節度をちゃんと保っている」とはそういうところをいうのだろう。これだけの長さがありながら、リーダビリティは抜群で、最後まで面白く読めた。せっかくこんな世界を構築したのだから、やっぱり続編や関連作品が読みたい。
 なお、突変がなぜ起こるか、なぜ生物相が違うのかについての本書の説明(推測)は、あまり納得のできるものではなく、もっと別の解釈があってもいいように思う。「花と鳥のパラドクス」(これはいい言葉だ)にしても、被子植物の問題は、そんな難しく考えないでも、突変がずっと昔、例えば数万年前にも起こったと考えれば解決するのではないか。植物は生き残ったが、動物は死に絶えた。あるいは少しだけ生き残っていても、それは現代の突変で転移したと見分けがつかないのでは。でもまあ、そんなことは重要じゃないのだが。


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