ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜065

フヂモト・ナオキ


フランス編(その三十一) モーリス・デコブラ/H・S生訳「インテリ動物園」

 モーリス・デコブラ Maurice Dekobra(1885〜1973)といえば、戦前のフランス大衆文学界でブイブイいわせてた作家で、その登場によってピエール・ブノアを売れっ子作家トップの座から引きずりおろしたニクイやつ、という印象。
 …ってのは、高橋邦太郎の「国際的な舞台を描くモオリス・デコブラ」の中の「現代の仏蘭西大衆文学の巨匠は誰が何といつてもピエール・ブノアだが…大戦後の淋しい大衆文学壇にこれに優るとも劣らぬ新進が現はれが。これがモオリス・デコブラで忽ちのうちにブノアを凌ぐ有様になつたが、ブノアが異国趣味に囚はれ過ぎて、どつちかといふと、実生活から遊離した浪曼味な世界を描くに反してデコブラは極めて現実に即した世界を題材としてブノアの異国趣味に対して、彼は寧ろ国際的な舞台に現代人を踊らせる。」から来ているのか。
 ブノアが伝奇趣味がかっているのに対し、もっと都会的で現実に即した作風だというから、そりゃそっちの方が、一般大衆受けするやろうねえ。

 ブノアは1926年にちょっと来日しているが、滞在時にはほとんど日本のメディアに露出せず、フランスの雑誌に日本印象記が出て、あ、来てたのかと思われたぐらいだったような気がする。一方、1933年末から1934年初頭にかけて日本に滞在したデコブラは、大抵、大衆作家か、ケッといって、洟もひっかけられずに泣いて帰るはずのところ、この時期は、なんか対外宣伝のためにチヤホヤするのがいいんでねえの、という機運がなぜか盛り上がっていたらしく、結構優遇された節が…。
 ちゃんと調べれば結構面白そうだが、コクトー来日の研究書は出ても、デコブラではのぉ、今や忘れられとるし、ってことでスルーされるんだろうねえ。しっかり動きをトレースして、対面した日本人の言説を拾えば、いろいろ出てきそうな気がするけどなあ。誰かやらへんかのお。
 いや、コクトーとの比較、ってことでやればいいんだよ、多分。

 その時点で翻訳単行本は、有賀宗太郎訳『寝台車のマドンナ』La madone des sleepings、武林無想庵訳『首斬りセレナーデ』Serenade au bourreau、東郷青児訳『恋愛株式会社』、福永渙訳『ダイアナ夫人と十三人目の男』La gondole aux chimeres(英訳 The 13th Lover からの訳)と四冊あったように思うんだが、なぜか当時の人の間では三冊だと思われていた模様。どれがスルーされていたんだろう。
 勿論無断出版なので、デコブラは翻訳者を探し出して金を取ろうとしてたらしく、新居格は有賀宗太郎ってのはオマエじゃないのかと絡まれたのだとか。結局どうなったんやろうね。
 それ以前に<探偵趣味>で『王子譚』Prince ou pitre、<発明>での『死線を脱して』の連載なんかもあったが、どっちも完結しておらず。完結しなかったおかげで揉めずにすんだものか。

 その後、1936年に原百代が<三田文学>で「太守の国」Les tigres parfumes, aventures au pays des maharajahsを連載したが、これも雑誌では未完。その後、1940年に『印度旅行』として刊行。ってことはこれは、ちゃんとデコブラに金を払ったのかねえ。戦前の単行本はあと1942年『暁の銃殺』Fusille a l'aubeぐらいか。
 戦後目についたのは1955年『赤軍ニューヨークを占領す』L'armee rouge est a New York: la guerre future に<宝石>1956〜1957年連載の『どろつく物語』Les memoires de Rat de Cave ぐらい。
 まあ風俗作家といわれてたのに『赤軍ニューヨークを占領す』なんてものを手がけているのが、ちょっと不思議な気もするが、人気作家となれば、はやりモノに飛びつく才覚は必要かも。

 戦前には小惑星が落ちてくる話を書いていて、英訳はある模様。いや、どうせ世界の終わりを前にして惚れた腫れたいってる話だと思うがなっ。←個人の偏見です。

 デコブラには短い艶笑譚的な短篇をいっぱいありそうなので、雑誌の埋草にはちょうといいと、あちこちに訳されてるのを見る気がするが、今回慌てて調べ直して見つけられたのは30篇ぐらい。だいたいが Le geste de Phryne: amours exotiques 収録作っぽい。中でも Bravo, herr Baron!... には、「ブラボー男爵!」<婦人公論>1931年1月、「維也納の一夜」<新青年>1932年2月10日「真珠の指環」<新青年>1937年8月5日「ブラヴォ・ヘル・男爵」<スタア>1946年8月と、四回も行き当たってしまいましたよ。

 今回とりあげるのは、なんかザミャーチンやらマヤコフスキーに飛びついて書き飛ばした感の漂う<前衛時代>1931年8月号掲載の一篇。

 西暦3000年の未来、貧富の差とともに叡智と愚鈍の区別も解消されており、好奇的標本として旧社会の寄生虫、インテリゲンチャと呼ばれた特殊人種を保存している動物園へ、セレニウム工場の機関手であるコロクは市政委員会から派遣される慰安婦の御機嫌をとるべく出かけていく。←男女差別はひどくなっている模様。
 作家なんかの放り込まれている芸術館の他に科学者を収容する科学館もあって、まあ、収容者はさんざん弄られとるが、秘かに毒ガス製造に成功した化学者が脱走、捕まえられなければ世界は終り、という『猿の惑星:創世記』的な何か。

 原作がどこに出ていて、どれぐらい忠実な訳なのかが気になるところだが、全然調べられてません。


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