内 輪   第238回

大野万紀


 はやぶさが地球に帰ってきました。オーストラリアに落下する当日は、ぼくもネットに釘付けで、なかなかつながらない動画を見つつTwitterしていました。何とか火球の映像を見ることができ、現地に行った野尻抱介さんがカプセルの発するビーコンを受信した時には、ちゃんと生きて帰って来たんだなと、じんわりとこみ上げてくる感動を覚えました。野尻さんの現地報告はこのあたりにあります。
 ところで、無人探査機に感情移入するのは別に変なことではないように思います。さすがに萌え擬人化には興味ないのですが、擬人化しなくたって、そのままで十分萌えられると思う。孤独に耐え、困難に打ち勝ちながら使命を全うするけなげさ。それが人間でも、動物でも、機械でも、あるいは異星人でも同じだと思う。SFでは昔からある一つのテーマといえるかも知れません。昔書いた記事でも触れていますが、イングリスの「夜のオデッセイ」などがその代表作といえます。遙か太陽系の彼方を旅するボイジャーへの愛は、例えば池澤夏樹の「スティル・ライフ」などでも描かれていますね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『星の舞台からみてる』 木本雅彦 ハヤカワ文庫JA
 これはいい小説だ。作者はUNIXとネットワークの専門家だそうで、近い未来の話だが、リアルで日常的なネットワーク世界が描かれている。いい小説だが、地味な話である。こういうのをマンデーンSFというのかな(違うかも)。
 ヒロインは顧客の死後にWeb上での後始末を代行するサービスに従事するHCC社の会社員(正社員じゃないけど)香南、25歳。IT関係の大企業、HCCの親会社でもあるソラゲイト社の創業者の一人である野上の死後処理を任された。彼はいわゆる天才的ハッカーで、この世界のネットワークの主要なアプリケーションであるエージェントシステムを作り上げた一人である。香南に託されたのは、彼の経歴、履歴、人生を追うこと。ソラゲイト本社からやってきた、いかにもエリートサラリーマンな辻河原、そして野上に心酔しているという、ちょっと謎な高校生(中退)の広野と、3人での調査が始まる。
 前半はいかにも現代と地続きなネット社会での「働きマン」な物語。IT関係に従事している人なら、色々とうなずくことも多いだろうし、仕事の進め方なども含めて、丁寧に描かれており、実社会のお仕事小説としても読み応えがある(帯に「愛と勇気のシステムエンジニアSF」とあるが、彼女らの仕事はどう見てもシステムエンジニアの仕事じゃないよねえ)。実はその裏ではエージェントたちの物語が同時に語られており、人工知能と人間との関係や、自意識の問題など、これは山本弘の最近の作品などとも共通する、現代的でSF的なテーマが描かれているのだ。とはいえ、全体としてはあまりそっちへ深入りはせず、野上という天才的な変人の軌跡を追うことで、新しい社会の構図、信頼によるネットワークが浮かび上がってくる。
 後半はネット側の比重が高くなり、ちょっとしたアクションもあったり、古い社会と新しい社会の対立、その中での個人の役割などが描かれる。よりSF度が大きくなり、そしてやや無理やりではあるものの、いかにも夢のあるSF的な大団円を迎える。ちょっと小川一水の前向きSFのような味わいもあり、気持ちよく読み終えることができた。なお、本書のテーマは林譲治『記憶汚染』とも関係していることを付け加えておきたい。

『さよならペンギン』 大西科学 ハヤカワ文庫JA
 量子力学ファンタジーだな。多世界解釈と不死者のテーマが合体して、しかも裏表紙の解説では「哀愁の量子ペンギンSF」ときた。
 主人公の南部観一郎は1500年以上生きている不死者。今は塾の講師をしている。中学生に慕われて、いい先生のようだ。同じ塾に勤める谷一恵は彼に気があるようす。そんな日常にある日、異変が訪れる。もう一人の不死者の存在だ。
 なぜこれが量子力学ファンタジーかというと、不死者とは常に自分が生きている世界を観測した観測者だから、ということだ。『リングワールド』のティーラ・ブラウンの幸運の遺伝子のように、無数の多世界の中から自分の生き残る世界のみを収束させていくものなのだ。
 ……といわれると、なるほどと一瞬思うが、でも何だかちょっと変。サイコロを振ってずっと同じ目が出た人は運がいいといえるが、次にもう一度同じ目が出る保証はどこにあるのか。まあ、それでも、そういうアイデアと不死者を結びつけるのは面白い。けれども、そこにもう一人の不死者=観測者が登場すると、何だかわけがわからなくなる。それはともかくとして、本書のもう一つのポイントは、主人公についてまわるペンギンだ。本当のペンギンではなく、延長者というものらしい。あるときは口をきくペンギン、あるときは幼い美少女、そしてあるときはもっととんでもない存在に姿を変える、不思議な相棒だ。何ともすっとぼけた感じで、なかなか魅力的なシチュエーションである。キャラクター的にはみんな魅力があり、見せ場もあって面白く読めたのだが、基本的には不死者のファンタジーなのであって、それを量子力学と結びつけるのはちょっと厳しいなと思った。

『ペンギン・ハイウェイ』 森見登美彦 角川書店
 ペンギンつながり、というわけでもないが。とても読後感の爽やかなファンタジー。川端裕人の作品とも通じる「理科小説」であり、明らかに『ソラリスの海』オマージュのSFでもある。
 主人公は郊外の新興住宅地に住む小学四年生の少年。彼は将来大物になること間違いなしの、何でも研究する研究少年。アニメもマンガも携帯も関係ない(そういえばそういうものは本書に出てこないな)、ノートを友として色んな研究プロジェクトを立ち上げ、同級生の、ちょっと気弱でブラックホールを怖がるウチダくん、相対性理論の本を読んでいたチェスの得意な女子のハマモトさんらと、気になったこと、知りたいこと、不思議なことを調べるのだ。
 彼はとても魅力的なキャラクターだ。親しみを覚える。ぼく自身の小学生時代も思い出す。きっと作者も同じような子供時代を送ったのではないだろうか。
 彼の暮らす郊外の街の、森や川や草原と、こぎれいなカフェやショッピングセンターや大学のキャンパスや、歯科医院のある風景がとてもいい。風や空や、ちょっとした季節感、自然の空気の感覚といった描写がとても心地いい。作者は京都のけったいな大学生たちの描写だけではなく、こんな細やかで気持ちのいい描写も得意とするのだ。
 この街にある日、突然ペンギンが現れる。よたよたと歩き、そして街から連れて出ようとすると消えてしまう不思議なペンギンたち。やがて、森の奥の草原にはさらにとんでもないものが現れる。そういった不思議なものの背後にいるのが、少年がその自覚なしに恋している、歯科医院のお姉さん。おっぱいが大きく、美人で、すぐに眠くなるお姉さん。ああ、でも作者はやたらとおっぱいって言い過ぎです。確かにこのお姉さんにはたっぷりと謎めいた魅力がある。やがて、本書は小学生たちの夏休み物語から、まさに『ソラリスの海』のようなSF的な飛躍を得て、少しもの悲しい、でもとても爽やかなエンディングを迎えるのだ。堪能した。

『アードマン連結体』 ナンシー・クレス ハヤカワ文庫
 日本オリジナル短編集。ヒューゴー賞受賞作の「アードマン連結体」、ネビュラ賞受賞作「齢の泉」など8篇を収録している。
 解説で冬樹蛉も書いているが、老人と女性と子供が登場する話ばかりだ。それも、ばりばりと活躍するというより(「齢の泉」みたいに爺さんが活躍する話もあるが)、等身大で、日常的で、悲哀をたたえた話が多い。児童虐待の話(「マリゴールド・アウトレット」)もあるが、神経を逆なでするホラーめいた話ではなく、身近にもありそうに思える哀しいファンタジーである。遠未来の宇宙ものである「わが母は踊る」ですら、その主題は普通のSFファンが求めるところとは別にある。作者の場合、研ぎ澄まされた感性とか、鋭いアイデアとか、センス・オブ・ワンダーとかを見せつけるタイプではなく、例えていうなら、自身SFファンなのでそういう話も好きだが、自分で書くのはもっと普通で身近な(親しみやすいというのとはちょっと違う)、等身大の未来を書こうとするタイプに思える。SFファンだけど、オタクは嫌いとかね(本人が実際にそうなのかどうかは知らん)。「ナノテクが町にやってきた」など、わかりやすすぎる寓話だが、これが作者の本心かどうかはわからない。表題作は80歳以上の老人にある種の集合意識が生じる話だが、どうにもこの話に宇宙生命体のパートは不必要に思える。そういう、ちょっとずれた感じのひねり方が、かえって作者らしいと言えるのかも知れない。『ベガーズ・イン・スペイン』でも同じような印象を受けたが、ネットでの書評などを見ると、これはぼくだけではなく、多くのSFファンに共通する感想のように思える。SFファンをちょっといらっとさせる、でも読み応えはあって、読んでおかねばと思わせる、彼女の作品はそういう位置にあるのかも知れない。でもそれって、SFという枠を外せば、ごく普通の小説なんだよねえ。SF的ガジェットが、かえって本質を見えにくくしているような気もする。

『メイド・ロード・リロード』 北野勇作 メディアワークス文庫
 表紙といいタイトルといい、一瞬牧野修かと思ったよ。まあ北野勇作なので、「おかえりなさい、ご主人様」と言われて帰って来るところといえば、やっぱりあの風景なのだ。
 売れない作家である主人公が初めて〈ライトノベル〉なるものを書くことになって、調子のいい編集者とメイド喫茶へ行き、そこで何か大変なことが起こって、作者の書くメイドと主人公とのRPG風な世界と、その楽屋世界とが渾然一体となり、何だかメタな話が続き、そして最後は「おかえりなさい」なのだが……。
 前半はわりとセルフパロディっぽい、ややアグレッシブなスタイルで始まるが、途中から、ああここはやっぱりあの蒲鉾工場や昭和っぽい商店街のある、あの世界と地続きなのだなとわかり、ついには本当にいつもの北野勇作ワールドへと戻ってくる。メイド・ロードは冥土ロードで、リロードはそこに上書きするというイメージなのだそうだが(何のことかわからないだろうが、読んだらわかる)、北野勇作の読者でない人が読めば、冥土で迷子になってしまいそう。このどこへも行き着けない悪夢のような、しかしどことなく懐かしくて心地よい迷路感覚こそ、北野ワールドなのだが。

『未来医師』 フィリップ・K・ディック 創元SF文庫
 1960年のディックの薄い長編。何しろ原書はエース・ダブルの片割れだ。
 21世紀の医師パーソンズは突然25世紀の世界へタイムスリップ。そこは時間旅行が実現した世界だったが、人種の混交が進み、平均年齢が15歳で、医療行為は罪悪と考えられ、死が生と同様に重んじられている奇妙な世界だった。パーソンズはここで社会を変革しようとする一派の女性指導者に、彼女の死んだ父を再生するよう頼まれる。そして彼らと共に過去のアメリカへタイムトラベルし、歴史を変えようとするのだが……。
 というわけでタイムトラベルをテーマにしたアクションSFで、そのパラノイア的なところはディックらしいといえるが、どうにも平凡な作品である。変容した世界の創出はすばらしく、アクションありロマンスありで面白く読める(とにかく短いのがよろしい)のだが、いかにも古めかしい。タイムパラドックスなどどうでもよく(何度も同じ過去へ戻っているので、自分たちが何組も見えたり)、今時の量子論的な時間旅行ものに慣れているとかえって新鮮かも知れない。後半の展開は普通に考えると無理すぎるが、スピード感があるので、あまり気にならない。まあエース・ダブルだし、こんなものでしょう。いや、決して悪くはない。


THATTA 266号へ戻る

トップページへ戻る