アンリオー作『懸賞五百万円』白水社、1919年刊といえば発明小説。と、知っとる人は知っとるわけやが、そのアンリオーって誰? これはNACSISのデータやとHenriot,
Jacquesになっとるけど、それってあの『遊び』のジャック・アンリオー? 年代があってないんですけど(1923年生まれ)。とりあえず有名なアンリオーだったらジャックだろ、とかそういう決め方ですか。
ジャック以外のアンリオーとしているのは会津信吾氏の『日本科学小説年表』。「E.アンリオー」と書いてあるけれど、この「E」もよくわからん。ヌーヴォロマンの名付け親といわれとるエミール・アンリオー(Emile Henriot,1889〜1961)のことなのか。それだったらとりあえず年代はあっていなくもない気が。
実はこのアンリオー、エミール・アンリオーでもない。会津氏が「E」としている理由も定かではないが、おそらく責任はレヨンSFあたりにあるのでは。違ったらごめんデルマ&ジュリアン。
このアンリオーはエミールのお父さんの諷刺画家アンリオー(Henri Maigrot,1857〜1933)。邦訳の序文にあたる「本書の訳述に就いて」に「本書は仏国現代の文豪アンリオー氏の著書「アン、プリー、ド、サン、ミリヨン」と題せる小冊子を訳述したのである。著者は学問該博志操高遠遥に時流を抜くの文士で、この書の仏国文壇に現はるるや」とあるとこから、すっかり同時代の1910年代後半刊行の本かと思いきや、Un prix de cinq millionsは1903(明治36)年刊であった。どうりで大正にしては古臭いと思ったよ。ちなみにアンリオーでSFといえば、こっちじゃなくて凍り漬けになった未来のパリを探検するParis en l'an 3000ってことになっているような気も。
なお、翻訳者の山本雄太郎については全然わからず。フランスがらみで山本雄太郎といえば1900年のパリ万博のために雇われてパリ出張前にやめちゃった書記の人ぐらいしか思い当たらないんですけど、その山本さんかなあ。
まあ、原書も実は明治期の本だったわけだし、19世紀から働いている山本さんである可能性は逆に高いともいえるわけだが。
著者がらみで書いとくことはこのぐらい。ということであとは章立とあらすじを紹介すりゃ終わりなんだが、ともかくこの本で一番目をひいたのが、蛙状機。ドクター中松のジャンピングシューズ(フライングシューズ)の元ネタだとしか。ひょっとして、中松氏は、この本を読んで発明に志したとかではないのか。『懸賞五百万円』を新訳し、各所に配ってアンリオーを偉大な先人として顕彰するとかしはじめると面白いんだが。
一、富豪、譲・倉守岸/二、第一回の会合―審査委員の組織/三、戦争の禁止―窒息式火砲/四、不滅の生命/五、奇怪の発明―蛙状機/六、旧弊家/七、遠距離洞視/八、北極の溶解―日光蓄積機/九、滑稽的各種の発明家/一〇、不思議の発明―酒精神抗毒液/一一、結末
物語は語り手の「余」が、アメリカの富豪、ジョン・クラモルガンがフランスに送った電報を入手したことからはじまる。快速船博愛号でルアーブル港に到着したクラモルガンは、人種改良、人類進歩のためにその資産を提供する目的でヨーロッパを訪れたという。資産は懸賞の形で提示され、その審査の模様が語られて行く。
最初に審査されたのは「窒息式火砲」という兵器。たちまち軍隊が壊滅してしまうような強力過ぎる兵器によって戦争ができない状態を作り出すという提案である。これはその実効性を検討するということで、次の提案へと物語はすすむ。次なる提案は「不死」。これは不死がもたらす人口増によって、多大な問題が引き起こされるだけであり検討するまでもないと却下される。
次に紹介される「蛙状機」というのが、ドクター中松ネタ。あのぴょんぴょんはねるなんたらシューズである。蛙のジャンプ力に着目。それ同様の飛翔力を機械的に獲得できれば交通問題は一挙に解決だという提案。もっとも試作段階なので上下方向に跳びはねるだけで、普通に歩くより、かえって前に進まないというバカっぷり。発明者はデモンストレーションを行うも、結局大ケガをして病院にかつぎ込まれることになるのであった。
つづく「旧弊家」の章では、ドクトル・チダーなる人物が進歩のもたらす不幸について語る。「遠距離洞視」では「電送写真」を進歩させた「電送動画」について語られる。日光蓄積機は、二千年後、石炭が尽きる時に備え太陽光を集め吸収保存する装置である。さらにこれを利用して北極を暖め、その北極の氷を利用してサハラの緑化を行うことが提案される。各発明のパートでは月面を広告に利用する話などが紹介される。
結局、最後の「酒精神抗毒液」というアルコール中毒対策というか、禁酒をすすめる薬品が懸賞にあたいするとされ受賞が決定さたのだが、発明者のビリンヂアンはその知らせを聞いてショック死。ただちに審査会は、彼の実験所を封鎖し試料やノートの調査を開始し、彼の発明を再現する研究にとりかかる。懸賞の正式発表は順延されたが、ほどなく再発見がなされるであろう。というところで幕。
いや、発明の社会的影響の評価という視点もあり、諷刺もあるし、もっと傑作になっていても不思議はないのだが、どうにも中途半端で古臭さが先に立つ。いや、要は大正半ばにしてこれかいっ、と思わされたんだが、その実明治36年作品といわれるとなんとなく納得。<反省会雑誌>は既に<中央公論>になってる年代ではありますが。
なお、この『懸賞五百万円』、なぜか<発明>という雑誌が1925年4月〜6月にかけて突如、冒頭部を三回にわたって転載。同誌はその後フェザンディのハッケンソーもの"The
secret of perpetual motion""The secret of the atom""A
journey to the center of the Earth"を訳載、さらに槙尾赤霧がクラインやらカミングスの翻訳を中途半端に連載して未完に終わらせたりとSF史的にはその迷走ぶりで記憶される雑誌である。さらにポオやアルデンが載ったりしていた気もするが、おそらくそのあたりは<新青年>からの転載なのではあるまいか。ま、英米ものは機会があったら改めて調べるってことで。