内 輪   第114回

大野万紀


 プレーステーション2がどっと混むじゃないドット・コムで予約でき、とても嬉しい大野万紀です。ソフトの方はまだ何を買うか決めていないのだけど、今の初期型でかなりがたのきたPSを置き換えるだけでもとりあえずはOK。DVDはまだこれといって欲しいのがないようだけど、これもLDから早く移行したい。米村みたいに部屋一杯LDを集めているわけじゃないので、気は楽です。それでも、やっぱりDVDで出し直して欲しいなあ。あれやこれ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ペリペディアの福音』 秋山完 (ソノラマ文庫)
 上中下の三巻で語られる遠未来の伝説となった物語。この作品は評価が難しいなあ。基本的には、ぼくの好きなタイプのSFなのだ……表紙や挿し絵に目をつぶればだけど。ダン・シモンズや、コードウエィナー・スミスを引き合いに出してもいいような、そういう、スペースオペラというか遠未来SF、未来史ファンタジイ。水鏡子はハーバートやヴォクトを引き合いに出していたなあ。で、問題はとてつもなくバランスが悪いこと。とてもシリアスなテーマや感動的なドラマに(悪い意味で)マンガ的、お約束なキャラクターが茶々を入れる。スラプスティック・コメディと気恥ずかしくなるほどの生真面目さの同居(インターナショナルの替え歌とか)。それ自体は全然悪い事じゃないし、成功すればきっとすばらしいSFになっただろう。いや、大勢の読者に支持されているのだから、きっと成功しているのだろう。でも、ぼくの感覚からすれば、これはバランス悪すぎ。バランス悪いということは、部分部分を見ればすごくいいところがある、ということでもあるのだけどね。でもあえていうなら、あれもこれもと欲張りすぎた失敗作。とほほ。

『幻惑密室』 西澤保彦 (講談社ノベルス)
 テラさんに勧められたミステリ。でも超能力が出てくるからSFといってもいいのか。まあ話は完全にパズラーなミステリだ。キャラクターがヤングアダルトっぽいので話には入りやすい。でも、やっぱりぼくとしては、この種のミステリって、あんまり興味がもてないのです。設定されたルールの中で(何しろ超能力で作られた密室だ)頭を使って謎を解くというのは面白そうなのだが、ぼくには興味がもてない。ハードSFみたいなのはOKなのに、どうしてかなあ。パズラーというのは人の作ったプログラムに異常(バグ)が発生し、原因は何だとデバッグしているようなものかも知れない。ロジカルに出来ているから必ず解けるはずだけど、プログラムの作りが悪くてこんがらかっているから、頭痛くなる、っていうような。ちなみに、SFの謎は概要設計レベル、普通のミステリは詳細設計レベルかも。細かいロジックはプログラマに任せて、全体の仕様(ストーリー)が重要なのだ、なんてね。本書に戻って、キャラクターには魅力があるのだが、ちょっといらないことを考えすぎではなかろうか。アボくんの活躍も見られなかったし……っていうとネタバレになるのかな。

『BH85』 森青花 (新潮社)
 ほのぼの破滅SF。水鏡子は吾妻ひでおの表紙とイラストを評価していたけど、ぼくは本書の場合もう一つだと思う。いや、吾妻ひでおファンであることに変わりはないのですけどね。もっとほのぼの感(帯の言葉では「なごみ」感)が欲しい。本書はとても読後感のいい、すてきなSFです。養毛剤が人間や他の生物を融合させ、地球を覆い尽くす、まあそんな話だけど、融合されずに残された側の物語となっている。で、彼らはあんまりばたばたしないでこの世界を受け入れていく。実際読んでみると、まずいきなり道修町だの高槻だの、なじみのある地名がどどっと出てきて、えらく身近な世界に思えてくる。マッド・サイエンティストはいるけれど、そういう身近な連中が日常の延長でこの異変をとらえてくれるので、よくあるパニックものとは相当に違う雰囲気が味わえる。ユーモラスではあるのだが、ドタバタ、コミックというのとは違って、けっこうまっとうなSFの雰囲気です。いつも何とかの一つ覚えみたいに例に出すのだが、小松左京の『果しなき流れの果に』のエンディング近く、じじばばの茶飲み話になるあたりのしみじみ感。いや、これがいいんだなあ。本書の結末も、SFとしてのイメージの広がりが美しく、感動的だ。こういう世界もいいなと思ってしまう。となると、発端との整合性が少し気になる。まったくの偶然というよりは、何らかのSF的必然性が描かれていれば、もっと傑作になっただろう。

『模造世界』 ダニエル・F・ガロイ (創元SF文庫)
 これは(ああ、そんな人もいたなあ)懐かしやガロイの64年の作品。突然映画化されたというので翻訳されたらしい。シミュレーション世界だ仮想現実だということが当然のように強調されるのだが、この現実が虚構かも知れないというのは、いうまでもなくSFの古くからのテーマであって、64年にこんな話が!とびっくりするのは当たらない。バーチャルリアリティが衝撃的だったのは、コンピュータの発達によって、まさにそういう昔のSF的テーマが、リアルなものとして、日常会話の世界で扱えるようになったというところにあったのだ。本書は当時よくあったパラノイアSFの典型である。ごく普通の水準作であって、例えばディックのような凄さはない。やっぱり古めかしいし、登場人物たちは頭悪くてお友達になりたくないタイプ。それなのに何でこんなに評判いいのかねえ。

『黒い家』 貴志祐介 (角川ホラー文庫)
 今頃読むか、という声もあるが、評判だった時にはあんまり興味がなかったんだよねえ。ホラーといってもサイコ・サスペンスということだったし、和歌山の事件があったし。で、ほとぼりがさめてから(といっても映画化されてますます人気みたいだが)読んでみたのだが。すごい、やっぱし傑作じゃないですか。怖いし、イヤな話なのだが、後味が悪くない。でもどうしても和歌山の事件が頭によぎるなあ。読んで思ったのは、この作者はやっぱり、かなりSFの入った人だなあということ。日常的な恐怖を描きながらも、サイコパスと人類の進化をからめて語るところなんか、特にね。でもこの手の人間って、人殺しは平気でも、無意味にサディスティックなところはないような気がするんだけれど、違うのでしょうか。

『太陽の王と月の妖獣』 ヴォンダ・N・マッキンタイア (ハヤカワ文庫)
 これが本当のワイドスクリーン・バロック。いや、冗談じゃなくて、本当にバロックだし(だってルイ太陽王のヴェルサイユ宮殿が舞台)、映画化を意識したストーリーと豪華絢爛なシーンの続出だから。ネビュラ賞を取っているが、SFかといわれると、うーんというかも知れない。でも、知的生命としての妖獣が出てきてその人類とのコンタクトの歴史も語られるし、ヒロインは科学者だし、日本が鎖国していないみたいだし、SFといってもぼくとしてはOKだ。なにしろ作者はマッキンタイアだから。もちろん本書の比重はそういうSF的な部分よりも、妖獣の命をめぐっての国王とヒロインの駆け引き、ヴェルサイユの宮廷風俗をきらびやかに描き出した歴史絵巻の部分、そしてうぶなヒロインとリュシアン伯爵との恋物語にある。それはもうSFであろうがなかろうが、圧倒的に面白い物語だ。ちょっと王様が物わかり良すぎる気もするのだが、それで安心して読めるのだからOKでしょう。


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