大野万紀「シミルボン」掲載記事 「このテーマの作品を読もう!」
第4回 かみさまって、何ですか――うん、SFの中では・・・
「かみさまって、なんですか?」と聞かれれば、何となくすごい超能力をもった偉い人たちと答えてしまうのがSF者。本当に信仰をもっている方には申し訳ないが、SFに出てくる神様というのは、天地を創造した全能者というより、そのパロディのような存在がほとんどだ。神々しい神様よりも、天使や悪魔や、妖精や妖怪の方にずっと親和性がある。それに神様や天使たちを、そのまま超自然的存在として描いてしまうと、SFというより、ファンタジーやホラーになってしまうでしょ。SFに出てくる神様というのは、やっぱりちょっと不真面目な存在なのだ。
そんな神様の出てくるSFをいくつか紹介しよう。
キリスト教やイスラム教のような唯一神は、さすがに不真面目に扱うのはおそれ多いのか、そのままではなくて、一ひねりした形で扱われることが多い。また神様そのものではなく、宗教的なアイコンや概念をSF的な観点から再解釈するものもある。笑いをとろうとするものもあるが、むしろ信仰への敬意を別の視点から表すものに傑作が多い。例えば、アーサー・C・クラークの短編「星」(『90億の神の御名 -ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク(2)』収録)は、キリストの誕生と天文学を結びつけた皮肉なショートショートだが、その衝撃はある種崇高なものである(クラーク自身は無神論者で、仏教を除く既存の大宗教には反感をもっていると語っているのだけれど)。また同じくクラークの『幼年期の終わり』に出てくる、あのオーバーロードの姿にも、キリスト教への皮肉なまなざしがある。
いや、そんなのじゃなくて、本当に神様の出てくるSFを、ということであれば、ギリシア神話やインド神話の神々が宇宙で活躍する作品があります。どれもぶっとんでいて面白いよ。
まずはロジャー・ゼラズニイ『光の王』。遙かな未来、遠い宇宙の惑星。そこでは植民者の第一世代が転生 処置によって不死を獲得し、カースト制度を敷き、インド神話の神々となって人々に君臨している。シヴァやヴィシュヌ、ブラフマンやカーリーといった神々が、その属性のままに存在しているのだ。その圧政に対抗するのが、これまたシッダルタ(仏陀)の名をもつ第一世代のサム。彼はこの体制に疑問を抱き、神々たちとすさまじい超絶異能バトルを繰り広げる。初めはサムの敵として現れるが、やがてサムを助けることになる、〈死神〉ヤマもいい。彼は剣の達人だが科学者でもあり、魔法のような科学技術を駆使して、サムの戦いを助ける。これほぼ半世紀前、1967年の作品ですよ。まるで今のラノベみたいな設定とストーリー。でもゼラズニイらしくスタイリッシュでかっこよく、しっかりとSFしている。お勧めです。しかしSF作家って、仏教にはわりと好意的なんだよね。
仏教とSFといえば、わが光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』も忘れてはいけない。ヒロインは阿修羅王。萩尾望都のマンガ版も印象的だ。四億年にわたり、帝釈天の軍と戦っている少女。それにオリオナエ(プラトン)とシッタータ(釈迦)が関わり、ナザレのイエス(キリスト)と敵対する。とにかく壮大な物語だ。横たわるテーマは宇宙そのものの滅亡。神は、あるいは創造主は、この宇宙に命が誕生した時から、この世界の破滅をプログラムしていたのだ。阿修羅王たちはそれにあらがう。諸行無常な仏教的宇宙観といっても、それがSFに溶け込んで、最後には新たな希望を生む。結末で明かされる、その何と小さな希望。だが何と壮大で畏るべき希望。ネタバレになるから書かないけれど、それは現代SFでもよく扱われる、目くるめく宇宙論とつながるものだ。
続いてギリシア神話。
ギリシア神話をSFにした作品というとけっこう数があるのだが、ぼくの好みでは、ダン・シモンズの『イリアム』とその完結編『オリュンポス』が好き。とはいえ、かなりムチャクチャな話なので、ちょっと読者を選ぶかも知れない。この小説では、テラフォームされた火星のオリュンポスに、ギリシア神話の神々が住んでいる。もともとギリシア神話の神々は人間くさくで、やることはとんでもないのだが、この神々もひどい。人
間たちにちょっかいを出しては遊んでいる。そしてシンギュラリティ後のトロイ戦争!『オリュンポス』では冒頭から「トロイアのヘレネは空襲警報で目を覚ました」とくる。ギリシア神話の神々のプラズマ爆弾が、木
星系から来た金属生物〈モラヴェック〉たちの防御シールドに守られたトロイアの都を爆撃しているのだ。思わず頬が緩んでしまうような、トンデモSFな描写だ。シモンズはこれだからたまりません。ギリシア人とトロイア人が協力して神々に反旗を翻し、それをモラヴェックたちが支援し、と思ったら今度はそれがまたひっくり返り、アマゾネスの女王が登場し、神々同士の内輪もめが大戦争となり……そして、ほろりとくるような結末の大団円。
ダン・シモンズには『エデンの炎』という話もあるが、こっちは珍しくハワイ神話がベースにある。
SFで神話といえばクトゥルー神話もあるが、これはちょっと毛色が違うので、ここでは触れないよ。
特定の宗教の神様ではないけれど、神様や、あるいは神様といって変わらないような超越存在をモチーフにしたSFも多い。というか、そっちの方が主流だろう。
日本でその代表といえば、何といっても山田正紀。『神狩り』は著者のデビュー作ながら、代表作の一つといっていい傑作だ。人間とは論理構造の違う古代文字の発見に始まって、普通の人間と神との戦いという大変な話に至る。『弥勒戦争』、『神々の埋葬』とともに(それぞれ直接の関係はないのだが)〈神シリーズ〉とも呼ばれ、神のような絶対的な存在を否定して、それに立ち向かうという構図を示している。
立ち向かう対象としての神ではなく、人々を癒し、心の支えとなり、あるいは現世御利益を与えてくれる存在としての神様(普通の人間が神様に対して感じるのはこっちだろう)は、SFの中ではそのまま出てくることは少なく、他の絶対的な悪への対抗軸としてや、あまり力をもたない庶民的、あるいは個人的でローカルな存在として扱われることが多いような気がする。SF作家が作り出した小説の中の神様もだいたいそんな感じだ。とはいえ、中には現実に宗教の教祖様になってしまった人もいるので、一概にはいえないが。
フィリップ・K・ディックの作品にもそんな人々の救いとしての宗教がよく登場する。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のマーサ-教、『逆まわりの世界』のユーディ教、そして極めつきが『ヴァリス』や『聖なる侵入』のような自身の神秘体験をそのまま小説にしたような作品である。だがここまでくると、ちょっと誰にでもお勧めとはいえなくなるね。
SF作家が小説の中で作り上げた神様や宗教の中で、ぼくが一番好きなのは、カート・ヴォネガットの『猫の揺りかご』に出てくるボコノン教だ。こんな宗教なら、本当に信者になってもいいと思ったくらい。これはカリブ海の架空の島、サン・ロレンゾで広く信仰されている宗教で、すべては冗談であり、〈フォーマ〉すなわち無害な非真実を生きるよすべとしなさいと教える。とても気楽で気持ちよく、笑って過ごせる宗教だ。どんなものかは、一度読んでみることをお勧めする。世界が破滅する話だけれど、とてもいいSFです。
最後に、最近読んだ〈変な〉SFを一つ。第4回ハヤカワSFコンテストで特別賞を受賞した草野原々「最後にして最初のアイドル」だ。アイドルを目指す女子高生が、世界が破滅する宇宙的な異変の中で、異形の存在となり、地球に君臨し、さらには壮大な時空の果てへとアイドル活動を広げていくという、とんでもない話である。いわばアイドルが奇々怪々な神様になってしまう話で、そんなのありかと思うけれど、考えてみればアイドル=偶像なのだから、これは偶像崇拝である。宗教SFのとても正しい姿なのだ(本当か?)。
でも個人的には、同じ偶像崇拝かも知れないが、そんな怖いアイドルよりも、女子中学生がごく日常的に神道の神様になってしまう、アニメ「かみちゅ」の方が好きだなあ。森羅万象に神様が宿っている、八百万の神様にはとても親しみを覚えるのだ。
(16年12月)