大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」
「人類、生き抜きすぎにもほどがある」――いや、まったくだ。『七人のイヴ』
『七人のイヴ』
ニール・スティーヴンスン
『七人のイヴ』は、『スノウ・クラッシュ』(92年)、『ダイヤモンド・エイジ』(95年)、そして『クリプトノミコン』(02年)のあと、本当に久しぶりに翻訳された、ニール・スティーヴンスンの長編SFである。
彼の作品はコンピューターの最新知識をベースに、物理学や数学で味付けし、そこに社会や文化の変化についての彼の考えと、雑学的な蘊蓄、そのうえにユーモアというかコミック的な感覚を詰め込んだ、いかにもSFファンが喜びそうな作風だといえる。しかし、ともすれば本筋そっちのけでマニアックなディテールに走ったりして、どんどん話が長くなる傾向がある。以前の『クリプトノミコン』も、長すぎて邦訳は四分冊になったし、本書もまた、元は一冊の本なのだが、邦訳は三分冊となった(文庫版は上下巻)。
というわけで、ここでは『七人のイヴ』のⅠ、Ⅱ、Ⅲをまとめてレビューする。そうなると、途中までしか読んでいない読者には、どうしてもネタバレの要素が出てきてしまうので、ここではネタバレ注意として扱うことにした。もっとも大筋は本の裏表紙を見ればわかるのだし、そもそもタイトル自体がネタバレといえばネタバレなのだから、あんまり気にすることはないと思うのだが。
元々一冊の本として出たのだが、実際のところⅠ~ⅡとⅢとは内容が大きく異なる。Ⅰ~Ⅱは月が分裂して人類が(ほぼ)絶滅するという近未来デザスター・ハードSFだが、Ⅲはその五千年後を描く遠未来SF(そして実はファーストコンタクト・テーマのSFでもある)なのだ。
これって、普通だったらⅢはⅠ~Ⅱのエピローグとして、短くエモーショナルに描かれるような内容だろう。でも読んでみると、どうやら作者にとってはⅢこそが本編で、Ⅰ~Ⅱはその長いプロローグだったというのが正しいように思えてくる。
さて、そのⅠ~Ⅱだが、いきなり「何の前ぶれもなしに、はっきりした理由もわからぬうちに、月が破裂した」という文章から始まる。たぶん今世紀中のことだろう。近未来の話である。小惑星が落ちてくるというのはよくあるが、月が破裂するというのにはびっくりだ。基本、ハードSFとして非常に厳密に描かれているのに、月が分裂した理由も憶測だけで詳しくは語られない(Ⅲのエピローグで仄めかしはある)。でも原因が何であれ、七つに分裂した月が指数関数的に分裂・衝突を繰り返し、ついには隕石の雨となって降り注いで、地球が死の星となることは間違いない。人類は滅亡するだろう。それまでの猶予はたった二年! 本書は、その大パニックの中で、人類の一部を宇宙で生き残らせようという物語なのだ。
宇宙といっても太陽系の惑星に逃れようというような大きな話ではなく、舞台は地球周回軌道の国際宇宙ステーション(ISS)という、今も飛んでいるあのちっぽけな人工衛星なのだ(もっともこの時代には、色々と拡張されていて、何よりも小さな小惑星を捕獲してくっつけているという設定ではあるが)。たまたまそこにいた人々と、地球滅亡までのたった二年の間に後からやって来た数千人だけが生き残ろうとするのである。
本書では、地球上でのありがちなパニック描写はできるだけ避け、むやみに感傷的にならず、軌道での生き残りをかけた努力を描くことに集中している。主なストーリーは、たまたまISSにいた人々と、後から来た人々の、人類生き残りをかけた苦闘にある。時間もない、リソースもない。それでもあきらめることなく、知恵と技術と勇気でサバイバルしていく。ⅠとⅡの前半では、基本的にそれが中心だ。主人公格の登場人物は何人かいるが、ロボット工学者のダイナが主な視点人物となる。だがぼくのお気に入りは成り行きで指導者をやることになるアイヴィだ。彼女は決して権力志向な人間ではなく、たまたまISSで司令官をしていた東洋系アメリカ人で、物理学者の宇宙飛行士である。困難に直面してもいつも笑顔で、とても人類の生き残りを指導していくような力強い人間には見えないが、どこかホンワカしていて親しみがある。ここまで、あまりイヤな人物は出てこず、コツコツと問題を解決していく技術者たちの創意工夫と努力が描かれていく。
本書の科学的・技術的ディテールは詳細で、とても読み応えがある。ただ作者がここで力を入れているのは、大量の小型ロボットや、ひしめき合う宇宙船の群れが、分散コンピューティングによる群制御で動的にコントロールされ、またチェーン状に繋がってムチやリングのように形状を変えたり、非常に奇妙な動きをしたりするテザーの力学である。これは従来の基本的に直線運動と円運動を中心とした宇宙空間の力学的イメージとは(同じ古典力学の範疇ではあるが)ずいぶんと違った、生物的なイメージを与える。とても面白いのだが、その分視覚的にイメージしにくい。ぜひとも映像で見たいところだ。この多数の小さなものが繋がって協働的に働くという力学的イメージはⅢでも踏襲されていて、今まで見たこともないような不可思議な巨大建造物が描かれる。何しろ軌道上からテザーでぶら下げられた巨大都市なんてのも出てくるのだ。
Ⅱの後半では生き残った人々同士がまた反発し合い、政治問題が生まれ、そして起きなくてもいいはずの悲劇がくり返され、Ⅱの最後で、ついに人類の生き残りはたった八人の女性のみとなってしまう。うち一人は子どもを残せない年齢なので、七人のイヴというわけだ。女ばかりだけど、進んだバイオ技術があるので、彼女たちはこの小さな世界で子孫を残していく。Ⅱの帯に小川一水さんの「人類、生き抜きすぎにもほどがある」という惹句が書かれているが、まったくその通りだ。いや普通に考えたら無理でしょう。でも生き抜いちゃうのだ。
人類滅亡を扱ったSFといえば無数にあるが、ぼくが印象を重ねたのは小松左京の『復活の日』だ。こんな局面になっても、人間ってホントにバカだよねえとか、それでも自分に出来る範囲で前を向いて進む姿とか。
そして五千年がすぎ、七人のイヴの子孫たちは再び地球に降り立つ――。
それがⅢだ。七人のイヴの子孫たちは数十億人に増え、宇宙で繁栄し、元の月軌道を巡る壮大なハビタット・リングを築き、テラフォームでようやく人の住めるようになった地球に前哨基地を築いている。これはワクワクするよ。しかし五千年前の政治問題はまだ尾を引いており、七人の子孫はそれぞれが新しい人種のようなものとなっていて、それが大きく二つの陣営に分かれて対立していたりする。
物語の前半は、そういう新しい設定と世界観、見慣れない用語が続いて、ちょっと物語に入って行きにくいところがある。また描かれる未来技術が、例の群制御や動的安定性から発展したものなので、まるで目くるめくジェットコースターの中にいるような感じで、落ち着かない気分になる。でもその見たこともないような、巨大で奇怪なガジェットたちはとても魅力的だ。
地球の復興は、えっ、たった五千年でここまで進むの? という気もしないではないが、それはまあいいだろう。五千年といったらけっこうな時間だ。またここでの逆ファースト・コンタクトというテーマもとても面白い。それにしても作者は、ここにポストヒューマンや人類の変貌や文化の継承と変質といった遠未来SFのテーマをこれでもかとばかりに詰め込んでいる。Ⅲの後半、物語が急速に動き出してからはがぜん面白くなる。あれよあれよと話が進み、それこそ、えっ、これで終わるの? という感じだ。物語自体はストレートなので、ここで終わりというのは何だか物足りない。ぜひシリーズものにしてもらって、続編を読んでみたい。
(18年9月)