大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」
ホモ・サピエンスの均質性と消え去った人類の多様性――みんな同じホモ属だったのに
『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』
川端裕人/海部陽介
本書は、副題に「アジアから消えた多様な「人類」たち」とあり、国立科学博物館の海部陽介さんの監修のもと、主に21世紀になってからの発見を中心に、ジャワ原人、フローレス原人、澎湖人といった、ホモ・サピエンス以前に(あるいは同時期に)アジアに生き、そして消え去った原人(ホモ・エレクトス)たちについての、ごく最近の最新情報まで盛り込んだ一般向けの解説書である。
この海部さんというのがすごい人なのだ。アジアでの人類進化学の第一人者であり、ジャワ原人やフローレス原人などアジアの発掘現場での世界的な有名人で、また化石のCTスキャンやコンピューターによる詳細分析、3Dプリンタでのモデル作製など、最新の技術を駆使して研究を行う、発掘現場と研究室の両方で活躍する科学者なのである。
その現場からのわくわくするような最新知識を、科学ジャーナリストとして、あるいはSF作家としての川端さんが、はっきりした問題意識をもって、わかりやすく咀嚼してレポートする。だから本書は読みやすくて、しかもすごく面白い。
まず人類進化学の最新の全体像が描かれる。ここで、猿人、原人、旧人、新人といった日本語と、英語圏での分類の相違が示されていて、これが興味深かった。今の国際的な人類学では、もはや猿人、原人といった言葉はなく、学名で直接示すか、hominid(チンパンジーなど大型類人猿からすべての人類までを含む)、hominin(初期の猿人以降のすべての人類を含む)、そしてhomo(原人、旧人、新人を含む)という総称的な用語を使うのだそうだ。つまり原人以後は全部ホモ属なのだ。本書に出てくる隣人たちは、みんなお仲間なのである。
次におよそ120万年前にアジアへやって来たジャワ原人の発掘史が、実際の発掘現場への旅行記を含めて詳細に描かれる。それからいよいよ、21世紀になって発見された、ホビットとも呼ばれる小さな原人、フローレス原人の話だ。子ども並みの体格しかなく、脳も小さい。でも石器を作るりっぱな原人だ。彼らがどこから来てどのように進化(小型化)したのかという研究の話も面白い。当初いわれていた、1万年前まで存在していたというのはどうやら間違いで、5万年くらい前には絶滅したらしい。だからホモ・サピエンスとの出会いはぎりぎりなかったのかも知れない。でも現地に伝わる、なんでも食べる小さなおばあさんの民話は、もしかしたらという可能性を想像させて本当に古代へのロマンを感じる。
それから北京原人、ジャワ原人、フローレス原人につづく、アジア第四の原人、2015年に台湾の海底から発見された澎湖人の話だ。氷河期に台湾と大陸がつながっていたころの陸地だった海底から、漁船の網にかかって引き上げられた化石。19万年以前の古人類である。これまた従来の常識を覆すような発見であり、数十万年前のアジアが、アフリカと同様に、多種多様な人類の興亡・進化の地だったことを示している。さらにロシアのアルタイ地方で見つかった10万年から5万年前の謎めいたデニソワ人がいる。彼らは旧人の代表であるネアンデルタール人と共存していたのだ。
そして、今「我々はなぜ我々だけなのか」という謎への挑戦が描かれる。現在の地球にいる人類は、我々ホモ・サピエンスだけである。しかし、すぐに思いつくような、我々が他の人類と戦って絶滅させたという物語は、具体的な証拠がなく、むしろ日本タンポポをセイヨウタンポポが凌駕していったような、生態学的なニッチの交代があったと考える方がよりありそうだと語られる。これは少しほっとする話だ。
とはいえ、たったの数万年でアフリカを出てから極地を含む南北アメリカ大陸、さらに太平洋の島々までに広がったホモ・サピエンスの行動力はものすごい。サピエンスは、あらゆるところへ行こうとする意思をもち、一つところに閉じ込められず、それゆえに均質化している。今あえて多様性が大事だというのは、外部との交流による均質化こそがサピエンスのもつ特質だからである。ここで川端さんは、SF作家らしく、人類の宇宙への拡散にまで目を向ける。
このあたりの、多様性と均質性をめぐる川端さんの考察は、とても刺激的でいろいろと考えさせられる。
ホモ・サピエンスのどこが他の隣人たちと違ったのか。ぼくのようなSF頭では、ついアーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』で描かれた、人類に知恵を与えるモノリスのような存在を思い浮かべてしまうが、それはともかくとしても、このどこまでも進んでいこうとする意思、目に見えるところはもちろん、目に見えない太洋の彼方にまで行こうとするダイナミックな指向性が、他の人類たちに比べて多少なりとも大きかったことは確かにいえるだろう。この急速な拡大により、ホモ・サピエンスとしての均質性を保ったまま、我々は世界中のどこにでも生息する種となった。ぼくはそこに、この宇宙がどこまで行っても一様で均質なのは、ビッグバン後の急激なインフレーションによって拡大したためだという、現代宇宙論との類似性を強く感じる。
そして本書の最後では、消え去ったと思われた原人たちが、決して消え去ってはおらず、彼らは我々の中にいる、「我々は我々だけではないかもしれない」という衝撃的な可能性が語られる。
人類学の知識をアップデートする意味でも、我々ホモ・サピエンスの未来を考える上でも、とても興味深く、刺激的な一冊だった。
(18年2月)