大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

2百年の時を越えた「双方向」コミュニケーション――『コロロギ岳から木星トロヤへ』

『コロロギ岳から木星トロヤへ』
小川一水


 2013年に出た小川一水の長編SF『コロロギ岳から木星トロヤへ』は、作者があの〈天冥の標〉シリーズをちょっとひと休みして、ひと息ついてみたという感じの単発の書き下ろし作品である(と初版の帯にも書いてあった)。とても読みやすく、読後感もさわやかで、いいジュヴィナイルとしても読める。ユーモアもあり、決して難解な話じゃない。でも、よくよく真面目に考え始めると、ここで扱われているSF的な内容、つまり時を越えた「双方向」コミュニケーションというものは、頭がパニックになりそうな奇々怪々な様相を呈してくるのだ。ちょうどグレッグ・イーガンの〈直交〉三部作(とりわけ最終巻の『アロウズ・オブ・タイム』)のように。

 小川一水の〈時間SF〉といえば、『時砂の王』という傑作がある。だが本書はだいぶおもむきが違う。そもそもタイムトラベルもタイプスリップも出てこない。そのかわり、時間軸を空間軸として知覚する(らしい)高次元の存在が登場し、人間たちの世界では2百年の時を越えた、過去から未来へ、そして未来から過去への、双方向の情報交換が描かれるわけだから、これまた本格的な〈時間SF〉に違いないのだ。

 物語の舞台は2014年、現代の北アルプス、コロロギ岳のコロナ観測所と、2231年の木星トロヤ群小惑星のひとつ、アキレスだ。
 アキレスの方では、放置された宇宙戦艦に忍び込んだ2人の少年が、船内に閉じ込められ、何とか助けを求めようとする。ところがそこにいたのは、この空間にひっかかって動けなくなった高次元存在カイアク(の尻尾)だった。
 一方、カイアクの頭の方は、2014年のコロロギ岳にあって、コロナ観測所をぶちこわしてしまう。観測所の若い女性天文学者、岳樺百葉(だけかんばももは)は、この存在と会話し、2百年未来の少年たちを救おうとする。未来からのメッセージは少年たちが発信するモールス信号で、それを〈時間蛇〉カイアクが過去へと伝えるのだ。
 では、現代から未来へ伝えるメッセージはどうするかというと、何と驚いたことに――いや、それは本書を読んでのお楽しみ。

 このアイデアはちょっとすごい(結果だけは似たようなアニメが昔あったけれど)。しかし、過去へのメッセージは何しろ超存在を経由するのでわかりやすいのだが、未来へのメッセージは、さすがにそんなにうまくいくのかと突っ込みたくなる。だってほんの10年前に埋めたタイムカプセルすら、どこにあるかわからなくなるのが現実だ。未来の不確定性は大きく、カオス的で、予測困難。カイアクがいるじゃないかといっても、実はこいつはあまり役に立たないのだ。
 そのあたりのSF的ディテールを真面目に考えようとすると、とてもややこしくて、頭がパニックになる。そもそもこの小説の時間線は1本ではない。もしそうなら「少年たちを救う」ということがそもそも成り立たないから。なので、時間軸も無限に多重化されている。つまり並行宇宙だ。普通の場合なら、年表のような1次元のイメージで時間を考えていても問題はないが、本書での時間はそんな凍りついたものではない。人間にとって時間とは、Aという行為が原因でBが起こり、という因果関係の連鎖であり、それが能動的に変えられるということは、過去も未来も決定していないということだ。そもそもカイアクはいったいどこにひっかかって動けなくなったというのだろう。

 本書は21世紀と23世紀を「つないで」描く、軽く楽しく読めるエンターテインメントSFである。でも、こういったことを考え出すと、まるで「不意打ちのように」むずむずするよ。そしてそこがまたSFを読む醍醐味というやつでもあるのだ。

(17年4月)


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