大野万紀「シミルボン」掲載記事 「この作者の作品を読もう!」

第1回 恐くなんかないよ。さあグレッグ・イーガンの短編を読もう!


 現在世界で最高の(現役)SF作家といえば、異論もあるだろうが、ぼくならグレッグ・イーガンを挙げる。少なくとも、SFをサイエンス・フィクションとしてとらえるなら、文句なしにそう思う。とはいえ、その数学的・物理学的に緻密な作風から、イーガンは難しいというのが定評となっており、そして、それはある程度本当のことなのだ。初めてイーガンを読んでみようという読者にとって、それが大きな壁となる。そこでここでは、そんなに「恐くなく」読みやすいと思われる短篇を中心に、イーガンの傑作SFを紹介していこう。

 とはいえ、短篇にも色々な種類がある。長編であれば「わからないところはばんばん飛ばす」(『ディアスポラ』の大森望解説より)という読み方で問題なく、それでも充分に面白く読めるのだが、短篇でそれをやると、後に何も残らないという残念な可能性がある。
 なので、できるだけテーマが明確で、お話が面白く、理系の知識も(あるにこしたことはないが)さほど要求されないはずの作品を選んでみよう。中には「難しい」と思われる作品もあるだろうが、それにもぜひ挑戦してみてほしい。イメージさえつかめれば、とても面白く読めるはずだ。
 必要なのはほんの一歩(とは限らないが)の現実からの飛躍と、詳しい説明のない状況をとりあえず受け入 れて読み進めるコツをつかむことである。それって、SFの楽しみ方そのものなのだから。

 イーガンの短編集は、現在日本で5冊が出版されている。紹介作品の後ろには「(プ)」というように、その収録された短編集の略称を記載することにする。5冊とは、出版された順に『祈りの海』(祈)、『しあわせの理由』(し)、『ひとりっ子』(ひ)、『TAP』(T)、『プランク・ダイヴ』(プ)である。

(祈) (し) (ひ) (T) (プ)

 まず、彼のほとんどすべての作品で重要なテーマとなっている、自意識やアイデンティティを扱った作品。その前提として、意識というものが神秘的な何かではなく、ソフトウェア=情報であって、ならばコピーしたりダウンロードできたりするものだ(ただ、必ずしも今のコンピューター・ソフトと同じイメージではないが)という認識がある。サイバーパンクからつながる仮想現実テーマとも関わってくるが、イーガンにおいては、基本的に仮想現実もまた現実と変わるものではない。
 「貸金庫」(祈)は、映画『君の名は。』にインスピレーションを与えた作品のひとつと新海誠監督が語っていることでも有名になったが、何人もの人々の脳に次々と転移しながら生きていく男の物語である。毎日別の人間となって目覚め、その知らない人間として生活する。今ではさほど珍しいアイデアではないが、この短編では、そんな風に生きる主人公自身の人生とは何なのか、アイデンティティとは何なのかが力強く語られる。
 「ぼくになることを」(祈)も同様にアイデンティティの問題を扱っているが、さらに進んで、ここでの自分とは、肉体に埋め込まれ、意識を同期してバックアップした〈宝石〉の方に存在しているのである。
 そんな意識のコピーについては、「誘拐」(祈)でも扱われていて、そのアイデアが長編『順列都市』『ディアスポラ』ともつながっていく。
 「決断者」(ひ)や「ふたりの距離」(ひ)といった作品は「ぼくになることを」のテーマをさらに押し進めて、自由意志や、自己同一性、意識による決定というテーマがより中心的になっている(それだけ、少し難解にもなっているのだが)。
 意識が情報でありソフトウェアであるという観点は、それを敷衍すれば、現実と、計算された仮想現実とに区別はないという立場になる。その究極にあるのが、後に『ディアスポラ』に組み込まれた「ワンの絨毯」(プ)だ。この作品は何層にも重なったフラクタルな構成をもっていて、数学的な議論も多く、初心者には敷居が高いかも知れないが、これぞ現代SFの到達点のひとつといえる傑作なので、挑戦のしがいもあるだろう。

 このテーマはホラー風にも描くことができる。「エキストラ」(プ)は初期の作品で、今ではやや古めかしい感じさえするが、常識的な倫理観をもとにしつつ、人格の移植が因果応報的なホラー風味で描かれている。「自警団」(T)など『TAP』に収録された初期作品にも、アイデンティティの不安や人間性の変容というテーマがホラーの文脈で効果的に描かれている。

 ここから、科学技術による人間性の変容や、そのような状況下における自分というものを、より前向きにとらえようとする、新しいモラルを描く作品が現れてくる。その最も優れた成果が傑作「しあわせの理由」(し)だろう。12歳の誕生日をすぎてまもなく、ぼくはいつもしあわせな気分でいられるようになった……この作品では、しあわせも、人間的な感情も、脳内の化学物質がもたらす反応にすぎないと理解しつつ、にもかかわらず「共感」が人間性の本質にあることを示している。イーガンの描く人間は、いかに変容していようと、非 人間的に見えようと、その本質はわれわれに理解可能な、そして共感可能な〈人間〉なのである。

 そんな〈人間〉の問題を、コンピューター・サイエンスや量子力学から描くのと同時に、よりわかりやすい医学・生物学の方面からバイオSFとして描くのも、イーガンの特長である。イーガンにはもともと社会活動家としての一面があり、現代社会の様々な矛盾に対しては常に辛辣な目を向けている。
 「ミトコンドリア・イブ」(祈)は科学と社会、そしてトンデモな偽科学との関わりをストレートに描いており、今読むとかなりぞっとする話である。「道徳的ウイルス学者」(し)も、身勝手で差別的な「道徳」あるいは「宗教」が科学と結びついたときの恐怖を描く、まるでティプトリーが書いたような作品である。「銀炎」(T)では、恐ろしい伝染病の感染経路を探るストーリーが、人間性の中に潜む恐怖へ、独善的な善意のもたらす恐怖へと入り込んでいく、とても印象的な作品だ。

 自由意志や決断という問題を扱うと、それはまた必然的に量子力学の観測問題に、そして並行宇宙の問題につながっていく。量子力学では「シュレディンガーの猫」というたとえ話があるが、「観測」の瞬間まで世界は決定しておらず、「観測」によってありうべき可能性が収束し、自分の存在する世界が確定するという理論である。その瞬間、別の可能性をもつ世界は分岐し、無数の並行宇宙に分かれていく。
 このアイデア(多世界解釈)を扱ったSFは多く、タイムトラベルや歴史改変の可能性とも関わってくる。イーガンもそれを様々に発展させており、とりわけ「オラクル」(ひ)と「ひとりっ子」(ひ)は、そこにイーガン流のこだわりを加えた傑作である。
 この二作は明記されてはいないが連作で、歴史改変をテーマとしているのだが、表面にあるストーリーの下に、多世界解釈に対する疑問とそれへの作者の挑戦が含まれている。正直、そこを理解するのは難しいが、でも物語は面白い。「オラクル」はC・S・ルイスとアラン・チューリングによる人工知能論争が中心にあり、「ひとりっ子」はある科学者夫婦が自分たちの遺伝子からコンピュータ内に産み落とした人工知能の女の子を(人工人体にロードして)育てる話である。イーガンの小説としては読みやすいし、アンドロイドSFとしても良くできている。しかし、本当のテーマは「意識による選択」によっても「分岐」を生じさせないという点にある。これは彼の他の作品にも見られる観点で、そこには例え歴史改変で悲劇を回避しても、回避されなかった世界が別に残るなら意味はないではないか、という問題意識があるのだ。

 最後に究極の数学SFとでもいうべき傑作「ルミナス」(ひ)と「暗黒整数」(プ)を挙げておこう。抽象的な数学の論理体系同士が現実世界の物理構造をめぐって戦うという、ものすごい話だが、その数学的な意味が理解できるという読者はあまりいないだろう(ぼく自身もそうだ)。でもその物語の面白さは抜群だ。何しろ登場人物の心理がどうとかいった問題じゃないので、SFにはここまで書けるのだとある意味感動してしまう。

 ここに挙げたような中短篇で鍛えておけば(イーガン養成ギブスか!)コツがつかめて、難解といわれる長編であっても楽々読みこなせるようになるだろう(たぶん)。まあ結局「わからないところはばんばん飛ばす」でいいのだが、それでも、イーガンがそのわからない部分で何を書こうとしていたのかは気にとめておいてほしい。彼はそこで「科学」を描こうとしているのだ。
 アーサー・C・クラークは「充分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない」と述べた。イーガンは「充分に発達した科学も、魔法ではなく科学である」『万物理論』)と述べている。ぼくはこれはとてもすばらしい言葉だと思う。

(17年2月)


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