岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。一部blog化もされております(あまり意味ないけど)。

 年末年始恒例のTHATTA2010年SFベストの発表です。2009年11月から2010年10月まで、水鏡子いまだ復帰せずなので、採点者2名以上で1位(同率4作)から、5位(2作)、7位(4作)までのレビューをまとめています。昨年よりも対象作品が2割程度増え、ばらつきが大きくなっています。ベスト1位が4作という異例の事態に。『天地明察』はいまさらかもですが、選んだ観点はTHATTA的でしょう。

 例によってSFマガジン暦が対象範囲です。採点表は下記、筆者がTHATTAのレビューを読んだ印象からつけているため、絶対値というより参考値と考えてください。レビューの原文は、各要約(文責は評者)の末尾からたどってください。評者のものはHP版にダイレクトに飛びます。

2010年SFベスト

Amazon『天地明察』(角川書店) 2010 Best SF Winner 天地明察
 年表的な骨格はいじりにくいけれど、こまかいフィクションは持ち込み放題という意味で、エンターテインメントのお手本みたいな造りになっている。小説作法は現代のエンターテインメント・スタイルを採用していることもあって、とても時代小説には見えない。江戸時代にあり得たかもしれない数学/科学コミュニティを空想するという意味でSF小説である。冲方丁の小説/フィクション製造力がどんな題材にも通用することを証明したといっていい一作(津田)

 歴史小説。これが圧倒的に面白い。水鏡子は本書をさして、SFジャンルの小説ではないが〈サイエンス・フィクション〉だといった。(中略)テーマは改暦であり、和算であり、また一つの大プロジェクトをやりとげる情熱であるわけだけど、サイエンスが主題なわりにはほとんど説明的な文章は出てこない。SFファンとして、多少の物足りなさはあるのだが、そこを切り捨てたおかげで、本書は人間ドラマとしての成功をとげたと思える(大野)

 この傑作はユートピア小説であって、〈サイエンス・フィクション〉であるけれども、ぼくの中では〈SF〉でない。山本弘の『詩羽のいる街』が〈SF〉であり、『天地明察』は〈SF〉でない。それは『詩羽のいる街』が、ひとつのシステムが立ちあがり、立ちあがったシステムは制度化され、自己運動を起こしながら世界の仕組みを変えていく物語であるのに対し、『天地明察』は人の意思が科学的な思考を支えに世界を変え、システムを変えていくからである(水鏡子)
Amazon『NOVA2』(河出書房新社) 2010 Best SF Winner(同率) NOVA2
 一番印象的なのは東浩紀「クリュセの魚」。ここまでプロパーかつ由緒正しい日本SFを書いてしまうとは。こういうSFがいっぱい書かれていた時代がいつかの日本にあったのかと、読む方の時間線が疑われるくらい懐かしい。(中略)津原泰水は異形コレクション向きだけどよくできた短編、うまい。西崎憲「行列−プロセッション」は誰でも夢想する話だが、見事。ムーディ・ブルースかね、ちょっと違うか。全体として、いいアンソロジーになってると思います(津田)

 SF読みとして一番印象に残ったのは、東浩紀の本格火星SF「クリュセの魚」。何しろテラフォーミング、火星独立運動とテロ、異星人の遺産と、これでもかというくらい見覚えのあるテーマをぶち込んだボーイ・ミーツ・ガールな作品なのだが、これが作者独自の色合いを出して、静謐で叙情的な、美しいSFに仕上がっている。大変好みです。宮部みゆきの「聖痕」もすごい。少年犯罪をめぐる現代ミステリとして始まりながら、突然異界へ、この同じ世界でありながら、何とも居心地の悪い、できれば避けて通りたい世界へと放り込まれる。(中略)小路幸也「レンズマンの子供」のような「すこし・ふしぎ」なノスタルジーもいい感じ。とにかく本書はアンソロジーとして大成功だといえるだろう(大野)

 前作とはメンバーを入れ替え、印象を一新した内容となっている。この雰囲気は『量子回廊』と似ていて、大森望のSF観(現代SFのあり方)と一致するものなのだろう。法月綸太郎、恩田陸、宮部みゆきといったミステリ系の大物作家、小路幸也(メフィスト賞)もミステリ、津原泰水はライトノベル/ホラー、田辺青蛙、曽根圭介はホラー出身だがSFを十分意識した作品を寄せている。三島由紀夫賞作家の東浩紀は、作りすぎと思わせるくらい、所作の細部まで行き届いた端正なSF中編である。そういう意味で、まるで“SF自体に対するトリビュート”に見える。こだわりが感じられる仕上がりだ(岡本)
Amazon『異星人の郷(上)』(東京創元社) 2010 Best SF Winner(同率) 異星人の郷
 短編をぶつ切りにしたような現代パートがいかにも弱いが、メインの中世パートが素晴らしい。ここまで大まじめに何のてらいもなく書かれたファーストコンタクト物が、バカバカしさや気恥ずかしさを覚えずにスラスラと読めるとは驚きである。一種知的スーパーマンである主人公の神父が浮き上がることなくディテール豊かな背景に溶けこんでいるのもいい。異星人の造りもあり得ない設定なのに、視点が常に人間側にあるためか、全然気にならない。訳題が地味すぎてもったいないと思える最近のアメリカSF長編の収穫(津田)

 中世のドイツが決して暗黒時代ではなく、むしろ自然哲学や論理学という面では後の時代より進んでいたかも知れないという、歴史小説としての側面もしっかりと描かれている。主人公である神父は何事も神学的に理解する人間であるにもかかわらず、むしろそれ故に広い心をもって多様な存在を神の下に認める、現代人とは異質でありながらもわれわれにも理解できる、とても印象的な人物である。ヨーロッパを黒死病の恐怖が覆おうとしている時代であり、そんな中で悪魔そっくりな異星人と人間的な交流をするということが、どれだけ大変なことか。それを思うと、ディートリヒ神父が、そして神父に理解のある領主や村の人々も、いかに強い精神の持ち主かがわかる(大野)

 中世ヨーロッパ、フランスは100年戦争の最中であり、ドイツは実質的に諸侯による分裂状態にある。しかし、教会支配による暗黒時代かといえばそうでもなく、異端審問も(いわゆる人民裁判ではなく)極めて論理的に実施されているなど、ある種の秩序が成り立つ時代でもあった。作者はその背景を物語に違和感なく織り込んでいる。中世の史実を調査する歴史学者(男)、超次元理論の研究者(女)との会話と、中世の世界が対照され、最後に1つに融合する(岡本)
Amazon『華竜の宮』(早川書房) 2010 Best SF Winner(同率) 華竜の宮
 SF的設定は小松左京ばりのハードぶりが頼もしく、「魚舟・獣舟」のアイデアを敷延した海の民と魚舟の設定と人類変貌を必然とする設定も魅力的、どれもこの作品をSF大作とするに十分な素材がてんこもり。これで面白くないわけが無く、実際楽しませてはもらったんだけど、いかんせんバランスが悪い。メインボディである正義感に誠実な物語が良く出来ていて、それはそれで立派なんだけれど、エンターテインメントとして強すぎるため、魚舟社会の異世界的様相や地球物理学的カタストロフィーの説得力、人類変貌の衝撃などハードSF部分が霞みがちになってしまっている。理想的なSFとするためには、これだけの長さでもまだ足りないということか(津田)

 本書は実はSFである以上に、この理想を追う外交官の、現実といかに対峙し、乗り越えていこうとするかという、政治と情熱の物語なのである。さらに、この世界にはより巨大な災害、ほとんど人類滅亡に近い大災害が近づいており、後半はツキソメの謎と大災害後の世界の覇権を巡っての、冒険活劇の様相を見せる。(中略)眉村卓を思わせるところもあり、ティプトリーを思わせるところもある。政治機構の内側から、異種族との共存を目指そうと、理想と現実の狭間に悩み、調整しながら前向きに進む主人公が、とてもかっこいい。小松左京の後継者となるのは小川一水だと思っているが、国際政治などのリアル面も含めた後継者は実は上田早百合なのかも知れない(大野)

 わずか500年後の未来なのだが、そこには異形の人類が生存している。クジラのように巨大化した魚舟・獣舟、手足のない植物のような人類、しかし、一方で現存の人類は21世紀の政治体制を半ば引き摺ったまま存続している。そういう矛盾を、本書はいくつかの仕掛けで読者に説明している。まずプロローグで、激変する地球環境を最新地球科学理論を敷衍する形で提示する。次に、人類の変化を遺伝子改変技術で説明し、最後に政治体制や技術レベルの沈滞については、資源が著しく制約される未来の状況から納得させようとする。何れも本格SFの多くが踏襲する“説明責任”を果たしていて、背景にある世界構築の緻密さを十分感じさせるものだ(岡本)
Amazon『宇宙飛行士オモン・ラー』(群像社) 第5位 宇宙飛行士オモン・ラー
 読後感がSFというよりは世界文学。この作家をはじめて読んだけど、オタク的なネタを使い倒しながら、その内容を多面体もしくは多層体とすることに成功している。この短い物語が歴史と寓意と笑いと悲哀とその他モロモロを抱え込んでなおかつSF的な物語として成立しているところは、いまどきのエンターテインメントでは滅多に見られない代物。いやあ、いるところにはいるもんだねえ(津田)

 J・G・バラードの短編に「死亡した宇宙飛行士」(1968)というのがあり、それは廃墟となった宇宙基地と、死亡した宇宙飛行士を乗せたまま軌道を回る宇宙船を描いた作品だった。バラードは心の中に存在する内宇宙とハードウェアを伴う外宇宙を、そのような形で皮肉に対比して見せたのだ。ペレーヴィンは、同じようなスタンスで本書を書いている。ソビエト時代に隠された悲劇があったとしても、本書のような事実ではないだろう。しかし、ペレーヴィンは、人々の内面としてはこうなのだったと主張している。ほとんどギャグのような設定なのに描写はあくまで淡々としており、抑圧された諦観とでもいえる独特の印象を残す(岡本)
Amazon『ぼくの、マシン』(東京創元社) 第5位(同率) ゼロ年代日本SFベスト集成
 再読してびっくりしたのは小川一水「幸せになる箱庭」で、再読は間違いのないところだったのに、読んでて何も思い出せず、読後、これって70年代の F&SFに載ってそうな話だなあ、登場人物の名前をアメリカ風にすれば英訳が売れるんじゃないのとか思ってしまい、我ながら呆れた。再読の効用は飛浩隆「ラギッド・ガール」が一番あったかな。今回読んだ方が傑作の感慨が湧いてきたもの。(中略)再読の石黒達昌「冬至草」は力作という印象が変わらないけれど、今回はSF色がここまで濃かったっけと驚いた。津原泰水はストレンジ・フィクション。関西マンガカルテットの3人はどれも面白い(津田)

 良く似た表題のアンソロジイ『ゼロ年代SF傑作選』が、年初に出ている。しかし同じ“ゼロ年代”でも、本書の視点はあくまでも“ゼロ年代に書かれた作品”であり、この年代にデビューした作家のみが対象ではない。結果として、本書は21世紀初頭のSFトレンド(仮想空間と現実との相似性、ロボットやクローンと“本物”との相似性、並行宇宙に対する様々なヴァリエーション等)を反映しながら、小説的にも落ち着いた雰囲気のものが多くなった。S編では、設定のスケールで「魚舟・獣舟」、稠密さで「ラギッド・ガール」が優れ、F編では描写が濃厚な「冬至草」、他にない抒情性で「逃げゆく物語の話」が印象に残る(岡本)
Amazon『跳躍者の時空』(河出書房新社) 第7位 跳躍者の時空
 バラエティ豊かといえばそのとおり。でもなんでライバーがSF作家なのかはこの作品集からは余りよく分からないかも。どーでも良いじゃんそんなこと、ライバーのすばらしさが伝わればといわれれば、それもそのとおり。「骨のダイスを転がそう」と「冬の蠅」が作品としては白眉には違いないが、ガミッチ・シリーズや初訳の作品の楽しさも格別。何十年エンターテインメントとして書き続けた短編群が作者の死後もこうして日本語に翻訳されて未だ読者を魅了するっていいよね(津田)

 ガミッチはいいねえ。古き良きアメリカホームドラマの雰囲気がある(もちろん、それを皮肉った面もあるわけだが)。「跳躍者の時空」から、1992年に書かれた掌編「三倍ぶち猫」(初訳)までシリーズ5作が一挙に読める。表題作もいいが、「猫たちの揺りかご」が好き。真夜中の広場に集まってくる猫たち。「三倍ぶち猫」はシリーズのフィナーレで、ストーリーというほどのものはないが、雰囲気がとてもいい。昔のアメリカのコミカルなSF画にあったような、ちょっと髪の薄い中年のおじさん、楚々とした奥さん、セクシーな異星人の美女、そしてかっちょいいネコたちの記念写真を見るみたいだ。そして魔女たち。ほんわかと幸せな気分になります(大野)

 ライバーは本来のSF的な作品よりも、ヒロイック・ファンタジー、ホラーなど幻想味が混じった作品にむしろ強い印象が残る。著名なシェイクスピア役者だった父親(後に、初期の映画にも多く出演している)、母親も同じく俳優だった。2人は劇団を主宰しており、各地を転々と巡業する中でライバーも育ってきた。作家になる前は役者も経験している。ラヴクラフトとの親交を得て創作に目覚め、いくつかの職業を経たのち第2次大戦後に作家、アルコール依存症からの脱却、愛妻の死、晩年になっての再婚と目まぐるしい生涯をおくる。その複雑な人生が、これら作品(特に200編にも及ぶ中短編)にちりばめられているのである(岡本)
Amazon『ジェイクをさがして』(早川書房) 第7位(同率) ジェイクを探して
 「仲介者」なんか、一瞬、「世界文学かい、こりゃ」というところもあるんだけれど、基本はホラーだよねえ。よく考えると普通にSFしてる話なんかないのに、なんかSFのエッジな感じするのは強面ぶりが効いているのかな。よく分からない短編は単にヘタクソなのかもしれないけれど、ヘタクソと呼ぶにはコワモテの威が勝っている(津田)

 一番面白かったのは、「ロンドンにおける”ある出来事”の報告」だ。何でもない裏通りが実は、という奇想ファンタジーだが、まるでベイリーみたいな「バカ SF」っぽさがたまらなく素敵だ。「鏡」のような力作は、確かに読み応えがあるのだが、鏡の世界から出てくる異形のものたちという設定が、リアルで迫力のある描写とどこかアンマッチで、居心地の悪さがある。しかし、それにしても、作者の描く荒廃した暗いロンドンはとてもファイナル・ファンタジーっぽくってすごく魅力的だ(大野)


 もともとSFを意識していないミエヴィルの作品だが、本書を読めばその全貌がより明確になる。長編や、異形化したロンドンを舞台にした作品だけを読むと、著者の志向は、よりディープなファンタジーではないかと感じる。けれども、多くの作品は日常の隙間に潜む“魔性=気味の悪いもの”を描いているので、ずっとホラーに近い。その中で、大味な欧米ホラーと比較して、著者のきめ細かな描写力は際立って見える。この雰囲気に一番近いのは諸星大二郎の漫画ではないか(岡本)
Amazon『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』(早川書房) 第7位(同率) ワイオミング生まれの宇宙飛行士
 読み終わってみると、なるほどどの作品も宇宙開発史を意識した作品ばかり。それでも同工異曲な作品が並んでいないのは大したもの。リアリズムな作風のアンディ・ダンカン「主任設計者」を読んでいるともろに『オモン・ラー』が思い起こされる。ソ連/ロシアの宇宙開発をSFとしてここまでロマンティックに書くことはご当地の作家には出来ないかもしれない。この作品そのものは素晴らしいできだけれど。バクスターの2作はどちらもイギリスの宇宙開発であるところが面白いし、舞台の広さがどんどんエスカレートしていくのもバクスターらしい。表題作はグレイをイメージしながら読むのはちょっとイヤ。全体としてアンソロジーとしてはハイレベルな1本(津田)

 本書の作品の多くが、あり得たかも知れないもう一つの20世紀を扱った改変歴史ものである。決して宇宙開発バンザイではなく、政治や社会や差別などの重い背景をベースに、それでも宇宙への眼差しを――人間の持つひとつの性向を肯定し、その思いに共感し、勇気づけ、感動を呼ぶ作品がほとんどだ。センセーショナリズムに満ちた反科学的なアメリカで、グレイそっくりに生まれて好奇な視線を受ける主人公が、火星をめざす表題作もそうだし、ソ連の宇宙開発史に詳しくなければ史実と虚構の差が微妙すぎて、ほとんどノンフィクションのように読めるアンディ・ダンカン「主任設計者」もそうだ。(中略)同じアイデアから、6つの並行世界を渡り歩く宇宙飛行士を描いた「月その6」も、失われた宇宙開発の夢が亡霊のように立ち現れ、本格SFの味わいと、深い切ない喪失感を味あわされる傑作である。宇宙オタクの一人として、感動的な話も大好きではあるが、バクスターの視線には強い共感を覚える(大野)


 本書に収録された作品は、どれも輝かしい明日を描いてはいない。半分はありえたかも知れない未来(「サターン時代」)、並行宇宙(「伝送連続体」「月その六」)を描き、重圧を撥ねかえさなければ何も得られず(「主任設計者」「月をぼくのポケットに」)、ついに実現した火星探査には、大きな困難が待ち受けている(「献身」「ワイオミング…」)。最後の表題作はちょっと変わっている。容貌がグレイ型のエイリアンと似ていることから差別されてきた主人公が、宇宙開発に消極的な政府を動かすまでに成長する物語。現代風にデフォルメされたアメリカン・サクセス・ストーリーといった趣きだ(岡本)
Amazon『どろんころんど』(福音館書店) 第7位(同率) どろんころんど
 好感度では本年屈指の1作。女の子アンドロイドと大型亀ロボットの北野式未来世界道中記で、エンボス入りの凝った造本や鈴木志保のいかにも楽しそうなイラストも手伝って、よくできたアニメーションみたいな感触がある。最終ページにある版元のボクラノSFシリーズの宣伝に「そこそこ好評ですが、もうあと一押し」とあって笑わせるけれど、すくなくともこの作品は売れて欲しいなあ(津田)

 ここは何とも不思議な世界で、不思議なことがいっぱいだが、どことなくレトロな寂しさが漂っているのは、いつもの北野ワールドである。バーチャルリアリティとか、泥の世界に多重化された波となって存在しているものとか、SF的なアイデアもたっぷりあるが、何よりこのむなしさ――仕事とか、生きる目的とか、そういうものがリアリティを失ってしまった時の、もの悲しさが、全編を覆っている。アリスは基本的に前向きだが、つきまとう喪失感が胸に染みる(大野)


 どろんこの世界とは、文字通り泥沼そのもの、泥濘がどこまでも続く世界である。そこでは人に似せて作られたヒトデナシたちが、人間の世界を模倣した町を作ろうとしている。地下鉄のようなものや、デパートのようなもの、都会のようなものが、一見それらしく作られている。しかし、裏側に回ってみると、どれもが全く異質のシミュラクラ/ニセモノだ。同じように、カメロイドとセルロイドの主人公たちも、ここでは意味のない存在である。そして、最後に明らかにされる人類の運命は、大変不気味なものといえる。ユーモラスに描かれた著者の作品だが、どれにも慄然とする恐怖が巧妙に織り込まれている(岡本)

 


 

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