内 輪   第234回

大野万紀


 浅倉 久志氏(あさくら・ひさし=翻訳家、本名大谷 善次=おおたに・ぜんじ)14日午後7時、心不全のため横浜市の病院で死去、79歳。大阪市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻大谷宣子(おおたに・のぶこ)さん。映画「ブレードランナー」の原作となったフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」などSF小説の翻訳を多く手掛けた。(共同通信)

 浅倉さんが亡くなりました。年末から体調を崩されていたとは聞いていましたが、あまりに急なことで何とも言葉を失います。浅倉さんは、伊藤典夫さんと共に、SFファンであるぼくらの師であり、同志であり、素晴らしい先輩でした。単なる翻訳家としてではなく、SFの面白さを、その先端部分と同時に、そのゆるやかなすそ野の部分についてまで、全体像として示してくれたSFの紹介者として……。
 伊藤さんが、若々しくエネルギッシュに、時には激しい自己主張とともにSFを引っ張っていこうとしていたのに対し、浅倉さんはいつもおだやかに、翻訳そのものでそれを示していました。それを、本当に最後の最後まで……。
 今は、謹んで哀悼の意を捧げるしかありません。

 THATTAに載った主な浅倉さん関係の記事です。
 ・『ぼくがカンガルーに出会ったころ』書評 大野万紀 津田文夫
 ・SFセミナー2006レポート 大野万紀
 ・文庫解説の系譜 ―読書展開の指針として 水鏡子
 他にもあるんで、検索してみてください。

 それでは気を取り直して、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『後藤さんのこと』 円城塔 早川書房
 想像力の文学の一冊として出た短編集。6編が収録されている。中でも表題作が一番とっつきやすく、面白い。4色カラー刷りの小説で、とにかく、後藤さんについて饒舌に語っている小説だ。何というか、SFファンが興に乗って繰り広げるバカ話というのがぴったりくる。牛刀をもって鶏を割くというか、大まじめな方法論であんなことやこんなことを論じちゃうっていう遊び。SFコンベンションの合宿なんかで、よくやってますね。ここでは後藤さんが研究され、論じられちゃっている。レムにソラリス学あれば、円城に後藤さん学ありというわけだ。うん。他の5編もみんな普通の小説ではなく、実験的というか、数学や論理をベースにしながら、前衛的な文学スタイルで描かれた小説で(「The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire」はちょっと違う。これってTwitter小説かい。まあ面白いけど)、正直何だか良くわからない。それでも「さかしま」は普通にSFだといってもいいし、「ガベージコレクション」は数学的思考のノイズを集めたような、まさにガベージコレクションで(ノイズと情報の違いは?)、「考速」はわからないなりにもコトバの連なりが面白い。印象的だったのは「墓標天球」で、中世の宇宙観を描いた版画のように始まり、キュービズムの絵画に入り込んだかのような幾何学的世界を彷徨う。ぼくにはパズルゲームのように見えた。どう面白いか、説明はしにくいのだけれど、どれもわからないなりに面白い。

『ミラクル三年、柿八年』 かんべむさし 小学館文庫
 わが家でまともに聞けるAMラジオはカーラジオだけなので、この番組は聞いていないのだが、ラジオ大阪で2005年から2008年までの3年間、月曜から金曜の毎朝6時50分からの帯番組「むさし・くに子の朝はミラクル」(本書ではアナウンサーの名前が仮名なので、実際の番組タイトルとは違う)のパーソナリティを務めた、かんべさんの長編小説。著者やゲストは実名だが、アナウンサーやスタッフは仮名で登場し、実録ではあっても、それを小説の手法で描いたものだ。長編エッセイともいえる。これが実に面白い。本当にラジオを聞いている気分になる。そしてその番組の裏側や、放送局のスタッフたちのプロとしての仕事ぶり、厳しさ、そして番組の日々をほぼ時系列に描きながらも、小説の時間は自由に前後し、著者や、著者とほぼ同世代のくに子アナの過去の思い出が縦横にはさまれる。ユーモラスでほのぼのしていながら、鋭い社会批評、人間観察となっているのは、いかにも著者らしいところだ。分析手法がとても論理的、理知的なのだ。いっそハードSF的といってもいい。はさみこまれる少し昔の大阪や、阪急宝塚線沿線での青春は、歳の近い自分もとても懐かしい気分になった。表紙の絵が素晴らしく雰囲気が出ている。

『サはサイエンスのサ』 鹿野司 早川書房
 SFマガジンに連載されていた科学エッセイだが、大幅に改稿されているようだ。何か文体が独特で違和感がある人がけっこういるみたいだけど、そうなのか? 別に普通でしょ? ログインとか、昔のパソコン雑誌やゲーム雑誌のコラムの雰囲気。内容はインフルエンザ予防から日本国憲法、意識や認知の問題からムーアの法則、と多彩だが、科学に詳しいSFファンが茶店の例会やコンベンションの合宿で思うがままに話す、そんな感じ。ぼく自身そういうのが大好きだし、とても面白く、すんなりと頭に入る。ある種の斜め視点のバランス感覚。マスコミで喧伝されている論調や、それに反抗するネットなんかのわりと無邪気な発言の、その両方から距離を置いて、でも厳密に科学的・客観的というより「オレ様理論」みたいなSF的発想で、かつてのSFファンが(いや今でも変わらないかも知れないが)夢見た、ちょっと常識とは違う、でもサイエンスに軸足を置いた、あるべき姿のように思える。かっこいいよね。さすがはリングワールド開発公社(だったっけ?)の人だ。科学エッセイではあるが、科学そのものの話は半分くらいで、今の社会や日常や私的な介護体験までが語られ、反面、大きな科学、宇宙や未来や先端技術の話は比較的少ない。うーん、それだけ今の世界がSFだってことかなあ。

『跳躍者の時空』 フリッツ・ライバー 河出書房新社 奇想コレクション
 中村融独自編集の短編集。〈SF史上最高の猫〉ガミッチの登場するシリーズを始め、10編が収録されている。ガミッチはいいねえ。古き良きアメリカホームドラマの雰囲気がある(もちろん、それを皮肉った面もあるわけだが)。「跳躍者の時空」から、1992年に書かれた掌編「三倍ぶち猫」(初訳)までシリーズ5作が一挙に読める。表題作もいいが、「猫たちの揺りかご」が好き。真夜中の広場に集まってくる猫たち。「三倍ぶち猫」はシリーズのフィナーレで、ストーリーというほどのものはないが、雰囲気がとてもいい。昔のアメリカのコミカルなSF画にあったような、ちょっと髪の薄い中年のおじさん、楚々とした奥さん、セクシーな異星人の美女、そしてかっちょいいネコたちの記念写真を見るみたいだ。そして魔女たち。ほんわかと幸せな気分になります。「『ハムレット』の四人の亡霊」(初訳)はホラーというか、幽霊話の雰囲気のある、ちょっといい話。「骨のダイスを転がそう」は若い頃SFマガジンで読んだ時はピンとこなかったが、今読むとこれもかっこいい話だなあ。「冬の蠅」はやっぱり名作だ。心理ホラーではあるのだが、宇宙を夢見る子供が父親の危機を救う話として読める。魂で飛べ!「王侯の死」はまあ普通の作品だが、ハレー彗星ものというジャンルがあるのかなあ。「春の祝祭」(初訳)も不思議な話。秘密の軍事施設みたいなところに引きこもって研究している若いおくてな数学者のところに、突然謎の美少女(17歳)が現れて、「7」に関する蘊蓄たっぷりの言葉ゲームを延々と繰り広げつつ、彼に新たな世界の存在を示す。というか、ラノベなのか、一種のポルノ小説なのか。しかしこんな変な描写のエロシーンって初めてだ。大人の陰謀って奥が深いねえ。というわけで、とっても面白かった。

『最終定理』 アーサー・C・クラーク&フレデリック・ポール 早川書房
 クラーク最後の作品はポールとの合作。というか、クラークがアイデアを出してポールが執筆したらしい。まあSFじいさんたちの合作ということで、何とも淡々としたとりとめのないお話。小説のほとんどでは、スリランカ生まれの天才数学者の数奇な運命と幸福な日常生活の話が描かれている。未来の政治状況とか、スカイフックとか、フェルマーの最終定理とか、ソーラーセールによる宇宙ヨットレースとか、まあそういうアイテムがちりばめられてはいるが、SFというよりも近未来の普通小説。にもかかわらず、その背景に、ちらりちらりと登場する異星人たちの物語がある。遙か『幼年期の終わり』からずっとクラークが取り憑かれていたオーバーロードとオーバーマインドのテーマ。畏敬をもって描かれていたそのテーマが、ある時からクラークの中では逆転し、あまり好ましからぬ存在と変わった。本書ではさらにそれが戯画化され、なかなかユーモラスな存在に描かれている。いやーでも、何だかこれが和むんだなあ。ほとんどエピソードの羅列のような話なのに、妙に心地よい。オールドSFファンの心に和むいいお話だ。オーバーマインドの使い走りにされている異星人がちょっと可愛い。


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