大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

今読んでも絶対面白い、電脳ハードボイルドの古典的作品

『重力が衰えるとき』
ジョージ・アレック・エフィンジャー


 ジョージ・アレック・エフィンジャーという名は、ぼくにはある種のなつかしさをもって響く。70年代にヴォンダ・マッキンタイアやエド・ブライアントらと共に登場し、特に短篇の分野で目ざましい活躍をした。ネビュラ賞やヒューゴー賞の候補に毎年のように名が上がり(そしてすべて落選した……と彼は自嘲的に書いている)、ぼくらの大いに注目していた作家だった。しかし、次第に名前を聞かなくなり、マッキンタイアらと同様、映画のノベライゼーションでしかお目にかかれないようになってしまった。もちろんその間も彼はSFを書き続けていたわけで、1984年の短篇「まったく、何でも知ってるエイリアン」は珍しくSFマガジンへ翻訳され、かなりの話題にもなった。

 本書はそのエフィンジャーの1987年の長篇である。<サイバー>な未来を舞台にした娯楽性たっぷりのピカレスク・ノベルで、決して「スケートをはいた蜘蛛のようにクレージーな、とてつもない傑作」(ハーラン・エリスンが本書を推薦していった言葉)といったものではないのだが、物語の面白さ、小説のうまさはさすがにベテランの味である。アラブ世界の暗黒街を舞台にしていて、なじみのない言葉が頻出することはギブスンもまっさおという感じなのだが、それでもめちゃくちゃ読みやすいのだ。主人公がワルとはいえ、とても好感のもてる人物だというのもその理由のひとつだろう。もちろん、聞き慣れない造語をほとんど気にならないくらい日本語にとけこませてしまった訳者の腕前が誉められるべきなのはいうまでもない。

 ブーダイーンは未来のアラブ世界にある犯罪都市である。主人公のマリードは北アフリカに生まれ、ここへ流れてきた一匹狼。その彼が血なまぐさい連続殺人に巻き込まれ、この街の顔役から事件の捜査を命じられる。敵はどうやらモディーと呼ばれる人格モジュールを脳に組み込んで、誰か他人になりきった殺し屋らしい。その背後にいるのはいったい誰か? マリードはブーダイーン警察のオッキング警部補と協力して捜査するよう命じられたのだが、どこか裏のある警部補は非協力的だし、ほとんど捜査に進展のないまま、残虐な殺し屋はしだいにマリード自身の身辺に迫ってくる。おまけに顔役からはマリードの肉体を改造し、モディーやダディー(これはアドオン。つけている間、脳に一時的な知識を与えてくれるチップだ)を取り付けられるようにしろと命じられる。これは彼のポリシーに反するのだが、この街にいる限り顔役には逆らえないし、それに生身の肉体でこの敵と戦うのは不可能みたいだ。彼がいやいやそれを受け入れた時、敵はついに彼に挑戦状をたたきつけ、もはや対決を引き延ばすことはできなくなった。今の彼は昔の一匹狼の好漢マリードではなく、ボスに雇われた武器の一人になってしまったことを、街のみんなは知っているのだった。逃げるところはない。対決の時が迫った……。

 SF的にはこれといって新しい要素があるわけではない。小わざはいろいろ効いているが、大わざはなく、いたってストレートな娯楽読物である。でも、その小わざのきかせ方がすごくうまいのだ。思わず読者をにんまりとさせるような場面がいくつもある。それがとってつけたようではなく、物語にうまくとけこんでいる。すなおに読んでも面白いが、ファンが読めば大喜びというパターンだ。それと、やっぱり主人公の造形。これがいい。元気のいい小悪党で、にくめないやつ。威勢のいいたんかをきるが、後がうまくいかない。彼に感情移入した読者は、結末の苦い孤独感を共に味わうことになるだろう。

 本書の続編『太陽の炎』(1989)、『電脳砂漠』(1991)は翻訳がある。さらに続編が執筆中だったが、作者は2002年に亡くなった。

(16年8月)


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