大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

パズルとパラドックスとパロディと、そしてSFと

『ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版』
ダグラス・R. ホフスタッター


 翻訳者の柳瀬尚紀さんが、7月30日に亡くなられた。ジェイムズ・ジョイスやルイス・キャロルの翻訳で知られるが、訃報を聞いてぼくが一番に思い浮かべたのは、本書のことである。

 この本はずっと前からぼくのネタ本の一冊であり、いくらでもイマジネーションを刺激してくれるアイデアの源泉だった。で、どういう本かというと、数学者ゲーデルと画家エッシャーと音楽家バッハとのおぞましき三角関係というのではなくて、(それもあるかも知れないけれど)数学、情報科学、認知科学、分子生物学、人工知能などにかかわる専門書なのである。ゲーデルの定理に関する解説書としても読めるが、オリジナルな論点も多く含まれており、決して誰が読んでもわかるといった易しい内容の本ではない。でもわからないまま読んでも、語り口は面白く、知的好奇心を刺激されるだろう。意識を持った蟻塚とか、エッシャーの絵がすべて裏でつながっているのだとか、物語の中の物語の中の物語とか、そういうものがすさまじいばかりの言葉あそびと、あらゆる分野への知的好奇心と知識とをもとにして書かれている。パズルとパラドックスとパロディと、“メタ”何とかのオンパレードだ。

 SFファンにとって興味深いのは、本書が最近のSFにも多く見られるテーマを扱っていることだろう。その重要なテーマのひとつとは、「心とはソフトウェアである」というものである。これは、一方で心というものが脳細胞やそこで起こる化学反応といったハードウェアのレベルでは捉えきれないソフトウェア的なものであるというのと同時に、ならばコンピュータ・システムの上にだってのり得る、数学的な取り扱いも可能なものだという人工知能研究者としての著者の信念の表明でもある。ここには、人間の意識が決して単純な意味での機械的なものではないという認識と共に、それが理解を拒絶した神秘的・絶対的なものでもないという立場がある。これは、おそらく多くの現代SFと共通した立場だろう。だからこそ、心を持ったコンピュータとか、異星人との困難なコミュニケーションとかが真剣に扱う価値のあるテーマとなり得るのだ。心というのが人間にしかない神秘的なものなら、これらのテーマは無意味だし、人間の認識形態が宇宙でも唯一絶対のものだとすれば、異星人とのコミュニケーションは単に言葉だけの問題となるだろう。(なぜなら言葉こそ違え、彼らも人間と同じ思考体系を持つということになるからである。)

 本書はこの命題を厳密に考察しようとして、ソフトウェアとは何なのか、情報とは一体どういうものなのかを明確にするため、形式化、抽象化といった概念を数学的に取り扱おうとする。ここで形式システムというものが登場し、数論からゲーデルの定理へと結び付いていく。それは本書の最大のテーマである〈もつれた環〉 の概念へ、エッシャーの絵やバッハの音楽、そしてDNAの二重らせんと共に重なりあっていく……。再帰性、自己言及性といったものがキーポイントとなり、単純な機械性を越えるものとして決定論的不確定性(カオス)の問題がフラクタルやプログラムの停止問題とからめて語られる。

 本書の翻訳はまさに神わざに近い力わざである。その訳者の一人であった柳瀬尚紀さんには、慎んで哀悼の意を表したい。すばらしい翻訳をありがとうございました。

(16年8月)


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