内輪 第82回 (94年4月)
大野万紀
というわけで、三カ月も間があいてしまいました。「継続は力なり」というのは本当ですね。つまり、対偶をとって「力なければ継続できず」というのも本当で、パワーが落ちてきたなと感じる今日この頃であります。
パソコンはパワーアップしたんだけどね。生産性は向上しないですね。まあそういうもんだろう(コンピュータ屋のいうことだろうか)。
先ほど〈ザンス〉第九巻の解説を書き終わってハヤカワへ送りました。これを書くために一巻から八巻まで全部読み直したんで、ずいぶん時間がかかってしまった。これで第一期ザンスはおしまいで、第十巻からは第二期ザンスとなる。でも、水鏡子が『夢馬の使命』の解説で書いていたように、本来のザンスは第四巻か五巻くらいまでなんでしょうね。『人喰い鬼の探索』がベストセラーになってしまって、それ以後のザンスはシリーズ読者とのお便りによるコミュニケーションの場みたいになってしまったという感じです(〈沈黙の艦隊〉は読んだことがないのですが、あれもこんな感じなのだろうか)。こういう雰囲気というのも、実は嫌いじゃないのです。みんなで出し合っただじゃれを中心として出来上がった小説、というのはいいすぎだけど、普通のファンタジーやSFじゃなくなっていることは確かです。でも面白い。ショッピング・センターがショッピング・セントールだったのには笑ってしまった。それに「囚人のジレンマ」がクライマックスに出てくるなんて、やっぱしただもんじゃないですな。
さて、この三ヶ月ほどの間に読んだ本から……。
『ハッカーを追え!』 ブルース・スターリング
一九九〇年のハッカー一斉取り締まりを描いたノンフィクション。スティーブ・ジャクソン・ゲームズへの家宅捜査がスターリングの問題意識を刺激して書かせた本のようだ。書き方が例によってスターリング調で、話題があっちへとびこっちへとびするので、何とも盛り上がりにかける。特に真ん中あたりが少しだれる。でも前半と後半は面白い。スターリング本人が出てくる後半は特に面白い。しかし悪いハッカーに回線上をうろつかれるのも嫌だが、権力にのぞかれるのはもっと嫌だな。最後がなかなかハッピーな感じでよろしい。
『ディスクロージャー』 マイクル・クライトン
ハイテク企業でのセクハラ事件の顛末、ということだが、むしろ普通の企業小説として面白く読めた。ハイテク機器開発の現場の描写がなかなかいい。特にVRを利用したデータベース検索システムの描写は良かった。もちろん現実とのギャップは大きいが、他の描写とのバランスという意味で、そこらのサイバーパンクSFよりSF的といえるんじゃないだろうか。
『覇者・恐竜の進化戦略』 金子隆一
何か経済書みたいなタイトルだが、恐竜の発掘と分類の最近の激動を追った、金子さんらしいドキュメントだ。最後の「恐竜銘々150年祭レポート」が面白かった。
『ブラインド・ウォッチメイカー』 リチャード・ドーキンス
〈利己的な遺伝子〉のドーキンスによる、ダーウィン流進化論を断固支持するための本。あのスティーヴン・グールドもやっつけられている。説得力はある。確かにドーキンスが正しいと思えるもんな。だけど、とはいうものの、やはりぼくらの直感と合わないように思えるところがある。確かに、長い地質学的な時間がすべての鍵だとは理解できるのだが……。個体に生じた小さな遺伝的変異が、どうやって他を圧倒して広がるのか、という一番のキーポイントとなるところがそれだ。変異は小さいのだから、その有利さも小さいはずで、むしろそれは消えてしまうのではないか。そういう小さい変異が積み重ならないといけないのだから、その確率はさらに小さくなるのではないか。きちんと数学的に表現すれば、疑問の余地のない問題なのかも知れないのだが……。ドーキンスはそれに何度も答えようとして、その時は成功しているように思うのだが、結局こういう感想が残ってしまうということは、結局ぼくがちゃんと理解できていないのだなあ。
ビーバーがダムを作るように進化する話がある。でも、これって一個体が変異しただけでは、意味がないんではないだろうか。同じようなことは何度も出てくる目の進化の話についてもいえる。累積効果が重要だとはわかるのだが……。何か、進化を加速させるしくみが欲しいような気になってしまうのだ。
そこで、一つ思ったのは、人間には遺伝子以外に進化(?)を加速させるものとして、ミームというものがある。文化的進化も種の生存を容易にするわけだから、ちゃんと進化だといえるだろう。こういった文化的進化が、人間以外にもある程度はあるんじゃないだろうか。親から子へと、あるいは集団の中で学習によって伝えられる行動様式といったもの。そういう学習をさせる仕組み自体は遺伝子に組み込まれたものだとしても、その文化的学習という〈メディア〉に乗るのは、遺伝子とは別の情報だ。そういう後天的要素が進化そのものにフィードバックされることはないにしても、それが種の生存を助けることはあるのではないか。つまり、進化は遺伝子という単一のメディアに乗っているのではなく、マルチメディアなのかもしれない。(そこの人、信じないように!)
上巻二六五ページより……。われわれの脳は、起こりそうな確率や危険率を評価するように自然淘汰によってつくられてきている。これらの容認できる危険というのは、数十年というわれわれの寿命に釣り合っている。もし、われわれが一〇〇万年も生きることが生物学的に可能であり、またそうしたいと望むなら、危険率をまったく別なふうに評価すべきである。たとえば、五〇万年間、毎日道路を横断していれば、そのうち車に轢かれるにきまっているだろうから、道路は横切らない習慣を身につけなくてはならない。
……長命人は道路を横切ってはいけないのだ!
『百万年の船』 ポール・アンダースン
最後の章になって唐突にSFをしている。でもとってつけたようなSFだなあ。アンダースンらしくて悪くはないんだが。でもこのSFの部分と、これまで語ってきた不死人の物語との結びつきが何かあいまいだと思った。世界全体が不死を獲得した、その新しい不死人と今までの不死人と何が違うというのか。何千年も生きてきたといっても、そう賢そうでもないしね。まあ、強引な主人公はあまり好みとはいえないが、それなりにSFらしさもあって、わりと好きなお話でした。
『フリーゾーン大混戦』 チャールズ・プラット
SFのテーマがいっぱい出てくるドタバタSFで、確かに面白かった。でも六〇年代っぽすぎるなあ。パーシバル・アボ博士にしても真面目だもんな。みんな実はすごくくそ真面目なんじゃないかと思ってしまう。好きなのはロボットくんですね、やっぱり。ラッカーの八〇年代ふうハチャメチャさとはずいぶん違っています。
『キャプテン・ジャック・ゾディアック』 マイク・カンデル
なんかのんびりした(?)話だなという印象。とんでもないことがいっぱい起こっているのに、日常感覚から離れられない人々の話。それぞれのエピソードは面白いし、最後の落ちも(地獄めぐりのところでネタばれするが)SFっぽくていい。でも、なんかスカスカして居心地が悪いのだな。ヴォネガットのような「笑うしかない深刻さ」みたいなのが感じられない。ただ、モールゾンビのエピソードは秀逸。世界中のショッピングモールは同じ空間で、そこにたむろする若者たちがモールゾンビとなって遍在する、というアイデアはとてもいい。でもそれがこの小説の中ではちっとも生きていない。悪い話ではないのだが、ぼく好みではありませんでした。
しかし、ほとんど早川の本ばっかしですね。やれやれ。