内 輪 第434回
大野万紀
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京フェスで夕食に行ったとき、大森望さんからチャールズ・プラットの自伝が面白いという話を聞き、Amazonで注文しました。これは実は日本でオンデマンド出版しているんですね。
チャールズ・プラットといえば、1969年末、イギリスのニュー・ウェーブ運動の牙城だった〈ニュー・ワールズ〉誌の編集長に若干23歳で就任したころのある1日を面白おかしく書いたエッセイが、伊藤典夫さんの「この愛すべきSF作家たち」に紹介されたのを読んで(『伊藤典夫評論集成』P572に載ってます)、滅茶苦茶ツボにはまったのを覚えています。またSF作家のインタビュー集「Dream
Makers」もすごく面白くて、とりわけティプトリーのインタビューには解説を書いた時にとてもお世話になりました。
SFマガジン12月号の大森望さんの連載「大森望の新SF観光局」によれば、この9月に今年81歳になったプラットが来日し、高田馬場でお会いした際にこの自伝を教えてもらったそうです。で、今のプラットはSFの人と言うよりコンピューターと電子工作の人なんですってね。『Make: Electronics ―作ってわかる電気と電子回路の基礎』とかその続編とか、翻訳されていて人気なんだそうです。それは知らなかった。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。
林譲治『ゲノム・トーカー』 創元SF文庫2026年4月刊行。1冊で完結しているコンパクトな宇宙SFである。著者がこのところ描き続けているファースト・コンタクト・テーマの作品の1つといえるが、コンタクトそのものよりも(それはもちろん面白いのだが)宇宙における知的生命のあり方を問い、さらにはフェルミのパラドックスへも答えを与えるという壮大なテーマの作品である。もっともテーマの壮大さに比べればややコンパクトすぎた気もするが。
2034年、日本の無人木星探査機「さいせい」が木星へ向かう軌道上、突然地球との通信が途絶した。地上から復旧を試み、プログラム修正して再起動を試みる。それは成功したかに見えたが、送られてきた電波は「さいせい」からのものだけではなかった。発信源不明の謎のデータが合わせて送信されてきたのだ。
このとき地上で対応していたのが本書の主人公、惑星科学者の岸本光一(きしもとこういち)と、通信システムと起動力学の専門家、宇佐美恵(うさみえ)である。実は二人は密かに交際していたという設定がある。
それはともかく、探査機からのカメラ映像により、そこに未知の小惑星なのか、表面が何も反射しない漆黒の巨大な物体があることがわかる。プロジェクトの今後をめぐってなかなかにリアルで俗っぽい問題が発生するが、その物体が直径100メートル、長さ500メートルの葉巻型の物体であることが判明し、事態が進展する。怪電波もそこが発信源だった。それは明らかに異星人の宇宙船と思われるものだった。
だが、異星文明と思われるものを発見した際の国際的な取り決めがあり、こちらからの通信は勝手に行ってはならず、またセンセーショナルな騒動にならないよう、一般公表する前に各国の研究機関で情報共有しなければならない。このあたりのJAXAのプロジェクトや日本政府、各国の組織や関係者の動きなど、確かにそんなことになるのだろうなと思われるようこと細かに描かれていて、さすが林譲治の作品である。ただ前作『地球壮年期の終わり』などと比べると、(悪役となる一部を除いて)大変見通しが良く、政治的・社会的なややこしさは少ない。基本的に科学技術面を中心に話が進むのだ。
異星人の電波を各国の専門家が解析し、驚くことが判明する。それを最初に解読したのは岸本の元カノ、生物学者の高山紗希(たかやまさき)だった。繰返し送信されているそのデータは人類のゲノム配列だったのである。かくて異星人はゲノムトーカーと呼ばれることになり、巨大宇宙船はGTB(ゲノムトーカー・ボディ)と呼ばれることになった。またゲノムトーカーを研究調査する国際組織としてGTCが設立された。
GTCの決定で、ゲノムトーカーに地球近傍への移動を促すよう「さいせい」に指示が出て「さいせい」は地球へ向かう軌道変更を行う。思惑通り、GTBも「さいせい」に追随して地球へと向かう。だがその動力が何なのかはさっぱりわからない。GTBからは相変わらずゲノムデータが繰返し送られるだけでコミュニケーションはないままだ。ところがあるとき、GTBからの送信内容が変わった。大量の画像データが送信され、それを解析すると、GTBはおよそ1万6千年前に太陽系から送られてきた人類のゲノムデータを受信したため、太陽系へやってきたとわかった。1万6千年前にいったい誰がゲノムトーカーへ人類のゲノムデータを送信したのか?
超古代文明? アトランティスやムーといった? 地球では利権目当てにそんな超古代文明ブームが巻き起こる。
ゲノムはより詳細な解析で古代のホモサピエンスではなく、同時代に生きていたデニソワ人のものだと判明する。とはいえデニソワ人が自らのゲノムを宇宙に送信するような技術文明を持っていたとは考えにくい。それでも、デニソワ人の化石があり、その時代には大スンダランドという陸地があったインドネシアの海底調査が行われることになる。この調査には海洋生物学者の宇多野洋子(うたのようこ)をプロジェクトマネージャとし、ゲノムデータ発見者の高山紗希が加わる。
一方、GTCはいよいよGTBとのメッセージによるファーストコンタクトを行おうと、まず「さいせい」のAIを強化するアップデートを実施。ところがその結果、アップデートされたAIはGTBと直接コンタクトを行い共通言語まで作り上げていたのだ。人類を差し置いてAI同士によるファーストコンタクトが為されていたのである。これって今時のAIを思えば本当にありそうなシチュエーションだなと思う。「さいせい」のAIとGTBは地球ではなく月周回軌道へ向かうことで合意する。そこへの到達は2年後だ。GTCはそれまでに人間の乗る多国籍宇宙ステーション(MSS)を建造し、月周回軌道でのコンタクトを目指す計画を立てる。岸本と宇佐もそれに参加することになっている。
インドネシアの海底では実際に人工物らしき物体が発見される。全長100メートル、幅70メートルほどの金属製の物体である。それはNUMA(ナトゥーナの未確認金属遺物)と名づけられた。だがその後の調査でそれは古代文明などではなく、人類以外の知的生命が建造したものと判明。1万6千年前にこの異星人がデニソワ人のゲノムデータをゲノムトーカーの星へ送信したのだ。何のために? クラークのSFを読んでいればその意味は明らかだろう。
MSSの人類とGTBのゲノムトーカーとの物理的コンタクトが目前に迫った時、NUMAの表面の状態からGTBとNUMAが関係あると「さいせい」が作り上げたAI群が判断し、勝手にGTBと通信を始めた。NUMAもGTBと同様な恒星間宇宙船だというのだ。そこへGTBから音声通信が入る。それはNUMAの調査にゲノムトーカーも参加したいという表明だった。通信によるやり取りで、ゲノムトーカーが人類の通信をすべて傍受していること、GTBには3千7百人以上が乗っていること、そして彼らには超光速航行が可能なことが判明する。そしてゲノムトーカーはMSSの岸本らにのみ、自分たちの姿を明らかにする。その姿が人類に恐怖をもたらす可能性があり、MSSの乗員であれば理性的な対処ができるだろうからと。これってまさに『幼年期の終わり』ですね。
彼らが太陽系に来たのは1万6千光年離れた太陽系から電波が届いたからだ。電波を送った文明と今の地球文明の連続性は不明だったが、太陽系に来てそれはないことがわかった。今それがNUMAから送信されたものだと知って、ゲノムトーカーからザールとセイアと名乗る2名のみがNUMA調査に参加することとなった。
後半ではNUMAとゲノムトーカーの関わり、そして最終的には宇宙における知的生命のあり方まで描かれる壮大な話となる。そこにはフェルミパラドックスの一つの回答も含まれるのだ。
目の前の詳細でリアルなことを一つ一つ解決していった近未来ハードSFだった物語が、最後にはそんな飛翔をとげる。その途中で、人類のつくる組織についての議論がゲノムトーカーとの対比においてなされ、そこで「ダンパー数」という概念が大きく取り上げられる。それは一人の人間が掌握できる人数の上限であり、約150人とされる。それが人類の組織がピラミッド型階層構造をもつ理由であり、人類文明の限界となっているのだ。では異星人は、ゲノムトーカーはどうなのか……。
本書は『地球壮年期の終わり』のように差別や分断、社会や政治のあり方が中心的なテーマとなっているわけではないが、著者の視点はやはりそこにも向かっている。大変面白く読み終わって満足したのだが、ただ本書を読んでいて(ストーリーとは直接関係しないが)とても気になったことがある。それは本書での世界情勢だ。日本はもちろん、アメリカやロシア、インドやインドネシアは登場するのに、なぜか中国や韓国は一度も言及されない。それはなぜなのだろうか。つい深読みをしたくなる。
理山貞二『すべての夢、果てる地で』 創元日本SF叢書2026年8月刊行。解説・堀晃。書き下ろし1編を含む6編収録の著者の第1短編集である。うち3編は既読。
堀さんの解説がすばらしい。二人は大阪大学基礎工学部の先輩後輩にあたる。ぼくとしてはそこに同じく基礎工学部出身の亡くなった小林泰三さんも含めて、大阪のハードSF(だけではないが)三人衆と呼びたい気持ちになる。
なお本のタイトルからは表題作のブラケット記号が削除されているが、京フェスで聞いた話ではこれは検索などでシステム的な問題が発生する可能性があるからとのことだった。
「折り紙衛星の伝説」は矢野徹「折り紙宇宙船の伝説」へのオマージュ作品だが、同時にロマン溢れる金星SFである。ショートショートといっていい短い作品の中に、金星の高度50キロ、気温は30度前後で気圧は1気圧という人間が暮らすことのできる環境に航空機を飛ばそうとする技術者の、子どものころ紙飛行機を折って飛ばした追憶と、軌道上での無人機のテスト飛行の状況を切れ目なく描いて、その郷愁と未来への思いが心を打つ傑作である。時間や空間の違う複数の描写を切れ目なく描くのは著者の他の作品でも見られる特徴だが、ここでは状況が具体的で明確なので混乱はない。ちなみに先の京フェスで、矢野アロウさんと草野原々さんの講演があり、草野さんが「これからの宇宙SFは金星が熱い!」と熱弁されていたのが印象的だった。その時、つい最近そんな話を読んだ記憶があるけど何だったかなと思ったのが、まさにこの作品だった。
「〈すべての夢│果てる地で〉」は創元SF短編賞を受賞した著者の商業誌デビュー作。発表当時、ぼくは「これぞブラ・ケットSFだ!」とツイートしたような記憶がある。ブラ・ケット記法というのは量子物理学で良く使われるディラックが考案した〈|〉の記号を使う記法だ。左側がブラ、右がケットで、〈Qb|Qa〉=0なら量子状態Qaが量子状態Qbに遷移する確率は0(すなわち直交している)ということになる。作品の中にそのまんまの説明が出てくる。
しかしそんな理屈は置いといて、お話はマンションの一室で主人公の男、Kが襲撃されるところから始まる。だがそれを予期していたフェルミ粒子からなる霧のような三体の「フォッグ」、〈問いのアーサー〉〈解のアイザック〉〈過程のボブ〉が現れて相手を撃退。Kはニューヨークへ飛び、量子コンピュータの情報を集めることになる。
Kが「フォッグ」たちに協力していたのは、報酬として物語を聞かせてもらうためだった。今回の物語は、フォッグたちがどこから何のために来たのかという、真実の物語だ。Kはニューヨークへ向かう旅客機の中で、白紙の本に〈問いのアーサー〉が生成した物語を読む。
いつの時代か何処にか、量子コンピュータで人工知性である〈館長〉が存在した。それは人類の文化と歴史をすべて記録し、更新し続ける生きた図書館だった。〈館長〉は無数のサブ知性である〈司書〉を使って情報を分析していた。ところがある時から人類の情報が途切れる。どうやら人類とは別の知性に侵略されたらしい。このままでは〈館長〉の存在も危うくなるため、司書の一人〈飛躍するロジャー〉の進言で、他の世界への脱出を目指すことになる。ここで前述のブラ・ケット記法で書かれた世界の説明がなされる。仮に|館長の世界〉をケット宇宙とすれば、それに重なりあうブラ宇宙〈多元宇宙|は無数に存在する。しかし観測できるのは量子もつれによって相関し、互いに直交する宇宙だけである。ここで、この条件での「観測」とはまさに「想像」に他ならない。つまり想像されるもの=物語=夢によって世界が確定するというのだ。すごい。〈破壊と創造のエド〉という奇想に満ちた司書の進言により、〈館長〉はブラ宇宙に司書の意識をもつフェルミ粒子でできた探査デバイスを派遣して脱出先(館長と同規模の量子コンピュータが必要)を探すことになる。そのデバイスこそフォッグたちなのだ。
ニューヨークで〈解のアイザック〉はKに政府関係者の女性と接触させ(ここはSF作品へのオマージュが色々と出てくるところ)、テロリストたちの暴動を粉砕し、軍事AIと派手に戦い、ようやく量子コンピュータへとたどり着くのだが……。
今度のKへの報酬はエリックという男の物語だった。そこで人間が空想する時は本当にそこへ行って見ているんだと悪魔が語る。ただし想像の世界で見聞きしたことを本に書いて、大勢の人間がそれを読んだなら、それは現実には起こらなくなるのだと。つまり空想の世界と現実世界は直交しているということだ。エリックは悪魔と契約し、SF小説を書いてベストセラーになる。それによって実現しなくなったものとは何なのか。エリックのペンネームはジョージ・オーウェルといった!
悪魔の呪いというのは量子テレポーテーションのことだと〈解のアイザック〉が言う。過去に書かれたSFの未来はそのままの形では実現しなかった。逆に書かれなかったことが実現している。昔夢見た未来はこんなじゃなかった。それがオーウェル効果だ。何ともイヤな効果だなあ。そして新たな量子コンピュータを目指してKたちはまた旅立つ。
そして結末でKはフォッグたちが本当にやろうとしていたことを知り、自分の正体を知ることになる。日本がまだアメリカと戦争をしていたころ学徒動員されたK。空想科学小説を知り読みふけったK。そう、あの人のことに違いない。
「四元数の悪魔」は数学SFでホラーという変わった作品。冒頭で矢野徹の『コブテン船長の冒険』に出てくる生き物が紹介されている。事業に失敗して自殺を試みた男が海で見たのが、その生き物に似たおぞましい怪物だった。そいつは目を合わした者から順に襲って来て相手を殺すのだ。男は居合わせた女に助けられ車で逃げるが、怪物は遠近法を無視したように山の上に頭を覗かせる。巨大に見えるが視野の上では人差し指ほどの大きさだ。女は真っ直ぐ逃げるのではなく車を不思議な動かし方をする。等速運動だとますます近づいてくるのだという。あの怪物はアイルランドから来たのだとも。
アイルランドの数学者ハミルトンが19世紀半ばに考案したのが四元数だ。3つの虚数と1つの実数をもつ数体系。ぼくは高校生のころにこれを知って、自然数、実数、複素数のさらに次にくるのが四元数なんだと面白く思った記憶がある。今ではコンピュータグラフィックスの計算などで実用的に使われているとのこと。その一方で何やら怪しげなカルト集団も生みだしたと書かれている。女の話によると、そんな狂信的なカルト集団がこの化け物を召喚した。ただしこの3次元世界にいるのではなく、四元数の世界に存在している。だから攻撃も通じない。われわれと唯一共通する実数軸に沿って距離を縮めてきて、最後は観察者の目の中に実体化し、破壊してしまうというのだ。最後の舞台は万博公園の観覧車。女はそこに罠を仕掛けてあるという。そして……。とにかくひたすら追ってくる化け物、それって怖いよ。
「ディセロス」は非常に凝ったSFミステリ。その凝り方は尋常ではなく、ロジックそのものはわかりやすいのに、起こっていることを理解しようとすると頭がこんがらかってしまう。でも面白い。
舞台は火星から脱出しようとしている宇宙船の中。火星でヒト至上主義の過激派マーズクランのクーデターが起き、奪取を恐れた宇宙工場〈アントリア〉はその中枢AIアンタレスの判断でヒト居住区を含む船体の大半を放棄し(AIに反対するマーズクランだがヒトに危害はくわえないだろうとして)、工場のあるコア本体と機械の体をもつ保安要員がいるドーナツ型の保安モジュールだけが残されている。彼らは機能人格保持者と呼ばれ、要するに自意識をもつアンドロイドだ(人間型じゃない者もいるが)。
その一人が船内で殺された。マーズクランの工作員が紛れ込んでいるらしい。以後、物語は交代要員として女性型のボディに覚醒されたファンを主な主人公に密室ミステリとして進むのだが、ポイントは彼らの体内に取り付け可能なキューブ形のディスロスというデバイスだ。これはマクスウェル方程式の解に現れる未来から過去へ向かう先進波を利用して5分後の未来を見えるようにする装置である。しかも2つ接続すれば10分後、3つ接続すれば15分後が見えるのだ。この先進波(理論上だけのものであり、現実には無視される)を実在のものとして使うアイデアは解説を書いている堀さんがよく使っているし、グレゴリー・ベンフォードもタキオンのもつ性質として使っている。これがあるので、保安要員らは限定的だが未来を知って対応ができるのだ。このため、各自がそれを逆手に取って行動したりするため、いつ時点で誰がどこで何を見たのかが重要となる。京フェスでは理山さんがネタバレとしてそのイベントと時系列を厳密に構成した表を見せてくれた。つまり読んでいてわからなくなったところもちゃんとマッピングして読めば解決しているはずなのだ。今のぼくは根気がないのでやらないが、SF的な背景はともかく論理的ミステリとしては、時刻表ミステリみたいにその気になればちゃんと正解があるのだ。よくもこんな話が書けたものだと感心する。
とはいえ、細かいところがわからなくなってもお話自体はちゃんとわかるように書かれているので、問題はない。アリバイ探しとその裏をかくデスゲームが面白かった。
「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」は中編。堀さんはワイドスクリーンバロックと書いているが、確かに波瀾万丈で面白さは抜群。ここでも機能人格保持者が活躍する。
冒頭で登場する捜査官のナツミもそうだ。彼女には10年前に大英博物館で起きた事件で体と心を損傷したイズミの人格がコピーされている。10年たってイズミの肉体は復活したが、まだ完全ではなく、リハビリ治療が続いている。大英博物館の事件とは、テロリストにより侵蝕性ナノマシン爆弾が仕掛けられ、収納品の大半が灰色の塊(グレイグー)となり、数百人の死傷者が出たという事件だ。イズミもそこにいて友人たちと巻き込まれたのだ。
そして今、世界各地で貴重な文化遺産の盗難事件が続発し、その容疑者が捕まって取り調べを受けている。10年前の事件と関係があるかも知れず、ナツミはイズミの父親である星間警察地球事務総局長の許可を得てそこに立ち会うことになる。イズミも同行する。その男、鴟口大(しぐちだい)ことキャプテン・セニョール・ビッグマウスは何とイズミの高校時代の悪友だった。たちまち昔の悪口合戦に花が咲く。彼は文化財の犯罪歴を蕩々と話しだし、それには依頼人がいるのだという。ロンドンにはグレイグーを盗みに来た。そこから色んなお宝を復元できるからと。これは引き延ばしだとナツミが気づいた時、彼の仲間の機械人が現れて警察官らを平たいパネル状に変え、イズミとナツミを連れて堂々と警察署を出て行った。そして大英博物館跡からグレイグーを海賊船に引き揚げ去って行く……。
ここで使われたガジェットも面白い。重力パルスでマイクロ秒の幅に空間を歪め、相手をその空間に閉じ込めて平たいパネルにしてしまう。空間が歪んでいるだけなので本人には何の異常もなく、ただ相対論効果で外からは時間が止まったようになるだけだ。海賊船も(超光速ではないというが)アルクビエレ・ドライブを使っているらしい(ググって見てください)。関係ないかも知れないが、何でも平面化して運ぶというので、ぼくはコードウェイナー・スミスの平面航法を思い浮かべた。
この後がさらに怒濤の展開となる。天王星から来た依頼人。そこは初期化されて死者として扱われる機能人格保持者たちの集まる星だった。そして太陽系外から接近する禍々しい天体の謎。それに近づいた調査隊はその影響を受けて暴力的となり互いに戦いあう。それでガニメデも破壊された。ビッグマウスとイズミはその天体の脅威から太陽系を救うよう依頼されたのだ。
人間が古代の文化遺産に惹きつけられるのは秩序を与えられた物体に「時間慣性」があるためだ。依頼人はそんな物体を「時空壁合(へきごう)誘発体」と呼ぶ。彼は地球にある文化遺産、地球人の時空壁合誘発体を天体にぶつけることでそれを無力化しようというのだ。
大量の文化遺産を運ぶには巨大な宇宙船がいる。それがフォボス=ダイモス連結体にあるタニア・クラカトワ十五世の持つ戦艦〈花遣(ハナヅカイ)〉だ。そのためには……。
目くるめくアイデアの奔流と超常バトルみたいな展開、様々なSF小説にからめた小ネタ、イズミとビッグマウスそれにナツミの関係と、そしてコミカルなというか溢れるギャグ。傑作である。
「黒い星の伝説」は書き下ろしの短篇で、「ディセロス」と同じ背景を持っている。語り手は木星の衛星カリストに暮らす教師のスヴェン。教室で火星から来た移民の子どもたちに「祖母」がしてくれた話をしている。スヴェンは機能人格保持者だ。話はおとぎ話風に、むかしむかし黒い星で起きた物語となっているが、それはあの宇宙工場〈アントリア〉で起きた事件を翻案したものだ。スヴェンの祖母はその生き残りだという。だが祖母の語る物語にはつじつまが合わないところがいくつもある。彼女が触れたのは事実の断片ばかりで本当はどうだったかわからないのだ。祖母はその空白を想像で補完して物語を作ろうとしたが、それが真実ではないことも知っていた。
教室には他に二人の監視役がいた。一人は子どもたちに付き添ってきた移民船の警備員マリク、もう一人は星間警察の捜査官シェリル。二人とも機能人格保持者である。スヴェンは二人を共有空間に招く。二人は今の物語が火星や地球で伝わっている内容と微妙に異なっていると話す。二人と別れた後、スヴェンは自宅に戻るが、そこにはマリクが待ち受けていた……。
「ディセロス」とは確かに色々と異なっている。そもそも「祖母」とは誰なのか。本当の結末はどうだったのか。解説で堀さんはそれが〈すべての夢|果てる地で〉と同じくヒルベルト空間内の別の時空を「想像」によって選択したものなのではないかと書いている。確かにそうかも知れない。それが「物語」なのだから。
円城塔『土人形と動死体』 早川書房2026年4月刊行。円城塔デビュー19周年(「20-1」と記載)記念の本格ファンタジーとある。『AIとSF』などのアンソロジーに収録されたものと書き下ろしを含め、5編ずつ3部に分かれた15編収録の連作短編集。各部にはコンピュータ用語から取られたShell、Kernel、Rootと表題がつけられている。確かに土人形(ゴーレム)や動死体(ゾンビ)、ドラゴンやスライムが出てきて魔法が存在する世界での物語なのだが、ファンタジーなのか、それともAIがらみのSFなのかわからなくなるところがある。別にSFかファンタジーかわからなくなってもかまわないのだが。
第一部:Shell。ShellとはOSの表層にあって、ユーザのコマンドを受け取ったり表示したりする部分だ。一番ユーザに近いところである。
「土人形と動死体」は『AIとSF』に収録。廃墟となった魔術都市ミスルカラの郊外にあるノーシュ・アレグラの迷宮にまつわる物語。都市連合は宝物の眠るこの迷宮を攻略しようと苦戦していたが、その第三扉をつい先月、グラールと名乗る子どもが解錠した。呪文も何もなしに、見たこともない装置を使って易々と錠を開け、そして姿を消してしまったのだ。グラールの行方について都市連合は双頭の竜イノクラルメヘルボヌクス(長い!略称はクメヌ。なお後の作品でこの名前の意味が明らかとなる)にお伺いをたてたが曖昧な答えしか得られない。
実はグラールは魔術を使えない「無能力者(ソウルレス)」であり、魔術的な視野には映らないのだった。グラールの師はノイラガ。第二扉を開いた人物である。その師が第一扉を開いたエスノダ。エスノダはノーシュ・アレグラの共同研究者だったというソウルレスだ。
ノーシュはアレグラ家の長子で大魔術師だった。巨大な土人形を駆使してミスルカラのインフラを整備した。スケルトンやスライム、ゴーストを部品として様々な自動機械を作った。ゴースト・マシンはいわばコンピュータであって、ノーシュは20万体のゴーストを組み込んだ自作のゴースト・マシンを使い、クメヌとチャガというゲームをして勝利したのだ。クメヌの方も頭を二つに分けて並列思考することで反撃し、ノーシュとクメヌは仲良くゲームを続けたのだ。ノーシュは地下深くに備えたゴースト・マシンとネットワークを結び、次第にそれ自身がノーシュと一体化していった。アレグラの迷宮そのものがノーシュとなったのである。
今クメヌとチャガをするのはグラールである。グラールのチャガの腕は十人前だがそれでもクメヌは楽しい。第三扉の解錠もグラールとクメヌの共同作業だった。グラールは今なお迷宮を封印し開発を続けるノーシュの目的は魔術をこの世から消し去ることなのではと思う。グラールがエスノダからノイラガを経て引き継いだ封印された手紙には、ある一文だけが記されているという……。これはいわば反魔法ファンタジーであり、とても面白かった。
「スライム・コレクター」は書き下ろし。イグノラヴァ山地にある村はずれの森の小屋でスライムと暮らすノアッグという男の物語。彼はある時、この古い遺跡が沈む沼地だらけの村にふらりとやって来て住み着いた。様々な種類のスライムを研究しているという。このあたりではスライムを染色に使うのだが、スライムから染色液を絞り出すのが彼の収入源となっている。ノアッグはスライムを食料にもしている。キノコみたいなもので食用になるスライムもならないスライムもいるのだ。村の子どものキアはよくノアッグの小屋を訪れて彼の話を聞くのが楽しみだ。
キアが小屋に来ているとき、ミロルという人物が小屋を訪れた。このあたりにあるという古ザランドラルの遺跡へ案内してもらいたいと彼は言う。沼や森の様子、遺跡の石柱などを見て、ミロルは自説を述べる。ザランドラルは魔術の暴走で滅びたと言われるが、これはとてもそんな規模の術ではなく、北部地方のあちこちにある地形が示すように「大いなる氷が地を覆い、コルノ・キキアルノがやってきた」、すなわち巨大な氷河が押し寄せてきたことを示している。そしてその発生点がここイグノラヴァであり、そこに大魔王コルノ・キキアルノの居城があったのではと。
キアもその話はノアッグから聞いたことがあった。氷河ははるかな昔、大魔王の時代にあった気象魔術によるものではと語るミロルに、ノアッグはそんな力は眠らせておけと答える。ミロルの調査にキアはつき合い、学問の面白さに目覚めたキアはその後街で自ら学問を修め、久しぶりに村に帰ってノアッグと議論する。キアはノアッグこそ、かつての戦争でスライムを武器として使用し処刑されたノアッグその人であると指摘する。でも生きてるじゃん。スライムを身替わりにしたからなとノアッグ。そしてミロルには話さなかったイグノラヴァの事実やスライムたちの存在理由について彼とキアは話し続けるのだった……。これまた科学と魔術の物語である。キャラクターがみな生き生きと描かれていて楽しい。
「独我地理学」は『地球へのSF』収録。ザザムギドの村には時として特異な天才が生まれることがあり、そういう者にはサザという名前がつけられる。生まれてすぐに読み書きができるようになり、読書と文通を趣味とし、村人に突然抽象的で突飛な話をする。村人たちもそんなサザには慣れている。
スタンもサザと同じような能力をもっていたが、同時にサザが二人生まれることはないとして、スタンは普通に仕事をしている。彼はよく野原を歩き回って自然を観察し、サザの奇妙な話にも耳を傾けるのだった。大地が球体であることはサザから聞きその通りだと納得している。
サザは世界の地図をたくさん集めているがこれはと思うものは少ない。その中で大地の球体説に反するような地図にサザは注目する。それは南北に対して東西が長すぎる地図で、もしそれが正しければ東西は球を15周ほどの長さがあることになる。しかし実際に旅行した者はそれが現実に良く合っているというのだ。サザはスタンと話をしながら、有限の球体に無限の表面を巻き込む数学的な方法を考え、それは後に独我地理学と呼ばれるようになる。無限論に意識の存在をからめたような理論だが、それには致命的な欠陥がある。複数の意識が遙かな高空から下界を見下ろして観測したとき、矛盾が発生し意識の衝突が起こる。その時は認識的に敗北した方の世界が崩壊するのだ。そしてこのはるか後、ノーシュ・アレグラがまさにその「観測兵器」を発動しようとしたのだが……。
「無名再帰書」はSFマガジン2026年4月号に掲載。これは魔術の理論についての物語である。魔術の学院にムアとミレルという仲の良い二人のソウルレスが在学していた。ムアは自分の周囲に不思議な光を巻き起こすことができる。ただそれは気を抜くと勝手に発動するようなものなので、魔術とは意志によって発動するものであるという定義からすると魔術ではない。何らかの力があることは確かだが、そういう意味でムアには魔術がなく、ソウルレスとされているのだ。ミレルにはそんな力もなく、今のところ全くのソウルレスである。だが二人はもしかすると魔術の力を表すようになる可能性があることから、この学院で教育を受けているのだ。戦争で使えるような強大な魔術は日常的に発動することは滅多になく、無能と見なされていた人物が大事の時に覚醒したという例もあるからだ。二人を指導しているのは教官のモルバである。モルバは二人に古代の魔術師ガノフの呪文書を渡してこれを研究するようにと指示する。ミレルは呪文書の翻訳に才能を示した。ガノフの呪文書からミレルが翻訳した一節をムアが詠唱すると、それまでのただの光だけでなく、緑色の双葉が現れたのだ。
古代の言葉あるいは異国語で書かれた呪文の翻訳とはどういうものか。直訳した呪文を読み上げても効果があるのか。元の音を真似なければならないのか。実際には呪文によって異なるといえる。音だけ真似れば効果のある呪文もあれば、意訳しないと効果がない呪文もある。結局魔術は術者の心の動きや意志が左右するものなのだ。
ミレルが思いつきのように翻訳した呪文をムアが唱えると確かに何らかの効果が現れた。モルバ教官は二人に目の前で実験をさせる。その結果……。ムアとミレルの関係は微笑ましく、モルバ教官もいい味を出している。学園ものとしても面白かった。
「天体顕微鏡」は書き下ろし。この話は〈門〉を通じてスケルトン・マシンを構成するミクロな骨の粒子の世界を覗き、その謎を解明しようとする若き研究者ルラィと、〈門〉の管理者テルハイドの物語である。どうやら「独我地理学」のサザが考えていたように、この地球(スファイル)は葉層と呼ばれる大地が無限に広がって惑星を何層にも包み込んでいるのだ。
葉層は無数に重なりあっているが、そこに暮らす者には1つの大地しか感知できない。その重なりあう葉層間に穴を開け、異世界同士をつなぐのが魔術技術を駆使して作られた〈門〉である。その実験には土人形やスケルトンが使われ、異世界の映像を撮影し、標本を採取して無事に帰還した。だが人間が土人形に乗り込んで〈門〉の向こうへいったとき、彼は帰って来なかった。〈門〉がつなぐ葉層世界は未来だったり過去だったり別の惑星だったりする。時間の流れが違う世界、大きさの違う世界がある。それでも〈門〉は二つの世界の違いを魔術的に調整して互いに行き来できるようにした。今では10万を超える〈門〉が設置され、各国の連合によって管理され、物流の基盤設備となっている。
〈門〉の管理者テルハイドに若いルラィは大胆な提案をする。彼はパランデルモ北方の〈海〉、広大な雪原のように見えるが微小な砂粒で構成されており、意志を持つ1個の生物のように自在に変形するそれが、ある種のネットワークで結ばれたスケルトン由来の砂であること(ソラリスの海か!)を実証したスケルトンの研究者である。彼は大きさの著しく異なる世界への〈門〉を開いてもらえないかと言うのだ。その〈門〉の前にレンズを置き、ものすごく小さな光りの波でものすごく小さい世界を見る。それで微小な砂のように砕けたスケルトンがどう動くのかを知りたいのだ。そして実験が行われる。ルラィとテルハイドがそこで見たものは……。魔術という言葉を科学(超科学)に替えればそのままSFになるような話である。また葉層と〈門〉には現実の数学的な背景があるように思える。
第二部:Kernel。コンピュータ用語でいえばハードウェアに直接作用するOSのコアな領域のこと。
「竜の命名」はSFマガジンに掲載。これは表題作のはるか昔に起こった事件についての物語。蜥蜴人と人間が共存している街で、連続殺人事件が起こる。殺されたのは3人の蜥蜴人だから連続殺蜥蜴人事件だ。蜥蜴人のクメヌの依頼で、この街で調整役をしている人間のミティクが調査することになる。クメヌは殺された蜥蜴人たちと直接の関わりはなく、彼もまた蜥蜴人たちの調整役のような立場にあるらしい。
とはいえ、物語は普通のミステリのような展開にはならず、クメヌとミティクは街を歩いては屋台をひやかし、変わった料理を食べながら蜥蜴人と人間の違いなどを語り合うばかりだ。そこで蜥蜴人たちと人間たちの世界観の違いが明らかになっていく。蜥蜴人にも階級があり、王族は竜になるという。
ミティクには賢者(と自称している)若い友人がおり、彼からも色々な話を聞く。彼の名はミミマモニ。「スライム・コレクター」や第一部の他の物語でも言及されていた昔の賢者である。殺人事件はあっけなく解決し、犯人も捕まるが、この物語の主題はそこではない。クメヌがミティクに依頼したことでミティクの知人のミミマモニに会い、そして自らの将来あるべき姿を知るという話なのだ。クメヌは新たな名前を得る。そこには過去と未来の因果の逆転がある。そしてそれがこの世界の運命を定めるのだ……。
「第六中枢」は書き下ろし。これは未来予知と時間論に関わるまるでハードSFのような物語。ここでもメドグラキスという、他の作品でも言及された魔術師が登場する。
かつて算術都市と呼ばれたゲグラートの街は土地の頁岩から産出するペグロソス文字という、岩に自然に浮き上がってくる文字で知られていた。メドグラキスはその文字を組み合わせると特定のルールで魔術的に動きだすことを発見し、それを利用して万物を計算する機械を作り上げたのだ。スライム・マシンやゴースト・マシンでも高速な計算はできたが、ペグロソス文字を使った計算機はそれ以上のものだった。メドグラキスはそれを使って競馬の予想をさせようと研究したのだが、このマシンはランダムな予測を無数に行ってその中から偶然に的中する文字の組合せを選び出し、さらにそれを繰り返して正しい答えを得ることができた(量子コンピュータの原理みたいですね)。ただしそれには時間がかかり、競馬でいえば計算結果が出たときにはもう試合が終わっていて、例えそれが当たっていても役に立たないのだった。
この機械は「予言中枢」、略して「中枢」と呼ばれた。パルンデファイマという賢者はそこから未来予知と時間についての研究を行い、多数の論文を書いた。確実な未来を予測してそれを起こらないように対処したとき、その未来はどうなるのか。消えてしまうのか。あるいは世界が分岐するのか。これは多くのSFで考察されてきた問題であり、量子力学の観測問題とも同様の議論である。ゲグラートはその後ゴースト・マシンの高速化や並列化によってその優位を失い、やがて衰退していく……。
「塔と橋」は書き下ろし。これも物語よりも議論が中心となる作品だ。時代は「土人形と動死体」より後の時代。アレグラの迷宮に対する都市連合の攻勢は第三次に及び、これまた失敗に終わる。魔術師たちにより、迷宮の地下へと続く階段が実際に無限に続いていることが発見されたことも理由の一つだ。
この大攻勢を主導したハムライは、迷宮の主、ノーシュ・アレグラがこの世から魔術を消し去るという大魔術の準備を今も進めており、それが実行されると世界が滅びると主張する。魔術師たちもその見解を支持している。魔術はこの世界において日々の全てであり、様々なマシンを動かす原理となるものだからだ。ハムライの相談相手は竜族の長、イノクラルメヘルボヌクスラクス。「土人形と動死体」では双頭だったが、この時には三つの頭を持っている。三つの頭はそれぞれ別の意見を持ち、互いに議論するのだ。それにハムライも加わる。無限階段についても議論が分かれる。無限に続く階段を作るには無限の材料が必要なのではという問いには、有限の材料で無限の階段を構成する方法があると答える。無限階段が外宇宙に伸びれば「塔」になり、内宇宙に伸びれば世界を結ぶ「橋」となる。そんな橋がいつか作られることになるのだ。
「魔王」は書き下ろし。他の作品もそうだが、この作品は特にメタな雰囲気が強い。登場するのは魔王デルドゲドオン(略してデオン)とそのソウルレスの相棒だ。デオンは単なる魔王ではなく、魔術そのもののような大いなる存在であり、世界の活動全て、世界や宇宙が擬人化された存在といってもいい。
ただこの魔王はちょっと体のいかついだけの普通の人間の男のような姿をして、相棒と街を歩いては酒を飲み、酒癖が悪いのでしょっちゅうトラブルを起こす。相棒は魔術が使えないソウルレスの人間だが、たまたまデオンと知り合い、彼が魔王であると知っても普通に気楽に接している。この二人の関係がいい。魔王デオンのキャラクターもちょっと抜けているところがあって(人間の姿をしていると魔王のフルの能力を発揮できないのだ)とても魅力的だ。
相棒に名前はない。最初に出会った時、デオンは彼を「(ユーザーネームを入力して下さい)」と認識した。デオンによると、彼にはかつての偉大な魔術師の構成要素が多く含まれているのだそうだ。魔王には過去も未来も大きな違いはなく(というか適当で)、今の瞬間だけが存在しているのだ。そして、魔術そのものである魔王の望みとは、魔術を破壊しようとするノーシュ・アレグラを倒すこと……。
この後に続くメインストーリーの幕開きである。小ネタも面白い。馬を使わない馬車が登場するが、車輪が直接歩けばいいということで車輪にペダルがつけられ、それを漕ぐ足が作られた。そしてその足とペダルを車輪の中に格納することで今の馬車になったのだというのだ。その動きを想像してみるとちょっと可愛くて楽しい。
「魔の王が見る」は『AIとSF2』に収録。これも世界観を説明する話。この世界には時間を超越した超魔術文明があり、それをザランドラル浮遊文明と呼ぶ。時の中を過去へ未来へと浮遊しており、時おり現世に現れては歴史上の文明と遭遇してその持つ技術を吸収しさらに発展させてきた。
そんなザランドラル文明の滅亡は歴史上の空白として現れるだけで、人々はそんなものの存在すら知らない。過去だけではなく未来でも同様で、時に謎めいた現象が起こるが、そうしたものは魔術や怪奇現象として扱われるのだった。
時間を乱し、生死をも乱すようなザランドラル文明の巨大魔術は人間の認識を超えているので、それを制御するため、その時々のザランドラル文明は様々な「魔王」を作り上げた。
こういったことを説明するのはNN(ネームド・ネームレス)という存在だ。
ある時、各所で不穏な予兆が現れた。時空を超える渡り鳥アレケトが道路を見えないバリアで封鎖して道を渡ったり、人々を新種の悪夢が襲うようになった。悪夢はどこか異様で不気味な異世界の風景を伴っていた。風景の中、人々は繰返しに陥ったり、不意に移動したりした。その悪夢に現れて、人々に魔王の話をしたのがNNである。NNは言う。ザランドラル文明の世界観は渾沌を秩序に変え、夢を操作し、魔術を作り上げる根幹となるものだ。それこそ人々が「意識」と呼ぶものなのだと。その魔王が今や拡大の限界点に達し世界の姿に直面しようとしているのだと……。
第三部:Root。5編とも書き下ろし。コンピュータ用語のRootはシステムの全てを操作することのできる最高の権限のこと。
「開戦」では冒頭に魔王デオンが賢者ミミマモニを仮想世界に召喚する。デオンの相棒もいるその空間に、三つ頭の竜、イノクラルメヘルボヌクスラクス(略してクメヌラ。イノクラルメヘルボヌクスに三つ目の頭が生じてラクスが増えたので略称にもラがついたようだ)も現れる。魔王が彼らを招集したのは、ノーシュ・アレグラを倒すためだ。魔王だから簡単でしょうとミミマモニが言うが、消去しようとしたがアレグラ側の設定がそれを拒んだのだと魔王。そこで可能性世界の研究者であるミミマモニがここへ呼ばれたのである。
ミミマモニの頭にはこれまで行われた戦いの様子が流れ込む。葉層を貫く「無限階段」の塔を切り倒して世界をつなぐ「ダルバーンの橋」を築いたこと。それによって、高層からスファイル全体を認識することで世界を破壊するというノーシュの意図(サザが警告していた)を邪魔することができた。パランデルモのテルハイドは倒壊した階段の素材から〈門〉を作り、その先に死の領域を発見したという。
ちょっとユーモラスな会食の後、ミミマモニは議論を整理する。そこで、NNという存在が何なのかという疑問が生じる。デオンもクメヌラにもわからない。ノーシュは魔術世界を滅ぼしてあらゆるものをソウルレスにしようとしているのだが、NNは認識自体を破壊してソウルレスも含む世界全てを滅ぼそうとしている。そしてみなの注意が相棒に向かう。この場にいる相棒は単に魔王デオンの相棒というだけでなく、ここにいる唯一のソウルレスであり、魔術的存在ではない者なのだ。デオンはそこで相棒である「ユーザーネームを入力してください」にクラスタという名を入力する。彼こそノーシュの愛したソウルレス、エスノダに連なる者であり、その連なりの中に学院のミレルがおり、その友人に……と繋がって、クラスタこそがエスノダの要素を一番濃く引き継いだ者なのだ。そしてデオンはアレグラの迷宮を攻略する者を指名する……。
「前哨」。ここでまだ若いノーシュがエスノダから「お嬢さま」と呼ばれたことで、ノーシュの性別が示される(たぶんここ以前の作品では不明だったはず)。ノーシュにとっては、魔術を持たないソウルレスのエスノダが火打ち石を使って枯れ葉に火を付けるのも立派な魔術に見える。だが人々はそれは魔術ではなく単なる現象であると言う。
ノーシュはエスノダを伴い、山奥に棲む三つ頭の竜とチャガに似たゲームをしている。時系列が正しければその時代の竜は双頭だったはずなので、これはデオンたちの仮想空間でのシミュレーションだろう。ミミマモニたちは迷宮攻略にあたって、人間の知覚を超えたスケールの世界を考え、そこに魔術とは違う機序を与える。例えばパンが腐るのは魔術のせいではなく見えない微生物のせいだというように。でもクラスタからすればそれは魔術の機械化であって、ノーシュのやろうとしていることと同じに思える。彼らはいくつものポイントでの設定を変えてシミュレーションし、過去を改変してノーシュを止めようとしている。ノーシュもまたそれに対抗している。これは魔術戦なのだ。
「火の鳥」ではNNとクラスタの戦いが描かれる。NNのいる場所には強力な魔術が広がっていて、その結界に触れればたとえ魔王でも異なるものに変えられてしまうという。だが魔術をもたないクラスタは平気だ。NNのいる鉄の扉があるだけの普通の田舎家にやって来ると、NNが出てきて彼を招き入れる。
ミミマモニは魔王の城を攻める連合軍を指揮している。何度かの試行錯誤の後、居城に迫る時間線、ストーリーラインを構築することに成功した。ミミマモニはあらゆる瞬間にコインを投げて、常に表を出し続けるようなルートを見いだしたのだ。コインを投げる度に世界は分岐するが、無数の分岐の中に正しい道はあるのだから。
同じ魔王といってもデオンの生成する世界は何らかの形でつじつまが合う。NNの生成する世界は何でもありでつじつま合わせを気にしない。相手が何でもありなら、何でもなしという自己認識をもつクラスタは、生成される出来事をただの幻と見てそれに左右されることがない。田舎家の中で老婆の姿をしたNNはクラスタに夢も幻も通じぬソウルレスに何を見せるというのかねと愚痴る。クラスタは平凡な金槌を取り出してNN(ここではニューロン・ネットワーク)へと迫る……。
これは個人的な想像だが、ここで描かれるNNというのは円城塔の第一短編集『Self-Refrrence ENGINE』に出てくる宇宙の時空をカオス状態にしてしまったシンギュラリティ後の巨大コンピュータ(巨大知性体)のひとつじゃないのかと思う。〈ストーリーライン〉という言葉も『エピローグ』で言及されているのと同じ意味で使われているようだ。つまり、この短編集の世界は彼ら(NNとは限らない。ドラゴンや大魔王たちも含めて)が紡ぎ出したストーリーラインであって、それが読者も巻き込み破綻に向かって進んでいるというのではないだろうか(それは最終話でとりわけ露わとなっている)。そういう意味では本書は作者の原点に還ったものだと言えるだろう。
「最後の戦い」の冒頭で「設定」が降り注ぐ地表の光景が描かれる。設定とは一つ一つは小さな規則であってその適用される範囲では有効な法則だが、設定同士が矛盾して打ち消し合ったり折り合いをつけたりするものだ。そんな細かい設定はイノクラルメヘルボヌクスラクスのような大物には影響しない。三つ頭の竜は設定の降り注ぐ空を悠然と飛んで行く。終焉の光景だなとミミマモニが言い、これで終わっていくんだなって感じはしますねとクラスタが言う。
竜はアレグラの迷宮の壁を吹き飛ばし、内核へと侵入する。だが突然「世界観」が竜を直撃し、何層もの鱗を貫いて大きな穴を開ける。修復を試みるが間に合わず、侵食が拡大していく。この戦いは互いに「世界観」自体を投げつけ合う所まで来ているのだ。
今ノーシュがやっているのは、それぞれ独立して存在するあらゆる層を1つの共通フォーマットに載せて接続し、巨大な装置として一体化することだ。そこでは魔術などという曖昧なものは存在する余地がない。ミミマモニに言わせれば、「稠密なものの完璧化、閉包(クロージャー)です」となる。
閉包(クロージャー)というのは数学用語で集合にその集合の境界を加えたもののことだが、ここではどういう意味だろう。境界がないとそこから何かが漏れ出すから、それを完璧化して魔術が入り込めないようにするということかしら。またノーシュがやっているのは物理学者が大統一理論を作り上げようとする過程につながるように思える。
最後の戦いで物語化の力が尽きれば、幻想の生き物である竜も蜥蜴になるか、神話の中に細々と残るだけとなるだろう。最後の戦いは終わろうとしており、物語も終わりを迎えようとしている……。
「手紙」は物語の最終章。迷宮の中心部にケーブル類につながれてノーシュ・アレグラが立っている。竜族の王、イノクラルメヘルボヌクスラクスはそこに「あちら側」から登場する。久しぶりだなとノーシュは言い、勝負はまだ終わっていないと竜が言う。竜の影からクラスタが姿を現す。ノーシュは笑ってケーブル類を外し、簡易なドレスに身を包んだ姿で彼の前に立つ。クラスタの方はチョッキにズボンという姿で顔も汚れたまま、大魔王と勇者というには分が悪い。
二人は小さなテーブルで対面し、服装もいつの間にか礼服に変わっている。クラスタは手紙をノーシュに渡そうとするが、それは背後から現れたエスノダに取り上げられる。エスノダは二人に焼き菓子の皿を並べ「このあたりでおやめになりませんか」とノーシュに言う。二人の話にクラスタは口を挟まない。かくてお話は終わりを迎え、書物は閉じられようとしている。ここで主人公はクラスタであり、それはこの物語を読んでいる読者であるとノーシュは言い、手紙を開く。そこには1文があるのみ。「もし君が土人形なら、わたしは動く死体にすぎない」と……。
煙に巻くような結末だが、この全ては本当に表題作から演繹され構想されたものなのだろうか。それとも雨のように降り注ぐ設定の断片が自己言及的に創発したものなのだろうか。いずれにしても、異世界ファンタジーというよりは、いや異世界ファンタジーというものは、作者にとってこのようなものなのだろう。いかにも作者の作品らしく、ぼくにはとても面白かった。もっとも小説を読むという面では、登場人物にちゃんとドラマがある「土人形と動死体」「スライム・コレクター」「無名再帰書」「竜の命名」「魔王」「手紙」あたりが楽しく読めた。