内 輪 第430回
大野万紀
映画「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」を見てきました。配信版は見てないのでちょっと不安でしたが問題なし。「子連れ狼」との噂通りだったけど、グローグーは少し幼すぎるかも。でも可愛かった。怪物だらけの闘技場もモンスターたちがとっても良い感じ。ジャバ・ザ・ハットの息子、ロッタがやっぱりいい子だったので、ぼくは満足です。
16年間使っていたリビングの大型テレビがついに故障。どうやらHDMI関係の回路が故障したようでゲーム機やHDDレコーダーを使っていると突然画面が消える現象が頻発するようになりました。端子やケーブルを替えても同じなので、テレビ内部の問題らしい。メーカーのサポートページを見るともう部品がなくて修理不可とのこと。放送番組を見る分には問題ありませんが、最近はリアルタイムに番組を見ることはほとんどなく、録画で見ることが多かったので、家族会議で買い換えを決定。同じメーカーのほぼ同じサイズの4Kテレビに買い換えました。4Kは見ないので必要なかったけれど、値段がそう変わらないのでそれに決定。設置や長期保証、古いテレビの引き取りも含めて7万以下。前に買ったときの半額近くとは安くなったもんですね。新しいテレビは操作性や画質の調整に違いがあってちょっと戸惑いますが、大きな問題なしです。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。
斧田小夜『では人類、ごきげんよう』 創元日本SF叢書2019年の創元SF短編賞受賞作を含む6編を収めた、著者の第2短篇集である。大森望の解説つき。著者デビュー作で受賞作の「飲鴆止渇(いんちんしかつ)」もそうだが、中国神話をモチーフにした作品が多い。とはいえ神話的ファンタジーや寓話というより、現代や未来の、現実のあるいはSF的な世界ともつながっていて、独特なリアリティを構成している。いずれも面白く読み応えのある作品だ。
「麒麟の一生」は純朴な酒飲み麒麟の物語。宇宙の白光として生まれた麒麟は、地球に落ちてきて麒麟としての意識をもった。初めはヤマタノオロチに従って酒の味を学び、酔っ払うとまた光りとなって天に昇り目覚めると地球に降りてくる。そんなことが何度も繰り返され、今度降りたのは漢の時代の中国。汗血馬の中に一頭の白馬となって走りまわっていた。それが漢の武帝の目にとまり、都に連れ帰って屋敷を建てそこに住まわせる。武帝は麒麟を敬い、可愛がってくれた。麒麟は武帝がいう難しい話にはとんと興味がないが、美味しい酒を飲ませてくれるので大喜びだ。
けれどもやがて時が過ぎ、老いてきた武帝は麒麟に長城の建設を相談するが、人に寿命があることを知らない麒麟は時間の概念に乏しく、適当な返事しか返さず酒ばかり飲んでいる。ついに怒った武帝に、麒麟は逃げ出してしまうのだ。そしてまた時は流れ、今麒麟は人間の姿に変わって東京は上野にいる。花見客に交じって酔っ払いに語りかける麒麟だったが、そこで……。
役立たずな麒麟がユーモラスで可愛らしく、情景は美しい。宇宙的な存在と人間の時間との関わりに、何ともいえない哀感が漂う作品である。またこの作品は「元号」SFでもある。
「飲鴆止渇(いんちんしかつ)」では伝説の巨鳥、鴆(ちん)が登場する。鴆はある国の首都で民主化を叫ぶ群衆のデモを軍隊が(楯はもっているが基本的に非武装で)鎮圧しようとしたとき、突然空に現れて群衆も兵士ももろともに虐殺する。天安門事件が背景にあるのは明白だが、決してそれに閉じた話ではない。
鴆そのものはその後姿を消し、鴆の正体が明らかにされることはない。残るのは鴆の羽にあるという猛毒の「鴆毒」の影響である。それが主人公たちにも、社会そのものにも強い束縛を残す。タイトルの「飲鴆止渇」とは、たとえ猛毒であっても渇きを止めるためには飲んでしまうという意味で、転じて目先の利を追って後のことを考えないことだという。この作品では便利で人々の暮らしを良くする科学技術が(ここではとりわけ情報技術が)反面、猛毒となるさまを描いているといえるだろう。猛毒であってもそれと妥協して共存していくか、自由を求めて反抗するか、それは人それぞれの生き方なのだ。
物語は田舎から出てきた兵士として事件に遭遇し、片手を失ったが生き残った主人公と、もう一人生き残った同僚の兵士のそれぞれのその後を時系列を行き来しつつ追っていく。事件後、経済的・技術的に発展し豊かになる一方で、重苦しい監視社会へと変貌していく国に暮らしつつ、違った生活を送る二人が再会したとき……。
現代の、日本も含む今の世界のありさまを、単純な善悪には還元できない生きるということを、素朴な二人の人間を通じて描いた傑作である。
「ほいち」は「耳なし芳一」の話。ただし「ほいち」はナンバープレートが「ほ・・・1」の自動運転可能な近未来のEV車なのだ(実際は水素自動車だが、EVでも動作する。水素ステーションが普及しないのでEV車として使っていたということらしい)。
耳なし芳一の伝説の残る下関の赤間神宮の駐車場に「ほいち」は放置されていた。駐車禁止の貼り紙が車体を覆い尽くすように貼られ、片方のサイドミラーはへし折られ、ボンネットにはまるで獣がつけたような深い傷跡がある。カーマニアの主人公はお気に入りの車種がこんな目にあわされていることを知り、義憤を覚えて持ち主から引き取ろうとやってきた。神社によると、この車は毎晩ここに駐められ、どこかへ出かけてまた帰って来るので駐車禁止の貼り紙を貼ったのだそうだ。その翌日、こんなありさまになっていた。持ち主はすぐわかったが神社が連絡しても無視されるという。主人公は持ち主の家を訪れるが……。
そこで視点は「ほいち」に変わる。「ほいち」の車載AIには自意識といえるものがあった。車のセンサーが様々な外部情報を取得し、それをイベントとして「ほいち」に通知する。「ほいち」はそれを総合的に判断して最適な動作を行うのだ(目は見えなくても外の音は聞こえるようなイメージである)。この数日、そこに異変が起こっていた。誰も乗っていないのにエンジンがかかり車が動き出したのだ。そして……。
平家の亡霊と「ほいち」の車載AIによる耳なし芳一の再話がとても面白い。なるほど、コンピュータのロジックと亡霊のロジックがこんな風にインタフェースするのもありかと、感心した。
「デュ先生なら右心房にいる」は宇宙SFであり、ロバSFである。人類が宇宙に広がった遠い未来。人類は惑星に定住する定住型人間と超光速船で星々を巡る移動型人間に分かれていた。超光速が実現しているとはいえ、いったん超光速船に乗ると船内での数日が惑星での数十年となり、定住民とは生きる時間が違ってしまうのだ。そして宇宙での労働に適したよう改造された驢䍺(ロカ)と呼ばれる宇宙ロバ。餌や水を与えられなくても長期間働き、重機械を使って開発した後の開拓地の維持に適している。おまけに食用にもなる。
デュ先生はそんな宇宙ロバ専門の医者である。偏屈な老人だが、ロバについては何でもわかり、人々に頼りにされている。彼がいつもいるのは開発基地の右心房と呼ばれる食堂区域だ。そこにロバの相談をしに人々がやってくる。物語は(驢䍺や定点カメラのAIの視点も含めて)それぞれの登場人物の視点から交互に描かれる。大きな事件は起こらない。逃げ出した試験飼育中のロバを巡って人々が右往左往し、デュ先生がそれを解決するという話である。だが物語はそんな世界を舞台に、まるで現代の農村と都会の格差を描くように細かくリアルな社会を描き出していく。何よりもロバと、デュ先生が最高だ。
なお驢䍺という妖怪は検索しても見つからなかった。驢はロバで䍺(カン)は山海経に出てくる口のない羊のような怪獣だそうだ。
「海闊天空(かいかつてんくう)」では貔貅(ひきゅう)という神話の怪獣の像が地中から見つかる。貔貅は財宝をお腹にため込むという丸っこい怪獣だ。見つけたのは志海(チーハイ)。天才的な女性技術者、高水月(ガオシュイユエ)の幼い息子である。志海は高水月と遊牧民の青年、カンツォとの子供だが、カンツォは国境の向こうに姿を消し、工員たちは志海を蔑んでいる。掘り出した貔貅の像を志海は家に持ち帰る。
高水月は中国の海底都市の生まれである。そこでコンピュータと電子工学の才能を開花させたが、摂食障害があり、チベット高原にある新設の工場で療養を兼ねて勤務することになった。彼女はそこでの生活が気に入っていたが、あるとき、工場長が不正を働いている現場を目撃する。日雇いの遊牧民たちに支払う給料を難癖をつけて減額し、それを横領していたのだ。彼女は工場長に正論をぶつけたが、以後目の敵にされる。だがそれがカンツォとの出会いだった。彼女は工場長のネットにワームを仕込み、その情報を海底都市の友人に調査してもらう。工場長はネットワークを使って特殊なデバイスをばらまき不正な取引をしているという証拠があった。やがてカンツォとの子供が生まれ、彼女は工場の労働者となる。彼女自身もあたかも工場長の共犯者のように工場長のネットワークを使って塩の売買を行う。カンツォにはそれが理解できず、二人の間には溝ができる。彼はこの国から逃れたいといい、そして……。
今、4歳になる二人の息子、志海は貔貅が彼に話しかけたのに驚いている。貔貅は自分は小ラウーラだと名乗る。母親に言うと、高水月は貔貅を調べ、事態を理解する。そして物語の語り手がついに姿を現す……。
これはすごかった。中国神話とIT技術と民族差別と、倫理を超越したスーパーヒロインと。傑作である。
「では人類、ごきげんよう」は書き下ろし。これも驚くべき作品である。あるとき太陽系にアンノウンと名づけられた恒星間天体が出現し、木星軌道近傍まで接近してくる。その調査と表面物質採取のため、AI搭載の多数の探査機が月から発進し、リレー形式で情報とサンプルを届けるプロジェクトが開始される。
物語はその探査機からの日誌として語られる。1台の探査機ではなく、複数機が日誌作成を引き継ぎながら報告するのだが、それぞれ個性があって面白い。その日誌の内容は一般向けにくだけた口調で、ユーモラスにジョークやダジャレも含みつつ語られる(地上担当者から一人称を弊機にすれば好感度が上がるよと言われても断固拒否したりとか)。今日はどんな作業をしているのか、アンノウンの状況はどうなのかとかがユーモラスに語られるので(しかも実際はそんな報告は後回しで愚痴やら無駄話の方が長いのだ)楽しく取っ付きやすいが、その実、報告内容は本格的でとてもハードSF的なものだ。
だが途中から不可解な発言が紛れ込んでくる。その違和感はしだいに深刻なものとなっていく(相変わらず口調は軽いのだけれど)。日誌は時系列だが、最初に月にサンプルが到着したときに起こった事故の様子が記されていて、それが最後にとんでもない結末とつながっていく。詳しい説明はされないが、SFを読み慣れていれば何が起こっているのかは明確だ。
探査機が語る宇宙空間の描写も美しい。そしてやはり中国神話とも関わってくる。こういうSFは大好きだ。傑作。
林譲治『地球壮年期の終わり』 早川書房 2026年1月21日発行。近未来の地球を舞台にした単発の書き下ろし長編。異星人とのファーストコンタクトものではあるが、ファーストコンタクトにテーマがあるわけではなく、タイトルの通り人類の文明、社会、そのあり方がテーマである。
クラークの『幼年期の終わり』ではオーバーロードにあたる、地球侵略に来たという異星人。その会話にはユーモアがあって、こんな異星人になら侵略されてもいいなと思ってしまうような話ではあるのだが、そこには現在の世界情勢と地続きな、重くて暗くてやりきれない背景がある。
こんな異星人がいて、重苦しい人類の壮年期などきっちり終わらせてくれたらいいのにと、真剣にそう思うのだが、今の世界にそんな異星人はいない。果たして人類だけで何とか問題を解決し、明るい未来を迎えることができるのだろうか。そんな絶望とわずかな希望がないまぜとなった、コミカルな中に今の世界と社会に対する作者の強い怒りが感じられる傑作である。
主人公格の人物が3人いて、彼らを中心に交互にストーリーが進む。彼らはみな日本人の名前を持っているが、そのうち2人は子供のころにガザから難民となって日本に来た人たちである。日本に帰化したものの、差別と搾取に合い、2034年の現在は世界各地で日本人として働いている。
北アフリカでは水戦争が起こり、スエズ運河をイスラエルが支配して、エジプトは敵味方が入り乱れる紛争地帯となっている。そこには有志国連合として自衛隊が派遣されており、パレスチナ生まれの民間人である紅谷祐介(べにやゆうすけ)はその委託を受けて輸送部隊のトラック運転手をしていたが、ドローン攻撃を受け、砂漠の中に一人生き残る。彼の前に現れたのは身長が3メートル近い、防護服に身を包んだ巨人。自らを宇宙人と称し、翻訳機で会話ができる。カスケリスと名乗るその宇宙人はたまたま「スカベンジャー」と呼ばれることになった異星種族の一員で、7千光年先から地球に来て、侵略のための調査を行っているのだという。損傷の少なかった車を運転して、紅谷はカスケリスの指示する砂漠の中の町へと向かう。
舞台は地中海に移る。政治的に中立な民間の病院船ガラテアは難民を救助して受け入れ可能な地中海諸国へ移送する仕事をしている。藤堂直子はその創立以来のメンバーであり、小型機やヘリコプターのパイロットである。彼女は以前、権威国家となってしまったアメリカで科学者や知識人を国外へ逃がす仕事をしていた。藤堂の小型機は難民の乗った漂流船を発見するが、そこへ未確認飛行現象(UAP)が現れる。さらにリビア海軍の哨戒艇が現れて攻撃しようとするが、UAPは哨戒艇を航行不能にし、難民たちを拉致して去って行く。
3人目は青沼玲香。舞台は日本。彼女も日本に逃れてきたガザの難民の子である。青沼は今、厄介な連中に追われていた。青沼はあるヤバイ組織のマネーロンダリングを担当していたのだが、そのうち27億円あまりを横領して逃げ出したのだ。夜行バスを途中下車して山の中を逃げていたが絶体絶命のピンチとなる。そこへスカベンジャーのサタミホリスが現れ、彼女を助けてくれるのだ。サタミホリスは宇宙船が新宿駅前まで迎えに来るので、そこまで歩いて行こうと言う。地球人を圧倒するすごい科学技術を持っているにもかかわらず。彼女はなぜか、スカベンジャーにとって重要人物の一人なのだ。
3つのストーリーはやがて北アフリカに築かれた秘密都市へとつながっていく。途中、各国の軍隊や政府もスカベンジャーに対して様々な武力攻撃や、フェイクニュースを駆使した人心掌握などで立ち向かおうとするが、まったく歯が立たない。それはいっそ小気味よいくらいである。スカベンジャーたちのエラそうな口調にはムカつくけど。スカベンジャーは自分から直接の攻撃はせず、人間の攻撃を無効にしたり同士討ちさせたり、ギリギリ人道的と呼べるやりかたで人類を翻弄する。地球侵略というが、ある意味とっくに地球は侵略されているのだ。彼らの本当の目的は、自分たちの、そして宇宙文明の存続である。そのケーススタディとして地球文明は調査・分析されていたのだ。
最後に描かれる多様性と希望に満ちたある種のユートピアは、そうあったらいいなという夢を与えてくれるものだ。もう一度いえば、果たして宇宙人なしでもわれわれはそんな風に、何とかできるのだろうか。
![]() |
![]() |
2025年11月刊。立原透耶・監訳、林久之・上原かおり・大恵和実訳。上巻・下巻それぞれ2部ずつの連作中編からなる長編である。各部の訳者は第1部が林久之、第2部が上原かおり、第3部が立原透耶、第4部が大恵和実。また韓松に上原かおりの解説(というか「中国のSF、韓松『紅色海洋』試論」と題する論文)と、立原透耶による監修者あとがきがある。解説は本書を理解する補助線としてとても参考になるが、読み終わってから読んだ方がいいだろう。
第一部「我々の現在」では遠い未来の地球の海底で生活する人類の末裔が描かれる。彼らは過去の遺伝子操作によって水かきや鰓を持ち、深海に適応した水棲人である。はるか昔の大戦争により地上は人の住めない世界となり、海も汚染が進んでいる。紅色海洋のタイトル通り海水の色は赤く染まり、危険な海の生物が襲ってくる。野生化した水棲人も滅びの道をたどっているのだ。
第一部の主人公である「俺」こと海星はそんな水棲人の一部族に生まれた。基本的には彼の成長と冒険を主軸にした海洋冒険ものとして読めるのだが、初期作品とはいえ、韓松がそんなありきたりなストーリーを書くはずもない。海星は母の保護の下に兄弟姉妹たちと子供時代を送るが、水棲人たちの倫理感には我々と大きな隔たりがある。まず何といっても人肉食にタブーがなく、当たり前のように殺した人間を食料とする(主人公の生まれた部族では多少タブー視するところもあったが、物語が進むにつれてそれもなくなる)。また男女には大きな非対称性があり、この世界での女性は基本的に男たちの性欲と部族の繁殖のためにのみ存在する。これも主人公の部族では母が子供を保護し教育するという役割があったが、他の部族ではそれすらない。それどころか食用と繁殖のために人肉牧場を作って女と子供を育てるというというところまでいくのだ。
何ともおぞましい世界だが、こういう文化は現実にも似たようなものがあった。ショッキングではあってもそういう世界なのだと納得すれば読み進めることはできる。また章中に呪文のように中国の歴史上にあった人肉食の事例が羅列されるところがあり(もっともそれは飢餓や権力者の特殊な事例で恒常的で文化的なカニバリズムというわけではないが)、ある種の相対化を示しているようにも見える。
海星の部族は環境の激変により他所へ移動することになった。母に聞くと海底城へ行くかも知れないという。それは別の世界から来たという銀色の男の話に出てきた伝説の存在だ。だがそこへ着く前に別の種族に襲われ部族は壊滅的な打撃を受ける。一人になった海星は複数の部族からなる男だけの集団に加わることになる。彼らは掠食族。他の部族を襲って殺し、人肉を食う残虐な部族だった。海星はやがてその中で頭角を現し、頭領である屍蛇(しき)の後を継いで掠食族のリーダーとなるのだ。
海星には他の者と違ったところがあった。過去や未来の幻影を見たり、太古の知識を受け継ぐものと夢の中で話を聞くこともある。こういったところにはSF的な設定と超自然的・幻想的な描写が重なり合っていて独特な雰囲気をかもし出している。
屍蛇は海底城のことも知っていたがそれは幻影だとも言った。海洋は様々な幻影を作り出して水棲人たちをあざむくのだ。屍蛇は海星に、俺たちは陸地から来たのだから陸地に帰らなきゃならんとも言う。だが陸地へは死なないと行けないのだ。
屍蛇の死後、掠食族のリーダーを巡る闘いに勝って頭領となった海星だが、今度は掠食族に対抗する連盟との戦いに明け暮れ、互いに疲弊していく。海星は古代の知識を保持しているという人類の末裔、海綿状の姿となった赤癭(せきえい)と会い、その力によって失われた文明や科学の記憶を呼び覚ます。海星はそれまで殺して食うだけだった敵の女を繁殖に使い、次世代と食料の両方を育てる人肉牧場を構想する。これぞ文明というものだ。海星の力で掠食族は勢いを取り戻し、彼は他の部族を従えてついに海洋王となる。
時が過ぎ、海星も年老いたが、そのとき海中から無数の謎の円盤が現れ、彼に忘れていた海底城の幻を見せる。海星は皆の反対を押し切って慣れ親しんだ海淵を離れ、海底城へ移住することを決意する。だが大きな犠牲を払ってたどり着いた海底城は壮大な廃墟だった。その部屋のひとつには陸上人を描いたらしい絵画があった。そこには十字架の表彰があり。旗を掲げた女性の姿があった(明らかにドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」を想起させる)。それを見た海星の息子、未来の海洋王となる蚼蠖(こうかく)は次第に変容をきたし、そして――。
第二部「我々の過去」は第一部の半分くらいの長さだが、水棲人たちが語る様々な挿話が描かれる。海の色が青から紅色に変わった理由や、海底城が作られた背景など、第一部に繋がるものもあるが、謎解きというわけではなく、すっきりと明確に語られるものではない。
最初の神話では水棲人の先祖が、進化して人に化けたザリガニの女にだまされて子をもうけ、それがもとで二つの部族の争いとなり、その血で海が赤く染まったと伝える。争いを採決してもらおうと二つの部族は海底の迷宮のような建築物に隠れ住む、海洋の化身である先覚者阿蘇(アースー)に相談する。阿蘇は人々を魅了する黒い石を示した。二つの部族は和解したがやがてどちらも滅び、そこから逃げ出した子どもの子孫が今の水棲人であるという。
この神話を語った海洋王のところに、青い海洋があると主張する若者、一二(イーアル)が現れる。みなは幻覚だというが、海洋王は彼を恐れて追放する。一二はそこから逃亡し、青い海を探して東へ北へ南へ。そして西に来た時、青い海からやってきたという部族に出会う。だが彼らは帰る道を忘れてしまったというのだ。今ちょうど一人を探索に送ったところだというので一二は後を追い彼に出会うが、彼は赤い海を探しているのだという。二人が手を合わせると何と二人は対消滅した! そして新たな宇宙が……。これなんかSFジョークとしか思えない。
またある水棲人は海底に立派な石造りの城を見つける。そこにいた人間には水かきがなく、これが伝説の海底城かと聞くと、陸地の王の宮殿だという。ここは陸地で、おぬしらは空を飛んでいると。聞けば彼らは唐人の後裔で、蛮族の襲撃からこの城を守っているのだという。水棲人たちは宴会に招かれ酒に浮かれるが、宮殿は突然消えてしまう。帰って海洋王に報告すると、それこそ海底城だといい、自ら軍隊を引き連れてその場へ向かうが、そこには何もなかった。だが、宴会に招かれたという水棲人たちがその後おかしくなり、陸地へ戻ると暴動を起こす……。それでも海洋王にはわかっていた。この全てが幻であることを。
これは未来なのか過去なのか。紅い海洋にチタン合金の海底城がいくつも浮遊し、水棲人の少女、儀児(イーアル)とその恋人、小縁(シャオユエン)がヘルメット、ビデオグラス、機密服を身につけて、仮想現実の陸地を、月の出を見ている。彼女らは陸地を体験できる飲食店に入り、海底から発掘されたという陸生人の道具を見ながら陸生人のように足を曲げて椅子に座るのだ。「大日子(ビッグ・デイ)」が訪れ、二人はそれに参加する。海底に巨大な耐圧球形カバーが置かれ、その中に空気が注入されて地上が再現される。体験者は陸生人を模した衣装を着、ヘルメットをつけてその中を歩き回るのだ。陸地体験運動の発起人微朝(ウェイジャオ)が演説する。黒い石が海底で再び発見された。その力により、まもなく陸地に戻ることができるのだと。だがそこへ、陸地は存在しないと叫ぶ過激派が現れ会場を破壊する……。
また別の物語では、海洋王を始めとする水棲人たちはみんなロボットに置き換わっている。肉体は容器に保存され意識はロボットの体に収められているのだ。だがそれもまた別の周期では逆転する。ロボットの体は捨てられ、また生身の肉体で生きることになる。別の世界から来た(それはどこ?)サイバネティクス専門家はこの繰返しを止めようとする。だがその結果は……。
そして最後の物語はある水棲人の兄妹が海底に都市の廃墟を見つけ、そこにヒレのない骸骨が円筒の向こうの画像を見つめているのを発見したことから始まる。そこに見えているのは別の世界のように思われた。哲学者や科学者が様々な意見をいい、それが人々を不安にした。戦争が起こる……。百万年後、二人の異星人がこの紅い海の惑星にやって来て海底の存在と心を繋ぎ合わせたところで神話は終わる。
この第二部の雰囲気は渾沌としているが、どこかスタニスワフ・レムの『電脳の歌』を思い浮かべるところがある。
下巻の第三部「我々の過去の過去」となるとSF的な要素がより大きくなる。水棲人は未来の日本軍の遺伝子操作から生まれた。地球の資源は枯渇し、宇宙へ進出したホワイト族と地上に残った陸生人との全面戦争が近づいていた未来。ホワイト族はロボットを指揮して陸地を封鎖し、陸生人を駆除して新たな世界を作ろうとしている。水棲人は陸生人側の最後の生き残り手段である海洋進出の切り札となる存在だった。巨大な海底都市がいくつも建設され、すでに陸生人が移住していたが、海底で自由に暮らせる水棲人こそがその住人として相応しい。当初陸生人と同じ心をもつ存在だった水棲人には繁殖の問題があったが、やがて大陸国家の技術を導入してその問題も解決した。本格的な戦争が始まり、地上の多くは焦土と化すが、水棲人たちは新たな人類として海に投下されていった……。
ここではまたタイトルである「紅色海洋」の成り立ちも描かれる。最後に残った中国南海の巨大な海洋石油掘削プラットフォームでは仕事のなくなった乗員たちが帰還の日を待っていた。だが迎えは来ず、海には謎の赤潮が現れてどんどん海を紅く染めていった。これは何らかの軍事的な実験の結果だろうと乗員たちはささやきあう。強靭な紅い藻は猛烈な勢いで繁殖していくのだ。大陸との通信は途絶し、乗員たちは自力での帰還を目指しプラットフォームに搭載されていた高速艇で撤収することを決める。だがその夜、異変が起こる。隊長が海上に妻子の幻影を見ておかしなことを口走る。翌朝、隊員の一人が死んでおり、高速艇が破壊されているのが発見された。死体には紅い藻の繊維が付着していた。紅い藻は人間の中枢神経を操って幻覚を見せ、その行動を支配する生物兵器なのではないだろうか。それとも海洋自らが生みだしたものか。やがて一人また一人と乗員たちは藻に侵されていく。悲惨だが死してなお幻覚の中に生きる彼らは幸せだったのかもしれない。
中国の大河の河口に人工的に作られた安明鎮(あんめいちん)には遺伝子改良の稲が一面に広がっている。ここの住人は全て人間と動物の細胞を融合して作られた漂族(ひょうぞく)である。新世界の特使、朴相哲(ピアオ・シアンジョー)は安明鎮の鎮長、安東亨(アン・ドンホン)との交渉にあたっていた。本来初期に海底へ移住するはずだった安明鎮の住人がそれを拒否しているのだ。彼らは普通の人類とは異なる存在であり、ホワイト族と交渉して協定を結ぼうと画策しているのだった。交渉は決裂し、安明鎮に最後の時が迫る……。この地には白天藍雲(はくてんらんうん)の伝説があった。朴相哲は漂族の少女とそれを見、最後の瞬間、別の世界へとたどり着く……。ここではまたあの黒い石が姿を見せるのだ。
次に語られるのはずっと海上のコミュニティで暮らしていた海洋民の物語。戦争中もホワイト族は漁民にはあまり関心を払っていない。海が紅くなって病気が蔓延し、魚も捕れなくなっていたが、彼らはまだ何隻もの巨大な海上都市のような漁船を駆使してかつての暮らしを続けていた。しかしそこにも陰りが見える。漁場を巡っての争い、そして海賊の出現。主人公の少年は自分の家族が乗った大型船を海賊に撃沈され、他の漁船に救われる。そこでホワイト人の飛行体と海底都市の潜水艇との戦いを目にする。このとき少年は初めて水棲人の存在を知ることになる。また陸上を偵察に行った少年たちはそこでホワイト人と陸生人のゲリラとの戦いに遭遇し、またそこに取り残されたホワイト人の母と娘がいるのを発見して……。
第三部の最終章はまた遠い未来の幻想的な物語で終わる。チベット高原も海底に沈み、そこはプレシオサウルスたちの王国となっていた。高原人の末裔は小さな島々で漁民となって暮らしていた。姉の阿瑪(アーマー)と弟の阿密(アーミー)の姉弟もそこにいた。あるとき、宇宙から一人のホワイト人が村に来てかつてここには壮大な山々があり壮麗な宮殿があったという話をする。それ以来阿密は漁に出なくなり、海の底に沈んだという山を見たいというようになった。阿密は海辺でプレシオサウルスにその願いを伝えると、プレシオサウルスは海の底から様々な物を持ち帰るようになった。その中には異様な黒い石があった。そして……。遠い未来の出来事として描かれるこの挿話には切ないが、どこかささやかな希望があってとてもいい。
第四部「我々の未来」はまたモードが変わる。「我々の未来」とあるが、15世紀の鄭和の大航海の物語となる。ただし改変歴史の鄭和だ。1430年に始まった鄭和の第7次航海は史実であれば鄭和最後の航海であり、東アフリカまで行って帰還したのだが、この物語では喜望峰を超えてアフリカの大西洋岸に入り、最後はポルトガルまで達することになる。ローラン・ビネ『文明交錯』ではスペインにインカ帝国が遠征するが、それを先取りしているようなところもある(『文明交錯』は2019年の作品。本書はその10年以上前に出版された)。
鄭和が航海をさらに延長した理由はある予言による。紅色の海洋が出現し、神秘世界から中国に強大な艦隊が攻めてくるというものだ。それがいつのことかはわからない。だがその時西方に一人の隠士が現れ勤王軍を率いて助けてに来てくれるという。その隠士を見つけ出すことこそが今度の遠征の真の目的なのだ。そのために予言者は鄭和に秘宝を授けてくれた。それは漆黒の球体で、鄭和が触ると表面に海陸の配置図が現れる。そこには船団の航行過程が詳細に記され、未到達の地は空白となっている。航海が進むごとにそこには未知の海図が現れていくのだ。しかも地名まで記されている。喜望峰という名もそれで知ったのである。
喜望峰から北に向かう航路で、鄭和たちは明から逃れた中国人たちの海賊と出会う。彼らを撃破し、海賊が持っていた謎めいた黒い石を手に入れる。やがて鄭和たちは三本マストの船団を発見するが、彼らは海賊ではなく、青い目、白い肌の奇妙な衣服を着たポルトガル人たちだった。彼の国の王子、亨利(エンリケ)が夢で東方から幸運とともに艦隊がやって来ると告げられ、出迎えの使者を派遣したのだ。鄭和は王子と会見し、新世界を探索したいとする王子と意気投合する。ところがリスボンで国王に謁見すると国王は懐疑的で中国人たちを蔑む様子が見えた。いったん艦隊の停泊地まで退いたが、鄭和とエンリケはそこで航海研究所と天文台を建設する。鄭和がエンリケに紅色海洋の予言について話すと、エンリケもその予言を知っていると答える。紅色海洋が東方に出現し、天下大乱をもたらす。その後この世界を転覆させ、複数の並行宇宙を生みだすのだという予言があると。病に冒された鄭和は、ここで巨船の建造を支援し、中国が危機に陥ったときその艦隊を派遣するという密約をエンリケと交わしたのだ。
しかし鄭和の部下たち、この物語を記録した林観(りんかん)、副使の王景弘(おうけいこう)らには意見の食い違いがあった。最後まで鄭和の意思に従おうとする林観たち、これ以上欧州に留まらず帰国を願う大多数の者たち。そして鄭和のあの謎の地球儀にはまだここから西に大きな空白地帯が残されていた。歴史の記録は渾沌としている……。
鄭和の没後、エンリケも亡くなる。密約は宙に浮いた。時が経ち、新たなポルトガル王のところへイタリアからコロンブスという若者が訪れ、艦隊を西に派遣すると中国に到達できると進言する。これを知った林観(まだ生きていた)はそれを阻止し、コロンブスはポルトガルを去ってスペインにこの話を持っていく。するとポルトガル王はそれに対抗するため、アフリカ南岸を通り東へと向かうルートの開拓をディアスに命じる。ポルトガルに残っていた林観ら中国の老人たちはディアスが乗るはずだった艦隊に先に乗り込み、自ら中国への帰還を目指すのだった。だが艦隊は悲劇に見舞われる。そこから生き残ったのはポルトガル人の水夫一人。彼の名はヴァスコ・ダ・ガマという……。
第四部はこうして鄭和ーコロンブスーヴァスコ・ダ・ガマという大航海時代の偽史を描いていく。最後にガマが開くことになる(本書では描かれない)東方航路によって、中国に、そして種子島にポルトガル人がやって来ることになるのだ。本編との関連は所々に現れる紅色海洋や黒い石などにあるが、それを除いてみると普通に大航海時代を東方から見た歴史改変SFとして面白く読めた。