内 輪   第429回

大野万紀


 岡本俊弥さんから『SF大会は関西から始まった ファン活動のはじまりといま』をお送り頂きました。
 公式な日本SF大会は1962年に東京で開かれたMEG-CONからですが、その一月前に筒井さんが開いた関西SFのつどいをSF大会の始まりとし、DAICON7まで当時の関係者が語る大変な労作です(ぼくもSHINCON関係者なので、インタビューに参加してます)。
 筒井康隆さんのインタビューから始まって、当時の資料や情報が満載でとにかく面白い。
 でもね、実際のインタビューなんてもっとずっと面白かったんですよ。編者の岡本さんが冗長になるのでカットしましたと言ってましたが、まあ確かに公にするには問題ありそうな話も色々あった。それと、三村美衣さんいわく「岡本さんが見るたびにかわいげのあったところを削っちゃうので、どんどん殺伐とした内容になっていき、40年ぶりに岡本俊弥のヒトデナシっぷりを思い出していたのでした」(FBより)ってね。
 ともかく面白いことは確かだし、これからSF大会のスタッフをやってみようというような気概のある若い人にはぜひ読んでもらいたい本です。参考になること間違いなし。いやちょっとは参考になるかな。参考になったらいいな。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


大恵和実・十三不塔編『歴史脱出SFアンソロジー ○×△しないとでられない世界史』 史想社

 2025年11月刊。日中の作家による18編と十三不塔さんの序文、大恵和実さんの編者解説がついている。解説によると、もともと大恵和実さんと十三不塔さんが意気投合してSNSで呼びかけ、作り上げた同人誌であるらしい。文学フリマでの販売だったが、ぼくは通販で手に入れた。歴史脱出SFって何かと思えば、人類の歴史を何かからの脱出と移動の歴史と捉え、大きな意味でそれをテーマにしたアンソロジーだという。

 楊楓(ヤン・フォン)(大野和実訳)「宛(えん)として水の中央にあり」。作者は中国のSF作家でアンソロジスト。秦が楚を征服しようとしているとき、祖国に絶望した楚の屈原は神仙からもらった金丹を飲む。それは自分だけの小世界を作り出しその中で自分の思うような社会を築くことができるというものだ。結界があって外からは入れず中から出ることもできないが、外の世界を見ることはできる。そこから抜け出すには自分がそう決意すればいいのだ。だが屈原はいつまでも閉鎖空間の中にいる。その間に外の世界では時代が過ぎ去っていきついには――。手塚治虫「火の鳥」を思い出さなくても、このような物語はSFではありふれているといえる。でもそこには確かに遠い過去から未来までを自分の目で見るというロマンがあり、そこに自分自身は加われないという寂しさがある。

 林譲治「馬氏の壺」は始皇帝陵を建設し、その地下に兵馬俑を作り上げた魔法的な技術者、馬氏が作業台で目覚めるところから始まる。馬は時皇人(時間旅行者)で、師の彭祖から不興をかい航時機でこの時代に逃げてきたのだ。そして始皇帝の天下統一に力を貸したのである。だが彭祖は彼をこの地下迷宮に閉じ込めてしまった。始皇帝を不老不死にすることがその解放の条件だという。彼に話しかけてきたのは彭祖が粘土から作った生きている人形(それは兵馬俑も同じだが)、郭隗だった。馬は彭祖が仕掛けた様々な罠を解き、裏をかいて脱出しようとするのだが――。ユーモラスな郭隗の存在がいい。ドクター・フーやガンダムなどのパロディがさりげなく(とはいえないものもあるが)散りばめられているのも面白い(そのいくつかはぼくは解説で指摘されるまで気がつかなかったのだけれど)。

 大野城(おおのじょう)「夜郎国綺譚」。「夜郎自大」という言葉があるが、その元になった中国西南の夜郎国の王が漢の使者に「我が国と漢といずれが大なるか」と尋ねたという故事を元にした短編。その十年後、二度目に夜郎国を訪れた漢の使者・衛広(えいこう)は今度は灯影籠(とうえいろう)という装置を見せられる。複雑に細工された巨大な竹籠で、衛広がその中に入ると人や動物、風景が立体的に動いて見えるのだ。関心した彼はそれを漢に持ち帰ろうとする。巨大な動物の巣くう竹林の奥の工房に着くと、そこには十年前にこの国を訪れ、とっくに長安へ帰っているはずの使者の一人、壺充国がいた。ここから出られなくなっているのだという。では長安にいた彼は――? 竹取物語にも通じるイメージのある幻想的な物語である。

 木海(ムーハイ)(大恵和実訳)「匣中(こうちゅう)の策」。作者は中国のSF作家で翻訳家。舞台は三国志の時代、曹操が支配する後漢で実権をもたない漢の天子・劉協が突然姿を消す。彼は墨家集団により学堂に監禁されていたのだ。そこには銅で作られたからくり銅人がいて、劉協にひたすら戦術や政治に関する質問を浴びせかけるのだった。劉協はいぶかりながらもよく考えてそれに答える。銅人は「陛下の答えは、大多数より優れている」と言うのだが――。結末には驚かされる。この後、われわれの知っている三国志の時代は訪れないのではないだろうか。

 十三不塔(じゅうさんふとう)「燃えさかる子音の花環」はこのアンソロジーの元ネタとなったネットミーム「セックスしないと出られない部屋」をそのままテーマとしているのだが、何とそういう部屋が五胡十六国の時代に本当にあったという。正確には「子作りしないとでられない部屋」で、最初の「三蔵法師」である西域生まれの僧、鳩摩羅什(くまらじゅう)の才能に惚れ込んだ後秦の姚興(ようこう)帝が、彼の亡き後も跡継ぎを残そうと、羅什を美女たちのいる屋敷に閉じ込めたのだ。だがこの物語はそこから思わぬ方向へ発展する。彼の子が残されないと美女たちの命はない。戒律よりも人命を選んだ羅什は、そこで戒律も人命も守る驚くべき解決策を見いだす。経典の翻訳に生涯を捧げた彼は言語の持つ性質を知り尽くしていた。かくてこの作品は言語SFとなる。その解決策とは――。彼の子どもを産むことになる婉(えん)という女性も素晴らしい。正しく彼の内面をも理解して夫とするのだ。これは傑作である。羅什を前に「師よ、良人(おっと)が輪廻の河を渡って行ってしまわれました」という言葉には戦慄が走る。

 波間丿乀斎(なみまへつぽつさい)「詩を書かないと出られない劉𥙿」も五胡十六国の時代が舞台。東晋末に宋を建てた劉𥙿(りゅうゆう)帝とその部下の謝晦(しゃかい)がベッドや冷蔵庫のある現代風の長方形の部屋に閉じ込められる。そこにはシンヤクと名乗る銀色の鴨がいて、詩を書かないと出られないと告げる。劉𥙿は詩が苦手で、そのため補佐役として謝晦も呼んだのだという。謝晦がちゃっちゃと仕上げて出ましょうというが、劉𥙿はこの部屋が気に入ったのか、詩を書くのがそんなにイヤなのか、ここに留まるという。そしてベッドに転がり冷蔵庫の酒を飲み、謝晦と本音の話を繰り広げるのだ。そして――。

 称好軒梅庵(しょうこうけんばいあん)「空飛ぶムシロ」は南北朝時代。北斉の皇帝高洋は名君といわれたが、やがて残虐な暴君となり、囚人たちを「空を飛ばないと出られない部屋」へ入れた。85メートルの高さの高楼からムシロに乗って飛び降り、生きていれば牢から出してやるというのである。だがそこに一人の青年が現れて――。ごく短く、いかにも幻想的な説話・伝説のような作品だ。

 千葉ともこ「安禄山(あんろくざん)はバブりたい」。これは面白かった。あの唐の安禄山が主人公だが、今は楊貴妃と宰相・楊国忠(ようこくちゅう)に囚われている。安禄山が赤ん坊のようにおむつをしてバブバブとバブれば共に囚われている仲間たちも殺さずに出してやるというのだ。安禄山と楊国忠は玄宗皇帝の元で勢力を二分していた。それが騙されて今ここにいる。楊国忠は安禄山の屈辱的なみっともない姿をネット中継して社会的に抹殺しようと考えたのだ。実は安禄山自身はバブることを何とも思っていない。むしろバブりたいのだ。だが任侠的きずなで結ばれた部下たちには耐えられないことだ。そして――。唐代にビデオやインターネット、ガリガリ君やコロコロコミックまであるという世界観はSF的で楽しい。

 立原透耶「伊吹山綺譚」から舞台は日本に移る。生まれ落ちるや言葉を話したという異形の子は伊吹山に捨てられたが、山犬たちに育てられ自らを神と名乗って帰ってきた。彼はみるみる育ち、学問も瞬く間に上達して神童と呼ばれるほどになった。だが時には手に負えない乱暴者となり、都から来た使者を殴り殺してしまったので、伊吹山の寺に預けられることになる。そこで暴漢に襲われていた姫を助け、二人は恋に落ちる。伊吹童子となった彼に、姫は都に恐ろしい許嫁がいることを伝えた。その名は源頼光。頼光に嫁ぎたくないので助けてほしいという姫と山を下りようとするが、彼は山から下りることが出来ない。この山が星から来た邪神に乗っ取られようとしており、それを倒さなければ山から出られないのだ――。最澄が出てきたり八岐大蛇に言及があったり、クトゥルー神話とつながったり、すごく面白そうな伝奇SFのプロローグといったところである。いかにも面白そうなだけにそこがちょっと物足りない。

 高山真由美「曼荼羅夢幻」の主人公は嵯峨天皇の皇后だった橘嘉智子(たちばなのかちこ)。よく知らなかったのだが、彼女は嵯峨天皇との息子である仁明天皇の地位を安泰にするため、承和の変を起こして従兄の橘逸勢(たちばなのはやなり)ら反対勢力を一掃したという。物語は太皇太后となって寺で静養している嘉智子のところに、この変で廃太子となった恒貞親王の母で、嘉智子の娘である正子内親王が訪れ、逸勢が唐から持ち帰ったという曼荼羅を手渡すところから始まる。その曼荼羅を見た嘉智子は眠りから覚めなくなってしまった。邪悪な曼荼羅が太皇太后に害を為したことを知った空海は(この10年近く前に亡くなっているはずなので、その霊魂か)、法力を使って曼荼羅世界に入り込む。そこは嘉智子の夢の世界であり、傍らには逸勢がいた。空海は何階層にもなった曼荼羅世界で偽りの空海自身と闘い、問答を繰返し、囚われた嘉智子の元にたどり着く。そして――。幻想世界の美しさ、橘嘉智子という女性の力強さと、自らの決断への戸惑いと苦しみ、空海という巨大な存在の示す包容力。大変に読み応えのある一編だった。

 畠山丑雄(はたけやまうしお)「雨禁獄」は時代が下って平安後期、権勢を誇る白河天皇の世。華々しく執り行われるはずだった法勝寺の落慶供養が豪雨のため三度延期され、その次もまた豪雨だった。これって誰の責任? と聞く白河天皇に法勝寺別当の覚円は天自身の責任であるため、雨を禁獄にしますと答える。雨が壺に収められ、獄に入れられて二人の検非違使、得延と諸人が昼夜二交代で壺を見張った。壺の中の雨水が蒸発すれば雨が自然死したことにして一件落着――のはずだったのだが。雨水はいつまでも蒸発せず、見張りの検非違使が雨水に恋をしたとの噂がたつ。得延と諸人は実際に恋人同士だったのだが、交代の僅かな間だけしか会えなくなった。それにつけこんで壺の雨水は得延に話しかけてくる。彼の心を乱すような話を。そしてついに――。ユーモラスな冒頭に対し、結末には幻想的で不気味な美しさがある。

 武石勝義(たけいしかつよし)「鬼道禅師願玉」は鎌倉幕府を打倒しようとして失敗し、隠岐の島へ流された後醍醐天皇が、島からの脱出を図る話。かつて同様に隠岐へ流された後鳥羽院が「超常の秘具」を島のどこかに隠しており、それを見つければ島を脱出できるのだという。後醍醐帝はお供の三人と「鬼道禅師願玉」と呼ばれるその秘具を探し、同時に脱出計画を練ることになる。そして秘具は発見された。それまで誰も見つけることのできなかった秘具を発見し、さらにそれを起動することができたのだ。それは牛革筋を動力に自在に動くことのできる巨人で、後醍醐帝はそれに乗って操縦することができたのだ。なぜ? まあタイトルで盛大にネタバレしているし、ゴダイゴといったら(ぼくらの世代は)ガンダーラだし。なので後醍醐は新時代の王(ニュータイプ)だったからということになる。面白いんだけど、これも南北朝願玉戦記のプロローグで終わっている(アンソロジーの趣旨からはそうなるしかないが)。ぜひ長編化してほしいものだ。

 長谷川京「永禄十一年の籠城系突発企画」は戦国時代、桶狭間で破れた今川義元の子、今川氏真が徳川家康に囲まれた掛川城に籠城する話。だがこの時代にネットの動画配信があり、文化的素養の高かった氏真は「今川氏真の限界籠城配信! 家康を倒さないと絶対に出られない部屋(チャンネル)」というライブ配信を開始したのである(この作品は画像付き)。今でこそNHKで「信長のスマホ」とか当時の状況が放映されて誰もが知っていることだが、この当時はまだそこまで一般的でなかった。氏真は先進的だったのである。家康も大本営配信チャンネルを開始するが、定点観測の画像を流すだけだったりしてアクセス数を稼ぐことはできなかった。それどころか信長が密かに氏真とコラボを始めてしまう。困った家康。どうする家康。何と氏真の配信は現在まで続いているそうなのだ。面白かった。

 藤琉(ふじりゅう)「覇王の石板」は本能寺の変が舞台。信長は弥助と「𰻞(びゃん)」という文字の書かれた石板の謎を解こうとしていた。そこは本能寺にある二人の秘密の部屋。石板は宣教師が持って来たもので、昔中国の霊山に空から降ってきて、謎の声がそれは覇王の石板であると語ったものだという。信長は弥助と秘密の部屋で激しく愛を交わし合いながら、その文字を解読しようとしていたのだ。そこへ明智謀反の声。信長は皆に逃げるようにいい、今この時こそビャンの謎を解かなければならないと決意する。解かない限りここから脱出できないのだ。信長は裸の弥助にその場でビャンの字に合わせて踊るように命じる。すると文字が光始めた。そして――。なかなか熱い物語である。結末も悪くない。でも「𰻞(びゃん)」て「ビャンビャン麺」の字でしょ。そこがこの物語とはちょっと結びつかないように思った。

 涼海風羽(りょうみふう)「牢獄三ト六景(さんとろっけい)」はもう一つの江戸時代を舞台にした女歌舞伎の物語。この江戸時代では徳川秀忠が薩摩攻めをして島津に敗北し、幕府は弱体化している。家光の時代、幕府は風紀を乱すとして女芝居を禁じた。このため人気役者だった阿古と蛍は牢獄に閉じ込められている。そこでの手慰みとして阿古は紙と筆を与えられ物語を書くことが許された。獄卒が実は阿古たちのファンだったのだ。彼は実は今の幕府を快く思っていない。そこで阿古に「幕府なき世がどんな世界であるのか」を書いてほしいと依頼する。そこで彼女は300年後の物語を想像する――。

 宮園ありあ「Per ostium Dómini salus invenítur ――汝、聖(きよ)き扉を開くなかれ――」の舞台は革命期のフランス。女子修道院にも押し寄せてくる群衆。修道女ルイーズは聖堂に一人取り残されたがなぜか出ることができない。逃げ惑う修道女の声や群衆の怒号が聞こえるが聖堂には誰も入ってこない。そこに銀器に乗った美味しそうな焼き菓子があり、ラテン語の紙片があった。「甘さは罪ではない」とあり、そして怪しげな声が彼女に「食べたいのだろう?」とささやく。悪魔のささやき。その時、天使が降臨する――。

 水町綜(みずまちそう)「飛耳長目」は幕末、吉田松陰と伊藤俊輔(後の伊藤博文)がなんと宇宙人のUFOに掠われてしまう。アブダクションである。チップを埋め込んだのでもう帰ってもらっていいですよという宇宙人だが、黒船に密航してアメリカへ行きたいというぐらいの松陰だから、頼む、このまま連れて行ってくれ! と懇願するのだ。俊輔の方はなるべく穏便に済ませたいと思うのだが、松陰の激情は止まらない。宇宙人たちもそれなら一人くらいはと妥協する。これで帰れるかとほっとした俊輔だが、松陰は自分は萩に帰るが俊輔はここに置いていくというのだ。話が違うと混乱する俊輔。そこへ宇宙船の中にいた隷属種族が現れ、松陰は学びたいという彼らを教育しようとするのだ――。ユーモラスな展開だが松陰の熱い心が伝わってくる。

 早海獺(はやみうそ)「バンビーノのオプション」は1920年代のアメリカが舞台でホームラン王のベーブ・ルースが主人公。彼は「ホームランを打つと約束しないと出られない部屋」に閉じ込められている。だがそれはまた彼を尊敬しているジョニー少年が入院している病室でもあり、ジョニーは手術を決意をするために彼にホームランを打つと約束してほしいのだ。ところが彼にはそうできない理由がある。以前病気で倒れたとき、名古屋弁をしゃべる怪しげな猫と契約したのだ。生き返らせる代わりに、子どもに直接夢を与えるような言動をするのを禁じるという約束(間接的に夢を与えてしまうのはいいらしい)。この矛盾を解消し、少年にホームランを約束してかつ生きるためにはどうすればいいのか――。結末はハッピーであると同時にほろ苦い。


関元聡『摂氏千度、五万気圧』 早川書房

 2025年12月刊。第13回ハヤカワSFコンテストの優秀賞受賞作である。作者は星新一賞で何度も受賞歴があり、すでにプロ作家といっていいが、これが初長編となる。巻末にはコンテストの選評がついている。

 極度な温暖化(平均気温が50度を超え、70度、80度にもなる)により、人類の生存が困難になった未来が舞台。序章で後に〈救済者〉と呼ばれる謎の異星人(詳しく描かれることはない)が地球に訪れ、そんな地球環境に超技術で干渉したことが示される。彼らはたった1日でそれをなし、また宇宙へ去って行った。
 それから数百年がたち、ほんのわずかだが生き残った人類の一部は〈救済者〉が各地に建造した「コクーン」というドーム都市に暮らすようになっている。閉鎖環境のその中でなら安全な生活ができるのだ。コクーンに入れなかった大多数の人々は熱波の中で死滅していった。かつて地球全体で90億人いた人口は数千万人にまでに減少した。
 〈救済者〉は地球の生態系も変えた。従来の植物や動物は極地や高地などの一部に残るのみとなり、高温の世界には新たに奇怪な動物が生息するようになったのだ。植物も葉緑素を捨てて環境に適応して濃い赤色となった。
 コクーンに生き残った人類とは別に、おそらくは〈救済者〉の力により70度、80度の高温の中でも生きられるようになった人間たちがいる。南太平洋の孤島に隠れ住む〈結晶の民〉と呼ばれる女系の民族だ。彼女らの体内にはダイヤモンドの結晶がある。通常は「摂氏千度、五万気圧」で結晶するダイヤモンドが彼女らの体内では二酸化炭素から自然に成長していくのだ(その理由は説明されない。異星人の超科学によるとしかいいようがない)。
 だが人類はある理由からそのダイヤを必要とし、〈結晶の民〉を襲って彼女らを虐殺し体内のダイヤを奪ったのだった。
 コクーンに残った人類もこのままでは未来がない。その中で火星に新天地を求めようとする人々がいた。
 ――といった話が徐々に分かってくる。物語は時系列を前後しながら、アサヒ、エリー、ユズリの三人の女性を主人公として描かれる。目次にはそれぞれの時系列を示す番号が記されていて親切だが、構成がしっかりしているので普通に読んでいけばさほど混乱することはないだろう。
 アサヒとユズリは〈結晶の民〉の娘。アサヒは島の長(オサ)の娘で、次代の島長になることが決まっている。ユズリの母親は長ではないが、早くに亡くなったので長が引き取ったのだ。二人は姉妹として育てられた。〈結晶の民〉は高温環境でも生きられることと体内にダイヤを宿していることを除けば人間と変わりはない。知性も感情も人間と同じである。
 アサヒとユズリの島には一人だけ、カトウという男がいる。ニッポンというところから調査に来たが遭難してこの島に打ち上げられた科学者だという。もうずっとこの島で女たちの手助けをし、英語や数学や科学知識を教えて暮らしている。カトウも女たちと同様、この高熱環境で普通に生きていられる。女たちはそれを不思議とは思っていない。同じ仲間だと思っている。だがある日――。
 エリーはバンクーバーのコクーンに住む女性科学者。各地のコクーンから連絡が絶える事件が続発し、その調査に向かう。連絡が絶えたコクーンは外壁が破壊され、中にいた人々は外部の高熱を浴びて全滅していた。コクーンの外壁は内部から制御しない限り開くことはない。エリーはそこに人為的な意図を感じる。世界中のコクーンを1つ1つ破壊して回るテロリストがいるのではと。彼女にはまたナサニエル・ヤンという恋人がいる。彼は火星テラフォーミングに人類の未来を託そうとしているのだった。
 そしてユズリは――彼女こそがコクーンを破壊して回るテロリストだった。コクーンに入り込み、何年もその中で市民として暮らしつつ上位レベルに食い込む。そして――。その理由は〈結晶の民〉を虐殺しダイヤを奪った人類というものへの復讐である。虐殺に関わったかどうかは関係ない。人類であれば無関係な女も子どもも皆殺しにするのだ。外壁を開き、外気によってこの間まで隣人であった百万人近い人々を熱死させる。残虐なテロリスト。そしてまた次のコクーンへと向かうのだ。その暗い情熱。
 この三人の物語がからみあい、そして結末へと至る。しかし、一つの結末には違いないが、本当はここから先の世界が見たかった。

 物語は面白く読めたし、意外性もあって読み応えもあったのだが、作品の評価としては神林さんをはじめ選者のみなさんと同意見である。ダイヤの設定はリアリティレベルが混乱していると思うが、まあ異星人の超科学だと思えばそれでもいい。でも登場人物の視点で悲惨な虐殺を肯定しているのは、現実の世界でジェノサイドが進行していることを思えばとうてい共感できるものではない。コクーンの人類が滅ぶのはそれでもかまわない。だがせっかくこの環境に適応した新人類が誕生しているのに、せめてその未来に希望を抱かせてくれてもいいのではないかと思った。


キム・イファン『おふとんの外は危険』 竹書房文庫

 2025年12月刊。ブラッドベリに感銘を受けて作家になったという韓国作家の短編集。訳・関谷敦子。SF、ファンタジー、ミステリ、ホラーなどのジャンル横断的な作品集である。12編を収録。作者あとがきと訳者あとがきつき。

 「おふとんの外は危険」は、主人公のスミンが目を覚ますとふとんが話しかけてくるところから始まる。「おふとんの外は危険だから出ないで」というのだ。気のせいかと思ったら、部屋の中の椅子も服も、洗面所では鏡も声をかけてくる。迷ったが、スミンは会社に行くのをやめて病院へ行く。結局入院するのだが、病院の中のものたちもしきりに話をする。しかも精神病院なのでみなどこかおかしいのだ。でもしばらくすると慣れてきて、こういうのも楽しいと思う。退院して家に戻ったスミンを、ドアやふとんが歓迎してくれる……。可愛らしくて楽しいお話なのだが、よく考えるとちょっと怖い。

 「Siriとの火曜日」は10年以上前、2014年に書かれた作品。Siriといえばアップルのバーチャルアシスタントだが、ここでは少し近未来が舞台で、人間型のAIロボットとなっている。主人公のハジュンはそのベータサービスのモニターに選ばれたのだ。半日過ごして会話しつつ感じたことを報告すればいいとのこと。個人情報の使用に同意して契約するとSiriは家の管理システムとも同期し、まずは自分について気になったことを教えてほしいと言う。ハジュンが容姿より言葉の抑揚が韓国語を勉強中の外国人のようで気になると答えると、Siriはたちまち完璧な韓国人の抑揚になる。そしてフェイスブックにアップされていた彼の公開情報を取得して会話していると、ハジュンの口の悪い友人がやってくる……。近未来の日常を扱った軽いSFが、ここから突然ミステリへと転じて意外なオチへと向かうのが面白かった。

 「バナナの皮」は少し不思議な物語。徹夜で論文を書いていたミンソは無性にコーヒーが飲みたくなって夜中に外へ出る。こんな時間に空いていたカフェがあり、謎めいたバリスタが美味しいコーヒーと、プレゼントだと言って小さな箱を彼女にくれる。その箱を開けると願いが叶うのだが、自己責任でと言うのだった。ミンソがマンションに帰ると、怪しげな男が彼女の後をつけてきていて……。オチはわかりやすいが、奇妙な味があって雰囲気がいい。

 「#超人は今」は加筆した長編版が韓国のSFアワード賞長編部門を受賞している作品。アメコミに出てくるような一人の「超人」が存在するソウル市が舞台だ。主人公の僕はその超人の正体を追う”追跡者”で、超人の目撃者や超人に助けられたテロ事件の被害者から話を聞き、サイトに情報をまとめている。41人もの人質が殺されたそのテロ事件は、超人のおかげで安心して暮らせると人々が考えている社会に反旗を翻し、超人の抑圧に反抗することを目的としたテロリストによるものだった。人質を殺したテロリストは超人が制圧する過程で死亡した。人々が助けを呼ぶ声や悲鳴によって超人はどこからか飛んでくるのだが、彼が何を考えているのかはわからない。超人はなぜかソウルの行政区内でのみ活動している。その外で事件が起こっても何もしないで見ているだけだ。ソウル市では今、「超人法」を制定して超人に警察権を与える(ただし、なぜかソウル市の限定された一部でのみだ)かという住民投票が実施されている。僕はそのスクリーンを見ながらぶつぶつと独り言をつぶやき続ける……。何とも奇妙な結末だが、人間を守るようでいて人間の理解を超えた「超人」という異物が、この社会に不可解な影響を及ぼしているのだ。

 「運のいい男」はタイトル通りのショートショート。休暇明けの出勤が憂鬱なウジンだったが、サンドイッチを買うと近所のおばさんがおごってくれ、カフェではコーヒーが無料になっておまけに店主が買い換えるからとテレビをくれる。行く先々でみなが彼に色んな物をタダでくれるのだ。どういうわけか疑問だったが、その理由とは……。運がいいのか悪いのかわからなくなる。星新一が書きそうなしゃれたオチの話だ。

 「セックスのないポルノ」では独立した二つの会話が交互に語られる。一つはSMに目覚めたAという男の、パートナーになってくれるというベテランのKという男との会話。KはAの不安を解きほぐそうと、親身になって説明してくれる。もう一つは夫婦の会話だが、夫婦は二人とも性的指向が無性愛者(アセクシャル)なのだ。だが妻の方は子どもが欲しいと思っており、一度だけだがセックスの経験もある。一方夫の方はセックスが嫌でわずらわしく、考えるだけで憂鬱になるのだ。二つの会話はなぜか相似形を示していく。普通のセックスとは違う形でのセックスをパートナー同士が理解し合い互いに納得し合って実現しようというのだから。ところがその二つの会話の途中に、なぜか無関係な緑のワンピースの女の子が現れる。その子は消え、会話は良い方向でまとまっていく。ここはちょっと謎めいていて不思議な感覚になった。

 「魔導書」ではある王国に無敵の騎士が現れる。騎士は王国に襲来する何匹ものドラゴンを退治するのだ。始めは9頭、次は12頭、最後には99頭……。そのたびに魔導書が見つかるが、手を触れると焼け落ちてしまう。かろうじて誰にも読めない古代文字で書かれた意味の分からない文章の断片が残されていたが、騎士がそれを読むと燃えて消えてしまうのだ。意味は謎めいているが騎士にはその文字を読むことができた。騎士が突然この国に現れたのは20年前のこと。馬車に轢かれて倒れていたところを助けられたのだ。それ以前の記憶はない。騎士が99頭のドラゴンを倒したとき、瀕死のドラゴンが騎士に何かを語りかけた。そして残された魔導書に書かれていたことは……。ある意味でそれはこの物語の(別の物語の形式を借りた)謎解きでもあるのだが、騎士にも、王国の誰にとっても謎解きになっていないところが面白い。

 「万物の理論」というのはあの万物理論である。マクドナルドの店内で万物理論を研究していた科学者が、ついにその真理を解明した。手が触れたコップがテーブルから落ちて割れてしまい、科学に興味のある店長がほうきを持って話を聞きに来る。「終末が近づいている」と科学者は言った。宇宙の寿命はビッグバンから今までの宇宙の年齢に等しく、まもなく宇宙は収縮に向かい、時間は逆行するのだと。店長と科学者は特異点とか終末に何をするかとか話をする。そのうちいつの間にか割れたコップが元に戻り、店長も科学者も自分の仕事に戻る。そして……。SFでは見慣れたアイデア、見慣れた描写だといえる。しかし物語中で科学者が記憶していた挿話はどうなったのだろうか。見られなかったその結末はどこにいったのだろうか。

 「スパゲティ小説」は中編。ここに出てくるカフェは「バナナの皮」に出てきたあの謎めいたカフェと同じものかも知れない。そのカフェに主人公の小説家が来て、カフェのオーナーであるジャックから夕食を共にしないかと誘われる。夕食に行って見ると、そこにはオーナーの他に顔がウサギの男と、ずっと本を読み続けているルビーという少女がいて、テーブルには鍋が置いてある。それは魔法の鍋で、客が面白い物語を話すと美味しいスパゲッティが出来、つまらない話をすると客が死ぬのだという。ここからは現実離れした魔法世界の物語となるのだが……。まずオーナーが魔法の鍋の来歴を話し、ウサギ男が最強の魔術師と魔術書の話をし、少女は物語を封じる魔法の壺の話をする。でもどれも面白くなかったようで、鍋には湯の中にニンニクとバジルの葉があるばかり。小説家が面白い話をしないと死んでしまうとなったとき、トカゲ男の幽霊が現れ、また話をするのだが……。小説家はやむを得ず、この3つ(トカゲ男を入れると4つ)の物語から自分の物語を語るのだ。それは論理的にそれぞれの話をつなぎ、そこに隠されたポイントを推理して事実を暴き出すトリッキーなミステリとなる(ただし非現実的な話なのでちょっとわかりにくい)。魔法は魔法のままだが、その謎解きが面白い。最後にはさらにまだオチが隠されていた。

 「君の変身」はSF。主人公は同性愛者の男性だが、そのパートナーが理想の体になるため変身手術を受けたいという。主人公は今のままの君がいいと思っているのだが、パートナーはそれでも手術を受けるのだ。近未来の医療技術は整形外科と結合して当初は美容整形のレベルだが、それが人体改造にまで進んでいく。パートナーのことではないが、腕を四本にしたり、足が自分ではない気がするといって両足を切除したり、男女のキメラ、さらにその先まで……。主人公が手術後のパートナーと会うと、それはもはや自分の知っている彼ではなかった。顔も背丈も、筋肉も、そして性器まで。パートナーとしての関係は終わったが、その後もつき合いは続いていた。数年がたち、物語の最後では、彼はもはや人間ではなくなっている……。ポストヒューマンものの一種と言っていいかも知れない。だが、普通の人間からそれへの途中経過を見せつけられると、複雑な気分にならざるを得ない。ほとんどホラーの世界だ。

 「天国にもチョコレートはあるのか」もSF。途中で分かるのだが、都市の人々がコンピューターに人格をバックアップして永遠に生きるようになった未来で、それに反対する人たち(主に神を信じ、死ねば天国にいけると信じる信者たち)が村を作って暮らしている。ヨハネやペドロも村の住人で二人は友人だったが、年老いて病弱になったヨハネが村を出て都市へ行くと言う。村人を集めた送別会で、ヨハネはチョコレートを作って皆にふるまおうとするが、そんな都市の食べ物は村ではタブーだった。子どもたちは喜んで美味しいと口にしたが、大人たちは手をつけなかった。翌日、ヨハネを都市へと運ぶ無人のバスが到着し、ペドロが付き添って行く。その都市、ソウルは無人のようだった。人間はみなコンピューターの中にいるのか。だが6年前の、夜空が明るく輝いたあの日に、人々はコンピューターの中から宇宙へ、あるいは天国へと去って行ったのかもしれない……。そして物語は少し神秘的な余韻をもって終わる。

 「透明ネコは最高だった」は、引きこもって一人で暮らしているあたしのところに、透明ネコがやって来るところから始まる。透明ネコは言葉がしゃべれるし、お金は持っているし、掃除、洗濯、食事の支度から家事全般をやってくれる。透明なので見えないが、触ることはできて、モフモフで気持ちいい。あたしが透明ネコにパソコンの使い方を教えると、さっそく「透明ネコは最高だった」という題の自伝を書き始める。透明ネコと同居しているうちにあたしの健康は回復し、外へ行く元気もでるようになった。そして春が来て、友だちから集まりに来るよう誘いがあった時、あたしは透明ネコに買ってもらった高い服を着て、美容院に行って、化粧して、最後にちょっと迷ったが勇気を出して集まりに顔を出した。みんなに久しぶりと喜んでもらい、楽しく過ごし、家に帰ると、透明ネコはいなかった……。心がホンワカするようないい話だ。でも透明ネコはどうやってお金を手に入れていたのだろうか。


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