内 輪 第428回
大野万紀
ワトスンの訃報については今月の編集後記に書きました。また4月発売のSFマガジン6月号にはクリストファー・プリースト『不死の島へ』の書評を書かせていただきました。プリーストとワトスンの二人の話題がシンクロして、ちょっと変な気分です。二人ともぼくの大好きなイギリス作家でした。
イアン・ワトスンについて追記。神戸大SF研の後輩、本城雅之さんがワトスンと直接交渉して昨年翻訳した『地球の鏡の中で: イアン・ワトスン奇想短編集』もどうぞよろしく。
映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を見て来ました。字幕版で入りは三分の一よりちょっと多いくらい。まあ平日の昼間だし。MX4Dのスクリーンだったけど、MX4Dじゃなくて普通の上映。
面白かった! 原作を大胆に省略していたけれど、楽しさは変わりません。ユーモアとハラハラドキドキと、ロッキーの可愛さ(岩なのに)。いっしょにダンスするし。人類滅亡間近という話なのに湿っぽくならない。エンターテインメントとしては文句なしです。堪能しました。
しかしアストロファージとかタウメーバとか、今はこの程度の説明で十分話がわかる時代なんですね。コロナ禍のせいなのかしら。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。
サラ・ブルックス『侵蝕列車』 ハヤカワ文庫SF2025年10月刊行。川野靖子訳。解説牧眞司。評判の高い本書だが、ようやく読んだ。なにしろ500ページほどあるぶ厚い文庫で、しかもこれは著者のデビュー長編である。いや、面白かった。傑作といっていい。
舞台は改変世界の19世紀末。広大なシベリアに”変化”が発生し、そこは〈荒れ地>と呼ばれる異界となってしまった。その環境は人間の精神にも影響を与え、何ともいえない不可解な現象が起こる。そこに生息する生物は植物も動物も奇怪に変化し、超常的な能力をもって人間を襲うのである。だがそこに北京とモスクワを結ぶ長距離鉄道が建設された。イギリスに本拠のあるシベリア横断会社が東西の帝国を結ぶ商業価値を得るため、線路を囲む〈壁〉を築き、外部からの侵入を防ぐ巨大な鉄の要塞のような蒸気機関車を走らせたのだ。
本書の物語はほとんどその列車の中で進行する。語り手は章ごとに異なるが、中心となるのは以前に発生した事故の真の原因を探り、責任者とされた父の汚名をはらそうと偽名を使って乗り込んだマリヤ、16年前に列車内で生まれ、母は死んでしまったためそのまま車内で乗員たちに育てられ、今は雑用係の少女となって暮らしている〈列車の子〉ウェイウェイだ。他にもマッド・サイエンティストとしか言いようのない博物学者のヘンリー・グレイ、〈荒れ地〉に魅せられ何度も列車に乗り込んでいる〈教授〉と呼ばれる老人など多数の訳ありな人物が登場し、大きな役割を果たすことになる。またこの列車の〈列車長〉である60歳くらいの女性も、ほとんど姿を見せることはないのだが、大変重要だ。彼女は列車の中で大きな権限を持ち、強い意思を示して列車の運行を決定する。そして悪役としては〈カラス〉と呼ばれる2人組の男たちがいる。彼らは乗務員からも煙たがられている会社の顧問であり監視人であり、丁寧な言葉遣いとは裏腹に陰険で危険な男たちだ。マリヤは〈カラス〉たちの裏をかきながら前回の事故の真相を知ろうとするのだが……。
SF的に言うなら、「ゾーン」ものである。ストルガツキーの『ストーカー』やロバート・チャールズ・ウィルスンの『無限記憶』、新しめなところではジェフ・ヴァンダミアの《サザーンリーチ》シリーズなどと同じ、現実世界に侵入した不可解で非人間的な〈異界(ゾーン)〉を描いて、それが人々に(特にその心に)及ぼす影響を描こうとする。本書はエンターテインメント寄りではあるが、それらに負けない面白さを備えている。
視点人物を変えながら短めな章が続き、様々な事件が起こるので飽きさせない。ただ物語が真の姿を現すのは中盤になり、〈荒れ地〉の脅威が列車内に侵蝕してきてからである。とりわけウェイウェイと無賃乗車の少女(?)エレナの関係はファーストコンタクト・ストーリーとしても百合っぽいバディものとしても面白く、背後の広がりもあって読み応えがある。それまでほとんど列車内のみの描写であったものが、ここにきて美しくも恐ろしい異界描写が描かれ、それがすばらしい。
列車に危機が訪れ、乗客が不満を露わにし、乗員たちにも焦りが見えてくる。そこで強い意思を示す列車長の決断が頼もしく感じられるのだ。
本書では〈荒れ地〉の生じた原因だとかその環境の詳細だとかはほとんど説明がない(それは〈ゾーン〉ものの特徴でもある)。また人間側の技術についてもはっきりとは描かれておらず、そこは読者の想像力に任されている。この人間側の設定、特にシベリア横断鉄道のシステム面については正直疑問点も多いのだが、そこには〈荒れ地〉の超常的な力が働いていると考えれば問題あるまい。
また結末とエピローグでは、この物語が世界を変える物語であったことがわかり、まさにSFとしか言いようのない異世界が描き出される。
ぼくはそこに(直接の関連はないのだが)プリーストの『逆転世界』を思い浮かべた。もっとも止まるのか止まらないのかは大きな違いなのだけれど。
恒川光太郎『ジャガー・ワールド』 講談社2025年10月刊。古代マヤ文明を舞台にした大部な長編小説である。いつものファンタジイ色は薄く、異世界が舞台の架空歴史小説・冒険小説のような雰囲気がある。もちろんマヤ文明は異世界ではないが、ここに描かれた国や歴史は作者の創作によるものであり、また生贄制度や人肉食といった現代とは異質な文明のあり方が日常的に平然と描かれていることがそのような感覚を呼び起こすのだろう。だがそこに生きる人々はわれわれと同じ人間であり、その喜びも悲しみも怒りも強い共感を引き起こすものだ。登場人物は数多いが、誰もが生き生きと描かれていて、味方にも敵にも素晴らしく好感が持てる人物が多い。また、会話などに今の若者風の言い回しが使われていて、ちょっとラノベ感があることも(好き嫌いはあるだろうが)この異質な世界を親しみやすいものにしていると思う。
エルテカという一つの王国の栄華盛衰を、その最後までを様々な視点人物から描ききった物語である。中米や南米の古代史に昔から興味があったこともあり、ぼくはこの世界にすっかり浸り込み、成り行きにドキドキしながら読み終えた。
まずは何人かいる主人公の一人、スレイの物語から始まる。スレイは近海にあるサリュザ島の少年だったが、エルテカの人間捕獲部隊の襲撃を受け太陽神の生贄として捕らえられる。けれど彼はヘルマスという謎の女性に救い出され、町外れの密林で他の子どもたちと共に育てられた。ヘルマスは古くからこの世界の王国間で調定を結んだり情報を集約して国際的な秩序を守ったりする役割を果たしているウェラス族という集団の一員である。特別な文字を持ち、優れた知識をもって密林世界を見守ってる。ちょっと忍者っぽいところもある集団だ。そんなヘルマスに育てられたスレイはやがて大きくなってこの町の郡司の屋敷で奉公することになる。そこで武術を習い、強さを認められた彼は、エルテカが遠いパレンザの国に侵略戦争を仕掛けたとき、兵士として出征する。
遠征軍の軍団長にシベリアという男がいた。決断力がありとても強いその男こそ、スレイの両親を殺し彼を島から連れ去った人間捕獲部隊の隊長だった男だ。シベリアはその後もスレイの人生と交錯し、重要な役割を果たすことになる。
スレイは遠征軍から脱走する。逃げる途中、国から国へと放浪しているというディノという青年と出会う。彼もまたその後の物語で大きな意味をもつ人物だ。
初めは優勢だったエルテカ軍だが、パレンザの反撃にあい、次第に劣勢となる。スレイは仲間だったエルテカ兵たちが捕らえられているのを見つけ、脱走したことを隠して彼らを助ける。スレイの勇敢な戦いにより、兵たちは無事本陣に帰還し、スレイは英雄となって迎えられる。士族階級に格上げされ自分の奴隷も与えられた。
エルテカ王、アグスレイマ三世は邪悪で残虐な暴君で、この戦いも彼が思いついた無意味な戦いだったが、王に匹敵する権力をもつ最高神官の女性、フォスト・ザマはその無意味さも分かっている底知れない人物だった。彼女も後にこの物語を支配する重要な主人公の一人となる。とりわけ結末での彼女の衝撃的な振る舞いには胸を打たれることとなる。
スレイはジャガーに殺されたことにしてエルテカを去る。彼はエルテカの士族ではなくサリュザ島を守る海賊となったのだ。
ここでもう一人の主人公が登場する。謎の少年、レリイだ。彼は自らを天界人と名乗り、生贄制度の廃止を訴える。それは王国への批判にも通じる危険思想だ。だが少年の言葉には魅力があり、それは次第に宗教となっていく。後に反体制の大勢力となるレリイ教団の誕生である。物語の後半ではこちらの物語が大きな柱となっていくのだ。
さらにまた一人の主役が登場する。今度は蛮族の出身でとてつもない馬鹿力と戦闘力をもつバーサーカー、鰐戦士ドルコである。彼はエルテカに捕らえられて奴隷戦士となり、その強さがシベリアに認められて教育を受け、シベリア小飼いの最強戦士となるのだ。無知な人喰いの蛮族だった彼もまた、大きく変わっていくことになる。フォスト・ザマの前の最高神官、カザム・サクからは数字や天文学の知識まで教えられるのだ。
そのカザム・サクは突然この世を去る。このカザム・サクこそ、フォスト・ザマと共に陰に陽に物語を支える重要人物である。
これで主だった主人公格の人物は登場したことになる。物語はそこから様々な視点から動いていく。時を遡り、登場人物たちの過去を語る(とりわけ、フォスト・ザマの生い立ちは印象深い)。また勇者たちによるいくつもの戦争、思想裁判、邪教とされるレリイ教団による当たり前とされていた思想や体制、生活習慣への異議申し立て、密林の王国を越えたより大きな世界の存在、複雑に入り組んだ因果関係について……。
だがそれよりも重要だと思えるのは、やがて密林の中に消えていく運命だとはいえ、ひとつの文明に対する変革への眼差しだろう。とりわけカザム・サクの思いはほとんど現代人に通じるものがあり、それを継ぐ人々の心も含めて、今や消え去ったもう一つの世界に一抹の寂しさを覚えることになるだろう。彼らの思いも変革の結果も密林の中に埋もれてしまって今や誰も知る人はいないのだから。
酉島伝法『無常商店街』 創元日本SF叢書 2025年11月刊行。「紙魚の手帳」に掲載された2編と書き下ろしの1編、それに作者と表紙・装画担当のカシワイさん、編集の笠原さんの対談が収録された連作中編集である。3編は独立ではなく、話がずっと続いているので、ほとんど長編といってもいいかも知れない。
巻末の対談によると、笠原さんの「夢でよく行く商店街があるんです」という言葉が執筆のきっかけになったという。ぼくにも夢でよく行く商店街がある。よく知っているようで日常的なのにどこか奇妙で非現実的。本書も(カシワイさんの表紙や挿絵のイメージもあって)そんな、日常から異界へと誘われる物語なのだろうと期待して読み始めた。こういうモチーフは小説でもマンガでも(対談に出てきた『千と千尋の神隠し』のようにアニメでも)よくあるけれど、好きなんです。傑作も多いし。
で、期待は良い意味で裏切られる。確かにこれまでの酉島さんの作品によくある現実の日常と全く切り離された異界(とはいえそこに暮らす異形の人々には現実との接点があるのだが)ではなく、ごちゃごちゃと活気のある迷路のような商店街が描かれ、人々もそこらのおっちゃんやおばちゃんが出てくる。けれどその町にやがてあの酉島語が頻出するようになり、それが日常を超えた全くの異界へと繋がっていく。それは『奏で手のヌフレツン』で描かれたようなこちらとは別の世界だ。さらに、ここでの酉島語がどこか現実の科学用語を思わせる言葉が多用されるため、まるでハードSFのようなイメージさえ醸し出されるのである。
最初の「無常商店街」では、主人公の翻訳家・宮原聡(さとし)が、環地域調査研究所に勤めて全国を飛び回っている姉の清美(きよみ)から、無常商店街の調査に行くことになり留守になるので、浮図市(もとし)掌紋町(しょうもんちょう)にある清美のアパート仏眼荘(ぶつがんそう)へ1週間ほど行って、猫の世話をするよう命じられる。聡は姉には頭が上がらずいつもこき使われる立場なのだ。この姉弟関係がいい。
仏眼荘の大家のおばさんは英語のことをビー語といい、アメリカのことをコロンビアという。このあたりから少しおかしい。翻訳に必要な本を探しに本屋へ行きたいというと、商店街にあるという。かくて聡は姉が気をつけるようにといっていた無常商店街へ足を踏み入れることになる。よくあるにぎやかな商店街だ。スマホの地図がなかなか表示されない。聞き慣れない名前が目立つが、飲食店が並び焼き鳥のにおいが漂う庶民的な商店街を歩いていく。しかし目当ての店は見つからず、今来た道には別の店がある。先の道は枝分かれし戻ろうとしてもそこはまた別の通りだ。道に迷ったと思うがスマホは頼りにならない。このあせりと心細さ。
もし商店街で道に迷ったらジューススタンドを目指してという姉の言葉を思い出しそれらしい店に入るが、売っているのは聞いたこともないものばかりだ。たまに飲む〈新ラーニ果の七刻みジュース〉(?)を注文する。そこで柳井(やない)と名乗る怪しげな黒縁眼鏡の男(清美のことを知っているようだ)と出会い、道案内を頼むのだ。だが、男は不可解なことを語ったあげく(「咬融(こうゆう)が緩いから相転(そうてん)しやすい――」、「あなたの脳のなぶら天秤が均衡を失って――」、「あの埊(ち)の可例度(かれいど)は低いし――」、「埊相(ちそう)の変化によって変わる――」)(しかし「埊」なんて漢字が本当にあってちゃんとUnicodeが定義されているんですね)、聡を置き去りにしてしまう。そこはもう完全な異界だ。
そこへ「宮原さんの弟さん?」と声をかけてきたのが柄本(えもと)さん。その隣には無数に枝分かれした触手をもつ「アリアドネの伊藤さん」という人(?)がいた。柄本さんは姉の同僚で聡も知っている人物だった。柄本さんと伊藤さんの助けで異界からは逃れられたが、姉が大変なことになっているという。御神体となった姉を救うには「多々田(たただ)ダンス教室」で踊り方を学んで掌紋祭(しょうもんさい)に出て万踊衆(まんようしゅう)と対決しないといけないのだ――。
第二話「蓋互山、葢互山(ふたごやま・ふたごやま)」でも聡は姉のよくわからない無茶な依頼を受けて、また商店街の深部にもぐり込むことになる。あの黒縁眼鏡の柳井を無常商店街から引きずり出して連れてこいというのだ。しぶしぶまたジューススタンドへ行くと、その先に誰かに道案内を持ちかけている柳井の姿があった。彼に飛びかかり捕まえようとすると激しく抵抗するが、そこへ「アリアドネの伊藤さん」が今度は二人となって現れ、見えない糸で柳井を捕える。
伊藤さんは柳井と聡をライトバンに乗せて不束(ふつつか)市の蓋互山(ふたごやま)へ向かう。山はひとつなのにふたご山で、漢字の違う二つの名前があるという。山の中腹まで民家の並ぶ小さな町だった。姉からのスマホで、ここに2週間くらい泊まって町の人の所作をしっかり覚えるようにと言われる。柳井は詐欺師のような男だが、埊相(ちそう)を測る特別な異能があるのでこの町を隅々まで測量させるのだと。柳井は素直にわかったと答える。柳井は今回は聡の相棒のような役割を果たすことになるのだ。
この町は山の中なのになぜか磯の香りがし、海産物を売り物にした料理屋が多い(だが色々と理由をつけて今は食べられない)。そして姉の言ったとおり、店員も客もちょっと変わった隠れ仕草を繰り返している。それは箸をクロスして持ったり、ビールのジョッキを持つときに変な仕草をしたりという小さなことだが、確かに気になる。聡はダンス教室で踊りを覚えたときのようにそれを覚えようとする。町の人のあいさつはいつでも「おかえりなさい」である。そんな日常的で小さな差異の積み重ねが異界への扉となるのだ。
埊相を測量していた柳井が言うには、ここでは二つの埊が共鳴によってぴったり重なっているらしい。しかしそれが時々ぶれる。例えば今泊まっている旅館の名前。来た時は呆喜(ほうき)旅館だったのに今は槑囍(ばいき)旅館となっている。やがて気がつくと人々の姿もみな二重に重なりあって見えるのだ(それまで行った店の名もみんな二重の漢字になっているのが面白い)。二つの世界が重なり合ったこの町に「忌子(いまわご)」が現れ始める。聡と柳井はこの町の所作、隠れ仕草を必死に繰返し、フレミングの法則のように左右の手を動かして「忌の際」による侵蝕を遅らせようとする。そしてやっと姉と「アリアドネの伊藤さん」がやって来て――。
書き下ろしの「野辺浜の送り火」は本書の半分近くを占める作品だ。宮原聡がこの夏、姉から命じられて行ったのは千重波(ちえなみ)市野辺浜(のべはま)町という海辺の町。そこで大事な式典があるから遅れずに礼服を着て参加するようにと、何の式典かも伝えないまま呼び出されたのだ。聡は海岸に打ち上げられる謎めいた漂着物をテーマとする本を翻訳中だったが、例によって姉の命令には逆らえない。
海辺にある野辺浜通商店街では海水浴客においしそうな海産物を売っている。そこを抜けたところが式典会場で、黒い礼服姿の人たちがいる。葬式だった。白ネクタイで来た聡は戸惑うが、姉の同僚の柄本さんがいて「ご愁傷様です」と言う。お経が唱えられ始め、何となく世界が変わり始める気配がある。そこに可愛らしい柴犬が現れるが、それは死んだはずの愛犬、チャックルだった。焼香を求められた聡が前に出て遺影を見ると、それはどうやら姉のように見える。棺桶を開けて参列者が花を入れるが、そこにはやはり姉がいた。聡が泣きそうになったとき、姉がうっすらと目を開けた――。
生前葬。この町ではそれが当たり前の風習として行われているのだ。火葬場に行き、お骨上げもする。その骨は作り物である。みな冗談でやっているわけではなく真剣だ。この町も次元の境が不安定で、赤い不知火が見えたり、死者の幽霊が平然と普通に現れたりする。死者は冥界ではなく、みな生きている人の記憶の中から現れて来るのだ。この町は不知地(しらぬじ)と不在地(あらずち)という二つの世界が不安定に隣接しており、昔から生前葬の儀式によって距離を保っていたのだが、このところ急激にバランスが崩れてきたということで、姉と柄本さんが調査に来ているのだという。
お世話になっている郷土史家の家で、この町の禁じられた盆踊りの話や生前葬の風習などについて聞き、シャワーを浴びて服を着替えていると考古学者だった聡の両親の幽霊が現れて普通に話に加わる。驚く聡に姉は幽霊といっても記憶が投影されて像を結んだだけのものだからと説明する。姉は次は聡に死んでほしいと言う。整骨院で3Dスキャナーで撮影して火葬用の本人の骨を作り、聡の葬儀が執り行われる。だがそこでとんでもないことが――。
その後の展開ではまた柳井や伊藤さんが活躍し、こちら側と混ざり合った世界ではない真の異界の姿が描かれる。そして昔禁じられた盆踊りを復活させ、巨大なえんびす様の藁人形を作って盆踊りを踊り、世界を元の姿に戻すための試みがなされることになるのだ――。
この物語を読みながら、ぼくは西宮のえべっさん、西宮神社のことを思いおこした。ここでモチーフとなっている海から漂着した異界の存在とはまさに戎(えびす)さんを思わせるし、西宮には傀儡師の物語もある。ならばあの商店街は――いやいや妄想はここまでにしよう。日常とかけ離れた全くの異界も出てくるが、そうではない、幽霊も人々も普通に生活しているごちゃごちゃと活気のある異界がよかった。最後の対談も楽しかった。
思いだしたので追記。酉島さんの作品では変容した言葉や名前が異界への入り口となることが多く、本書でもそれは踏襲されているのだが、本書ではそこにダンスや踊り、さらにちょっとした仕草やクセのような身体的な言語が大きな意味をもつように描かれている。『奏で手のヌフレツン』での音楽のように、異界へのアクセス・プロトコルは一様ではないのだ。