みだれめも 第272回

水鏡子


○近況(5月)

 5月はイベントだらけ。

 5月1日。京都みやこめっせの古本市。全体に高い。6日前に125円で買った『クリスマスイブ』が400円でまた見つかる。つい買ってしまう。若いころ『宇宙人フライデイ』と『クリスマスイブ』はハヤカワSFシリーズの中でも入手困難な特別品だったのである。京都は結局この1冊だけ。午後から大阪四天王寺にまた行ってひと箱購入。すべて100円もしくは三冊500円。
 野坂昭如単行本11冊、『鈴木三重吉全集①~⑥』、エリック・ヴァン・ラストベーダー『ザ・ニンジャ』、金子光晴『鳥は巣に』、児童文学評論選『オンリー・コネクト①②』、『野口雨情詩集』、雑喉潤『いつも歌謡曲があった』、ロレンス・ダレル『にがいレモン』、長山靖生『人はなぜ歴史を偽証するのか』、東郷隆『最後の幻術』など。

 5月3日からSFセミナーのため二泊三日の東京行き。例年町田のブックオフと八王子の古本市に寄っていたが安いものがみつからないので、今年は断念。代わりに西部古書会館と中野のまんだらけに行く。
 まんだらけではクーポン4000円分使用してなろう本を10冊購入。西部古書会館の古本市は収穫。100円、150円のものをひと箱購入。
 「ユリイカ」13冊(2冊だぶり)、荒巻義雄『シミュレーション小説の発見』『ビッグウォーズ 全』、ピエール・クレサン『レヴィストロース』、興津要『写真で見る大衆文学事典』、アーロン・グレーヴィッチ『中世文化のカテゴリー』、三島憲一『文科とレイシズム』、秋月観暎『道教研究のすすめ』、小倉孝誠『19世紀フランス夢と創造』、常石敬一廣政直彦編『原典科学史』、ジェフリー・バラクラフ『図説キリスト教文化史①』、酒井潔『悪魔学大全』(300円)、川田順三編『未開概念の再検討①』、吉見俊哉『一九三〇年代のメディアと身体』、中桐大有『科学論』など。
 宿屋はコンフォートホテル神田でSFセミナー会場まで1キロ、二次会の早川書房クリスティーまで500メートルと徒歩移動の可能な距離。

 SFセミナーは『伊藤典夫評論集成』企画もあって、白石朗はじめ20年30年以上会ってなかった知り合いが多数来場。企画自体も見応えあり。
 二次会は鏡さんと同席する。同じく同席した渡辺英樹が元気で場をつなぐ。二次会は飲み会グループと分かれ大森望、斉藤芳子、渡辺英樹と喫茶店に。渡辺英樹がダイナコン当時のビデオから落とした貴重映像を披瀝する。

 5月9日、10日は、恒例の関大SF研、青心社が中心の浜松探検隊。今年のメインはヤマハミュージアム。いつものように高橋(安司)家の車に同乗し、ホテルの一キロ手前のブックオフで降ろしてもらう。ここは今年も文庫本110円、単行本220円、ものによっては110円の値付けを続けており、感激のあまり普段なら買わないような本まで含めて26冊購入する。

 5月19日。渡辺兄弟が書庫見物に来る。直前にJRで人身事故があり滞在時間が大きく縮まる。先月名古屋で会った時、西村寿行の本について心当たりがあるとのことで探してもらって『宴は終わりぬ』『幻覚の鯱 天翔の章』をお土産にいただく。ありがたいことで、これで寿行の未所持本は『幻獣』『濁流は逝く者の如し』の、刑事徳田左近ものを集めた新書版の再編集本2冊だけになった。つまり全作品確保できたということになる。

 5月30日。5月末でビックカメラとコジマの株主優待券1万4千円が有効期限を迎えるので、いつものように難波のソフマップに向かう。ここには書籍コーナーがあるのでなろう本を10冊買い込むつもりだったのだが、なんとライトノベルが撤去され、コミックだけになっていた。しかたがないので最近切れが悪くなっている電気カミソリの高めなものを買って帰る。

 5月は、購入数228冊。購入金額29,652円。クーポン使用4,500円。
 なろう本54冊。コミック36冊、だぶりエラーと買い直し14冊。
 新刊は頂き本3冊と『キマイラ聖獣変』1,320円のみ。
 コミックでは倉多江美と『BEASTARS』を各5冊、いしいひさいちを10冊買う。
 冊数は前年の5か月分より330冊減っている。ブックオフの値上げと、並んでいる安値のなろう本の大半が家にあるものばかりなのが大きい。たまに持っていないと思って買うとダブり本だったりする。

 先に挙げなかった面白めの硬い本は次のようなところになる。220円以上のもののみ値段を載せる。
 ジョセフ・メイザー『ゼノンのパラドックス』、添田知道『流行り歌五十年』、大下尚一他編『史料が語るアメリカ』、キリスト教史『⑨自由主義とキリスト教』『⑩現代世界とキリスト教の発展』、エリアーデ『神話と夢想と秘儀』、NHKテキスト『不思議な猫世界』(300円)、アルトー『ヘリオガバルス』、ホーソーン『大理石の牧神①』など。
 無神論のオカルト嫌いの音痴であるのに、なんとなく宗教系と音楽系の元値の高い本が集まってくる。

 『伊藤典夫評論集成』の一行目、「セオドール・スタージャン」という作家名を見て、誰だこれはとぎょっとする。すぐにスタージョンだと気がついたが、シオドアというファーストネームがセオドア・ルーズベルトのセオドアと同じものだということに今日まで気づかなかった。調べてみるとシオドアという表示もそれほどマイナーというわけでもなく、『アメリカの悲劇』のドライサーなどでも使われていたりしているが、優勢なのはセオドアの方であり、シオドアの使用は、スタージョン以外だと、「壁の中」のシオドア・コグスウェル、『名探偵群像』『悪魔とベン・フランクリン』のシオドー・マシスン、「継承の日」のシオドア・L・トーマスなどしか思いつかない。翻訳SF、ミステリ界ではこちらの方が優勢だったようである。
 驚いたことに、『人間以上』の中核である「赤ん坊は三つ」だが、54年に翻訳がある。元々社、「星雲」「宇宙塵」より前である。掲載されたのはSRの会の機関誌「密室」第14号。訳者は初登場の矢野徹。帰国直後のあたりだろうか。このときの著者名はセオドア・スタージョンだった。この段階では伊藤さんも知らなかったということになる。柴野さんは当然知っていたのだろうなあ。
 なお、もう数十年も前になるが、良平さんが「赤ん坊は三つ(三歳)」というのはおかしい、あれは赤ん坊のような人、もしくは赤ん坊のような<もの>が三ついるととるべきで、「赤ん坊が三つ」が正しいと言っていて、なるほどと膝を打った記憶がある。 

 『伊藤典夫評論集成』には物理的に苦労している。
 普段パソコンでなろう系を長時間読んでいるせいか、老化した両目の焦点がパソコン画面の距離で固定化されているのだ。本を読もうとする距離だと右眼の像と左目の像が分離して見える。普段は手に持って、距離を上下しながら焦点を調整していくのだが、小さい活字で二段にびっしり詰まった『評論集成』は重くて本を持ち上げづらく、文章がずれて重なりがちで、読むのがたいへんなのである。そうでなくても最近は普通の本でもふりがなを読むのに苦労しているのだ。結局寝転んでは本との距離が近すぎて、蒲団の上でのけぞり気味の態勢で、パソコンと同距離程度に本との距離をとる必要があるのだ。たぶん日頃から本を読むのが主体になっている人たちはこんな苦労はないのだろう。
 そういえば、この数か月、何人もの人から緑内障を発症していると愚痴を聞いた。白内障は眼の老化だからしかたがないと納得していたのだが、緑内障も老化によるものなのだそうだ。

 日下三蔵『断捨離血風録: 3年で蔵書2万5千冊を減らす方法』を読む。ドキュメント本なので、軽く読めると思ったのだが、いろいろ自分と照らし合わせたり、羅列される著者名書名を通して意図や総体を把握しようと試みてしまい、意外と読み終えるのに時間がかかった。
 なにより意外だったのは、魔窟と呼ばれるこの家に、親兄弟が一緒に住んでいることだった。出版業に従事している事情が斟酌されているとしても、2軒13万冊が常軌を逸しているのはあきらかで、たぶん止めどきをうしなったのだろうとご家族にご同情する。少なくとも整理整頓については何度も口にしたにちがいない。
 ほぼ40年以上年3千冊ペースで買い続けているわけだから投資額は膨大なものになる。ぼくみたいに2000冊越えで買い始めたのもこの15年ほど、新刊はほぼSF関係のみ、一部を除いて上限300円、原則単行本200円、文庫本100円というゴミ拾いではない。たぶん通算一億を下らない額を費やしている。ちなみに改めて計算してみたらぼくの場合、おおむね八万冊で都合1千万円前後に収まっている。その代わり書庫や書棚、プラボックスなど収納関連にトータル3千万使っている。たぶん日下断捨離基準に合わせればうちの本は5万冊くらいが処分の対象本だろうなあ。
 大量保有本として名を挙げている作家はミステリ関係に偏っている。編集仕事の内容から見てSF、時代小説関係もそれなりに揃えているはずだから、たぶんこれはこの本をもっとも購入すると想定されるミステリ・マニアに阿った作家名の取捨選択であるのだろう。
 山田風太郎を除くと、うちにある大量保有本と日下家のものは感心するくらい重ならない。人名索引に上がってこないぼくの大量保有本は、西村寿行、北方謙三、開高健、西尾維新、菊地秀行、橋本治などがある。
 全体に、書名、作家名などで、一般読者が知らなそうなものをこれ幸いと宣伝するようなところが見受けられる。
 119頁、227頁と2度にわたって挙げられる「SF・ホラー棚」の筆頭に、「青心社SF」「フィーリング小説集」と並ぶのは、優先順位としてどうかと思う。
 255頁に山田風太郎原作コミックが並べられている。
 行数バランスの関係からぼくの知っている半数くらいだが、まとまって活字で紹介されるのは初めてかもしれない。webでは山田風太郎Wikipediaに詳細なリストがある。小山春夫『甲賀忍法帖』、草壁ひろあき『伊賀忍法帖』など数点未見。
 2万5千冊処分といっても写真には大量の横積み本が写っている。魔窟に戻るまで5年もったらいい方だろう。

 最終更新まで読んだなろう本から。

 純スぺオペ系のものが少し目立つようになってきた。純と断ったのは、異世界に転移した宇宙士官ものがそこそこあるからだ。『腹ペコ要塞は異世界で大戦艦が作りたい - World of Sandbox -』『航宙軍士官、冒険者になる』『異世界の落ちこぼれに、超未来の人工知能が転生したとする~結果、オーバーテクノロジーが魔術異世界のすべてを凌駕する~』など。『戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』も広い意味でこの部類に入るかも。
 純スぺオペ系は古くは『銀河戦記の実弾兵器』などが早い時期に刊行されたものの、VRMMO系以外のSFはジャンル的に支持されなかったようで、あまり書籍化の恩恵に浴せなかったところがあった。『その無限の先へ』のようにファンタジイからSFに転化直前で書籍化が打ち切られたものもある。SF系の復権は、もしかしたら『横浜駅SF』の評判やハヤカワSFコンテストにいくつもの作品が入選を果たしたあたりから始まったのかもしれない。
 今は、『キモオタモブ傭兵は、身の程を弁(わきま)える』『魔王と勇者が時代遅れになりました』『無双航路』『乙女ゲームのハードモードで生きています』などストレートなスぺオペがけっこうふつうに本で並ぶ。先月取り上げた『わらしべ長者と猫と姫』もぎりぎりこの範疇に入るだろう。

 △のらしろ『「ここは任せて先に行け!」をしたい死にたがりの望まぬ宇宙下剋上』(TOブックス)
 『死にたがりの望まぬ宇宙下剋上』は大学に落ちて幼馴染に振られて自殺目的に宇宙士官学校に入学した主人公。実技無能学業ピカイチで本来なら参謀本部に所属する成績だが貴族階級の牙城たる参謀本部が平民を嫌がり、最前線の落ちこぼれ部隊に赴任させられる。ところがこの部隊、有能すぎて無能なトップに嫌われた女性ばかりの部隊であったことから、戦術頭脳に長けた主人公を得て快進撃を重ね、改革派王女直属の部隊へと成り上がる。追放ざまあ系のスペースオペラである。主要キャラの大半が女性のわりにハーレム度が低いところも好感度高し。

 △月汰元『ファンタジー銀河~何で宇宙にゴブリンやオークが居るんだ~』(エンターブレイン)
 『ファンタジー銀河』はまあ表題通りの話で、地球からアブダクションされてゴブリン国家の奴隷兵士にされた主人公が、ひょんなことから超常能力を得て、成り上がっていく話。
 著者の月汰元はテンプレをきちんと使いこなせる人で本書を含めて4作読んでいるが、コンスタントにツボを抑えた心地よい読ませ方を心得ている。

 テンプレ小説というのは、要は作者がテンプレを使いこなせているか、テンプレに使われているかが問題なのであって、ただテンプレに使われている出来の悪い小説でも我慢すればそこそこかたちになってるせいで書籍化までたどりついて人目にふれてしまうのが困ったことなのである。もっとも昭和30年代の読み物雑誌に掲載された話などはそもそもテンプレ自体の技術的完成度が今よりはるかに低劣で箸にも棒にも掛からないものが多々あった。それらと比べると出来の悪いテンプレ小説でもかろうじて感傷に耐えるレベルということができる。
 テンプレ小説という言葉には蔑視的なニュアンスを含んでいるが、一時期鏡さんが多用していた「フォーミュラフィクション」という言葉の方が中立的で好ましい。
 結局日本語として定着しなかったらしく、Wikipediaでも英語版の翻訳文章でしか読めないのだが、日本語として充分理解できる文章になっている。

「大衆文化において、定型小説とは、ストーリーラインやプロットが繰り返し使用され、物語が予測可能なほどになっている文学を指します。これは、特定の設定が頻繁に再利用されるジャンル小説に似ています。文学批評においては、 「定型小説」というレッテルは、独創性の欠如を暗示する軽蔑的な表現として用いられます。
 この定型は、予測可能な物語構造によって明確に定義されます。定型的な物語は、何度も繰り返し使われ、容易に認識できるプロットで構成されています。おそらく、最も明確に定型化されたプロットは、ロマンティック・コメディというジャンルを特徴づけるものです。ロマンティック・コメディと名付けられた本や映画では、観客は既にその最も基本的な中心となるプロット、そしてある程度の結末までを知っています。しかし、前述のジャンルの人気が示すように、これは必ずしも作品の評価に悪影響を与えるわけではありません。」(Wikipedia)

 著者(月汰元)の最初に読んだ作品は
 〇『復讐は天罰を呼び、魔術士はぽやぽやを楽しみたい 』(宝島社)第6回ネット小説大賞受賞作。貧乏な少年(転生者)が魔術の才能に気づき、周囲の嫉妬や人間関係をうざったがりながら成り上がりたくないのに成り上がっていく物語。宝島社はネット小説大賞の主催者サイドの一角としてか受賞作は必ず書籍化するものの1冊2冊で義務を果たしたとばかりに続きを打ち切ることが多い。しかたがないので続きをwebに読みに行くきっかけとなった。

 △『崖っぷち貴族の生き残り戦略』(BKブックス)は多数の現代人と異世界人が意識を共有する世界で、それぞれの知識と能力を与えあい双方の世界で成り上がっていく物語。やや安直。これも1冊しか出ていない。

 〇『生活魔法使いの下剋上』(エンターブレイン)『カクヨム』現代ファンタジー年間第1位。
 現代ダンジョンもの。ダンジョン探索の役に立たないと蔑視されていた生活魔法使いの主人公が賢者システムを手に入れてどんどん新しい魔法を開発し、ついには邪神を倒す話。新しい魔法を生み出し凶悪モンスターを倒し強大なドロップ品を入手していく話がたんたんだらだら長く続き読み終えるのにかなり疲れる。現時点での代表作。

 他に『不死を求める者、これを道士と呼ぶ』(ドラゴンノベルス)という作品が書籍化されているがこれは未読。
 積極的に推すほどではないが、気楽に読めば小さな発見はいろいろある。


『みだれめも』インデックスへ

THATTA 445号へ戻る

トップページへ戻る