内 輪   第415回

大野万紀


 本屋で今月発売の「フリースタイル 63号」を何気なく手に取って見たら、特集が「STARLOGとその時代」とあって、当時の編集長中尾重晴さんと副編集長高橋良平さんのインタビューが49ページから100ページまで50ページにもわたって掲載されていました。全体で140ページちょっとの雑誌なので、これはすごいですよ。さらに創刊号から休刊号まで全号の表紙カラー画像付き! もちろん即買いました。
 「スターログ日本版」といえば1978年8月から1987年2月号までツルモトルームから100号にわたって刊行されたビジュアルSF誌ですが(その後も竹書房から季刊で出されました)、確かに一時代を築いた雑誌だといえます。ぼく自身はそんなに熱心な読者ではなかったのですが(毎月買うのではなく本屋でチラ見して興味のある号だけ買っていたので)、それでも特集によっては細かな記事まで食い入るように読んだ記憶があります。表紙画像を見ていると、あ、これはあのころ読んだなと懐かしさもひとしお。
 また今も活躍しているSF関係者がたくさん関わっていて正社員になっていた人もいます。これは高橋良平さんからのつながりかも知れません。インタビューを読むと、ワセミスつながりも多いようです(高橋さんの「本の雑誌」の連載、早く本にしてください!)。何にせよ、事前情報なしに手にしてびっくりでした。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


ジョナサン・ストラーン編『シリコンバレーのドローン海賊』 創元SF文庫

 2024年5月に出た本。オリジナルはMITプレスから刊行された「近未来における技術開発の役割と、潜在的な影響の探求を使命とした」シリーズの一冊で、人新世の「気候変動とともに生きる自分たちの暮らしがどのようなものになり得るかを」垣間見せるような本にしようと思ったと編者は序文で述べている。解説の渡邊利道さんが書いているように、ここで多く描かれているのは気候変動そのものではなく、それが顕在化させたグローバルな資本主義と階層化、差別と搾取といった社会問題にその主眼が置かれているようだ。

 日本版の表題作、メグ・エリソン「シリコンバレーのドローン海賊」で描かれるのも格差の問題である。父親がドローン配送の経営者で富裕層に属する高校生のダニーは同級生二人と面白半分に配送用のドローンを捕まえてはその荷物を奪い取るゲームを始める。ドローンの配送ミスだということにすれば大きな騒ぎにはならないのだ。配送ルートを分析し、網を張ってはささやかな物品を盗み、自分たちにとって価値のない安物、台所洗剤や離乳食、歯磨き粉といったものは「ガラクタの山」に廃棄する。
 仲間の一人アバは、ロボット工学で最優秀の成績を取る天才的な女子生徒だが、ダニーたちと違って内部進学の持ち上がり組ではなく奨学金を得て学校に通っている。アバはこの「ゲーム」にずいぶん乗り気で色々なアイデアを出すが、このゲームを「海賊」と呼び、ガラクタの山を引き取るのも彼女だ。ダニーたちと学校以外では接点がなく、彼女がどんな暮らしをしているのかも知らない。だがやがてダニーたちにもその意味が分かる時が来る……。

 テイド・トンプソン「エグザイル・パークのどん底暮らし」。作者はイギリスに住むナイジェリア人作家。この作品の舞台はナイジェリアの首都ラゴスの沖合に浮かぶプラスチックごみの島、エグザイル・パーク。政府は流れ着いたこの島に関与することを拒否し、島は勝手にやって来た流人(エグザイル)たちが暮らす一種の解放区となっていた。ゴミの山の中に廃材を利用して作られた解放区。島では自治が行われ、貧しいながらも自由でユートピア的なコミュニティが築かれていたが、それが近年犯罪が多発し殺人などの凶悪事件も起こるようになったという。
 主人公は島に住む昔の友人からその調査を依頼される。探偵ではない主人公には事件の犯人捜しではなく、統計的な数字からなぜ犯罪が急増しているのかを調べてほしいというのだ。主人公は妻と子供を連れて島に渡り、そしてそこで異様な人物、ほとんど死にかけた老婆と出会う。だが島の人々は老婆から強い影響を受けていたのだ。その原因とは……。
 政府から見捨てられた小さな社会で成り立つユートピア的コミュニティ。その基盤は危ういものだが、ここには力強く前向きなメッセージも込められている。

 ダリル・グレゴリイ「未来のある日、西部で」は現実に起きているアメリカ西海岸の山林火災が恒常化し、激しさを増した未来での、重苦しい日常を描いている。とにかく山火事の煤煙がそこら中を覆っていて街の中も煙っており、外に出るにはマスクや防護具が必須だ。そして環境破壊への対策が喫緊の課題であるこの世界では、肉食やガソリン車への忌避感がごく普通の感覚となっているのだ。肉食を好む者やガソリン車に乗る者は社会の少数派となり冷たい目で見られ、時には排撃される。それをエスカレートさせているのがIT技術だ。環境保護団体によるハッキングが行われ、SNSに流出したフェイクかどうかもわからない画像が人々の感情を刺激している。
 物語は迫ってくる山火事の中、三人の主人公の視点から描かれる。一人は小さな町に住むバーチャル診療のみ許された女医。認知症患者と連絡が取れず、自動運転車がハッキングされてどこかへ行ってしまったため、煙の中を歩いて患者の家まで行こうとする。もう一人は農家から本物の牛肉を加工業者までガソリン・トラックで運ぼうとしているカウボーイ。もう一人(一人といっていいのか)はある動画を見つけて一儲けしようとしている投機師/勝負師。夢中になっていて山火事が近づいていることにも気づいていない。
 この三つの物語が並行して進み、最後は巧みな叙述で一つにつながるのだが、ほっとすると同時に今のアメリカの状況を考えるとひたすら思い気分になる物語である。

 グレッグ・イーガン「クライシス・アクターズ」は気候変動はでっち上げだと信じているオーストラリアの男性が主人公で、環境保護団体の陰謀を暴くために組織から指示され災害ボランティアの団体にスパイとして潜入することになる。冒頭にニセ科学を信奉する父親と議論するところがあるが、彼の論点は科学的で真っ当なものだ。そんな彼がなぜ気候変動をでっち上げだと信じ、要人暗殺も辞さないテロリストになろうなどと思ったのか、そういう背景は描かれておらず、正直よくわからない。彼の子供に対する態度などを見ても、ごく普通の善意ある人間なのである。
 巨大サイクロンが島国ヴァヌアツに接近し、彼の潜入したボランティア団体が支援に向かうことになり、彼もその一員として同行するのだが、そこでの活動もまさに災害支援のボランティア活動そのものであって、そこにでっち上げの陰謀を見いだして社会に曝露しようとするというのはいかにも無理があるように思える。
 解説では皮肉が冴えていると書かれていたが、過激なテロリストになろうと思う主人公と現実の行動のギャップがどうにも理解できなかった。でもそういう人間は現実にいるのだろうな。

 サラ・ゲイリー「潮のさすとき」は気候変動後の地球で大企業が運営する海底農場に勤め、養殖栽培されているケルプ(昆布の仲間の巨大な海藻)の森の管理など危険な仕事に長年従事しているわたしが主人公。わたしは体が弱くて地上では暮らしていけず、ここでの仕事にはそれなりに満足しているのだが、海棲動物のようにもっと自由に泳ぎ回りたいと思っているのだ。同僚のクソ女イレーネはすでに改造手術を受け、足をひれに変えて魚のように泳ぎ回り何時間でも潜水できるのだ。だが改造手術には大金が必要。わたしはこつこつと給料を貯め、あと少しで実現できそうなところまできていたのだが……。
 ある時事件が起こる。わたしはノルマを達成しようと無理をして潜水時間が規定を超過し、その際にケルプを傷つけてしまう。いつも気を遣ってくれる同僚のアーティが助けてくれたが帰還すると当然叱責され、傷つけたケルプの弁償としてこれまで貯めた金の大半が没収されてしまう。そしてテロ組織〈潮流〉と関わりがあるんじゃないかと問われるのだ。もちろん否定し、その場ではおさまったのだが……。
 個人的なことを除けば今の暮らしや仕事のあり方について大きな不満もなく深く考えることもなかったわたしが、この事件をきっかけにどう変わっていくのか。
 迷いと決断の物語ではあるが、それよりもむしろ未来の海底でのある労働者の生活を描いた作品(プロレタリア文学か)として面白かった。

 ジャスティナ・ロブソン「お月さまをきみに」も破局後の世界を描くが、世界はすでに復興の途上にあって新たな体制が築かれており、わりとハッピーでほのぼのとしたお話だった。
 ナミビアの海岸に暮らし、カニ型のロボットを使って海を浄化する仕事に就いているダリウスとその息子ジャックの物語。ダリウスは電脳帽をかぶって仕事をしているのだが、はたから見るとただのんびりと釣りをしているおじさんだ。ジャックはアフリカ生まれながら北欧のヴァイキングに憧れていて、今電脳でやっている歴史講座を修了して参加資格が得られしだい〈ヴァイキングの冒険〉という北の海へ実際に行けるイベントに参加したいと思っている。時には父を手伝って海底に挟まって動けなくなったカニ型ロボットを遠隔操作し、何とか抜け出させたりもする。
 そこにダリウスの上司で、妻を亡くした彼に何かと懇意にしてくれるエスター(彼女は月に旅行することを目標に貯金をしている)や、エスターの仲間で数多くの復旧作業に共に従事し、今はイギリスに住んでいるジュリアがからみ、それぞれの夢の実現に向けて互いに助け合うことになるのだ。
 それぞれの試みはまるでO・ヘンリーの短編をよりハッピーにしたような微笑ましい結末を迎える。ちょっと気恥ずかしいけれど心温まり、これもまたよろしいのでは。

 陳楸帆(チェン・チウファン)「菌の歌」は面白かった。傑作と言っていいかもしれない。とりあえず素晴らしい翻訳をした訳者の中原さんには脱帽だ。特に村に伝わるお話の訳文には驚嘆した。
 舞台は未来の中国。全土を超皮質ネットワークに参加させようとして都会から人跡未踏な奥地の篁(こう)村へ派遣されて来た若い女性エンジニア蘇素(スー・スー)と村娘の阿美(アーメイ)の物語である。超皮質ネットワークというのは人工知能を使って気候変動に対処するため人々の物理世界とデータ世界をつなぐネットワークのことらしい。ところが篁村の人々は自然の万物に宿る神霊を信じており、これまでも外から文明が近づいてくるとさらに奥地へと逃れ続けていたのだ。
 蘇素はとにかく村の人々や前近代的な生活様式に全くなじめず、打算的に村人と打ち解けようとする上司とは違って、かたくなに酒も飲まず歌も踊りもしない態度を貫いていたのだが、そんな彼女に親切にしてくれる阿美に対してはしだいに心を開いていく。そして村の祭祀の場で阿美の勧める酒を飲み、歌に参加したとき、彼女は地球の生命圏に関わる壮大な真実のビジョンを知ることになる……。
 ある意味、昔から多くのSFで描かれてきたビジョンである。解説ではややスピリチュアルな社会的つながりのユートピアと書かれていたが、確かにそういう面はあるにせよSF的な大風呂敷であり、心を揺さぶられるようなセンスオブワンダーの広がりがある。藤崎慎吾さんの昔の作品にも良く似た味わいのものがあったが、こちらは短い中に凝縮されているだけにさらに強烈な印象があった。

 マルカ・オールダー「〈軍団(レギオン)〉」はある種の会話劇である。ネット番組の有名な司会者が自分の番組のゲストに呼んだノーベル平和賞受賞者の団体〈軍団〉代表者の女性にインタビューする中で、次第に苛立ち心を乱されていくさまが描かれる。
 この男性司会者にはミソジニーなところがあって、社会の中で女性たちの置かれている理不尽さや恐怖についての理解が決定的に不足している。それを自分の番組の中でストーリーを作ってコントロールしようというのだから噛み合うわけがない。
 一方〈軍団〉は女性たちが街の中で襲われることのないよう、ネットワークで徹底的に監視し、時には自衛のために実力行使ができるようなシステムを構築した(詳しい説明はないが話の中でだんだんとわかってくる)。それは権力による相互監視システムと紙一重だが、目的が違い主体が違う。インタビューの場においてもそれが働いており、司会者の言葉による攻撃に対しても抑止と反撃が行われているのだ。それはついに命に関わるほどのものとなる……。
 置かれている立場の非対称性はあるが、システムの作用は同じで、そこには正義のための武力行使は正当であると言うのと同じ怖さ危うさも存在している。

 サード・Z・フセイン「渡し守」。作者はバングラデシュの人。
 富裕層は医療用インプラントで事実上不死となっている超格差世界。その上今もカースト制度が残る国で、最下層カーストに属する主人公は中流階級の(プライドは高いが生活は苦しい)人々が死んだときの死体回収を仕事にしている。差別され蔑まれる職業だ。
 人々に慕われていた70歳の学校教師が亡くなる。この世界で70歳は年寄りとはいえないが、その歳で死ぬということは屈辱であり経済的な失敗を意味する。葬式の終わるのを待っている主人公に故人の娘である女性が侮辱的な言葉を投げるが、彼は大人しくそれに耐え、死体を回収する。だが彼の仕事場にその女性がやってきて死体となった父に合わせろと言うのだ。市との契約で回収された死体は移植用に臓器を切り取られることになっている。彼は女性にそれを見せないようにしようとするが根負けして彼女を処置室の中に入れてしまう。悲鳴を上げる彼女。だが遺体には首がない。父の頭はどこなの、と聞く彼女。そして彼は真相を語ることになる。その大きな秘密を……。
 グロテスクな格差と差別の物語と思ったものが思わぬ姿で結末を迎え、SF的な一種のハッピーエンドとなったのには驚いた。これはやはり現実では得られない類の希望であり、救いなのだろうか。

 ジェイムズ・ブラッドレー「嵐のあと」は気候変動による海面上昇と異常気象のさなかにいるオーストラリアの人々の暮らしを一人の不幸な少女を主人公にして描く傑作である。あからさまなディストピアではなく、ごく日常的なレベルの不幸が描かれるのだが、読後感はとても重い。
 少女の母は病死し、飲んだくれの父は仕事を探すといってどこかへ行ったまま。たまに連絡はあるが返信しても返事はない。母が死んでからずっと彼女は祖母の家に預けられている。祖母は気を遣ってはくれるが、父を嫌っていることは明らかで、彼女はそんな祖母が好きではない。迫り来る海に備えて彼女は海岸に防潮林を植える仕事を手伝っているが、誰ともなじめずにいる。この土地に来た時に知り合った若者たちのグループでも、騙されて辛い目に合った。父から今度お前を迎えに行くと連絡があり、半信半疑ながらも彼女はそこにかすかな希望を抱いている。どこかこことは違うところに行きたいのだ。
 彼女は仕事先で高潮から避難してきた少年に仕事を教えるよう言われるが、乗り気で無く投げやりな態度を示してしまう。こんなことをしても未来に希望などないと思ってしまうのだった。そして父が来るといっていた日、激しい嵐が襲ってくる……。
 解説でこの嵐がまるで一種の救いのように感じられるのが恐ろしいと書かれているが、それほどにも救いの見えない物語なのである。多くの人が努力しているのはわかる。しかし荒んでいく世界の中で生きる弱い立場の個人、当事者にとっては……。
 結末でごくささやかではあるが人の温もりが感じられるのが、わずかな救いとなって心に染みる。

 「資本主義よりも科学──キム・スタンリー・ロビンスンは希望が必須と考えている」は小説ではなく『未来省』の作者へのインタビュー。インタビュアーは「嵐のあと」の作者である。これは2021年の始め、バイデン大統領就任式からコロナ禍の第二波が世界を覆う中で行われたインタビューだ。
 ここで語られているのは2世紀におよぶ資本主義大国の席巻の後、世界を資本主義、特に新自由主義的資本主義という災厄が覆って、取り返しのつかない、不公平で持続可能じゃない世界が現出し、未来への危機を(人々の、仕方がないという精神も含めて)作り出している。それへの対抗をどのように築いていくかと問題意識である。
 キム・スタンリー・ロビンスンは、それに対抗するのは暴力ではなく言論闘争、政治闘争、法律闘争、不服従といったものであり、その根本にあるのは科学である。破局を回避するには、科学的事実に基づく理解を資本主義よりも優先すべきであると言う(本書のようなSFが描く未来もそのようなものとしてあるだろう)。そこで重要なのはお題目ではなく具体性である。ケースバイケースで考え、小さなものであっても具体性のあることをやってみることが希望につながると言うのだ。
 もっともだと思う。ただ科学的で具体性のある実践が資本によって姿を変えられ、醜悪な姿になる例を見てきている(太陽光発電とか)だけに、これもしっかりと考えないといけない問題だろう。そしてトランプが繰り出すような反動が、本書で描かれたような世界への道を加速するのではないかという恐怖がどうしても拭えないのである。


冲方丁『マルドゥック・アノニマス9』 ハヤカワ文庫JA

 大長編シリーズとなったアノニマス・シリーズだが、まだまだ終わらない。といって、
 主人公であるパロットとウフコック、彼女らを取り巻く〈イースターズ・オフィス〉の面々、パロットが通う大学のクローバー教授、
 元々は敵役だがこのところほとんど味方のようにふるまうハンターとバジルの〈クインテット〉、その配下のグループやメンバーたち、
 そしてそれらと複雑な関係性をもち、初めの頃は単なる悪辣な市長派の集団に見えていたが実はとんでもなく恐ろしい存在で、あるいは真の敵でもある〈シザーズ〉、
 反市長派というだけではなくこれまた謎めいた存在を擁する〈円卓〉、
 そして超能力をもつエンハンサーを生みだしたマッドサイエンスの牙城〈楽園〉、
 そういった組織と人々、エンハンサーと犯罪者、警察や様々な権力機構が、同じような抗争を繰り返して延々と続けているというわけではない。いやそれにしても登場人物の多さと組織の関係の複雑さはとんでもなく、読む度に一度クリアして冒頭の登場人物紹介と関係図を見直さないといけないほどだ。
 この長大な物語の背後には神話的といっていい(SF的といっていいかも知れないがさすがにちょっと躊躇する)構造があって、それが物語に複雑で奥深い謎を与えているのだ。表面的な物語ももちろん面白いのだが、それが読み続けなければという気を起こさせるのである。
 この巻では激しい超能力戦は(一応あるのだが)影をひそめ、いたって平和的で家庭的な雰囲気で話が進む。
 ハンターの〈共感〉による均一化にほころびが生じ、勝手な思いが暴走して〈楽園〉を襲撃する〈クインテット〉の幹部、ラスティとシルヴィア。〈クインテット〉はそれをパロットを通じて〈イースターズ・オフィス〉に通報し、〈楽園〉によって能力を奪われた二人、ラスティは〈クインテット〉へ、シルヴィアは〈イースターズ・オフィス〉へと引き取られることになる。
 パロットたちとハンターたちはそれぞれ思いを秘めながらも友好的な関係を続け、とりわけシルヴィアの恋人だったバジルは彼女に会いにオフィスを度々訪れるようになって、ほんわかとしたハッピーな雰囲気が漂う。そしてついに二人は婚約し、周囲もそれを祝福する。まるでロマンスもののような展開だ。だがこれまた均一化のほころびのせいか、シルヴィアを殺害しようと狙う勢力が現れる。オフィスとバジルたちは再び協力して彼らと戦い、シルヴィアを守ろうと計画するのだが……。
 ハンターに、そしてウフコックに現れる謎めいた幻。それはこれまで何度か描かれた物語の背後にある神話的な存在の報せだろう。それが何とも不穏な空気をかもし出す。そしてここまでずっと基本的には幸せでハッピーな物語が展開していたのに、最後の最後でそれがひっくり返される大ショック。次巻も目が離せない。


柞刈湯葉『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』 新潮文庫nex

 2024年6月に出た柞刈湯葉の最新書き下ろし長編である。タイトル通りの物語で、地方都市に住む理系の大学生が、幽霊が見え幽霊と会話もできるという霊媒師の助手となってバイトをする話である。ポイントはこの大学生が幽霊を全く信じておらず、極めて理系な、科学的で合理的な考え方をするところだ。となると、幽霊話の真相を科学的に解明していくような小説かと思うだろうが、そうではなかった。これは地方都市を舞台にして、その土地の歴史、そこに根付く人々と、家族、友人、彼ら彼女らの様々な関係性をとても温かく、細やかにリアルに、そしてユーモラスに描いた小説なのである。
 主人公は生まれて育った町の中高でトップの成績をおさめたが遠い都会の難関大学へ進む気はなく、実家から通える地方大学の理系学部へ入った男子大学生の豊(ゆたか)。何でも科学的に考えてしまい、他人の気持ちをおもんばかることが苦手なタイプである。ただそれを自覚しており、なるべく相手に合わせようと気を遣うところがある。そんな彼が百歳で亡くなった曾祖母の葬儀で、真夏でも黒紋付の和服を着た、霊媒師を名乗る中年女性と知り合い、彼女の助手としてバイトをすることになるのだ。
 中年女性はハルさんといい、見た目は40前後だが、まるで曾祖母と女学校の友人だったような口ぶりだ。ハルさんは霊媒師で、死んだ人の霊が見え話ができるというのだが、もちろん豊には何も見えない。彼女は人から頼まれて、土地に留まったままでいる死者の霊と話をし、その願いを叶えてやることが仕事なのだという。豊はハルさんに頼まれてバイトを引き受け、必要な道具を用意し、言われるままにその手伝いをすることになる。それは交通事故死の現場でエアバッグを膨らませたり、死者のために航空券を用意したり、洪水で死んだ人のために川で浮き輪を投げたり、病死した人に市販薬を用意したりと不可解で奇妙なことばかりだ。
 豊は幽霊は信じていないが、ハルさんのことは変な人だとは思いつつも認めていて、詐欺師だなどとは思わない。人の心を推測できる勘のいい人だと思っている。ハルさんの言うまま空き地で百均の毛糸を燃やしていたとき、それを近所の女性に見とがめられた。彼女は同じ大学の文学部の講師だった。それから大学で彼女に会うたびに、ハルさんのことやバイトの内容などを話すようになる。彼女は文系の視点から、豊は理系の視点から論じるので話は噛み合わないが、そこから見えてくるものもある。
 人付き合いの苦手な豊だが、小学校からいっしょに遊んでいた親友がいる。西田くんといって、いっしょにこの街で噂の埋蔵金探しをしたりした仲だ。でも高校の時にちょとしたいさかいがあって、それから疎遠になっている。ハルさんのバイトをしている内に、その埋蔵金の話が浮上してくる。またハルさんの娘だという女子高校生から電話でハルさんが入院したということを知らされる。
 いつも待合せに使う古いレトロなカフェ、豊には見えないがハルさんが霊媒師として相手をする過去の人たち、豊の母や父、曾祖母が亡くなって古い家に一人で暮らすようになってから衰えが目立つ祖母、それまで興味のなかった水害や防災に関わる土地の歴史、そんなことが細やかに描かれていく。
 2019年から始まった物語はコロナ禍を経て豊が大学を出て起業する2024年に終わる。商品名や企業名など実在のものが多数登場し、この物語が現実と地続きな世界を描いているのだと納得させられる。最後に書かれているように、自分の知らない人々の途方もない記憶の積み重ねからこの世界はできている。幽霊は信じなくても、そういう見えない積み重ねは確かに存在するだろう。だから、大丈夫だ。


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